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右の耳たぶに触れると、冷たい柘榴石のピアスの固い感触が、指の腹に伝わる。それを二度撫でてやれば、突如目の前に純白の光が生まれ、それを無造作に右手で掴んだ。すると、光は形を変えて長い棒になり、やがて光が消えると、それは自分の背丈よりも大きい“杖”になった。
「魔力は全快。体調、すこぶる良し。――術のストック、ちゃんとセットしてる」
うん、問題なくオレは完璧やんな。
そう一人ぼやきながら、黒髪の少年リュウレイは、実は闘技大会にイマイチ集中しきれていないことを自覚していた。
原因は――ティフィアとアルニのことだ。
「お兄さん、ちゃんと棄権したんかなぁ。あの人、なんかちょっとお嬢に似てるとこあるから、勝手に突っ走らんで欲しいんだけど」
まさかリュウレイの言葉で、逆に優勝を目指して打倒ニアを掲げているとも知れず、憂鬱に溜め息を吐いた。
ニアは強い。リュウレイは剣術はからっきしなので、その強さの程度と、どういった種類の強さなのかとか、そういうのは一切分からない。だけど、彼女は旅をしている中で魔物に負けるどころか苦戦しているところすら見たことがない。いつも呆気なく敵を倒し、前を歩く。……お嬢よりも勇者っぽいな。
「リュウレイ、そろそろだけど……大丈夫?」
いつの間にか視界に現れたティフィアに「へ、あ、も、もちろんだよ!」とどもりつつ返事し、首を傾げている彼女の様子に、内心安堵する。呟いていた内容も、思っていたことも、ティフィアは気づいていないようだ。
「相手の人って、アレイシスさん、だっけ? どんな人なんだろうね」
「さぁ? でも、オレの魔術に敵う相手ではないんじゃないかな」
自信ありまくりな発言に、ティフィアは油断大敵だよーとだけ告げ、不意に空を見上げた。
「お嬢?」
「んー、ん?……んー……なんか、」
そこで言葉を切ったティフィアは、それから何かを探すように周囲を見回す。だが、人混みしか見えない。
「………気のせい、かな」
『ぬをぉぉおおおおおおおッ! 勇者一行であらせられる騎士様、相手の選手を瞬・殺ッ! 強い! 強すぎるぞ、ニア選手!』
「おばさん、容赦ねぇー!」
ぶふっ、と思わず吹き出せば、「ニアはまだおばさんって歳じゃないよ」とズレたツッコミをいただいた。10歳のリュウレイからすれば、三十路近いニアはじゅうぶんおばさんに見えるんだが、と内心失礼極まりない言い訳をしながら、広場へ足を向ける。
「じゃ、行ってくんね、お嬢」
「うん! 無茶しない程度に頑張ってね!」
ティフィアに見送られ、ついにこの時が来たかと、乾いた下唇を舐める。
らしくもなく緊張していた。
「―――なんだ、子供じゃねーか」
観客に囲まれた広場には、もうすでに対戦相手が立っていた。背中に斧を背負う、その屈強な戦士のような人物に、とりあえずメンチをきる。
『お次は、再び勇者一行であらせられる……つーか子供だろ、リュウレイ選手! そして前年度優勝者にして、あのアレイシス傭兵団団長、アレイシス・ビナー‼』
なんかオレの紹介、一言多かった気がするんだけど。……まぁ、いいや。
「ふんっ、子供だって舐めてると、痛い目見んだからなー!」
失礼なアナウンスに抗議してると、観客たちから温かな視線を感じる。
「おうおう、威勢がいい子供……いや、戦士だな。リュウレイだったか? 宜しくな」
観客同様、温かな眼差しを携え、優し気な声音でそう言ったアレイシスに、リュウレイは内心ニヤリとほくそ笑んだ。
子供だからと侮る者は、今までも数多くいた。だが、そうして油断したやつらは魔術で捻り潰し、現実を思い知らせてやってきた。今回も、それは同じようだ。
『ほんじゃま、――――――開始ッ!』
試合開始の合図と同時に、リュウレイはサービスで振る舞っていた“子供らしい表情”を一切消し、杖の先を地面に突く。
コン、という間の抜けた音と共に、杖に刻まれた模様が光輝き、
【簡略展開、発動。――――結界】
刹那、足下に浮かび上がった魔術紋陣が、リュウレイの半径1メィテル程度に広がり、やがて消える。だが、そこには不可視な壁が出来たことを、アレイシスは直感した。そして、それと同時に、この少年にこれ以上魔術を使わせるのはマズいとも察した。
「魔術師相手には、接近戦――!」
魔術に関して詳しくないアレイシスだが、それが遠距離を得意とするサポート系の術であることぐらいは分かる。背中に巻き付けていたベルトのフックを外し、斧を構える。そうしている内に、リュウレイは次の魔術を発動すべく、再び杖の先を地面に突いた。
【――――“窓”、展開】
少年の周囲に白い帯状のものが2つ浮き上がる。
「ぬぁぁああああああアアアアアアアアアアッ!」
雄叫びをあげながら、アレイシスが斧を振る。鉄をも砕く斧は、しかし結界に阻まれ虚空で刃が止まる。だが、その結界にヒビが入る音を、二人は聞いていた。
「っ、馬鹿力だなぁ!」
リュウレイはすぐに杖を振って、結界の修復と強化をするも、次から次へとアレイシスは斧を振りかぶっては結界に重い一撃を与え続ける。おそらく、リュウレイの魔力が尽きることを狙っているのだろうが、残念ながらこの程度では3日はこのままキープ出来る。
だけど、結界の修復に専念していたら、いつまで経っても決着がつかない。
「まぁ、でも……それも含めて想定内なんだよね」
――――なにせ相手は“魔術”を知らないのだから。
【時限“式”発動―――!】
リュウレイは杖を掲げ、それから振り下ろす。その瞬間、アレイシスはもちろん観客の目にも、何故か不可視である結界が見えるようになった。
透明だった壁が、薄く白い半透明の膜のようになったのだ。
躊躇いは一瞬。しかし、結界は結界だとアレイシスは斧を振り上げ、結界に刃が届いたのと同時に、衝撃を受けて自分の体が吹っ飛ばされていた。
「っ!」
咄嗟に斧を投げ、その衝撃で地面に転がり、すぐに体勢を整えるものの、無傷というわけにはいかなかったようだ。右腕から流れる血を見て、アレイシスはそう察した。
「おぉー、今の咄嗟に腕で防ぐなんて……よっぽど勘が良いん?」
リュウレイは相手を挑発しながら、次の手を考えるべく魔力を高める。
今のは元々ストックしていた結界の“式法則”に、結界をある程度の時間まで使用したら、受けた攻撃を反射させる“式法則”を事前に加えていたのだ。ただし、この反射が使えるのは一度だけ。だから今、リュウレイを守る壁は一切ない。
「ふん……あたしに傷をつけさせるたァ、さすが勇者一行サマってとこか。―――でも、子供だろうと何だろうと、戦場に立った時点で容赦はしねぇーよ」
それが礼儀だからさ。
そうアレイシスが笑顔で言い終えるや否や、ガンッ! とリュウレイの目の前に勢いよく何かが突き刺さった。
「ひっ、ぁ……」思わず後退りかけて足がもつれ、尻餅ついた少年の目の前には、アレイシスの斧があった。
あと少しでも前にいたら。少しでも身動きしていたら。
あの斧によって、文字通り体を引き裂かれていたことだろう。
『―――これは勝負あったなッ! やっぱり頼れる我らが姉さん、アレイシス・ビナーの完全勝利だぜ―――――――ッ‼‼』
興奮に沸き上がる観客に対し、リュウレイは一人愕然としていた。
え、負けたん? オレが……?
まだ、オレは戦えんのに?
死んでないのに?
「リュウレイ」
アレイシスに呼ばれ、リュウレイは弾かれたように顔を上げた。
すでに斧を背中に背負った彼女は、大きくて分厚い右手を差し出していた。それを咄嗟に掴んでしまえば、強引に立たされ、それから何故か頭の上に手を置かれた。
優しいその手は、意外にも冷たかった。
「お前さんは強いな。……あれって、魔術だろ? 初めて見たけど、すごかったなぁ」
「………」
いくらすごくても、負けたら意味がない。
オレは、勇者一行なのに。
オレは、ティフィアと一緒にいたいのに。
―――役立たずには、なりたくないのに。
「強くなるぞ、リュウレイ。お前さんはもっともっと強くなる。……だから、折れるなよ」
頭の上から手が離れ、アレイシスが去って行く。
だけどリュウレイは、負けたことへの悔しさに囚われ、ただただアレイシスを恨めしいとばかりに睨んだのだった。




