泡沫に消えろ 後編⑬
いつ教会から城に戻ってきたのか、リウルは覚えていない。
また意識が途切れていたのか、或いは自失していたからか。何にせよマーシュンと話さなければと思った。
「勇者……使命…………おれのせいで、ラヴィが……。おれが、勇者だから。本当は違ったのに……こんな……こんな証があるから――っ!」
剣を取り出し、自分の左手を何度もそれで刺し貫く。
何度も。
何度も。
何度も。
痛みはあった。でも不思議と痛みを痛みと感じることはなかった。
それも『勇者の証』のせいだろうか。
何度も血が噴き出し、床やリウル自身を汚す。赤く。紅く。朱く。
それでも傷は塞がる。修復される。リウルの生命力を使って、勝手に治っていく。
この命が尽きればリウルは死んで、そして魔王も消えるだろう。
なんだそれ。なんだよ、それ。じゃあどうして魔の者と戦わせるの。なんで100の巡りなんてあるの。勇者と魔王がいる意味は。『勇者の証』はなんのためにあるの。
「……意味がないことなんてしないはずだ。意味がある。意味。なんの。どうしてこんなことを。――繰り返す。100回。これが最後のはずだったって、言ってた」
リウルは最後の勇者に、たり得なかった。本来はニマルカが――“魔法師”である彼女がなるはずだった。
「魔法師。ニマルカ……、ニマルカ、君は今も村にいるの?……どうして教えてくれなかった…………違う、ニマルカは何か言おうとしてた」
『勇者の証』が発現する前に起きた土砂崩れ。雪崩のように土砂が迫り来て、リウルは咄嗟にニマルカを突き飛ばして庇って。本当はあのときリウルは死ぬはずだった。
でも魔物が――レドマーヌが助けてくれた。レドマーヌが周辺の魔物に助けを求めて、それを魔物が従って。土砂に攫われたリウルを引き上げ、回復までしてくれて。
だけどニマルカは安心したように、だけど何か切羽詰まったように言った。逃げよう、と。
結局、すぐに村の人たちや父さん母さんが来て有耶無耶になって。
ニマルカの父である村長が、すぐにニマルカを連れて帰っていって。
それでも何度も何かを訴えようとしていた。
恐らくニマルカは知ってたわけじゃなだろうが、何か感じていたのかもしれない。
「……教会はおれを殺さなかった。『勇者の証』もそのまま。殺す必要がなかった?……違う。意味。意味がある。意味――使命だ。勇者が魔の者を殺すこと。魔の者を殺す必要がある……?」
そうだ。考えてみれば100の巡りは“勇者と魔王”の話がメインではあるが、繰り返してるのは何もそれだけじゃない。
――戦争だ。
勇者は魔王軍と戦わされる。そもそもそんな状態を『戦争』と呼ぶにはいささか違和感がある。だって一人VS大多数だ。勇者が人類の代表だとしても、やってることは魔の者の大量殺戮だ。
「『勇者の証』の反応も、何かある」
血に塗れた左手の甲に浮かびあがる紋章。ここ最近は一層黒くなってしまったそれを見つめる。
殺せ、という声はこの証によるモノだ。意識がなくなるのも、なくなっても勇者として活動させられるのも。
黒くなったのは何故だ。発現して数年は白く発光してるだけだった。
いつから黒くなり始めた? 声はいつから? 意識がなくなるようになったのはいつから?
――リウルはふらふらと机に向かい、引き出しから己の手記を取り出した。
「『勇者の証』は魔術と魔法の複合術式って言ってた。勇者が使命を果たせるよう、強制させるための魔術紋陣。――『勇者』は大量の命を刈り取る使命がある。魔の者を殺させてるが……もしかしたら人間でも……。人間。人類の希望…………そんなんじゃ、なかったんだ」
ぽた。
ノートにこぼれた滴は、紙とインクを滲ませる。
「こんな、こんな悍ましい……っ! なにが勇者だ! なにが人類の希望だ! こんな……こんなこと、なんでっ!」
ぽたぽた、と涙があふれてくる。
奥歯を噛み締めて、拳を握りしめて。内側から湧き上がる衝動に喘ぐ。
だけどこの衝動も『勇者の証』によって魔王に流れ込み、すぐにでもリウルは平静を取り戻すだろう。
「―――そ、うか」不意にリウルは気付く。
どうして勇者と魔王が必要だったのか。勇者を選び、魔の者を殺すためなら別に魔王の存在は必要ない。では何故か。
リウルはガラテスの記憶を垣間見た。バレンディキンの街で起きた事件の全貌。そしてそのときにガラテスが何を想い、何を感じていたのか。ガラテスはラヴィの一族から生まれた魔族だということも。
魔族は人の感情から生まれる。強い感情が形を成す。―――勇者が勝手に魔族を生み出すことを恐れたからだ。
もし魔王がいなければ、きっと勇者は教会を憎んだ。勇者一人では魔族が生まれずとも、100の巡りで繰り返された歴代勇者たちの憎悪はかなり大きいはず。
彼らによって生まれた魔族は、当然勇者たちの記憶を持つ。歴代勇者たちの記録を消すくらいだ、そんな存在は不都合でしかない。それを防ぐための『魔王』だ。
勇者たちの感情を魔王に流せば、魔族は生まれない。勇者が死ねば魔王もいなくなり、あとは記録や、何かを知る者や疑う者たちを対処すれば――何も残らない。
「は―――、ははっ! すごいじゃん、女神教って。そこまでするんだ、よっぽど大層な目的があるんだろうね!」
許せない。
「よく出来た仕組みだよ。今まで反発する人がいなかったのはそういうことだったのか。歴代勇者のことも。この紋章も。――すごいね『勇者計画』って」
許せない。
「人間も、魔の者も蔑ろにされてるのに、誰もそれに気付いてない。気付いた人は、きっと消されたんだ……」
許せない。
「……おれも、魔王を倒すか、生命力が尽きれば死んじゃう。ニアもラヴィも巻き込めない。二人には死んで欲しくない」
たすけて。
「マーシュンには、どこまで話そう……。この手記も隠さないと」
たすけて。
「どうすれば教会を出し抜けるかな。復讐出来るかな。今の内に攻撃して戦力を削るとか? でも教会が勇者と対立したときの対処なんて、それこそしてるだろうし」
たすけて。
「………………おれが、なんとかしないと。『勇者計画』がこのまま進行して終わったら、どうなるか分からない。でも良いことにはならないはず。ここで食い止めないと。なんとか。なんとかしないと」
おかしく、なりそうだ。
今まで、心のどこかで『勇者』であることを支えにしてきた。魔王を倒して自分も死ぬとしても、それで世界が救われるならばと。
むしろ『勇者』こそが『魔王』だ。
「……いいね、魔王。勇者じゃなくて、魔王か。―――なら、悪役になってあげるよ」
教会にとっても。人間にとっても。
「おれが世界を救ってあげるんだ! 人も魔の者も関係なく、おれが、おれの思うように、勝手に」
一つだけ方法が思い浮かんでいた。
――それは“リウル自身の記憶を持つ魔族をつくること”。
そのために心がいる。強い感情。それを一カ所に留め、その場所でリウルが死ねば――。
「マーシュンに頼もう。強い感情はきっと死ぬ直前に強く表れる。短期間で効率よく、人を殺してくれそうな人材を調達してもらう。おれもなるべく、その場所で魔の者を殺すようにしよう」
仕方のない犠牲だ。未来のために、人も魔の者も死んでもらおう。
真実を知る魔族が生まれれば、世界は変わる。教会より先手を打てれば、『勇者』が選ばれなければ――100の巡りはもう二度と繰り返されない。
そうと決まればマーシュンに連絡をしなければ、と窓を開ける。近くの木に止まって隠れていた映鳥がリウルの魔力に反応して飛んできた。そして伝言を記憶した映鳥が空高く羽ばたいていく。
見えなくなるまで見送ると、リウルは窓もカーテンも閉め切り、部屋を真っ暗にするとそのままベッドへ倒れた。
「大丈夫……だいじょうぶ、おれが、なんとかする。ニア、ラヴィ……おれが、世界を救うから。守るから。だいじょうぶ」
ぶつぶつと呟きながら、目を閉じる。
自身に言い聞かせておかないと、もしまた意識を失ったとき――二人を傷つけないように。
***
ぴぃぴぃ、とどこかで鳴き声が聞こえ、少女は辺りを見回す。
廊下の窓に挟まる間抜けな小鳥が一羽、ジタバタと藻掻いていた。白い翼に橙色の羽毛、琥珀の瞳の珍しい色合いの小鳥――レドマーヌだ。
リウルを追って王都に侵入したは良いが、途中で彼を見失い迷っていた。ちなみに王都の結界はレドマーヌを拒むことはなかった。
「……鳥さん」
少女は窓を開けてレドマーヌを助けると、じっと見つめる。
黒曜石のように黒い瞳だ。レドマーヌはその瞳を、否、その瞳の奥に見えた気配に「ぴぃ?」と鳴く。【不死鳥】の記憶が、少女と別の誰かの気配を重ねたのだ。
しかし、当然少女には伝わらない。首を傾げ、それから部屋に入ってきた人物へその小鳥を見せた。
「おかあ、さん」
「ティフィア、来てたの? いらっしゃい。――それは……映鳥、じゃないわね?」
部屋の主である女性フィアナは、ティフィアの頭を撫でながら小鳥へ顔を寄せる。
「結界に入れたってことは、きっと無害な魔物ってことね。なら、いいかしら」
確認を終えたフィアナは離れ、慌ただしく室内を移動する。身につけていたアクセサリーを変え、タンスに仕掛けたカラクリを解いて“収納石”を取り出す。
「また、でかけるの?」
「ごめんね。部屋は好きに使っていいから。誰か来たら、いつも通り隠れてね」
「はい」
弟ラスティラッドが作り出した、自分のクローン体である少女。彼女をフィアナが拾ったのはつい先日のことだ。
ラスティの部屋から離れた部屋でうろついていたところを慌てて保護した。どうやら少し前から、部屋から少しずつ出ていたらしい。
――軍部の弱体化、それから女神教の出入りが激しくなった城内は、警備体制に穴が広がっているのには気付いていたけれども。
ラスティや他の皇子も不穏な状況に気付き、各々動き出している。そのためティフィアが抜け出していることを弟は気付いていない。ティフィアには部屋を抜け出したら、フィアナの部屋に来るように話している。
フィアナではティフィアを匿いきれない。だから結局こんな中途半端なことしかしてやることが出来ない。……もちろん内心、思うことがないわけではない。
実の弟が自分を愛しすぎてクローンをつくって愛でてるなど。彼の想いを受け入れることは出来ないが、放ってもおけなかった。それはきっと、ティフィアがフィアナとは似てるけど、違う部分もまた多いからかもしれない。
「おあかさん?」
「え、ああ……ちょっと考え事してたの。心配してくれて、ありがとう」
頭を撫でると嬉しそうにはにかむ少女。素直で優しい子。
今はクローツも忙しいみたいだし、もう少ししたら相談して匿ってもらえないか相談しなければ。
とにかく――今は。
「じゃあ行ってくるから」
「はい。きをつけてね」
互いに手を振り、それからフィアナは部屋を出て、護衛の騎士を連れて城を出る。
ガロはニアのおかげで事務作業に追われ、少しの間護衛から外れている。この騎士はガロの部下であり、フィアナの監視だ。
(でも、大丈夫)
一番恐ろしいのはガロであり、それ以外の騎士は基本的に任務に忠実だ。フィアナが外交による接待があると言えば信じるし、その素振りさえ見せれば一切疑うこともしない。
馬車で向かった先は――ロニクスという港町だ。
ここでフィアナはとある人物と落ち合う約束をしている。
「――フィアナ皇女殿下! 久方ぶりですね、更にお美しくなられましたか?」
別荘の一室。すでに先方は着いていたようで、フィアナが姿を見せると立ち上がった。
美しい漆のような黒髪長髪、切れ長の瞳は珊瑚色、細かい意匠をあしらったドレスをまとった女性はそう言って恭しく頭を下げた。
「変わらないわね、ランファ。でも急いでるの、前口上はいらないわ」
商人の国ウェイバードに本部を構える“商人協会”の会長――ランファ・ブランターク。
フィアナが向かいに座り、護衛が背後に立つ。一方、ランファの後ろにいるのは護衛ではないようだ。
その訝しげな視線に気付いたのか、ランファにニッと不敵な笑みを浮かべ、その護衛ではないひょろっとした男を呼ぶ。
「ウィーガン。皇女様はお前に興味があるみたいだ」
「光栄です、皇女殿下。――ですが、わたしよりも先に自己紹介すべき人物がそこにいるかと存じます」
ウィーガンという男はフィアナの護衛を睨めつける。何のことかとフィアナが振り返ると、護衛騎士は小さく溜め息を吐いた。
「……さすがはランファ・ブランタークの護衛――いや、この場合は同種を嗅ぎ分けるのが上手というべきか」
護衛騎士の端正な顔が変わる。皺が増え、目つきが鋭くなり、騎士の服も黒く染まっていく。
思わず立ち上がったフィアナは、見覚えのあるその顔に絶句する。
「あ、貴方は……!」
「こうして面と向かって話しをするのは初めてですね、フィアナ様。――改めて、“影者”所属のマーシュンと申します」
彼は続けて言った。
「皇帝陛下の密命により単独の隠密行動中でしたが、緊急事態のためこの場に潜入しました。無礼は承知ですが、今はそれよりも………ここにいる三人に話さなければいけないことがございます」
そして、
「これから話すことは全て勇者リウル様が得た“真実”――。これを聞いた上で、お願いしたいことがあるのです」
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