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毎度のことながら、更新頻度遅くて申し訳ありません!
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――街の広場に、死体の山が築かれていた。
戦争の犠牲に遭い、兵士も一般人も多くの命が奪われた。
「くそ……っ、くそ……っ! 魔の者め!」
「ぁぁああああっ!! あなた……、あなたっ! 私を独りにしないで……逝かないで!」
「女神様……っ、勇者様――なぜ私たちを見捨てられたのか!?」
「とぉちゃん、かぁちゃん……どこぉ~……?」
「殺さないでください殺さないでください殺さないで――」
「どこに行けば安心なんだよ! 騎士団は何やってんだ!」
各地で火の手が上がり、血しぶきが舞い、断末魔が、悲鳴が、嗚咽が、罵倒が、絶望が、帝国中を埋め尽くそうとしていた。
「……ティフィア様、絶対そのフードは外さないようにしてください。貴方は『勇者』として名が広まり過ぎている。一般人はともかく、兵士の中にはティフィア様の顔を知っている者もいます。――この状況で貴方がここにいるのは問題です」
「…………」
俯き、唇を噛む。
世間ではティフィアは『勇者』だ。戦時中に『勇者』がいたにも関わらず、魔の者の侵攻をみすみす見逃し、あまつさえ各地の騒動を鎮めることも出来ない。
今にも誰かが助けを求め。
今にも誰かが傷つき倒れ。
今にも誰かが死んでいる。
しかしティフィアには全員を助ける力も、術もない。
戦争を止めることは出来た。……だが、それも一時的なもの。
しかも帝国には未だ魔王軍の残党と『のっぺら人形』が暴れている。
「ティフィア様、やはり私も――」
「大丈夫。大丈夫だよ、ニア。僕は………それでも、『勇者』であり続けるつもりだから」
無知で、無力で、助けたい命も心もボロボロ取りこぼしてしまっている。
それでも、決めたから。
「行って、ニア。少しでも多くの人を助けてあげて」
ティフィアのこの模擬体に残された活動時間は少ない。
それに先程、魔王に魔槍を投げただけなのに全身が軋む。この体では負荷が大きかったようだ。
「……分かりました。ティフィア様、お気をつけて」
「うん。ニアも」
ニアと別れ、なるべく人気のない道を進む。瓦礫に足を取られそうになったり、魔の者に見つからないよう息を潜めながら、少しずつ目的の場所へ近づく。
――『勇者』のすることじゃないよね、これ。
本来なら表に出て魔の者や『のっぺら人形』を倒す手伝いをすべきだろう。
でも、駄目だ。一人で魔物一匹倒せる自信のない、今の僕じゃあ……駄目だ。
弱い姿を見せれば『勇者』に対して失望する。それは未来への絶望に繋がってしまう。
それに、突然『勇者』が現れれば混乱する。怒りを向ける人もいるだろう、縋りついてくる人もいるだろう。そうすれば避難誘導にも影響が出かねない。
「強く、なりたいよ……」
どうしてこんなに弱いんだろう。
どうしてこんなに馬鹿なんだろう。
どうしてこんなに何も出来ないんだろう。
――でも、それでも足を前に踏み出す。
ティフィアの脳裏には、以前カムレネア王国でアルニにかけられた言葉を思い出していた。
―――――「敵を倒すことで救われる命があるのも確かだ。でも、それをやるのは『勇者』である必要はねぇよ。国にはそれぞれ軍もあるし、騎士だっているし、傭兵団やら自警団みたいなのだっている。力仕事とか荒事は、そういうやつらに任せればいい」
―――――「人には得手不得手があるだろ? 勇者だって人間なんだから、強さに固執する必要はねーよ。それでも勇者なのにとか言うやつがいたら、胸を張って言い返せばいい。―――僕は心を救う勇者です、てな」
アルニは――あまり常識に囚われていない。
勇者が強いことは当たり前で、ずっとリウルさんの面影を追っていた僕にとって目から鱗だった。
強さは手段だ。手段が多ければやれることも増えるだろう。
だけど僕は弱い。その手段がとれないなら――自分に出来ることをやるだけなんだ。
理想に囚われちゃ駄目だ。
……だからあのとき、僕は大きすぎた理想から逃げ出して、みっともなく泣いて蹲ってしまった。
でも今は違う。
あの頃の僕じゃない。
「すぅ―――はぁ……」
目的の場所を目前にし、一度大きく深呼吸する。
所々崩れてはいるが、聳え立つ威圧的な雰囲気は変わらない――ミファンダムス帝国の王城。普段ならこうして近づくことは愚か、足を踏み入れることすら難しい鉄壁の要塞。
しかし警備兵たちは指揮官をほとんど失い、現場の状況判断で魔物やのっぺら人形と相対し、城の警備よりも市街地へ赴いている。
それもこれも、王侯貴族たちが安全な場所へと逃げきれたと思っているからだろう。
ティフィアは覚悟を決め、目の前の扉を開ける。
――中庭へ通じる扉。
フィアナの眠る、その場所へ。
「……やっぱり、いた」
いなければ良い、と思わなかったわけではない。
対峙したくなかった。
会いたくなかった。
でもいずれは、けじめをつけなければいけないとも思っていた。
「――やはり、ここに来たか。我が愛しの人形」
「……」
不自然なほど、中庭は綺麗だった。
扉の外は魔物や魔族たちに荒らされ、まともな箇所を見つけることの方が難しいくらいなのに。
生い茂る草花。暖かな空調。美しい噴水から流れる水音。外界と遮断され、この中庭だけがゆっくりと時間が流れているかのような穏やかさ。
その奥にある墓石の前で、一人の男がティフィアへ笑みを向ける。
皇帝ラスティラッドだ。
吐き気がするほど甘く蕩けた眼差しから逃れるように目を逸らし、落ち着かない感情に震えそうになる。
「戻ってきたのか。いい子だ。お前は我の元に戻ってくると確信していたが、遅かったじゃないか」
――勝手なこと言わないで。
そう口にしようとして、喉から言葉が発せられることはなかった。
空回りして上手くしゃべれない。
口をパクパクさせ焦り始めるティフィアへ、皇帝は近づく。
「クローツが匿っていることは気付いていた。それでもお前が――出来損ないのお前が、姉上と仲が良かったクローツと共にいれば、少しでも姉上に近づけると思ったのだが」
「――っ、――っ!」
「そういえばカムレネア王国へ寄ったのだろう? はみ出し者達の掃き溜めのような国ではあるが、姉上は観光に行き、大層気に入っておられたな……。お前もそうであろう?」
「っ、っ、ぅ、~~~っ」
「……そんなことはどうでもいいか。まずは戻ってきたことを祝おう。そしてまた“あの部屋”で、お前を愛してやる。愛しの人形――我が姉上の現し身」
どくり、と心臓が音を立てる。
“あの部屋”……?
不意に視界に影が映り込む。ハッと顔を上げれば、皇帝はすでに目の前にいて、更にティフィアへ手を伸ばしていた。
――嫌だ。
戻りたくない。
独りぼっちになるのも、自分を否定されるのも、触られるのも――嫌、なのに。
覚悟も決意もしたはずなのに。
体が、声が、思うようにならない。なんで。
――怖い。
そうだ、僕は……この人が――――怖いんだ。
「………ふ、」
「――?」
「ふふっ、くふふ……っ」
「何が、おかしい」
あれほど怯え震えて、声も出せなかったのに。
唐突に吹き出し笑い始めるティフィアに、さすがのラスティも伸ばした手を降ろし、一歩下がる。
「ぷふっ、ふふ、――だって、怖い、なんて……ふふっ」
さっきまで魔王と戦ったくせに。
そうだよ。
今までだって――魔物や、魔族や、『剣豪』ノーブルとも戦った。
みんなと戦ってきたじゃないか。
アルニと、リュウレイと、ニアと、レドマーヌと。
僕を信じてくれる人たちと、一緒に。
そして今から、枢機卿員の一人マレディオーヌを倒さなければいけない。
「――ラスティラッド・ルディス・ミファンダムス皇帝陛下」
目の前にいるこの人は、普通の人間だ。
過去は消えない。
トラウマが消えることはない。
でも、ここは僕を囚えていた“あの部屋”じゃない。
「初めまして。僕はティフィア・ロジストと言います」
体はまだ少し震えているけれど。
僕は変わらず、弱虫で、泣き虫で、馬鹿で……それでも―――僕は“僕”だ。
リュウレイに君は君だと言っておいて、僕がそれを出来なかったら、あの言葉は全部嘘になってしまう。
嘘にしたくない。
失望されたくない。
僕はまた、もう一度、みんなと一緒に旅がしたい。
「『勇者』として、この場で発言させてもらいます」
あの頃に戻るためにここにいるんじゃない。
諦めるためでも、折れるためでもない。
未来を、希望を繋げるためにここにいる。
クローツ父さまが。リュウレイが。人工勇者が。騎士が、兵士が、多くの人たちが守ろうとした国を、人々を、世界を。
僕も『勇者』として守るために。
「陛下、まだ貴方がこの国の王であるならば――ここで墓守をしてないで、帝国を導いてください!」
僕はこの人のことを知らない。
でも、クローツ父さまもフィアナも、この人を嫌ってなどいなかった。
僕にとっては恐ろしく嫌悪の対象でも、ミファンダムス帝国にとっては必要な存在なんだ。
「この国はまだ終わってない! 人工勇者たちが、リュウレイが守ってくれたこの国を、どうか守ってください!」
僕にとって帝国にあまり良い記憶はない。
でも、リウルさんが外の世界に導いてくれて、フィアナとクローツ父さまが守ってくれて、リュウレイとニアと出会えて。
――それでもここは、間違いなく僕の故郷だ。大切な人たちとの思い出があるこの地を、勇者である以前に僕自身も守りたいと思っている。
「お願いします!」
魔王の侵攻は止めた。でも、帝国内部に入り込んだ魔の者やのっぺら人形を駆除することは難しい。現在の兵力ではジリ貧だろう。
すでに兵士も騎士も、先の戦争でだいぶ消耗している。リュウレイやクローツ父さまも、どうなってるか分からない。
帝国の軍事力ではもう、どうにもならない。それならば――皇帝の権力を使うしかない。
今から間に合うか分からないが、他国へ救援要請を出して……一番近い隣国であるスウェーベン連合国の騎士たちなら、或いは。
「…………」
頭を深く下げたティフィアを見下ろすラスティは、じっと少女の頭を見つめる。
世界のために。
国のために。
愛する人のために。
――姉上もそうだった。
自分のことよりも周囲のことを気にかける人だった。
勇者リウルのこと、ティフィアのこと、先代皇帝の父のこと、………ガロのこと。
お前もそうなのか、と内心で問う。
身体的に成長が遅れている、いつまでたっても幼い姿をした少女。
声も、泣き虫なところも、何かを我慢して唇を噛む癖も、全く姉上に似ていない『人形』。
姉上の代わりにもなれない出来損ない。
それが、今。
姉上と同じことを言っている。
ぶるりと体が震えた。
歓喜の感情が湧き上がり、満ちあふれてくる。
成長して姉上に近づいている《・・・・・・・・・》――!
「………………」
笑みで歪む口元を隠し、なんとか表面上を取り繕う。
気付かれては駄目だ。
気付いてしまえば、彼女は成長しないだろう。やはり一度手放して正解だったか。
「勇者ティフィア」
弾かれたように頭を上げる少女。大きな黒曜石の瞳が、少し嬉しそうにラスティを見上げる。
何も知らない、何も気付いていない純粋な少女。
愚かで、憐れで、愛しい子。
早く、早く、姉上になればいい。
「勇者よ、案ずるが良い。他国へ要請はもう出している。すでに近場にいたカムレネア王国の傭兵団の一部は到着し、我が兵に協力しているはずだ」
「! ほ、本当ですか!?」
「ああ、勿論だ」
これは本当だ。ティフィアに言われずとも、姉上が愛した帝国の管理をしないわけがないのだから。
――希望が見え瞳を輝かせるティフィアの顎を掬い、キスをする。
驚き、拒絶される前にラスティは隠し持っていた短剣を少女の腹部をそれで貫いた。
「っ、え、ぁ……なん、で?」
力を失い倒れそうになる体を抱きしめ、その耳元にラスティは囁く。
「どうだ? 姉上と同じ殺され方をするのは」
刺された驚きよりも更なる衝撃に、瞳が零れ落ちそうなくらい大きく開かれる。
それはそうだろう。
魔族に殺されたと発表されている姉上が襲われているところを誰も見ていない。
ガロやクローツが発見したときには、すでに姉上は血だまりの上だったのだから。
故に、姉上の殺され方を知っている人物は―――殺した加害者しかいない。
何故かガロが疑われるような言動をとっているせいで、クローツはガロを怪しんでいるようだが。
「ど、ぅ………して……!?」
「これは義体か何かだろう? 実際に殺すわけにはいかないからな。だから、義体で味わって欲しかったんだ、姉上の“死”を。――勇者ティフィア、お前の目に我はどういう風に視える? 姉を想う一途な弟か? それとも、」
「狂って、る……ッ!!」
抱きしめているせいで表情はみえないが、怒りと恐怖で体も声も震えている。
ああ。
嗚呼、
「そうだ。……いつまでも、狂うほどに愛してる、姉上」
この言葉は届いていないだろう。
すでに手の中にあった少女の体は消えていた。
早く姉上になって、戻っておいで愛しの人形。
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