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窓枠に鉄格子がつけられた部屋があった。
扉は常に鍵が閉まっていて、格子の隙間から部屋の中を覗くといつも机に向かって難しそうな本を読んでいる、ティフィアよりも幼い子供。
世話係のニアは言った。
「私も詳しいことは知らないですが、リウル様の弟らしいです。ただ……過去に色々あって、人と関わることが苦手だそうです」
義父のクローツは言った。
「近づいてはいけません。それをあの子も望んでいるのですから。貴方も嫌がることをされたくはないでしょう? それと同じです。関わらないであげてください」
義姉のシスナは言った。
「リウのこと? あいつ生意気だから嫌いよ。お義父様やジェシカ義姉様にも不遜な態度なのよ!? ティフィアも関わっちゃ駄目! 泣かされて傷つくだけよ」
他の人工勇者の子供たちともあまり関わりを持とうとしないらしく、ずっとあの部屋に引きこもっていると聞く。
それでもティフィアはどうしても気になって、格子の隙間を覗き見る。
幼い少年の姿を確認して、いつも通り本を読んで、何か勉強してる彼を見守る。
誰かに見つかると、怒られるか止めなさいと注意され、そして部屋から離された。
だけどティフィアは何度も何度も足を運んだ。
まるでそうしなければいけないと使命感でも覚えたかのように。
「何」
ツン、とした鋭い問いに、ティフィアは首を傾げた。やがて本の文字を追っていたはずの紅い瞳が、少女を睨んでいることに気付く。
「ウザいんだけど。勉強してるの、見えん? 集中出来ないんだけど」
「…………しゃべった」
「は?」
「ずっと僕のこと、無視してた。どうして今日はしゃべることにしたの?」
あ、こいつ面倒くさいやつだ、とそのときリウは感じたが、それに気付かないティフィアは話しかけてきたことに喜び、窓に顔を寄せる。
「ねぇ、僕ね。君と話したいこと、いっぱいあるんだ。リウルさんの弟なんでしょ? リウルさんがね、」
「チッ――知らない。ウザい。話しかけんな」
しゃっ、とカーテンが視界を遮る。
拒絶されたと肩を落とし、ティフィアは自室へ戻る。
しかし翌日も少女はリウの部屋へ訪れた。
気配に気付いて、またカーテンを閉められる。その翌日も。その翌々日も。何度もそれは繰り返された。
痺れを切らしたリウは言った。
「お前、王女サマの一人の複製なんでしょ? 王女サマのコピーは、こんな牢屋みたいな部屋にこもってるオレのこと、そんなに興味あるん? 同情でもして哀れんでるん? それよりも愛玩具としての手管とか勉強でもした方がいいんじゃない?」
「僕は……玩具じゃ、ないよ」
「でもそのために造られたんでしょ?――出来損ないの人形って噂、他の人工勇者たちも話してたけど?」
「っ……ぼ、僕は……僕は、違、わない……けど…………っぅ」
じわじわと目頭が熱くなって、視界が潤む。
ポロポロと涙をこぼし始めた彼女にリウは罰が悪そうに顔を歪め、再びカーテンを閉めた。
「お前が悪いん!……もう、来んな」
「や、やだ」
「………………」
「また、来るから。絶対、来るから」
――宣言通り、その後もティフィアはリウの元へ訪れた。その度に酷い言葉をかけられて泣かされても、しつこいほど諦めなかった。
それを知ったニアも付き添いに来てくれるようになり、暴言を吐くリウとニアはよく喧嘩した。
そうして何度も顔を見合わせていく内に、リウは面倒になって部屋の鍵を開けてくれるようになった。
「毎回毎回、しつこいし五月蠅いし……。適当に相手してやった方が、まだ面倒なことにならないから」とリウは言っていたが、本当にティフィアを嫌っていたならクローツに頼んで、更に遠ざけることも出来たはずだ。
そうしなかったということは、きっとティフィアたちを受け入れてくれたからだろう。
だって、自らこもっていた部屋の鍵を開けてくれたのだから。
「―――今なら僕自身がリュウレイのこと、どうしてこんなに拘ってたのか分かる気がする……!」
伸びてきた触手を避け、足元を狙っていた触手を足場に跳躍。
数多の黒い触手が宙に跳ぶティフィア目掛けて一斉に襲いかかるが、彼女は剣を水平に構え――
「うりゃ!」
気の抜けるかけ声と共に、一閃。
正面の触手を斬ると、体を捻って真横を横切る触手に剣を突き刺す。ティフィアの体が引っ張られるように宙を移動するとの、先程までいた場所に魔術生体の術が放たれるのはほぼ同時だった。
「っ、」
かすかに体に当たったらしく、左腰に痛みが走る。それを堪え、ティフィアは剣を刺した触手に乗ると走り出す。
そんな彼女を魔術生体の紅い瞳はずっと視界に捉えたまま逃さない。
そして周囲に即座に“窓”が展開。巨大な紅い瞳から眩い光が放たれる!
【アガ、ガガガ、ァァアアアアアア――――ッ】
「ふっ!」
腰を低くし、光を―――斬った。
「リュウレイ! 僕は……――君にも気付いて欲しかったんだ!」
再び駆け出し、邪魔な触手を避けては斬り、瞳から放たれる術を躱しては斬り、少しずつ魔術生体の本体へと近づいていく。
――僕は皇帝に造られた、お母さんの模造体。
でも、リウルさんが部屋の鍵なんてないこと教えてくれた。
そして初めて部屋を出たあの瞬間から―――僕は“ティフィア”になった。
それでも人形だと、偽物だと、うじうじ悩み続けていたけど。
「嘘をつく必要なんてないんだ! 君自身の心にも! 僕たちにも!」
しつこい僕を拒みきれなかったのも、ウザいと言いつつも窓のカーテンを閉めっぱなしにしなかったのも。諦めたように部屋に招き入れてくれたのも、ニアと喧嘩したり口が悪いのも。
――ずっと、君は怖がっていたんだ。
リュウレイは大人っぽいし頭も良いから、忘れてしまいそうになるけど……まだ10歳だ。子供なんだ。
親から虐待を受けて、村人から殺されかけて、それでも生き続けることが出来ないと知って―――怖くないわけがない。
どれだけ虚勢を張っても、運命だと諦めようとしても。
「リュウレイ…………っ!」
【――じゃあ、死にたくないって。助けてって。縋りついて、なんとかなるん?】
ハッと顔を上げる。
頭の中に直接響いてくるこの声は、紛れもないリュウレイのものだ。
【どうにも出来ないじゃん。オレは遅かれ早かれ死ぬ……それなのに、惨めったらしく命乞いするくらいなら――オレはこのままで良いん】
「僕はリュウレイに死んで欲しくなかったから……! だから帝国を抜け出すことを決めたんだ! それなのに君がこの旅を勝手に終わらせるなんて、そんなこと僕は許さない!」
【お嬢が許そうと許すまいと関係ないん】
「いやだ。絶対にいやだ! 僕は諦めない!」
【……いい加減にしてよ、ホント。お嬢のそういうところ、大っ嫌い。頑固で意地っ張りで。大して強くもなくて、泣き虫なくせに……っ】
「僕はリュウレイのこと大好きだよ。強がりで、嘘つきで、だけどいつだって僕のこと考えてくれた。僕がどうしたいのか、いつも聞いてくれるのは君だった!」
【違う! 聞いたのは……ただ優柔不断なお嬢に苛ついたからなん! 別にお嬢のためじゃない!】
「違わなくない! 君は仲間想いで、優しくて、――でもね、リュウレイ。僕はこれでも怒ってるんだ」
【何言って……】
「僕は頼りないかもしれない。臆病で、馬鹿で、弱くて、泣き虫だけど。それでも言って欲しかった! 黙っていなくなって欲しくなかった! 最後まで嘘吐かないで欲しかった!」
じわりと滲む視界を拭い、ティフィアは触手の猛攻を越えて、ようやく本体の巨大な瞳の元までやってきた。
――クローツ父さまと魔術の話をするときのリュウレイは、いつも楽しげだった。
でも『勇者の証』――“人工証”の検査と調整に行くリュウレイは、何かを堪えるように無表情だった。
計画のためだと、魔物に食われたことをトラウマに持っていたリュウレイに、ショック療法だと魔物に食われる映像を繰り返し見せているとクローツ父さまから聞いたときは信じられなかった。
どうしてそこまでするのか。
どうして堪えようとするのか。
ここにくるまで見た光景に、今はようやく納得出来る。
リュウレイにはリュウレイの覚悟があって、諦観があって、決意があった。
「僕はあのとき――同情したから、傷を舐め合いたかったから君に手を伸ばしたんじゃないっ!」
僕はフィアナの代わり。
リュウレイはリウルさんの代わり。
でもだからといって同族意識を持ったわけじゃない。
格子越しに手を伸ばして「ここから逃げよう」と、一緒に帝国を抜け出すことを選んだのは――
「――ただ……リュウレイに、自由に生きて欲しかったから……っ!」
ティフィアにはリウルがいた。
勇者の青年は、何も知らない人形の手を取り、窓の外で飛び立つ鳥を指差して「君も自由に生きれば良い」と教えてくれた。
思ったこと、したいと感じたことを、ありのままにすればいいと。
だけどリュウレイは違う。
選ばされた選択肢の中で、藻掻き苦しんで、いつしか、そういうものなのだと思うようになって。
諦めないで欲しい。
リュウレイはリュウレイだ。リュウレイの人生もまた、彼のものだ。
【じ、ゆう……?】
初めて聞いた言葉とばかりに反芻し、しかし少年はすぐにそれを嘲笑う。
【もうすぐ死ぬオレに、自由? そんなもの――】
鼻で笑おうとして、だけど口元が戦慄いて息が詰まった。
【そ、んなん―――】
自由に生きて欲しい、と。ティフィアのその言葉に、父の姿が頭に過ぎる。
自分の人生を生きて、生きて、大きくなれと最期に父はそう言い遺した。
そして、港町で出会ったマナカという少女との約束を思い出す。
あたしのために諦めないで、と指切りしたあの時――どうせ守れない約束だと思っていたのに、拒めなかった。
【そん、な……オレは―――死ぬんだ。どうせ死ぬなら、魔王を道連れにして、それで、それで……―――】
仕方ないことなのだ、これは。
だって、どうせリュウレイの人生はすでに決まっている。
そうでなければいけない。いけないのだ。
だけど――――
「―――やっと、見つけた」
膝を抱えて蹲っていたリュウレイは、ハッと顔を上げる。
魔術生体の本体の口を強引に割り開き、“あの時”と同じように手を差し伸べてくる少女。
毛先が青みがかった銀髪がキラキラと輝いているように見えたが、それは涙のせいだろう。
そうでなければ、まるで――
「言われた通り、助けに来たよ――リュウレイ」
「お嬢……っ」
まるで、御伽噺の救世主みたいだ。なんて。
しかしリュウレイは奥歯を噛み締め、ティフィアへ首を横に振る。
「……言ったじゃん。オレ、死ぬの。オレ自身の魔力はもう尽きてる。この魔術生体が周囲から魔力をかき集めて、それで維持してるだけなん」
死んでるも同然。
あの廃坑道でライオットに拾われたときと同じように。今生きてること自体がおかしいのだ。
「もう、良いん。ありがとう、お嬢。オレ、またお嬢に救われた……。それだけでもう、良いん」
「…………勝手に自己完結しないで欲しいな。僕も言ったよ、怒ってるって」
ムッと顔を顰め、手を取ろうとしないリュウレイに痺れを切らして強引に腕を引く。
「ちょ、――でも、本当に……」
「クローツ父さまが方法を探して、それでも見つからなかったのなら『魔術』じゃ不可能だったってことだけだよね? でも、この世界にあるのは『魔術』だけじゃない。――探そうよ、方法を」
魔術生体の中からリュウレイの体を引っ張り上げ、抱える。そして跳躍。
とぷん、と紅い世界に波紋が広がり、紅い液体に呑み込まれると二人の目の前に再び屍の大地に着地した。ティフィアが最初に訪れたあの場所に戻ってきたのだ。
「お嬢、魔法でもなんでも……命を蘇らせる術なんて、―――て、どうかしたん?」
ティフィアが何かに気付いて警戒するように周囲を見回し始めたのを、訝しげに問う。
「……………僕、一つ勘違いしてた」
「勘違い……?」
「僕はこの足元の屍は、人工勇者の義兄弟たちとか、戦争で死んだ人たちとかだと思ってた」
リュウレイも屍へ目を向ける。確かに、ここにある屍はどれも見たことない顔だ。
この中に人工勇者の子供が紛れている様子はない。
「なんか、嫌な感じがする」
「――――あれ、もう殻に閉じこもるの止めたわけ? 思ったより早かったなぁ。でも、いいけどね。おれとしては」
弾かれたように二人は振り返る。
緑がかった紺色の髪と群青色の瞳、はにかむように笑みを浮かべる青年の姿に戸惑う。
「え……」
「り、リウル、さん……?」
リュウレイにとっては初めて会う兄だ。母の面影が重なり、無意識に後退る。
そんな少年の様子にリウルは更に口角を上げ、一歩近づく。
「リウ。おれの弟。なるほど、おれに似てないね。そりゃあ母さんも怒るわけだ」
「っ、」
「―――君は誰?」
肩を震わせ怯えるリュウレイを庇うように前に出て、リウルを睨むように剣を構えた。
「何言ってるんだ? ティフィア、おれのこと忘れちゃったのかい?」
「違う。リウルさんはそんなこと言わない。そんな目で、誰かを見下したりしない!」
「……そう、難しいね、感情って。リウル・クォーツレイならこうするだろうって、記憶から推測して表情を作るんだけど。確かに生前の彼を知ってる人には、すぐに見抜かれたな。……難しい。だけど、人間の心を真似るというのは少し面白い」
あっさりとリウルではないことを認めると、わけの分からないことを言い出す。
記憶から推測?
人の心を真似る?
そしてリウル・クォーツレイの姿をした青年は丁寧にお辞儀し、ティフィアの問いに答えるべく自己紹介を始めた。
「初めまして。おれは『勇者の亡霊』と名乗る者です。歴代の勇者たちの記憶を持つ、――――精霊だよ」