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明けましておめでとうございます。年明け初更新!
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サハディ帝国では、ナイトメアの中に残っていたノーブルの心。
ウェイバード国では、グアラダの心に。
干渉して、そこから引っ張りあげるように僕の意識を戻してくれたのは、いつもアルニだった。
グアラダの心から戻ったとき、「お前、それ二度とやんな。死にかけてたぞ」と言ってた。
アルニは気付いていたのかもしれない。僕の、この体質の危うさを。
「どうして、知ってるの」
アルニが忠告したことを。
僕の体質を。
『勇者の亡霊』は感情を理解出来ないと言う割りに、嗤う。
「そんなこと聞くより、君はここから出る方法を考えた方がいいんじゃない? 外はだいぶ決着がついたみたいだし」
「……」
リュウレイの心の中に入ってどれだけ時間が経ったかは分からないが、確かにそろそろ戻りたい。戦争の状態も知りたい。
「お嬢、」服の袖を引っぱるリュウレイへ振り返る。「あれ、使えないん?」
少年の視線の先、宙に揺らめく純白の糸が一つ。それは亡霊へ攻撃した、魔王の糸だ。
亡霊の黒い鎌に切られても消えずに残っていたようだ。
「オレが魔王の『接続』の能力を一時的にこっちで使えるようにする。その糸でお嬢の体と意識を繋げれば、元に戻せるはずなん」
ただ、当然ながらやったことがないことだ。魔族の使う祈術は魔術とは違う。
以前カムレネア王国で赤い大蜘蛛針の式解析をしたおかげで、魔王の能力の一つである『接続』の式法則は理解している。問題なのは、あの糸に魔術が介入出来るかどうかだ。
「出来るか分からないし、成功する可能性も低いけど……」
「じゃあ僕は糸に触ってればいいの?」
疑うことも躊躇うこともせず、ティフィアは平然と糸を手にとる。
それに驚くも、リュウレイはやれやれと小さく息を吐き、その手にいつもの――自身よりも大きい杖を出現させる。
「うん、そのままじっとしてて。あとは――この天才魔術師に任せて!」
――お嬢が信じてくれるなら、やってやろうじゃんか。
これから世界中にこの名を知らしめるんだから、これくらいやってのけよう。
ティフィアをここで消させるわけにはいかないから。
【“窓”展開――ッ!!】
「……くくっ、眩しいねぇ。希望に満ちあふれて、光が輝いている」
二人には見えていないだろうが、亡霊の視界にはリュウレイの周囲に浮かぶ真白の精霊たちが映る。
あれはジェシカたち人工勇者たちの魂だ。リュウレイの傷ついた魂を癒やし、精霊へと昇華した。
――そして、その影響を与えたのが……ティフィア・ロジスト。
「小さな光が少しずつ大きくなっていく。君の存在感もまた膨れ上がるだろう。――あぁ、楽しみだよ。実に楽しみで仕方ない」
亡霊は嗤う。
笑みを深くし、ティフィアに別の面影を重ねて。
「君は壊れないと良いな」
バキンッ、と『勇者の証』が砕け霧散するのを一瞥すると、亡霊はそのまま姿を消した。
***
逃がした、と魔王アイリスは眉を顰めた。
忌々しい『勇者の証』を破壊出来たものの、目的であった『勇者の亡霊』を倒すことは愚か、傷一つ与えることも出来なかった。
「――例え『進化』の能力を持っていても、やはり次元を越えることが出来る精霊にまでは『接続』出来ないと言うの……? 直接的に無理なら間接的にしか――」
そのとき、ふと。己の一部に不快感を覚えた。
「…………魔術?」
誰かがアイリスの糸に魔術的干渉を施している。
魔族たちを構成する肉体から、能力や祈術に至るまで、それらは彼らの持つ魔装具が“核”として生み出している。つまり魔族にとって魔装具こそが本体であり、それ以外のモノは全て核の“一部”にしか過ぎない。
アイリスの放った糸も、彼女の一部だ。それに干渉して本体に影響を与えることは可能だが、“核”から遠い“一部”など、影響を与えられる前に切り離してしまえば問題ない。
アイリスはそれをしようとして、しかし出来ないことに大きく溜め息を吐いた。
「どうして邪魔するの――アイリス」
魔王アイリスが、アイリスに問う。
己自身に、ではない。
魔王だけが知覚している。
自分の魔装具の中に眠る、一人の少女の魂が何かを訴えていることに。
「……聞こえない。聞こえないの、アイリス。私の神様……」
胸に手を当て、耳を澄ませたところで――少女の本当の声を聞くことは出来ない。聞こえるはずもない。
魔王アイリスが知っているのは、生前のアイリスの記憶。それから、今も尚感じる――嘆きと憎しみと怒り、だけだ。
――糸のことは無視しよう。どうやら本体に干渉しようとしているわけではないみたいだし。
それよりも、と魔王は地上を見下ろす。
人間の国――ミファンダムス帝国は7割くらいが壊滅しただろうか。国として復興することは難しいだろう。てっきり王族が命乞いでもしてくると思ったが……もう逃げ出したのかもしれない。
「逃げたところで、意味はないのだけど」
抱えていた猫のぬいぐるみを掲げる。そのぬいぐるみの腹を食い破り、内側から出てきたのは、変哲もない一匹の大蜘蛛針。赤くもない、平均よりも少し小さいだけの……緑色をした普通の大蜘蛛針。
だが、特徴があるとすれば―――右目の部分に“朱い魔装具”が埋め込まれていることだろう。
【神様。そして我が眷属たち。……一緒に終わりの花を咲かせよう―――――終末の玩具樹】
アイリスの祈術に呼応するよう、魔族や魔物に張り付いていた赤い大蜘蛛針たちが瞬時に形を変えた。魔の者の魔力を養分に、根を張り、その肩や背中に赤い双葉が芽吹く。
それはすぐに大きく成長し、養分にしている宿り主を取り込み、更に大きく大きく――大樹となっていく。
荒野の前線も、半分を氷漬けにされた帝国領も。
それから、戦争に参加させていない魔の者たちも等しく同じように――赤い、禍々しい大樹へと変貌する。
――元来、大蜘蛛針は森林の奥地に生息する魔物。地中でも空中でも活動出来るが、やはり木々がある方が本来の力量を発揮できる。
この戦争のために、ずっとアイリスが仕込んでいた準備。
そしてそれは――これだけではない。
宿り主を取り込み大地へと根を伸ばす大樹は、地中奥深くにあるいくつもの洞穴を探り当て、それを辿る。
行き着いた場所は大きな空洞となっており、そこには『神隠し』によって拉致された人間が眠っている。根はそんな人々を絡め取り、そこから魔力ではない別の何かを吸い上げていた。
その「何か」は根から本体へ、やがて大樹の枝から繭によく似た白い実が成る。
「この時のためにたくさん実験したの。たくさんの人間を使って、たくさん失敗したけれど……間に合って良かったの」
白い実が落ちる。
帝国民や騎士たちがこれ以上何が起きるのかと、恐怖に引き攣った顔でそれを見やる。
パキリ、と実が割れる。
そこから現れたのは――白い、のっぺりとした人形だ。
だがそれを見た人々の反応は様々だ。歓喜に震え、人形に抱きつこうとする者。恐怖に逃げようとする者。泣きだす者。殴りかかろうとする者。
彼らには人形が別の存在に見えるのだ。
親しい者や尊敬する者、嫌悪する者、罪悪を抱く者――人形を見た者が最も記憶に深く刻む人物の姿。そんな人物が目の前に突然現れれば、人は必ず動揺し隙を見せる。そうして手を針に変えた人形によって殺されるのだ。
「ねぇ、見える? 私の神様。媒介に使ったのは魔の者だけど、あの人形の意思は、拉致した人間の意志そのものなの。やっぱり人間は人間同士で傷つけ合う。それを魔の者のせいにして責任転嫁してるだけなの!
やっぱり人間は愚かなの。この世界もそう……『魔法師』を生み出すこの世界なんて、滅べば良いの……っ」
壊れろ。
壊れろ。
人間同士で殺し合い、自らの手で終止符を打つが良い!
「――、?」
不意に、空気が変わったのを感じた。
刹那―――沈黙していたはずの魔術生体“放たれた呪堕の永眼”が二本の魔槍を魔王アイリスに振り上げる!
「そんなモノ、通用しないってそろそろ理解して―――」
アイリスの翼がそれを弾くように防ぎ、しかし攻撃しようとした手を思わず止めた。
何故なら……――“放たれた呪堕の永眼”は、すでに目の前から消えてなくなっていたから。
ざわり、と嫌な予感が肌をなぞる。
ハッと、尋常ではない魔力を感知し、その出所である帝国城へ目を向けるが――もう遅い。
城の屋上、そこに立つ一人の少年。
全身から血を吹き出し、先程まで死にかけていたとは思えないほど真っ直ぐと背を伸ばし、自分よりも大きな杖の先を魔王へ向けている。
彼を支える人工勇者はいないはずなのに、魔力は尽きたはずなのに。
どうして、お前が立っているの……?
「樹を作り出してくれてありがとう、魔王。おかげでオレも得意魔術が使えるん!【捕らえ封じろ―――数多ある触手たちよッ‼】」
魔王アイリスが生み出した赤い大樹。それは彼女の術式そのものだ。その樹を魔術に変換し、支配することなど出来るはずがないのに。
そもそも魔術に変換出来たとしても、それを支配し、己の術式として使用するのは一つの魔術では出来ない。複合術式には人工勇者が必須のはずだ。
「っ!」
しかし、実際出来ている。
赤い大樹は、その枝を、根を伸ばしてアイリスへと襲いかかる。
しかも攻撃ではなく、捕縛するのを目的としている。
「『勇者』でも何でもないお前が――ッ! 私を捕らえられると思うの!?」
むかつく。
ふざけないで欲しい。
「いいの、殺してあげるの」
リュウレイの魔術を飛んで避けながら、アイリスは眷属へ指示を出す。大樹に変わっていなかった赤い大蜘蛛針が宿り主の魔族や魔物を操り、少年の元へ誘導する。
「……邪魔はさせない」
リン、と鈴を鳴らし、リュウレイへと襲いかかろうとした魔の者を一掃するクローツ・ロジスト。
そして、そもそもリュウレイやクローツの魔力を支配下に置こうとしても、何故かそれが出来ない。何者かに妨害されている。
「あり得ないの……っ」
アイリスは『魔王』だ。更に能力を行使し【最限の進化】で進化まで遂げたというのに。
今なら『勇者』にも『武神』にも教会の『教皇』にすら負けない自信がある。
それなのに……!
「こんなところで止まれないの……っ!」
憎い。許せない。人間が、この世界が、したことを。
魔王アイリスには、生前のアイリスの記憶が鮮明に刻まれている。
アイリスを守ろうとしてボロボロになっていく兄の姿を。
壊れていく兄の姿を。
――だから。
この世界が嫌い。こんな世界、壊れてしまえば良いって。
「――――お嬢、今だ!!」
遠く離れても、それでも色違いの声繋石が仲間の元へ声を届かせてくれる。
リュウレイの声に、地上にいたティフィアはその手に持つ“弔雷槍”を構える。
魔術生体用に規格も合わせた巨大魔槍をティフィアは軽々しく持ち上げ、―――リュウレイの魔術によって誘導された魔王アイリスに向けてそれを投擲する!
気付いた魔王が糸を編み込んだ防壁を作り、更に翼で防御態勢を取るも、凄まじい力で投擲された魔槍を防ぎきれない。受け止めきれない力に、体が少しずつ後ろへと下がっていく。
「私の支配領域で……この威力……っ!」
こいつだ。
この女が、あの魔術師たちの魔力にも影響を及ぼしている。
到底、人間の仕業とは思えない。
人間でも魔の者でも魔法師でもないのなら―――まさか、あの亡霊と同じ……?
「っ、尚更ここで負けるわけには――!」
「ううん、ここで僕たちの戦いは終わりだよ、アイリスさん」
【万物を拒む結界を生み出せ―――隔絶の堅牢!!!!】
『接続』で槍の術式を破壊し、ティフィアへ向かって飛ぼうとしたアイリスの目の前がぐにゃりと歪む。
「!」
不可視の防壁―――。
それも、恐らく消耗した今のアイリスには壊せない強固な結界。
空も地中も、地平線の向こうまでも続くその防壁は、一切の魔の者の侵入を許さないだろう。
……戦争を強制的に止められたのだ。
「…………」
だが、結界の向こう側にいる眷属や魔の者はどうにも出来ないらしい。帝都や街の方からはまだ魔の者の気配を感じる。
地上にゆっくりと降り、黒い翼を消す。
結界で隔てた先に、ティフィア・ロジストがいる。
「私の魔力が回復するか、そっちの魔術師が先に倒れるか……どちらにせよ、それほどこの状態は保たないの。それでもこの選択肢を選んだの? どうせまた殺し合うのに?」
無駄なことを。
興ざめするだけで、何も解決しないのに。
「…………殺し合わなきゃ、いけないのかな」
「お前、まだ理解出来てないの?」
「でもアイリスさんは……アルニを殺せるの?」
意地悪な質問だとティフィア自身分かっていても、聞かずにはいられなかった。
「――お前は、やっぱり何も分かってないの」
質問には答えず踵を返すアイリスは、途中で足を止めた。
「……きっと、すぐに分かるの。『魔法師』のことも、お兄ちゃんのことも、『勇者』のことも……。お前はそれでも人間を、この世界を守ろうとするのか――見ててあげるの」
「………」
去り行く姿を見届けることなく、ティフィアはニアの元へ戻った。
次のサブタイトルでこの章は終わりです。
次回「5.悲嘆の雨」