泡沫に消えろ 後編⑨
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勇者リウルの厳罰は、瞬く間に城内に知れ渡っていた。
監視付の軟禁――街一つ守れずに自由な行動をしていた勇者への処罰は賛否両論であった。
曰く、『勇者』である自覚が足りないなら、もっと“躾ける”べきだ。
曰く、『勇者』に何か、或いは誰かを人質をつけて従わせるべきだ。
こういった、勇者を物扱いする発言が多い中―――クローツ・ロジストは静かに憤りを感じていた。
「リウル様にすべての責任を押しつけて、更に従わせようなど……女神様から天罰が下ればいい」
クローツは帝国親衛隊副隊長でありながら魔術研究者の一人でもある。
本来『魔術師』は、万物は“式”に変換でき、事象はすべて“式法則”に変換できると考えている。故に宗教を信じる者が少ない中、彼は珍しくも敬虔な『女神教徒』であった。
女神教に興味を持つキッカケは『勇者』の存在が身近にいたこと。
『勇者の証』である紋章は“魔術紋陣”に近い形態だ。しかし歴代の優秀な学者も、そして現在までいくつもの魔術を完成させてきたクローツですら、『勇者の証』の全てを知るは出来ない。
魔術だけでは解明出来ないソレを――神秘だと感じた。
これが神の力なのかと。
もちろん未だにクローツは『勇者の証』を解明すること、そしてそれを複製することを諦めているわけではない。
魔術で解明出来ずとも、神の力を“式法則”に変換出来る方法を模索していた。
そのために何度か、嫌がるリウルに頼み込んで調べさせてもらっていたのだが……。
―――リウル様が厳罰を受けてから、それも難しくなってしまった。
勇者には常に監視がつくようになったのだが、それが親衛隊でも騎士団にも所属しない、皇帝の直属の配下である“影者”だ。
彼らは勇者が任務や王命に関係しない事以外は接触禁止だと、近づくことすら許してもらえない。
「……一体陛下はどうされてしまったのか」
ガ―ウェイ・セレットとの不仲説、それに加えて勇者の監視を“影者”に任せて――まるで軍部を切り離そうとしているかのような。
「さすがにあり得ないか。……しかし、」
考えながら城の廊下を歩いていると、気付けばリウルの部屋の近くまで来ていたことに気付く。
“影者”がリウルと会わせてくれるはずもない、と踵を返して執務室へ戻ろうとするが――何か、ズルズルと引きずる音が聞こえ、警戒しつつ音が聞こえる方……リウルの部屋へと向かう。
ずる……っ、ずる……っ。
「…………」
ずるっ、ずるっ、ずるっ。
「…………………………、こほん」
一つ咳払いすると、何かを引きずっていた人物がびくりと震え、恐る恐る顔を上げる。
「何をしてるんです、ニア」
「く、くくくクローツ様!?」
明らかに動揺するニア・フェルベルカは、掴んでいたモノを咄嗟に離してしまい、ゴンッと勢いよくそれを落としてしまう。それにまた慌てているのだが、いや、その床でのびてる人はもしかしなくとも“影者”ではなかろうか。
彼らの特徴的な黒い制服を見間違うことはない。それにニアと“影者”がいるのは、リウル様の部屋である。
扉を開け放し、気絶している“影者”を中に隠そうとしていたのが丸わかりだ。
「あ、いや、その! えっと……これには、深い事情がありまして……」
目を右往左往させながら冷や汗をダラダラと流すニアに、大きく溜め息を吐く。
“影者”は親衛隊に劣らず精鋭揃いの暗部なのだが。
――規格外なのは師匠(ガロ隊長)譲りか。常識外れは血筋(カムレネア王家)のせいか。
クローツは“影者”のことをどう上に報告すべきか考えつつ、ニアと気絶した“影者”と一緒に一度リウルの部屋へ入る。
やはりというか部屋主はいない。
「……なんとなく想像はつくが、理由が分からない。説明してもらえますね?」
「うぅ………はい。実はリウル様にどうしてもお会いしたくて、」
リウルに頼まれてラヴィの様子を看ていたニアだが、その理由が――処罰によって城から抜け出せなくなることを予期していたためだと知ったのは、あれからすぐのことだった。
ニアを信頼して頼んだということは、まだラヴィの危機は去っていないということ。リウルに会いに行きたいと思いつつも、行動には移せなかった。
「……本当に、何があったんですか……ラヴィ。早く起きて、教えてください」
固く目を閉じた彼が起きる気配はない。
小さく溜め息を吐き、座っていた椅子の背もたれに体重を預けたときだ。
「――誰か近づいてきてる……?」
すぐに椅子から立ち上がり、剣の柄に手をかけながら窓の横へ移動。慎重に窓から外を確認すると、そこには何故か見慣れた人物がそこにいた。
慌てて玄関に向かい、扉を開ければ―――小屋から少し離れた場所で、結界に阻まれ困惑する…………フィアナ王女の姿があった。
「あら、ニア! 良かったわ、近づけないから扉にノックも出来ないし、大声上げるのははしたないし、どうしようか困ってたところなの」
心底安堵した表情を浮かべるフィアナ。しかしニアは周囲を見渡す。
「あの……師匠というか、護衛は……?」
「私だけこっそり来たわ」
「ええ!?」それは大問題なのではと愕然とするが、当の本人はまったく気にした様子はない。
ニアは知らないが、先刻までフィアナはバレンディキン街での事件で亡くなったホルン公爵の一人息子であるジニンの葬式に参列していた。
ただホルン公爵とは多少の縁がある程度だし、公爵と親交のあった弟ラスティラッドさえいればいいので、あとは軽く挨拶だけで済ませた。護衛のガロはラスティラッドに頼んで引き留めてもらっている。
「とにかく時間がないの、ニアにも協力してもらいたいのだけど」
「小屋から離れることは出来ないのですが、それで力になれるのでしたら」
「充分よ。――今回のバレンディキン消滅事件、それを知りたくて」
「? 魔族によって消滅させられたんですよね?」
ニアも同僚に頼んで調書の内容は把握している。だが、フィアナは眉を顰めた。
「ラスティの後ろ盾のホルン公爵家……公爵はなかなか跡継ぎが生まれなくて、事件で亡くなったジニンって子は唯一の後継者だったのよ」
ホルン家は帝国建国当時から王族を支え続け、現当主の父親は元老院のメンバーでもあり、貴族の中でもかなりの発言力を有している。
ただホルン公爵には跡継ぎが生まれなかった。そのため愛妻家であった公爵は、家の存続のためにと妾を作ったり、養子縁組を考えたりもしたようだが、上手くいかず。
40歳を過ぎ、ようやく生まれたのがジニンだった。
「ホルン家はもう駄目でしょうね。元々周囲の貴族から疎まれていたみたいだし。ただ、偶然だと思えないの」
第2皇子のラスティはこれで力を失い、得をするのは他の皇子たちと、そのバック。
「王位継承権の争い。それから……――」
リウル様を制御しようとする働きが見える。とは、ニアには言えなかった。
「とにかく! 私はこの事件は帝国にとっても重要なものだと感じているわ。ニアも話せることで良いから教えて欲しいの」
フィアナの切実な言葉と視線に、ニアは逡巡する。
事件の後、帰城する前のリウルには会った。ラヴィを背負って、彼が目を覚まさないかもしれないと言ったあのとき――リウルは、本気で怒っていた。
ラヴィが起きない理由も、リウルが怒る理由も。もしその事件にすべて繋がるとしたら。
「分かりました。私の知ってることを教えます」
何があったのか、知りたい。
仲間なのに、一人だけ取り残されているような気持ちになるのは、もう嫌だ。
そんな気持ちもあり、ニアは正直にすべてを話した。
リウルの様子、ラヴィのこと。―――そして、小屋の近くの地面にうっすらと残る“転移”の魔術紋陣と、小屋の中にあった子供の服のことを。
リウルが強化した結界のせいでフィアナは小屋に入れないので、とりあえず外にある魔術紋陣を確認しに行く。
「……設置型ね。魔力を注げば魔術が発動するように条件づけられてる」
「フィアナ様は魔術にお詳しいのですか?」
「少しだけね。近くに魔術を熱心に勉強する幼なじみがいて、その影響ね」
クローツ様のことか、と幼い彼を知る王女の言葉にモヤッとする。
「――争った形跡もある」
「おそらくラヴィと、この転移術式を発動させた人物でしょう」
「……」フィアナは顎に手を当てて逡巡し、それからニアに頼んで小屋にある子供服を持ってくるように頼んだ。
その間フィアナは術式に触れ、そこから感じる――覚えのある魔力に眉を顰めた。
魔術を発動すれば、痕跡が残る。
魔術紋陣ならば術式が、魔術を使えば魔力が。その場所に留まり、残ってしまう。
「ガロ……どうして、貴方が」
リウルが城以外に拠点としていたこの小屋で、仕掛けられた転移術式。魔力残滓の量からしても数日は経過しており、これがバレンディキンの街が消滅した日に発動されていてもおかしくはない。
「フィアナ様、持ってきました!」
ニアが手に持つ、少年のズボンと下着が二着。……間違いなく、自身の護衛であるガロ・トラクタルアースは、この件に関与している。
「そう。……だからリウル様は、」大人しく陛下たちの命令に従うことを選んだのか。
親衛隊長が『勇者』を罠にはめた。ガロとリウルは直接的な関係もなかった、私怨は考えにくい。ならば国が――皇帝がガロにそれを命じた可能性が高い。
そして、ここ最近皇帝は教会とも親交を深めている。よく教皇や神官が城を出入りしてるのだから、教会も関与してるかもしれない。
「フィアナ様……?」
急に黙った彼女を心配するニアに、フィアナは言葉を飲み込む。
――言っては駄目だ。
恐らくだが、ニアは知らない。知っていればフィアナに協力なんてしなかっただろう。
リウルはどうするつもりなのか……、ガロのことも知ってるのだろうか。
「最悪な事態を考えるべきかしら」
「最悪? フィアナ様、何か分かったのですか?」
不安そうな彼女に向き合うと、その手を取る。
「ニア、よく聞いて。内部でリウル様を陥れようとする動きがあるの。ここに来て確信したわ。……――恐らく他国が『勇者』を奪おうとしてるのだと思う」
嘘を吐いた。
「勇者の存在が政治的にもどれほど優位をもたらすか、分かるわよね」
「他国が……?」
「帝国の地盤を緩め、勇者と帝国の間で不審感を募らせる。……過去にも実例があるわ」
この口はどこまでも嘘を吐く。
愛想よくすることも、平然と嘘を吐くのも、フィアナには別に難しいことではない。ニアは元王族だというのに、そういうことに疎すぎるのもいけない。
――だからこうやって、簡単に騙される。
「そ、そんな……っ。でも、確かにリウル様の様子はおかしかった……」
「ニア、城に行って。リウル様でも心細いと思うの。貴方が味方になってあげて。私はきっと……信用してもらえないから」
「ですが……――」小屋の中で眠るラヴィのことが気になるのだろう。
「大丈夫。貴方が戻るまで私がここにいるわ。ガロも呼びつけるから、安心して」
「……師匠が来るなら、安心ですが」
後ろ髪引かれる想いだろう。それでもニアは悩みに悩み、城に行くことを決心する。
「フィアナ様、ありがとうございます! 行ってきます」
「気をつけて。どこに他国のスパイか潜んでるか分からないから」
はい! と意気込むように返事し、そのまま帝都へと走っていく後ろ姿に、見えなくなるまで手を振る。
「――――ガロ、もういるんでしょ?」
一つ息を吐き覚悟を決めて振り返れば、木に凭れかかったままフィアナを見ているガロ・トラクタルアースがいた。
その手には双剣が握られ、彼の視線は鋭い。
「フィアナ様……貴方はほんッとうに困った人ですよー。勘も察しも良すぎて。――ま、いつかこんな日が来ると思ってましたけど」
「だから私を監視してたんでしょ?」
フィアナがただのお飾り王女だったら、きっとそもそもガロが護衛につくことはなかった。
最初から不思議には感じていた。王位継承権第一位の義兄ではなく、どうして『武神』である彼がフィアナについたのか。
「一つ聞いてもいいかしら?」
「……どうぞ」
「貴方がやったにしては雑な仕事ね。忙しかったから、魔力の痕跡消し忘れたの? それとも――誰に気付いて欲しかったのかしら。さすがに私ではなかったはずよね」
「………………そうですねぇー。確かにフィアナ様のつもりはなかったけど、でも――誰でも良かったかな」
「誰でも?」どこか自棄に感じるその物言いに引っ掛かったが、ガロは困ったよう笑みを浮かべながら答える。
「完璧な策を弄されると困るんで。粗をつくって、それに気付いた誰かに辿り着いて欲しかったんですよ。まさかフィアナ様がここに来るとは……」
「―――。ガロ、貴方は」
分かってしまう。
彼は、ガロは、――不本意なことをやらされている。
従わされている。
『武神』である彼が。勇者がいなければ世界最強であるガロ・トラクタルアースが。
同時にフィアナは己の過ちに気付く。
ガロの言った通り、このメッセージはフィアナが気付くべきではなかった。フィアナがこうしてガロと対峙すること自体が、間違いなのだと。
何故ならフィアナは―――。
「本当ならフィアナ様をここで殺して、ニアに責任なすりつけるのが良いんでしょうけど。実はこちらとしてもクローン体の意識獲得については、どうにも対処に困ってまして」
ガロは剣先をフィアナに向けながら口にする。
「フィアナ様殺して騒ぎを大きくするよりも、クローン体に近づき監視させるのが良いと“上”が判断したんで。俺のために利用されてくれるなら、殺さなくて済むんですがねぇ? どうします?」
酷い男だと内心毒吐く。
フィアナはガロが好きだ。結ばれることがないと分かっていても。
ガロもフィアナのことを好きかどうかは知らないが、殺したくないと思ってくれてるようだ。……それが、腹立たしい。
フィアナの気持ちも。
ガロの気持ちすらも。
まるで彼を従わせるその人物によって、弄ばれているかのように感じて。
こうなることを、その人はきっと可能性の一つとして予測し、ガロに伝えていたのだろう。
だから最初から、ガロは動揺していない。
「……分かったわ、この件について私は今後一切追求も口外もしない。要求通り、私のクローンとも会ってみるわ。――でも一つだけ、これだけは……私の自由にさせて欲しいの」
「内容によりますが、何です?」
向けられた剣先を払い退け、そのままガロの首に縋りつくように抱きしめる。
さすがに驚き固まるガロに「ふふっ」と悪戯が成功したように笑みを零すと、彼の耳元に口を近づける。
「クローンの子の名前」
「……え?」
「だから~、クローンの子の名前だってば!」
少し離れてもう一度言えば、何言ってるんだコイツと言いたげな顔をされた。それにフィアナは噴き出して笑う。
「ふふふ、変な顔♪」
「貴方は本当に…………はぁ……、勝手にすればいいんじゃないですか~」
「うん、勝手にするわ」
ようやく体を離すと、剣を鞘に納めながらガロは小屋へ目を向ける。
「……もしかして殺すの?」
「殺しませんよ。むしろ、死んでなくて良かったくらいです」
「? でも、ここでラヴィって人と戦ったの、ガロよね?」
「そうですね、俺みたいなもんですかね。しかし……【王弓】――もう一度見られるとは思わなかった。これも運命なのかねぇ」
何かを懐かしむように遠くを見据える瞳は、どこか寂しそうだった。
ガロはそれ以上口にすることはなく、ニアが戻ってくるまで二人は地面に座って静かに景色を眺めていた。
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