表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
207/226

泡沫に消えろ 後編⑪

ちょっと長いです。後半部分どうしても入れたくて切れませんでした……

読みにくかったらすみません!


***




 とある森の最深部。大樹の前に聳える“死を超越する巨鳥”――【不死鳥】が不意に目を覚ます。


「《―――――、我が一羽(ひとはね)よ。何故浮き足立つか》」

「ぴ?」

 そわそわと意味なく羽を広げたり、地面を転がったり、木に登って遠くを見つめていた【不死鳥】の一部であるレドマーヌは、本体から声をかけられるとは思わず首を傾げる。


 レドマーヌと本体は繋がっている。

 体は離れているが、記憶も思考も眷属(レドマーヌ)という子機から本体へ流れているのだから、こうして対話することも今までなかった。

 だから本体がレドマーヌに対して“疑問を持つ”という不思議な状況に、それこそ疑問を抱く。


「ぴぃ、ぴぴ?(なんでそんなこと聞くッス?)」

「《………不安と寂寥感、僅かな期待。感情の起伏が激しく、情緒不安定な状態にある》」

「ぴ! ぴぴぴぃ!(そう、寂しいッス! リウルさんが来ないッス!)」

 また遊びに来る、そう言ってお別れしてから一ヶ月が過ぎた。

 リウルが来るまでに飛べるようになるため特訓し、今では1時間くらいならずっと飛べるくらいには成長した。高度も7(メイテル)まで飛べる。


 自慢したい。褒めて欲しい。リウルと一緒にいたい。遊んで欲しい。

 願望が膨らむのに比例して、なかなか遊びに来てくれないリウルに不安も大きくなっていた。

「ぴぃぃ~……?(もしかして忘れられてるッスか?)」


 感情豊かなレドマーヌの様子に、本体の巨鳥は考える。

 人間と接した影響が強く顕われた、珍しい個体だと。それ故に危険分子だと判断する。

【不死鳥】は魔王の言うような木偶(でく)でも、ただずっと寝ているだけでもない。

 己の羽から生み出した眷属を世界中に飛ばし、各地の状況を本体へと情報として送る。それが本来の眷属の在り方なのだが、レドマーヌだけはリウルに恩義を感じ慕っている。


 一度死に、一度は感情をリセットされたはずなのに――名と記憶が何かを呼び覚ました。

 本体には感情を理解する機能が備わっていない。

 しかしレドマーヌと本体が繋がっている以上、本体や他の眷属に影響が生じる可能性もある。


 ―――【不死鳥】は傍観する立場でなければならない。それが存在意義だ。


「《()け、レドマーヌ。汝はもう――我が一部ではなくなった》」

 その瞬間、酷い孤独感がレドマーヌを襲った。

「ぴ……ぴぃ!?」

 今まで当たり前のように感じていた本体との、目に見えない繋がりが絶たれたことに気付いたときには、周囲の様子も変わっていた。

 あれだけ目立つように聳え立っていた大樹も巨鳥も白い靄になって見えなくなり、開けていたはずの森が狭まり閉じていく(・・・・・)

「ぴぃ! ぴぃ! ぴぃ!」

 声を上げても、森も【不死鳥】も反応しない。本体の気配も感じない。

 あまりにも唐突過ぎる展開に暫し呆然とするが、これが親離れかと勝手に解釈して羽をはばたかせる。


 突き放される直前「()け」と言ってくれた。背中を押してくれた。

 ――リウルさんに会いに行くッス!

 孤独感が消えているわけではない。本体と切り離されて、不安がないわけでもない。

 だけどレドマーヌにとって、それはすでに過去だ。


 白い翼を必死に動かし、森を突き抜けて上空からリウルの気配を探る。と言っても、あいにくレドマーヌは魔力感知が苦手なので、勘、である。

「ぴっ!(あっちッス!)」

 ふらふらとゆっくり進みながら北西を目指す。

 何度も休憩を挟み、うろつく狂暴な魔物から身を隠し、水を飲むついでに川で水浴びをしてたら流され、どこかも分からぬ森の中―――レドマーヌの想い人は、見つかった。

「ぴぃ! ぴぃぃいいいいいい!!」


 リウルはまさに任務中で、大きな鼠のような魔物数体と戦っていた。

 レドマーヌは喜び飛びつきたい気持ちを抑え、邪魔にならないように木の上で様子を見守る。

 剣を武器特性によって流した魔力分長くしたり、盾のように太くしたりして、うまく魔物の攻撃を防ぎ、カウンターのように鋭い攻撃を放つ。隙が出来れば魔術を使い、次々と魔物を屠っていく。


「ぴ………」

 斬って。燃やして。斬って。氷漬けにし。砕いて。斬って。斬って。燃やして。斬って。

 全ての魔物を殺したリウルは顔についた返り血を拭い、冷めた瞳でそれらを見下ろす。血を払い落とした剣を仕舞い、何事もなかったように踵を返し帰路に着く。

 声をかけるはずだったレドマーヌは、動けなかった。

 間違いなくリウルのはずなのに、まるで別人のように冷めた目をしていた。怖いと感じてしまった。


「ぴぃ……!」

 しかし意を決してレドマーヌは青年の背中を追いかける。

『勇者』としてのお勤め中だったから、きっと怖い顔をしていただけだと自分に言い聞かせて。

 会って話をすれば、以前のような優しい群青色の瞳を見せてくれる。そう信じて。




***




「親衛隊隊員ニア・フェルベルカ――本日から復帰しました! 先日は本当にご迷惑おかけし申し訳ありませんでした!!」

 腰を直角に曲げて深々と頭を下げると、「はいはい、ホントだよまったく……」と頭上で大きな溜め息を吐かれた。

 許可されてようやく面を上げると、書類の山に埋もれた親衛隊隊長ガロ・トラクタルアースが、書面を流し読みしながら押印するところだった。


 ニアが謝罪したのは、半月前にリウルの部屋の前にいた監視官の“影者(シャドウ)”を伸してしまった件だ。

皇帝直属の配下である精鋭に手を出してしまったことに、当然カミス皇帝は激怒。ガロやクローツでも庇いきれなくなりそうなところで、フィアナがフォローに入ってくれた。


 そのおかげでニア本人には半月程度の謹慎処分という形で収まり、監督不行き届きとしてガロも面倒な仕事を押しつけられてしまったのだ。

 そのせいでガロは一時フィアナの護衛を外れて、各部署から回される嫌いな書類仕事を片付けているわけだが、これは皇帝からの罰だけに留まらず、他部署からの嫌がらせも含まれていることは明白だ。


「クローツとフィアナ様にも感謝してよ~? あ、あと勇者サマにも」

「はい!……て、リウル様ですか?」

「彼も陛下に証言したんよ。“ニアがあんなことしたのは俺のせいです”って」

「た、たくさんの人にご迷惑を……」

「フィアナ様が変な事言ったせいなんでしょ? それで監視を伸したことはよく分からないけど、彼とはちゃんと話せたわけ?」


 他国のスパイから唆され云々はフィアナがでっち上げた話だが、それを知らないニアはリウルに聞いたのだ。

 否、聞いたというより、懇願した。

 ――他国に行かないでください、リウル様! 私、もっと頑張るので!

 当然意味が分からないリウルに「何言ってんの」と一蹴され撃沈したのだが。


「ええ……逆に不審な目を向けられました」

「どんまい☆」

 からかわれても何も言えず消沈していると、本気で落ち込んでいるニアの相手が煩わしくなってきたのか「じゃあ俺忙しいから、各所に謝りに行ってこい」と執務室から追い出されてしまった。


「えっと……この時間クローツ様は会議で、ちょうどフィアナ様が視察から戻ってきてるはず」

 ニアは親衛隊の詰所から城へと入る。フィアナの部屋へと向かいながら、謹慎中にも何度も思い返すあの日のこと。

 確かにニアは監視を伸した。でもその後リウルはどこかへ行き、入れ違いでクローツに見つかり……気絶した監視が目覚める前に帰ってきてくれないと大変なことになると、ニアが探しに行く直前に彼は戻ってきた。


 ニアはそのとき、酷く安堵したのを覚えてる。もう帰ってこないんじゃないかと本気で心配したのだ。

 そこでリウルに他国に行かないでと懇願し、意味不明だと一蹴。――そこで監視が目を覚ましてニアとクローツは謝罪し、そのまま皇帝にも謝罪に行き謹慎処分を言い渡されてしまった。


(……クローツ様とは口裏を合わせて、リウル様は部屋にずっといたことにした)

 そうしなければ彼の立場も更に悪くなってしまうからと。


 ――あの日、リウル様はどこかに行った。

 私たちの拠点である小屋ではないだろう。何か慌てていたように感じた。

「リウル様……一体何を抱えてるんですか?」


 どうして教えてくれてないんです?

 どうして相談してくれないんです?

 どうして頼ってくれないんです?

 私が強くないから? 私が頼りないから? 私が世間知らずだから?


「ラヴィなら何か知ってたんでしょうか……」

 ああ、そういえばラヴィの様子も見に行かなければ。謹慎中こっそり見に行っていたが、リウルが訪れた形跡はなかった。監視の目と任務で行けないのかもしれない。

 一応ニアは公式な勇者の仲間なので任務に同行出来るのだが、いつの間にかリウルが一人で行って片付けてしまうので、なかなか話す機会もない。


 一ヶ月前までは――そんなことなかった。

 ラヴィとニア、そしてリウル。示し合わせることなく、いつも3人小屋に集まって、一緒に任務をこなして。楽しかったあの日々が……まるで嘘みたいに消えてなくなってしまった。

「もし……もし、ラヴィの目を覚ますことができれば、」

 私に出来ないことはラヴィがいつもなんとかしてくれた。

 リウル様と一番仲が良かった彼がいれば、リウル様も悩みを打ち明けてくれるかもしれない。


「―――おや、ニア。俯いて歩いていると危ないよ?」

 柔らかいその声にハッと顔を上げる。

 前屈みで杖をつく、神官服を着た老人だ。骨張った青白い肌、落ち窪んだ眼孔――精気も気配も感じないその人を視界に入れた直後、ニアは嬉々として声を上げた。

「バフォメット様!?」

「久しぶりだね。元気がないようだけど、大丈夫かな」

「お久しぶりです!……はい、その……失敗してしまいまして。今からフィアナ様にご迷惑をおかけした謝罪に行くところなんです」


 バフォメットはこの世界唯一の占星術師であり、フィアナの元家庭教師だった男である。とても博識な人物であり、ニアも何度かお世話になったことがあった。

 普段は彼自身の屋敷にいるのだが、陛下に呼ばれたときだけ城にいる。偶然それが今日だったらしい。

 滅多に会えないバフォメットとの再会に有頂天でいると、「フィアナ様ならもう出かけてしまったよ」という言葉に固まる。


「……え」

「一度視察から帰ってきたらしいけど、何かトラブルでも起きたみたいだ。慌ただしく外出されたよ」

「そ、そう……ですか」

 どうやらタイミングが悪かったようだ。

 クローツ様の会議も始まったばかり。フィアナ様はいつ戻ってくるか分からない。……そうなるとリウル様に会いに行くべきだろう。

 今日はもう任務を終えて部屋に戻ってきているはず。相変わらず監視はいるが、監視つきなら話しても良いと許可も得ている。


 ――だけど、リウル様と話しをすることを躊躇っている。

 リウル様の考えが分からない。私が何か聞いても、きっとまた答えてはくれない。

 私では……ダメなんだ。


「あの、バフォメット様。図々しいお願いをしても宜しいでしょうか」

「そんな畏まる必要はない。――頼みというのは占星術、かな」

「っ、体にご負担が掛かると聞きました。……でも、頼みたいのです」

「ニアは優しいね。でも私の体を気にすることはないよ」

 それで誰を()ればいいのかな、という問いにニアは答える。


「――ラヴィ・ソレスタという男の未来を」


 彼がいつ目覚めるのか。何をキッカケに起きるのか。或いは……――。

 なんでもいいからラヴィが目を覚ますヒントが欲しかった。

 城には時々くるバフォメットのために部屋が用意されており、そこへ移動してから占ってもらった。

 どこからか取り出した水晶は魔力に呼応するように魔術特有の“窓”を浮かべる。


【星よ。紡がれた答えの一端を標し、光の導くままに我が瞳にそれを映せ。――未来視(カレイドスコープ)

 パキンと“窓”が割れ、目を閉じた彼の瞼の裏に映る未来を口にする。


「復讐の声が聞こえる」

 いきなり不吉な一言に緊張する。しかし復讐? まるであのラヴィとは関係なさそうな単語だが。

「悲しみ。怒り。憎しみ。恨み。……その声に、彼は目を覚ます」

「!」

「彼は同じ“傷を持つ者たち”と出会い、歩み始める。そして運命の分岐路――その先で静かに消えるだろう」

 そこでバフォメットは白濁混じりの黄色い瞳をゆっくりと開く。

「バフォメット様……。今のは、」

「最後の『消える』は遠い未来の話だよ。彼は寿命を全うして、心穏やかに逝くのが見えた」

 安堵の息を吐く。


「そのラヴィという人物が目を覚ますのは、その反対に近い未来。自然()彼を起こすのが見えた。……時がくれば、必ずそのキッカケによって意識が繋がるはずだよ」

「近い未来……時がくれば……。バフォメット様、それを人為的に起こすことは出来ないでしょうか?」

 残念そうに首を横に振り、それからバフォメットは窓の外へ視線を移す。


「ニア、人の心は“星”と似ている。星を繋げると星座と呼ばれ、物語が生まれる。心もまた、別の心と触れ合うことで絆が生まれ、物語が生まれる。……ラヴィという青年の心は、その“絆”の一つを失ったことによる自失状態にあるということだ」

「自失状態、ですか?」

「心はそう単純ではない。“絆”もまた、どこから結びつくのかも分からない。それがつまり運命ということ。――――抽象的すぎて分かりづらかったようだね」


 頭の上に「???」を浮かべていたニアは、バフォメットの苦笑を気まずそうにスミマセンと謝罪する。

「いいんだ。私のこれは魔法師だった頃の影響が強くてね」

「魔法師の感じてる世界が、私たちは全く異なるんでしょうね。精霊を感じる……不思議な感覚です」

「………………確かにその通りだ。だがその魔法師同士ですら同じでは(・・・・)――」

「え?」

「いや、老人の戯言だ。忘れて欲しい。……少し疲れたからここで休むことにするよ」

「はい! バフォメット様、本当にありがとうございました」

「いいんだよ、また何かあれば気軽に声をかけなさい」


 深々と頭を下げて部屋から出る。

 やはりバフォメット様は不思議な御仁だと改めて思う。


「星と心が似てる……。言われてみるとなんとなく分かりますね」

 ラヴィにとって誰かとの“絆”を失って、それが目を覚まさない原因ならば――確かにニアに出来ることはないのかもしれない。

 だけど自失状態になるほど、親しい関係者を失ったということだろうか。


「…………なんであれ、どうしたものか」

 その足取りは重い。何も答えが出ないまま、いつの間にかリウルの部屋に着いてしまった。

 特徴的な黒服をまとった男がニアを睨む。そこで気付いた。前に気絶させた人だ。

「あ、……その節は、すみませんでした」

 言い訳だが皇帝直属の部隊“影者(シャドウ)”だとは知らなかった。

クローツ様から聞いて事の重大さに気付いたのだが、同時に私にほぼ瞬殺されたこの人は“影者”の中でもよっぽど弱いのではとも思ってしまった。


「……用件は」

「リウル様と話したいのですが」

「内容は」

「先日の件、リウル様にも迷惑をかけてしまったので……その謝罪を」

 いちいち睨んでくるの止めて欲しい。せめて殺意ぐらい隠せないのだろうか。

「…………ふん」

 彼は扉をノックし入ると、部屋主に確認をとってから「入れ」とニアを促してきた。

 命令調なのがイラッときたが、立場としては彼の方が上だからと自分に言い聞かせる。


「リウル様、お久しぶりで――」

 言葉は続かなかった。

 ガチャ、と背後で扉が閉まる音と同時にニアの世界は真っ暗になった。否、室内が暗いのだ。

 窓のカーテンは締め切り、端もテープで留められて陽光が一切遮られてしまっている。明かりも点いてない。陰鬱とした重苦しい空気が漂い、その暗い部屋の隅で何かが見えた。


「リウル、様……?」

 虚ろな群青色の双眸が、暗い部屋に浮かぶ。リウルだ。

部屋の隅に膝を抱えた彼は血に塗れ、足元には剣が無造作に放られていた。

「どうしたんですか、リウル様!? まさか怪我を、」

「……ない」

「え?」

「怪我なんて、ない。……そもそも、治るし」

「そうかもしれませんが…………リウル様、何かあったんですか? 元気がないように見えますが」


 そこでリウルはゆっくりと虚ろな瞳を動かして、ようやくニアを視界に入れた。

「リウル様……本当にどうしてしまったんですか?」

「…………ニア」

「はい」

「――君が気にすることは……何もない。おれが、なんとかするから。世界を救うから。ニアも、ラヴィも、守る」

「リウル様?」

「なかったことに、……させない。必ず、なんとかするから。だから、それまで……待ってて」

 僅かに引き攣った笑みを浮かべると、リウルは寝息を立て寝始めた。


 困惑するニアは、とりあえず眠るリウルをベッドへ運んだ。

(リウル様、全然重くなかった)

 ニアよりも上背がある成人過ぎの男性とは思えないくらい軽かった。推定30キロくらいではないだろうか。

 顔色は悪くない。ただ『勇者の証』は目に見える傷を修復するだけじゃないと聞いたこともある。もしかすると……やつれた顔をさせてくれないのかもしれない。


「本当に……大丈夫ですか?」

 不安だけがどんどん膨らんでいく。勘が言う、何かしなければと。でもそれが分からない。

 踵を返して部屋から出る。

 リウル様が待っててと言うなら、待とう。ラヴィも時が来れば目を覚ますと言うし、焦ることなんてない。私に出来ることは、待つことだ。

 無理やり自分を納得させ、どうせ何も出来ないからと言い訳する。




***





 その頃、帝都のとある酒場で小さな騒動があった。


 厳つい顔をした、明らかに雇われた傭兵たちが大勢入り込んできた。

 何も知らない客も店員も突然のことに驚き、椅子から転げ落ちた者たちがいる中、傭兵たちは一斉に店内に散り、客たちの顔を確認したり壁に触って隠し部屋などを探る。

 しかし傭兵たちは全員首を横に振り、それを玄関口で見ていた大男は大きく舌打ちした。


「逃げられたか。……おい、テメェら! 外だ! 周辺の路地全部抑えろ! 遠くには行ってねぇはずだ! 必ず探し出して殺せ!!」

 男は仲間の傭兵たちを従えて店から出ていき、客たちは外の方が危険だと帰ることなく飲み直し始めた。

 そこへ一人の老人が入ってくる。一瞬店内は奴らが来たかと緊張するが、入ってきたのが腰を直角に曲げて杖をつくおじいさんだと分かると、何事もなかったように意識から外した。

 老人はゆっくりとカウンター席に座ると、注文する前に店主の男がグラスに氷水を注ぎ渡す。


「いつもの酒ではないみたいですねぇ」

あの客(・・・)お前を探してたんだろ。余計なことに巻き込まれるのはごめんだ、さっさと帰ってくれ」

「お年寄りになんて酷い言葉でしょう。――では、これでどうです?」

 老人はしぶしぶ懐から1枚の紙を店主へと渡す。それを見た店主は慌てて紙をオーブンの中に放り込んだ。

「あ、あんた……!」


「麻薬製造の実験……上手くいってなくて残念ですねぇ。そういえばバレンディキンの街には大規模な施設が隠されていたという噂も。近々騎士団が潜入調査をするはずだったのに、なんとタイミングの宜しいことで」

「っ」

「そう言えば街が消滅する前、羽振りの良い行商人がいくつもいましたねぇ。先ほどの紙――その行商人たちの名前だったんですが……どうして捨てたんですぅ?」

 ふひひと下卑た笑みを浮かべる老人。

 店主は青い顔で震えながら、何が望みだ、と問う。


「この店――行商人と取引してるのは麻薬だけじゃないでしょう? 人身売買。それも魔法師(・・・)の」

「!? お、お前、なんでそれを……!」

「帝国では魔法師を守るために名前を登録する義務がある。――まさかその国が! 魔法師を他国に売り渡してるなんて……恐ろしいと思いません? ああ、言っておきますが先ほどの輩なら外で伸びてますよ」

「く……っ!」

 カウンターに隠してあった通信用魔道具に触れようとした手が止まるのを見て、老人は更に笑みを深くする。やはりグルだったようだ。


「大丈夫、今の情報は誰にも渡しませんよ。代わりにわたくしが望むのは一つ。魔法師を一人買わせてもらいたいのです」

「な、なに……?」

「金なら言い値でご用意しましょう。どうです? 悪い話ではないでしょう」

「………………………………」

 店主はごくりと唾を飲み込み、それなら、と頷いた。


「年齢、性別は問いません。前金は店の裏手にあるゴミ箱に入れてあるので拾っておいてください。残りは商品と引き換えに」

 老人は席を立ち、そのまま店から出て行く。路地には傭兵たちがあちこち寝転がっており、それを踏みながら杖に直接魔力を流し込むと、中に埋め込まれた収納石から服を取り出した。


 ――黒い制服だ。

 腰を平然と正し、襟のボタンを最後まできっちり留め、杖を腰のベルトへ納めると姿が代わり、剣となった。下卑た笑みは鳴りを潜め、その瞳には誠実さと使命だけが映る。


 皇帝直属の暗部“影者(シャドウ)”の一人マーシュン(・・・・・)その人である。


マーシュンです。

本編でもちらちら登場してたマーシュン本人です。

彼の話は次話に続きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ