泡沫に消えろ 後編⑦
前回の更新から、だいぶ空いてしまってすみませんでしたあああ!!
ガラテスは自身に敵意と注意を引きつけるべく、街全体に聞こえるよう咆哮する。
人間はあっという間に怯えた表情を浮かべ、兵を呼びに行く者や逃げ出す者、腰が抜けて動けなくなる者と分かれる。
勇者と出会う以前は、よく見た光景だ。
ガラテスはラヴィへ視線を送り、今の内に紛れて逃げろと合図する。その間にも人気のない建物を殴り壊す。
「っ」察したラヴィはガラテスの真意を訝しく思いながらも、逃げることにした。
この街に残っていて良いことはない。
生き残った少女へ駆け寄ると、彼女は遅れて状況を理解し始めたのか、今にも泣き出しそうに顔を歪めていた。
「ぁ、ぁ、なんで、こんな……っ」
混乱するのは当然だろう。
同じ人間が、しかも帝国騎士によって友人を殺され、魔族も現れたと思ったら魔族は自分らを助けてくれた。
そして突然転移されて、見知らぬ街に飛ばされて――。
ラヴィも説明出来ず、少女を抱きかかえて街の外へと向かう。
街に置き去りにして兵に保護を頼んでもいいのだが、あの襲ってきた騎士が彼女を口封じに殺しにくるかもしれない。
「大丈夫だよ~! 絶対においらがお家まで届けるから~!」
口にして、はたと気付く。
そういえばこの子の名前を聞いていない。もし家がこの街にあるなら、外に出る前に送り届けないと。
「ねぇ~君、名前は? 家はこの街だったりする~?」
「わ、私……、わた、しは―――ご、ごめんな、さ……っ」
急に泣き出した少女へ視線を向ける前に、下腹部からの鋭い痛みにビクリと体を震わせる。
その隙に少女は抜け出し、崩れ落ちるように倒れたラヴィの前で、血に塗れた短剣を掲げた。
「ごめ、なさぃ……っ。でも――でもっ、裏切り者だから……! おと、さん、おかぁさんの、仇だからぁ……っ」
魔族に守られたラヴィを、人間の裏切り者だと。
魔族は家族の仇だから、どうしても許せなかったのだと。
少女の震える手と、ボロボロこぼれる涙がそれを物語る。
それが人と魔族の確執に見えた。
「き、み――」
だけど、どうしてこんな子供が武器を持っているのか。短剣に刺された腹を押さえながら、どこか冷めた自身が考える。
護身用に持っていた?――いや、刺してきた場所が的確すぎる。まるで事前に教わっていたかのように。
とにかく幼い少女に人を殺させるわけにはいかない。
きっとそれは重い過去になって、彼女の心を蝕み続けてしまうだろうから。
だからラヴィは立ち上がろうとした。
大丈夫だよ、と。怖がらないで、と。魔族と一緒にすぐにこの街から消えるから、と。
それを伝えたかったから。
―――地面に複数の人影が近づくのが見えた。
向けられる敵意と殺意に、ラヴィは諦めたように笑みを浮かべた。
人を憎めたら、楽になれただろうか。
***
ガラテスは街の破壊活動をある程度終え、充分時間は稼げただろうと撤収しようとし――魔族に翻弄され疲れ果てた兵士の一人へ、声をかける男の言葉に足を止めた。
「た、大変です! 魔族の協力者を捕まえたんですが、みんな暴走しちまって……!」
ガラテスに協力者なんていない。だがこの場でそれを指す人物は――ラヴィしかいない。
「ドコ、ダ」
「え―――ひぃ!?」
一瞬でその街人の元へと移動すると、その胸ぐらを掴む。隣にいた兵士は真っ先に逃げ出した。
「コタエろ!!」
ぎちぎちと不穏な音を立てる胸ぐら。少し首が絞まっているが、答えられるくらいには緩めている。
それでもいつ殺されてもおかしくない状態に、男は口端から泡を吹きながら「あ、ああああっち、です」と指差す。
ガラテスはそのまま男を解放すると、ラヴィの元へと急いだ。
――ガラテスには、人間だった記憶がある。
彼らは“大事な物”をいつも守っていて、そのために人間社会から隔離した生活を送っていた。
貧しい暮らしだ。それでも彼らには役割があり、貧しいながらも幸せもあった。
だが、誰もがそれに恭順していたわけではなかった。
一族で形成された集落の外に憧れた、一人の青年。彼は“外”で出会った女性と恋に落ち、そして……利用された。
集落を急襲してきた魔物は調教獣で、青年はすぐに騙されたことに気付いた。
しかし気付いたところでもう遅く、一族は魔物に食い殺され、助けを求めた街にすら入れてもらえず――青年の憎しみと、一族の恐怖や無念がガラテスという魔族を生み出した。
その記憶の中に、ラヴィによく似た子供がいた。
ガラテスの中にある、恐らくラヴィの母親の記憶だろう。
守らなければいけない、大切なモノ。
一族の使命と、我が子への愛情。
――最初は勇者の仲間だから、と思っていた。
だけど血を流し蹲る彼を、人間たちが囲って罵詈雑言を浴びせながら暴力を奮う光景を見た瞬間――ガラテスの中に怒りが噴き上がる。
「ニンゲン―――ニンゲン、ニンゲン、ニンゲン……ッ!」
狐のような尾を地面に勢いよく叩きつけると、その反動を使ってラヴィたちのいる上空へと跳び上がる。
【我、願イ、叶エル者――! 我ガ神“罪深き守護一族”ヨ……!】
ピキ、とガラテスの魔装具の石が淡い光を放つと、ヒビが深く入り込む。
それでも止められなかった。
【力ヲ、ヨコセ! コロス! コロス、殺ス! ニンゲン、人間、ニンゲン、ヲ、殺ス、タメニ―――ッ】
ガラテスの周囲に、目には見えない魔力の塊がいくつも展開される。
祈術とも言えない、歪で未完成なその力は、ただガラテスの怒りと憎しみが込められていた。
ガラテスが地上へと腕を振り下ろすと、それは一斉にラヴィの周囲を囲う人間たちへと降り注ぐ!
ガガガガガガガガガッ―――――!!!!
「な、なんだ!?」「うぁああ!? 腕が、腕が!!」「あそこ、魔族が!」「逃げろ! 逃げ――」「助け、っ!!」「とにかく逃げるんだ!」
阿鼻叫喚だ。
ガラテスは無意識に笑みを浮かべていた。
憎い相手を殺すのは、苦しめるのは、これほど気持ちがいいのか、と。
地上に降りたガラテスは自らの大きな腕を振り下ろし、這いつくばっていた人間の頭を壊した。
返り血を浴び、また笑う。
「死ネ。死ネ。死ネ。死ネ。シネ―――、?」
「女神様っ、どうか……どうか、お助け……助けてくださぃ!!」
全身を震わせ、指を組み祈る少女。見覚えがあったはずなのに、ガラテスには思い出せない。
ラヴィが守ろうとしていた少女のことを、もうガラテスは覚えていない。
腕を振り下ろし、少女の頭をかち割る。
無様に逃げ惑う人間たちは、魔力の塊が追いかけて殺した。
「や、止めて………君、ど……して~…………」
人間からの暴行で、すでに虫の息であるラヴィが、さっきまで自分たちを助けてくれたとは思えない蛮行に、――そうさせてしまったことに、涙を流しながら問う。
「オマエハ、殺サナイ」
「な、んで…………」
ガラテスは首を傾げた。何故? 確かに、どうしてだっただろうか。
守るべき人間だ。
いや、人間は殺すべきだ。
大切なことが、あったはずだ。
いや、人間は殺すべきだ。
――違う。何が? 違う。どうして?
思い出そうとすると、何かが邪魔してくる。
金色の、瞳。……なんだ、それは。
「殺セバ――何カ、分カル、ノカ……?」
ふらふらとガラテスはラヴィの前へと近づき、再び腕を振り下ろそうとしたところで、近くに落ちている弓が目に入った。
刹那、ガラテスの脳裏に何かの光景が浮かび上がる。
一人の男が弓を持ち上げ、眉を顰めた。
「この時代の100の巡りは終えてしまった。俺に出来ることはもうない。
……これは、もう二度と間違えないための『戒め』だ。そのための【王弓】だ。――友の願いは、この弓が繋いでいく。あるべき時代に、あるべき人物に。
――――なぁ、ソレスタ。友よ。俺達がお前達の命を、意志を、願いを、無駄になんかさせないさ。……………お前もそうだろ、カメラ・オウガン」
男は振り返り、神官服をまとった菫色の髪を持つ中性的な顔立ちの人物へ向き直る。
「もちろんだよ。自分は必ず――枢機卿員の地位に昇りつめる。そして……あの人を助け出すんだ!」
ここでガラテスは我に返り、記憶とは違う何かの光景と、さきほどまでの異常な憎悪に支配されていた自身に戸惑っていると、刹那。左から衝撃を受け、ガラテスの体は吹っ飛んだ。
「ガ、グゥッ!?」
瓦礫の山に突っ込み、大量の魔力を消費したせいでやけに重い体を起こすと、一人の兵士がそこに立っていた。
兵士は「や、った……やったぞ……!」と歪に嗤うと、正気を失い錯乱した眼をラヴィへと向ける。
「お前、お、お前が、魔族を……しょ、召喚した、んだろ? この街を、に、憎んでるから!」
「ち、ちが――!」
……何を言ってるんだ、とガラテスは呆然とした。
魔族を召喚する魔術なんて存在しない。それに召喚出来ても制御出来ないなら自殺行為だ。
だが、そうか。
今ガラテスはラヴィを殺そうとしたが、それを止めたから。
この兵士は勘違いしているのだ。
「お、お前を、殺せば……魔族も、きっといなく、なる。はず。……いや、なるんだ! だから死んでくれ!!」
「――――っ」
動けないラヴィは咄嗟に目を瞑る。
そのときだ。―――バキッ!! と、固い何かが割れ、砕けたような音が聞こえた。
目を開けると、兵士の頭を大きな手で握りつぶす魔族の姿。
だが、その魔族の胸にある鈍色の魔装具には、兵士の剣が刺さっていた。
「ぁ、」
ラヴィは思わず声を漏らした。
「ニン、ゲン………。イ、イシ、ヲ……モテ」
いし?
ふとすぐ近くに、砕けた魔装具の破片を見つけ、それを手に取る。
ちゃんとラヴィが持ったことを確認したガラテスは、なんとなく天を見上げた。
すでに闇夜に包まれた空は、街の至る所で上がる火事のせいで少し明るい。
「オマエ、ハ……マモル。…………ユーシャ、ノ……“友”、ダカラ」
少しずつ、ゆっくりと。
魔装具が崩れるのと比例するように、ガラテスの体も消えようとしていた。
その前に―――この街は危険だ。
街の人間がまだ残っていたら、ラヴィを殺しにくるだろう。
だから、残ったガラテスの魔力を全て解き放ち、街を消滅させる。
魔装具はガラテスそのものであり、その欠片を持っていればラヴィを守ってくれるだろう。
「き、君だって……リウの、友達、じゃないの~……?」
ラヴィの言葉にガラテスは驚き、それから口角を上げて笑う。
ソウダナ。
ソレハ、ナンダカ……イイナ。
口にはしなかった。
言葉にしてはいけないから。
勇者と魔族が繋がっているなど、あってはならない。
例えここにはラヴィしかいないとしても。
それでもガラテスは、勇者リウルの協力者だから。
―――やがてガラテスを中心に光が広がる。
建物も、人も、全てが光に飲み込まれた。
***
さよなら、ガラテス。




