4-5
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「――亜空斬ッ!」
細剣が煌めき、空間ごと切り裂いた触手が地に落ちてのたうち回る。
ニア・フェルベルカは周囲を警戒しつつ、ふと背後へ一瞥する。
地面に横たわる少女――ティフィア・ロジストは小さな寝息を立てたままピクリとも動かない。
数刻前、眼前にいる『魔術生体』へ手を伸ばしたかと思いきや、「僕を受け入れて」と言い残し突然意識を失ったのだ。
――サハディで、魔術兵器ナイトメアにやったのと同じ。
そのときのことを、ティフィアは僕も良く分からないと言っていた。でもそうしないといけないと感じた、と。おそらく今回もそうなのだろう。
……それなら、私のやるべきことは決まっている。
彼女を信じ、彼女を守り抜く。ティフィアの騎士として。
「ですが、焦れったいですね……」
離れたところではガロと対峙するヴァルツォンと、それからライオットたちの姿がある。彼らはだいぶ苦戦を強いられているようだ。
それから上空では、長い黒髪を蜘蛛の巣のように宙へ張り巡らせた魔王が、眷属である魔物――紅い大蜘蛛針を操って『魔術生体』を攻撃していた。
鋭い針のような触手が“放たれた呪堕の永眼”へ繰り出され、それを同じ性質の触手が止める。
更に魔術生体は“弔雷槍”“華焔槍”を振り回して魔王と蜘蛛の巣を焼き切ろうとするも、その蜘蛛の巣のあちこちからいつの間にか増えた紅い大蜘蛛針が糸を吐き出してそれを妨害。
「魔王アイリス……」
ティフィアと魔王の会話はしっかり聞いていた。アイリスという少女が、実はアルニの妹であることも。それから魔王の対は、その妹自身で、すでに亡くなっていることも。
しかし、それでは彼女の存在は矛盾している。勇者が死んだなら、魔王も死んでいなければおかしい。
――もしかすると、それがアルニの失った過去と関係しているのかもしれない。
「“対”―――リウル様はもう一人の自分と称してましたね」
手記に書かれた魔王に対するリウルの見解。
勇者の願いを強制的に具現化し、叶えるための存在。
そのとき、ふとニアは一つのことに気付く。
「魔王は歴代、人間を憎んでいる……。リウル様だけじゃない。今までの、それにアイリスも……そんなこと、あり得ないのでは?」
歴代の魔王が人間を憎んでいる。つまり『歴代の勇者』が人間を憎んでいたということ。
100年ごとに、同じように人間を憎む共通の『勇者』が存在する?
世界は広い。探せばいるかもしれない。でも……都合が良すぎのではないか?
「そうか。どうして今まで気付かなかったんでしょうか……。帝国や教会がしていたのは―――」
もしかすると帝国だけではないのかもしれない。
考えてみれば、帝国もカムレネア王国も、サハディ帝国でも、不自然な点がたくさんあった。
「―――人を憎む『勇者』を、意図的につくってる……!」
刹那。
突然上空が明るくなり、弾かれるように見上げれば――空を埋め尽くすほどの魔術紋陣が展開されていた。
「っ!? リュウレイ! 聞こえているんでしょう、リュウレイ!! ここにはティフィア様がいます! それに……分かったんです! 倒すべきは……戦うべき相手は魔の者じゃない!」
ティフィアが教会のしようとしていることを理解しているかは分からない。でも、彼女は最初から「戦争を止める」ためにここへ来たと言っていた。
何かを察したのかもしれない。それとも元魔王から何か聞いたのかもしれない。
「リュウレイ……っ!」
【オレの代ワリに、オ前たちが死ネバ良い。――穿チ死セル地獄】
ニアの懸命な訴えも虚しく、魔術紋陣から一斉に術式が発動。
咄嗟にティフィアを庇うように覆い被さるニアの視界が、真っ白に染められ。
【咲いて。咲いて。咲いて。芽吹けよ願いの種子。可能性の在処、その道標となる花弁を。どこまでも広がる道の先、果て無き無限の最果てへ。咲いて、咲いて、願いが求めるその未来へ】
【能力解放――――“最限の進化”】
「―――――…………?」
いつまで経っても訪れることのない死や衝撃に、いつの間にか閉じていた目を開ける。
ひら、と。
ニアの薄桃色の瞳に、どこからやってきたのか一枚の花びらが映る。
否、一枚だけではない。
それを皮切りに、ひらひらとたくさんの花びらが舞い落ちてきた。
「こ、れは……?」
呆然とそれを手に取る。淡い光を帯びた真白の花弁。それにとてつもない魔力を感じる。
その花弁の出所を探るように空を見上げ、ニアは息を呑んだ。
「この程度で私を弱らせるつもりだったの……?」
不愉快そうに発したのは、天使だ。
いや、違う。アイリスだ。魔王アイリス。
今まで宙に展開していた髪で出来た蜘蛛の巣を無くし、代わりに少女の背中に黒い翼となって滞空している。
服も、さっきまでシンプルなワンピースだったのに、まるで花嫁の着るウェディングドレスのように可愛らしい衣装に変わっていた。
それに、目が。
ただのねずみ色だった瞳が、ようやく魔族特有の縦二本に鋭い瞳孔を浮かべ、更に左目だけが朱色になっている。
――それだけではない。
彼女が乗っていた巨大紅い大蜘蛛針もまた姿を変えていた。
全身から生える針のような触手は天に向かって幾重にも枝分かれして伸び、それに淡い光を纏った芽が出て、蕾となり、やがて花が咲く。ニアが見た花弁は、それが散ったものだ。
天使の風貌をした魔王アイリスは左手を上に掲げ、上空を埋め尽くしていた魔術紋陣から放たれたはずの魔術を一時的に停止させ、やがて握りつぶすような仕草をすると、同時に全ての魔術紋陣が砕け散った。
「な!?」
驚いたのはニアだけではない。
離れたところで「マジ!?」とガロが声を裏返していた。
魔術を術で相殺するわけではなく、“術式”そのものを破壊する術なんて見たことも聞いたこともない。
これが、魔王なのか……?
いや、もし歴代の魔王がこんな能力を持っていたら、勇者一人では太刀打ち出来ていないはず。
つまりこれは魔王の能力というより、アイリスにしか使えない能力ということだ。
「は……ははっ、すげえ。――ヤバいなぁ、俺。ゾクゾクしてきた……っ♪」
ガロは恍惚とした熱い眼差しで『魔王』を見上げる。あれは強い。強すぎるほどに強い。
戦ったらどうなるんだろう。どっちが強い? いや、分かりきってる。彼女だ。魔王アイリスだ。
「あぁ……、―――戦いたい」
本能が、欲求が、ガロを突き動かす。
もはやヴァルツォンたちのことは頭の片隅にもない。強者との戦闘こそが、ガロを唯一滾らせ高揚させてくれる。
すぐに魔術生体の触手を足場に駆け上がり、魔王の元へ。
だが。
「させるかってんだ!」
顔に向かって飛来してきた何かを剣で弾く。ただの鞘だ。そしてそれを投げたのはヴァルツォンではなく、ライオット・キッド。
「弱いのがでしゃばるなよ。白けるだろうが」
鋭く冷淡な声に、ライオットは虚勢だけで引き攣った嘲笑を浮かべる。
「へん! 武神さんよぉ。俺たちとの戦いの最中で、背中向けて逃げるってぇのぉ? どっちが弱者だかな!」
「足、震えてるけど」
「む、武者震いだ! 俺様は今、武神を倒せるところまでの脳内ヴィジョンまで出来上がってんだぜ! どうだ!」
何がどうだ、なのかはさておき。
魔王との戦闘の最中で邪魔されるのだけは嫌だなと、仕方なく魔王に向けてた足先をライオットの方へ戻し。
「一瞬で終わらせてもいい?」
「へ、――――ぐ。っぷ!?」
一瞬。文字通りの一瞬。瞬き一つしたときには、すでに目の前にいて。
「ライオット!」
咄嗟に剣を前に構えていなければ直撃だったな、と吹っ飛び地面を転がりながら思う。とりあえず瞬殺は免れた。すぐに起き上がり横へ飛ぶと、またすぐに間を詰めてきたガロの剣戟が顔を掠める。
「……勘が良い奴って本当に厄介だよねぇ。フィアナ様もそうだった。でも、勘がどれだけ良くても、体は反応しきれないってね」
今、上空にいる魔王が天使に見えるなら。この男はまるで悪魔だな、とライオットは内心で己を嘲笑う。
悪魔。悪魔かぁ。なんで俺はこんなバケモノを敵に回したんだろう。
ぼたぼた、と地面に液体が落ちる。血だ。
「ライオット……っ」駆けつけようとした体勢で足を止めたユグシルの姿が、視界の隅に映る。泣きそうだ。そりゃあそうか。俺様だって泣きそうだよ。
ひゅん、と血を跳ばして鞘に戻すガロは、ライオットの無くなった右腕を見下ろす。
「俺の邪魔した罰ねー? 苦しんで死ぬんだぞ☆」
右腕の付け根から先が無い。そこから血がドバドバ流れ、貧血で倒れる。でもライオットは笑う。
「武神サマのくせに、宣言通りに瞬殺出来なかったとか……! 俺様すげえ! やれば出来るじゃん! めちゃくちゃ俺様頑張った! 頑張ったんだから――頼むぜ、元騎士団長ッ!!」
「――当然だッ!」
ガロが気配に気付いて振り返ったときには、すでにヴァルツォンの鞭が振り上げられいた。剣を抜くのは間に合わない。防げない。なら、とむしろ近づくように足を踏み出し、振り下ろされる前に鞭を掴む。その掴む右腕をへし折ろうと手刀を振り上げるが、今度は左手で妨害される。
それも想定済みだと彼の腹を足で蹴ろうとするが、その膝を逆に踏みつけられ、これも防がれる。
「満身創痍なのによく動けるねぇ? それとも本命は――こっち?」
すい、と視線を横に逸らす。意識から外れている隙にと恐怖で震える足を叱咤して、ようやく近づいたユグシルは、バレバレだったことに驚愕し硬直する。
「ユグシル! 止まるな!」
「無茶言わないであげなよ~。俺が怖いんでしょ? 仕方ないよ。トラクタルアース家の人間だしねぇ。恐怖心も人並み以上ってね?」
ぐ、とガロが足に力を入れた直後、踏みつけられていた膝が下がる。そしてガロはそれを足場に――跳んだ。
「!?」
ヴァルツォンの肩に手を置き、彼の背後をとったガロは掴んだままの鞭をヴァルツォンの太い首へとかけた。
「ぅ、ぉぐっ、」
「剣を抜かせないように頑張ったねぇー! でも、剣がなくても俺は強いんだよなぁ、これが。悪いけど俺と対等に戦いたいなら……そうだなぁ、300年くらい鍛錬積んでくれる?」
「た、わごとを……っ!」
「うん? まだしゃべれる余裕ある?」
ギリギリッと鞭が首に食い込む。赤くなっていくヴァルツォンの顔に、それを見てることしか出来ないユグシルが小さく「ぁ、ぁ………ぁあっ」と対照的に青ざめていく。
「これくらいかな?」
不意にガロが手を離し、崩れるように倒れるヴァルツォンの胸部を双剣で突き刺す。
「ご、ぁっ!」
「はい、これでおしまい!」
面倒な仕事をようやく片付けたとばかりに溜め息を吐き、それから再び上空を見上げて魔王の姿を視認するとうっとりとする。
「はぁ……っ! 待ちかねたご褒美♪」
ガロは踵を返し、今度こそ魔王の元へ跳んでいく。
やがて武神の気配がなくなった頃に、ユグシルはようやく動き出した。
「ライ、オット………ヴァルツォン……」
倒れて動かない二人の姿。広がる血。
ユグシルは膝を折り、呆然と涙を流す。
なにも、出来なかった。
戦う二人に続くことも、ほとんど動くことすら叶わず。
ただ怯えて、震えて。
「ぁ……」
二人の体の上にまで花びらが積もる。
それがまるで、本当に死した者への弔いのように見えて。
ユグシルはそれを否定するようにライオットの上から花びらをどかす。
「ライオット………」
ユグシルを唯一、トラクタルアースの人間としてではなく、一人の人間として見てくれた友人。彼は普通に強かったし、周囲から好かれる人柄だった。故に騎士団長に任命されたわけだが。
本人は偶然と不幸が重なったとか言っていたが、ユグシルたちからすれば彼が騎士団長になるのは分かりきっていたことだった。
「俺は……―――」
「――い、け……。ユグ、」
「! ライオット!」
薄らと目を開けたライオットだが、焦点は合ってない。目も見えていないだろう。
「言った、だろ?……俺さ、まに……勝てる、ヴィジョ……ン、が。あ、る……て」
「しゃ、しゃべらないでください! 今、今――衛生兵のとこへ……っ」
「ユグ、シル……お前は、強ぇ……よ。コンビ、……なんか、組まず……とも、……」
「ライオット! ライオット!」
「………花……キレ、ィ……だなぁ。…………ま……るで、……………てん、ご……、…………」
ゆっくりと彼の瞼が沈んでいく。それに合わせるようにライオットの力も抜けるのが見え、首を横に振る。
何度も。
何度も。
信じたくないと。
―――どれくらいの間、そうしていただろうか。
不意にユグシルは立ち上がった。
「………………」
行こう、と。漠然とそう思った。
そしてユグシル・トラクタルアースは、ようやく武神ガロの後を追いかける――。
***
さようなら、ライオット。