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グロ注意!
***
紅く染まった世界。屍の大地。
そしてその中心にいる、顔が黒く塗りつぶされた少年。
「こんな場所に来て、どうしたん?」
不思議そうに首を傾げる少年――リュウレイに、ティフィアは下唇を噛んだ。
「リュウレイ…………」
「何、その顔。怖いものでも見たん?」
それとも、と少年は続ける。
「――オレのことが怖い?」
「ちがう……っ。違うよ、リュウレイ! なんで――」
ここがグアラダのときと同じようにリュウレイの心の中だとすれば。
これほど“血”と“死”が広がる狂気な世界に、ずっと……ずっと、リュウレイは。
「『なんで』?――それはオレの台詞だよ、お嬢。どうしてオレの邪魔すんの? 魔王を殺せるチャンスだったのに」
「違うんだよ! 魔王は倒せない! それに、」
「理論上では可能だったんだよ。お嬢が邪魔しなければ、オレが、オレたちが倒せた」
「駄目なんだ! もし魔王を倒せたとしても問題を先送りにするだけで、」
「うるさいなぁ。……何も知らないくせに。何も分からないくせに。――この痛みも、恐怖も、何も知らないくせに……っ! いっつも誰かに助けられて、守られてきたお嬢に何が分かるって言うのさ!」
顔が黒く塗りつぶされて表情が分からないのに、その怒気も憎悪も殺意も、向けられているのが分かる。
「結局、お嬢はいつまで経っても“お嬢様”。世間知らずで、正義感だけ振りかざして、善人ぶって……。そんなに誰かを救いたいなら、オレのこと―――助けてよ」
嘲るように笑いながら、少年は両手を広げた。
「お嬢のもってる魔力……命、オレにちょうだい?」
足元の死体たちが急に動き出し、それがティフィアの足を掴むと徐々に体が地面に沈んでいく。
慌てて抜け出そうと藻掻くが、引き込まれる力の方が強い。
「お嬢の“目”は黒いからいらない。兄さんみたいな瞳の色……見つかんないなぁ……。あれがないと母さんにまた怒られるじゃん。痛いのは嫌だ……」
呑み込まれていくティフィアに関心を無くし、また死体を漁りながらブツブツ呟く少年。
「リュウレイ! リュウレイ、お願い聞いて! リュウレイっ!」
抗うように暴れながら少年の名前を何度も呼ぶが、彼は無視しているのか聞こえていないのか、反応はない。
まるで帝国で出会ったばかりの、自室に引きこもっていた彼に戻ってしまったようで。
それがとてつもなく悲しくて、苦しくて。
あのときは格子のついた窓から顔を覗かせて、無理やり接点を持とうとした。嫌がられて、辛辣な言葉を浴びせられて、それに傷ついても泣いても何度も挑んだ。
「リュウレイ―――!!」
声が、届かない。
言葉も。
想いも。
手、すらも。
沈み込む体に、サハディでの出来事が既視感する。
あのときもそうだった。
あのときと同じ。
シスナちゃんもノーブルさんも助けることが出来なかった、あのときと。
「っ、」
――ガリッ、と下唇を思い切り噛み切る。
駄目だ。繰り返すことだけは絶対に駄目なんだ。
どうして僕はここにいる?
僕はなんのためにここにいる?
戦争を止めるためだ。
でも何よりも――――大切な人たちを守るためじゃないか……!
「ここがリュウレイの心の中なら、」
きっとここにあるはずだ。
彼の本心が。
少しずつ呑み込まれていく感覚に焦燥感を覚えるが、大きく深呼吸をしてそれを追いやる。そして、目を閉じて耳を澄ませる。
グアラダのときは、ラージにだけ本心を隠そうとしていた。だからラージにはグアラダの“想い”が最初見ることも聞くことも出来なかったが――リュウレイはきっと。
―――「ティフィア。リウのいる部屋には行ってはいけないと言ったはずですよ」
昔、リュウレイの部屋に何度も入ろうとして拒まれたティフィアに、クローツが言った。
「でも、クローツ父さま……。僕はあの子と、仲良くなりたい……です」
「………。リウは望んでいなかったでしょう? 嫌がることを無理強いしてはいけない」
「そ、ぅだけど……。でもね、父さま。僕ね――――」
リュウレイは、強がりだ。
負けず嫌いで、怖くても辛くてもそれを隠そうとする。
臆病で泣き虫な僕とは違って、強くあろうとする。
だからね、リュウレイ。きっと君は―――心の中でさえ、君は“本心”に蓋をしてるはずなんだ。
「―――聞こえた」
微かに聞こえたその声は、あまりにも小さくか細い。今にも消えそうに、なんて言っているのか聞き取れなかったけれど。
目に見えるリュウレイの姿から正反対の、この紅い世界の端っこ。
ティフィアはその方向を確認すると、大きく息を吸い。
そして。
どぷんっ。
自ら地面に潜り込んだ。
地表よりも更に紅く、重い水のようなその場所を掻き分けながら泳いでいく。時おり、なにかに体を引っ張られ邪魔されたりするも、なんとか潜り進め――やがて見えてきたのは。
(―――本?)
大きな泡の中に閉じ込められた、一冊の本。しかし鍵で開けられないようになっていた。
よくよく観察すると、表紙にはタイトルが書かれている。
『家族』、と。
「――“昔々、家族ごっこをしていた『家族』がおりました”」
ハッ、と後ろを振り返ると、そこには一羽の鳥がいた。映鳥だ。
「“『父親』と『母親』、それから『息子』。だけど『息子』は、上手く『息子』にはなれませんでした”」
甲高い、淡々としたその声は、まるで機械のように無機質で少し怖い。
「“『息子』を演じられない『息子』を『母親』は怒ります。でも仕方ないのです。だって『息子』は、本当の『息子』ではないのだから!”」
「“『母親』は言います。喋り方が違う。好物が違う。瞳の色が違う。『母親』は毎日怒ります。怒るたびに叩いて、『息子』はいつも謝ります”」
「“『母親』が求める『息子』こそが、本当のこの家族の『息子』でした。でも『本物の息子』はもう亡くなっており、『代役の息子』が本物を演じていたのです”」
「“あの日『母親』は限界がきて、『代役の息子』を殺しました”」
「“そうして『家族』はハッピーエンド! めでたしめでたし!”」
おそらく本の内容、だったのだろう。
それを勝手に読んだ映鳥は、めでたしと言い終えるのと同時にパァンッ!! と体が内側から爆ぜた。
「―――っ!?」
ティフィアは想わず目を逸らし、それから再び本へと向き合う。
――さっき映鳥が話した『家族』という物語。
ティフィア自身、リュウレイの過去を知ってるわけではない。おそらく義父であるクローツも、彼から何も聞いていないはずだ。
だけど、なんとなく。
今の物語は“嘘”だと思った。
そもそもリュウレイは死んでない。それに――リュウレイの『家族』はハッピーエンドで終わってない。
「鍵はどこ……?」
泡の中へと入り、本を抱えて鍵を探そうとしたところで、ふと気付く。
――“嘘”?
もしやと本に手をかけると、あっさりと鍵は外れて本が開いた。
なるほど、さっきの鳥こそが“鍵”だったというわけか。
「リュウレイらしいなぁ……」
少しだけ安堵した。リュウレイの心の中に入って、ようやく見つけた“らしさ”だったから。
「『家族』か………」
ティフィアにとっても『家族』は複雑な存在だ。
さきほどの映鳥が話した物語は、ティフィアの過去にも近いかもしれない。
とにかく本を読んでみようとのぞき込むと、そこには字が書かれてなかった。
代わりに、所々に血がシミを作っている。
「……………」
ティフィアはそれを指でなぞりながら、眉を顰めて口を固く引き結ぶ。
『家族』という題名の本。その内容が『血』ということは――それがリュウレイにとっての『家族』の印象なのかもしれない。
紅い世界。
嘘。
家族。
血。
黒く塗りつぶされた顔のリュウレイ。
少年が探す、兄と同じ瞳。
「……さっきの鳥の話、全部が“嘘”じゃないってことかな」
分かりづらいよ、リュウレイ。
そう愚痴るようにこぼしながら、ティフィアは本を閉じた。
――すると、視界の隅で何かが光る。見れば、泡の外に何故か矢がいくつも浮かんでいるようだ。
それはまるで矢印のように矢先が同じ方向を向いていた。
再び息を止めて紅い水のような中へと潜り、矢印の先へと導かれるように進んでいく。
―――「死ニ た くない」
進むティフィアの近くで気泡が漂う。その気泡に浮かぶのは、リウルさんとよく似た女性と、そしてリュウレイとよく似た男性が、抱える小さな赤子に笑みを向けていた。
―――「でも オ れは」
別の気泡には本を広げる幼いリュウレイと、吟遊詩人の格好をした青年が楽しそうに何か話してる光景。
―――「兄ノ 代わリ ダから」
導くように浮かんでいた光る矢も、気泡も消えた最奥らしき空間。
そこには一つの食卓があった。それを囲む“父”と“母”と“息子”。楽しげに談笑をする『家族』。
しかしそんな食卓を鉄格子が遮った反対側、そこには顔を黒く塗りつぶした少年が一人『家族』を寂しそうに眺めている。
「っ、リュウレイ!」
傍に行こうとしたティフィアの足首を、細長い何かが巻きつき掬い上げた。
うわっ、とバランスを崩した体をやすやすと持ち上げられ、逆さの視界で眼前に現れたのは魔術生体“放たれた呪堕の永眼”だ。
「邪魔しないで!」
なんとか藻掻いて逃げようとするも、しっかりと掴まれた足はびくともしない。
そのときだ。
「こんなこと、間違っているわ?」
思わず振り返る。
食卓を囲んでいたはずの“母親”が立ち上がり、首を傾げていた。彼女の向かいに座っていた“息子”がいない。
「いない。いないわ。どこにも。リウルが……。おかしいわ。間違っている」
ぶつぶつと「おかしい」「間違ってる」と呟きながら、虚ろな瞳が鉄格子越しにいたリュウレイへ向けられる。
「あら、そんなところにいたの?――“リウル”」
違う。
リウルさんじゃない。そこにいるのはリュウレイだ。
なのに“母親”は笑みを浮かべ、鉄格子を開けてリュウレイを食卓へと引き入れる。
「“リウル”……? どうして瞳が紅いの?」
「どうして好物のキノコを残すの?」
「どうして泣くの?」
「どうして外で遊ばないの?」
「どうして本なんて読もうとするの?」
「どうして」
「どうして」
「違うでしょ」「“リウル”はこんなことしないでしょ」「違うでしょ」「“リウル”なのにどうして出来ないの」
どうして、と投げかける度にバチンッバチンッと“母親”はリュウレイの頬や頭を叩く。
そして。
「間違いは正しましょう」と。
“母親”はいつの間にか持っていた木製のスプーンで―――
彼女のしようとしていることを察し、思わず叫ぶ。
「やめてぇぇぇえええ―――――――っ!!」
ティフィアの体がほのかに発光し、その手にはいつの間にか剣が握られていた。それを使って足を捕らえていた触手を切り離すと、リュウレイを守ろうと手を伸ばし―――
「―――ぇ、」
手が、すり抜けた。
「い”い”い”い”い”―――――ッ!?」
「ああ、とれた。次は左目ね」
ティフィアの足元に、リュウレイの右目が転がる。
それを思わず拾い、振り返る。
黒く塗りつぶされた顔に、右目がある部分から赤い血が流れていた。
更にリュウレイの左目をとろうとした“母親”だが、そこに乱入してきた“父親”がそれを防ぎ、しかし逆上した“母親”がその人を包丁で刺した。
あまりにも凄惨な光景に呆然としていると、“母親”と“父親”は突然に炎に焼かれて消えた。
だが、そこで終わらない。
現れた村人に追いかけ回されたリュウレイは、斧で背中と肩を斬られ、群がる小さな魔物に食われ―――。
「っう―――!」
口元を抑えた。
実際に吐きそうになったわけではないが、何かが込み上げてきそうで、苦しくなって。
「っぁ…………ふ、ぅっ!」
涙がボロボロとこぼれ落ちる。
こんな。
こんな、酷いことが。
「りゅぅ、れぃ…………っ!」
ずっとずっと、君は。
この痛みを。苦しみを。悲しみを。恐怖を。
ずっと―――独りで、抱えていたの?
周囲の光景が全て消え去り、紅い世界の中にティフィアと“放たれた呪堕の永眼”だけになる。
魔術生体は紅い世界に触手で根を張り、黒い涙を流して少しずつ黒いシミを拡げていた。
「リュウレイ、絶対に助けるから……っ! 絶対……絶対に! 君を死なせたりなんかさせないから!」
涙を拭い、剣を構える。
「だからリュウレイ! 君も――君自身を諦めないで!」
***
過去は変えられない。
でも、その過去は本当に君を傷つけるだけの“呪い”でしかなかっただろうか。