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リュウレイとアレイシスの試合が終わり、残る二試合も終わったところでティフィアは緊張して重苦しい胸をほぐすため、深呼吸すること10回。
「―――お嬢、早くしないとリタイアになっちゃうよ?」
「ぅえっ!?」
リュウレイの呆れた声に、慌てて広場へ向かった。
『……お、きたきた! やっぱり主役は遅れるものなのかね―――、勇者ティフィア様のご登場だぁぁぁああああああ‼‼』
皮肉をこめたアナウンスの声に、待ってましたとばかりに観客たちが喚く。
すでにもう帰りたいと思っているティフィアにお構いなく、目の前にいる男はニヤリと笑った。
「これはこれは……お初にお目にかかります、勇者殿。ワタクシ、ミシェル・トーマと申します。これでもこの王国の伯爵位を授かっております」
「は、はじめまして、ティフィアです!……えっと、あの、」
「ワタクシめのことは、どうかミシェルと、そうお呼びいただければ、と」
恭しく頭を下げたミシェルは、長身の優男で、身にまとっているのはスーツだ。その姿は、貴族というよりも執事のようにも見える。
だけど、直感で分かる。――――この人は、強い。
『そんじゃあ、両者揃ったところで―――――――――試合開始ッ!』
合図と同時に、ティフィアは駆け出した。
――――“城での一件を秘密にする代わりに、闘技大会に勇者として出て欲しい。” そうミア王女から連絡があったとニアに聞かされ、正直躊躇いがなかったわけではない。
僕たちはこの旅で、目立つわけにはいかなかったから。
逃げるように帝国から飛び出して、追っ手に怯えながら隠れて……ようやくここまでこれた。
でも、本当は気づいてもいたんだ。
このままじゃダメだって。
リュウレイは「お嬢が決めたことなら」って言ってくれたけど、だけど僕は――。
「試合中に考え事ですか? ずいぶんと余裕だ」
真っ向から剣を向けてきたティフィアに、ミシェルは腰から抜いた細い剣で対処する。流れるような剣捌きに、ティフィアよりも戦い慣れしてることは明白だった。
「っ」
「剣先がブレてますよ。躊躇っている証拠だ。――ワタクシ、これでも女神教の教徒なのですよ。本物の勇者に一目会いたく、そして一戦交えてみたく、こうして大会に参加したわけです」
とにかく相手に一撃与えようと、剣を振り回す。
しかしその全てが細剣でいなされ、弾かれ、どれだけ力をこめても躱される。
ティフィアは体躯に見合わず、人より力はある方だ。だから一撃一撃は本来強いのだが、その力を受け流されてしまっている。
「ふぅっ!」ならば足場を崩そうと、一気に姿勢を低くして膝を狙うが、すぐに察知されて後ろへ跳んで避けられてしまった。
「手加減してるわけではないようですし……勇者の力がその程度、というわけがない。ということは――答えは1つ」
残念です、とミシェルが心底悲しげに目を伏せ。
次の瞬間には鋭い瞳が細く歪む。
「!」何かを察してティフィアは咄嗟に距離を取ろうとするが、その危機回避行動すら読まれ、逆に距離が詰められる。「っ、りゃあ!」とにかく離れたい一心で剣を振るも、いとも容易く弾かれた。
そして、ミッシェルの細い剣が太陽の光を反射し、煌めくと。
「“ニセモノ”め―――勇者を騙った罪、重いと知りなさい!」
剣を弾かれ不安定な体勢のまま、ミシェルの斬撃が繰り出される!
「!? ぃ、っっ!」
ひゅっ! と避けた鋭い“突き”に左目の横の皮膚が切れた。
だがそれで終わらない。
「ぐっ、つっ、うっ、っ、っ、っ、っ、つぅ――――!」
視覚では追いきれない速度の剣がティフィアを襲う。
剣先がまるで針のむしろの如く、全身を貫こうとする凄まじい突き攻撃!
よろめきながらほとんど勘に頼ってなんとか斬撃を対処するが、それでも全てを躱せるはずもなく肌にいくつも裂傷が出来る。
今はまだそれだけで済んでいるが、いつ勘が外れて剣先がティフィアの体に突き立てられるか、もはや時間の問題だろう。
――だめだ。
どうしよう、勝てない。負ける。強すぎる。
どうしよう、どうしよう…………!
焦れば焦るほど、勘も鈍る。その度に傷が増える。
負けてもいいんだっけ? ミアさんとの約束では、勇者として出場するってだけだし。
偽勇者って謗そしられても、仕方ないよね。どうせ僕は……“出来損ない”なんだから。
言い訳ばかりをツラツラと並べ、少しずつ力を抜いていく。
――僕は弱いから。強くないから。それに負けたところで失うものも何もない。勝ったところで、お金がもらえるだけ。
そうだよ、なんとなく優勝してからアルニと話そうとか思ってたけど、その必要はないんだ。この試合終わったら、会いに行って…………そしたら、そうしたら――――
―――そうしたら、僕は何をアルニと話すんだろう……?
「終わりにしましょうか」
戦意喪失したと彼女の目を見て察したミシェルは、一度ティフィアから離れて細剣を水平に構えた。
ティフィアも剣を構えるが、やけに体が重い。それはきっと、今でもまだ躊躇っているからだ。
負けても良い理由を探して、言い訳にしていることへの罪悪感。
弱い自分を肯定しようとしていることへの喪失感。
本当にこれでいいのかな。
……これで、終わって――。
「ティー‼」
ハッと、俯けていた顔を上げる。
一般観客席から身を乗り出し、何故か悔しそうに顔を歪めたアルニがそこにいた。
「何やってんだ! あんなやつ、お前なら勝てるだろーが!」
たった一度だけ、共闘しただけの関係で。
たった一日だけ、少し話ただけの関係で。
友達でも、仲間でもない。
きっとこの関係は、たぶん“知り合い”程度のもの。……いや、殺されかけたのだから、それよりももっと酷く、違う、何か。
それなのに。それだけの関係なのに。
「戦え、ティフィア!」
アルニは、ティフィアなら勝てると。
ティフィアの強さを純粋に評価して、勝てるんだから手を抜くなと、発破かける。
――違うよ、アルニ。僕は弱いんだ。
だって誰かに剣術を習ったわけじゃない。周囲にいた、強い人たちの戦い方を見様見真似してるだけで。
………でも。
「無駄です! これで終わりだ―――――」
アルニが僕を信じて言ってくれたのなら。
その期待を裏切りたくない。
「うん。分かった」
満面の笑みでアルニの言葉にそう返すと、彼の灰黄色の瞳が驚きに大きく見開く。
信じてくれるアルニの前で、無様に負けたくない。
僕はこの人より強い。
過信でも、勘違いでもいい。
僕は――勝ちたい。
アルニからミシェルへ視線を戻すと、すでに彼の剣先が眼前へと迫ってきていた。
でも、何故だろう。
今まであんなに速く見えた剣戟が、不思議と遅く見える。
半歩後ろに下がって鼻先で通り過ぎるそれを見送り、細剣を持つ彼の右手を掴んで捻れば、ミシェルは驚きと苦悶の表情を浮かべて剣を落とす。
しかし彼はティフィアの手を振り払うと同時に落とした剣を足先で蹴り上げ、再びそれを手にすると――一閃!「な!?」
ガィィンッ! 振り下ろしたと思った細剣はティフィアの剣によって防がれ、「っりゃぁあああああ!」更に弾き返される!
「っ、ぐっ!?」
体勢を崩したミシェルへ、ティフィアは剣を顔の横で構える。
そして。
ズパンッ!!
ミシェルの“突き”よりも鋭く勢いのある“突き技”が、宙と彼の髪を貫き、更に男の右の耳たぶを少し抉ったところで剣先が止まった。
「…………は、」
ポタリと耳たぶから血が流れ、腰を抜かしたように呆然としたミシェルが地面に尻餅を着く。
――これは勝ち、でいいのかな?
完全に戦意を失ったミシェルを見下ろして剣を鞘に納める。
だけど勝者コールがないなと、不安げに周囲をキョロキョロ見回していると、何故か観客たちもポカンと呆けていた。
あれ、もしかして僕なんかマズいことしちゃったのかな!? と内心ビクビク怯え始めると、ようやくアナウンスの人間が我に返った。
『―――お、おぉぉおおおおおお? なんか、え、よく分かんなかったけど! 後半の凄まじい追い上げ……さすがと言うべきなのか!? 勝者、勇者ティフィア様ぁぁああああ‼』
アナウンスにようやく観客も我に返り、盛大な拍手が送られる。
「やったー!」
僕もよく分かんなかったけど、勝ったー! と喜びつつ、後ろを振り返る。
呆れたような、安堵したような、嬉しそうな、複雑な表情のアルニに「えへへ、ありがとう!」と告げて広場を出る。
今回は本当にアルニのおかげで勝てたようなものだ。
……話は大会が終わってからにしよう。
とにかく今は、勝てるだけ勝ってみたい。
アルニが信じてくれた“強い僕”でいられる限り。




