4.地獄
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――ティフィアがニアたちと合流し、魔王アイリスの元へと向かう最中。
「――――……つまり、ティフィア様のその体は魔族によって造られた擬体で、本体はまだグラバーズにいるということですか?」
「うん」
走りながら簡潔に説明すると、なるほどとニアは納得した。
「魔族の能力は、魔術みたいに便利ですね」
「魔術っつーよりは魔道具に近い気がするけどなぁ?」
前を走るティフィアとニアの後ろで、ライオットが呟く。その後ろにつくユグシルは3人の会話を黙って聞きながら、眉を顰めた。
仮にも勇者として帝国を出たティフィア・ロジストが、元魔王や魔族に協力してもらっている。更には旅の仲間にまで魔族がいると言う。
魔の者と通じているというならば、それは裏切り行為だ。魔族に帝国や世界情勢と言った情報を流している可能性もある。本来なら問答無用でこの場で首を切り落としても良いくらいだ。
……だが、ユグシルたちはその魔族の一人に助けられた。
帝国騎士として、これほど屈辱的なことはないだろう。敵に守られたなど。処罰だけでは済まないはずだ。
「ユグシル、」
不意にライオットが振り返り、ニッと屈託なく笑う。
「戦争が終わったら生き残ったヤツらで乾杯な!」
戦況は以前として混沌としている。国も都市も守れず、仲間だって死者が出ている。
自分たちだって、これからどうなるか分からない。国が完全に落とされれば魔の者に殺され、戦争を止められたとしても責任を問われるだろう。
元々信用の低い騎士団だ。ツートップであるライオットとユグシルは、もしかしたらあのイカレた皇帝に殺されるかもしれない。
「……ライオットは脳天気で羨ましい限りです」
「あん? 俺様、今喧嘩売られてる?」
「そんなことより――魔王に会いに行くのはいいとして。問題は『武神』ガロの邪魔が入るのは確実です。ティフィアさん、ニアさん、正直このメンバーで戦えるのか心配ですが……策はあるんです?」
「そ、そんなこと!? いきなり人のことディスっといてその扱いは酷いじゃないか!?」一人ショックを受ける上司を無視し、ニアが「そのことなら大丈夫です」と口角を上げた。
「先生を抑えてくれる人がいるので。……ティフィア様。私とこの二人で道を切り拓きます。なので魔王の説得を頼みます」
「ありがとう。でも、みんな無理しないで」
そして。
ニアの言う通り、彼女と騎士団ツートップが魔物や魔族を引きつける囮となり。
“放たれた呪堕の永眼”が放った【穿ち死せる地獄】が魔王の頭上へ落ちる寸前、ティフィアは帝国に来る前にレドマーヌからもらっていた羽根を使って結界を展開し、それを防いだのだ。
寸でのところで間に合ったことに安堵しつつ、ティフィアは振り返る。
旅で何度も戦った、巨大な紅い大蜘蛛針の背に乗る一人の少女。
「初めまして、『魔王』アイリスさん」
「……『勇者』」
大事そうに猫のぬいぐるみを抱える姿からは『現魔王』であることは愚か、魔族であることすら疑ってしまいそうなくらい、本当に人間に近い。
魔族特有の瞳孔の形も、異形もない。ただ、底が見えないほど澱みきった虚ろな瞳と、地面まで伸びる長すぎる黒髪のせいで、やはり普通の人間にはない雰囲気を纏っている。
――ガギィッ! と少し離れたところで鍔迫り合う音が聞こえた。
ここに来る途中で遠目で見た、ガロとヴァルツォンが激しく戦っているようだ。
ニアの言っていた「先生を抑えてくれる人」がヴァルツォンのことだとは、さすがに思わなかったが。
「何をしに来たの? 敵を助けるなんて、頭でもおかしくなったんじゃないの?」
少し苛立ったような、億劫な幼い声に、ティフィアは既視感を覚えたが、そんなことあるはずないかと『魔王』と向き合う。
「戦争を、止めに来ました」
「……」
射貫いてくる黒曜石の瞳が、真っ直ぐとアイリスを見据える。
言っていることはなんとも無謀。しかし本心なのだと理解出来た。
アイリスは小さく溜め息を吐き、それから左手を一振り。
同調するように巨大紅い大蜘蛛針の左前足がティフィアへ振りかざされる!
ギッ――――――!
細い剣が煌めく。紅い大蜘蛛針の足を止めたのは、いつの間に現れたのか鎧の騎士――ニア・フェルベルカだ。
ティフィアへの攻撃は一切許さないとばかりに彼女を守護するその姿に、アイリスは首を横に振った。
「お姫様の戯れに付き合ってあげるほど、私も暇ではないの」
「っ、ふざけてるわけじゃ――」
「チャンスを与えられて、協力でもしてもらったのでしょ?……性悪の、死に損ないの『元魔王』に。そして、簡単な餌に飛びついたオマエも、忌々しいほどに愚かな『人形』。―――目障りなの」
露骨に嫌悪感を剥き出し、それに反応した紅い大蜘蛛針の触手がティフィアたちへと襲いかかる。何本かはニアが弾き、残りは対処出来ないと判断して二人は一度アイリスから距離をとる。
「ヴァネッサから色々聞いたんだ! 勇者と魔王の関係……“対”がどういう存在なのか。魔王がどうして人間を滅ぼそうとするのか」
「……、その上で此処に来たというなら、オマエは理解出来てないの。私の邪魔をしても無駄なの」
「君を心変わりさせるなら“対”である『勇者』を心変わりさせないといけない。それは分かってる! でもそれなら時間が欲しい……っ。『勇者』と話をするための時間が!」
ぴたり、と。
ティフィアの最後の一言で触手の動きが止まった。
これは好機だと、更に言葉を重ねる。
「人間は確かに間違うし、簡単に誰かを傷つける。でも! 全員が酷い人ばかりじゃない!――僕は、みんなの言う通り『人形』だ。今だって知らないことがたくさんあって、バカだし、愚か者って言われるのも仕方ないけど……。だけど、僕は人が好きだよ。僕は……だって、僕は!」
人の優しさを。
人の温もりを、知っている。
クローン体である僕を、それを知りながらも抱きしめてくれたフィアナ。
どう扱うべきか戸惑いながらも、それでも匿って養子にしてくれたクローツ。
こんな僕を嫌悪することもなく、いつだって僕のことを案じて守ってくれる騎士。
ぶっきらぼうで素直になれないけど、本当はすごく優しくて、すごく頭の良いリュウレイ。
泣き虫で弱い僕を信じてくれるアルニ。
酷い言葉を投げかけても友達になってくれたレドマーヌ。
何があっても、何を見て、何を聞いても、諦めないで欲しいと言ったシスナちゃんの顔が浮かぶ。
すれ違って、それでも一緒に生きることを選んだラージとグアラダと、そしてミュダ。
「教会のやり方も、魔族たちとの不理解も、互いを知れば変えられると僕は思ってる!」
知らないから怖いと感じる。
分からないから拒絶してしまう。
それはきっと、リウルさんと会う前の僕そのものだから。
小さな部屋に閉じこもって、環境や境遇に疑いもしなかった僕もそうだったから。
世界は――キッカケで広がる。
僕はそう思ってる。
そして僕は。
「僕が世界を変える“キッカケ”になる! そのためにここに来たんだ……っ!」
剣を抜き、それを地面に突き刺す。
それがティフィアの答えだ。
戦争を止めるために話をしに来たが、それでもアイリスに退く意志がなければ戦う、と。
アイリスは抱える猫のぬいぐるみに顔をすり寄せながら、覚悟に満ちた力強い黒曜石の瞳をぼんやりと眺める。
「それが、本当にオマエの意志だって証明できるの?」
「……?」
「オマエを造ったのは帝国の王。オマエの中にあるその魂が―――教会が用意した『勇者』じゃないって、言い切れるのかって聞いてるの」
何を聞かれているのか、理解するのに時間を要した。
ティフィアはラスティ皇帝が造ったクローンだ。そこに教会が関与していないかどうか。そう問われ、その考えに今まで至らなかったことに驚く。
――父さまもリュウレイも、人体を複製することは出来ても、その魂まで作り出すことは魔術的にも出来ないと言っていた。
偶然の産物だと、そう考えていたけれど。
そう言えば、そもそもラスティはクローン体を造る技術をどこで仕入れたのだろうか。
父さまが? いや、でも父さまが私の存在を知ったのは………
「――ティフィア様!」
力強く肩を掴み、思考の海から引き上げてくれたニアが心配そうに見下ろしてくる。
「貴方の意志は貴方のモノです」
「………そう、だ。うん、……そうだね」
例えアイリスの言う通り教会が関与していたとしても、そんなこと今は関係ない。
僕が戦争を止めたい理由は、大切な人たちが傷ついて欲しくないから。それだけなのだから。
「…………」
ニアのおかげで持ち直したティフィアを見て、アイリスは心底不愉快そうに小さく呟いた。
「……オマエは、本当に『お兄ちゃん』とは正反対なの。だから、嫌い」
「―――え?」
「一つ教えてあげるの。オマエたちのやってることがどれだけ無意味なのか、理解して欲しいの。―――私の“対”である『勇者』は、もういないの」
「いないって、」
それは。
「8年前に死んでるの。だから教会は、殺すことが出来ない私を弱体化させて封印しようとしてるの」
「死んでる!?」
ニアが驚愕の声を上げるが、ティフィアはあり得ないと首を振った。
「枢機卿員のカメラさんから、レドマーヌが聞いてくれてる。教会は『勇者』を把握してて、だけどその人は戦うことが出来ない状態だって。それに、アイリスさんが生きてるってことは――同時に『勇者』が生きてる証拠だ」
だからこそヴァネッサは、『勇者』は死んでいないが心が壊れて使いモノにならなくなっているのではないかと推測したのだから。
「私が死んでいないことが勇者生存の証明なら、ヴァネッサの存在はそれを矛盾させてるの。リウル・クォーツレイは死んだの、それは紛う事なき事実なの。でもヴァネッサは存在しているの」
「ヴァネッサはリウルさんの存在を感じてた! 間違いなく生きてるって!」
ニアが息を飲んだのが分かった。本当は確証もないし、ニアの前でこのことは言いたくなかったのだが……。
「――そう。やっぱり魂が共鳴してるの。……特に、魔法師じゃないから魂の侵食まで受けてる。だから、因子がなくても“亡霊”の形になったわけなの」
アイリスは勝手に一人納得して自己完結すると、意味が分からず首を傾げるティフィアから視線を逸らして上空を仰ぐ。
――『勇者の亡霊』がいない。
元々気配を探れる相手ではない。目を離せば逃げられるか、或いは更なる混乱を引き起こすべく動くだろう。逃げたのではないのだとすれば――。
シュルッ!!
左手を前へと掲げると分厚い蜘蛛の糸の障壁に、魔術生体の不気味な黒い触手が弾かれる。それを紅い大蜘蛛針の鋭い触手が貫き、引き千切った。
アイリスは己の長い髪を周囲へ巣のように張り巡らせ、再び上空へと移動するのを、慌ててティフィアが止めようとする。
「待って!」
「最初の方に言ったはずなの。オマエに構ってる暇はないの」
「でも!」
ここで説得出来なければ、戦争を止められない。
――考えるんだ、僕。
アイリスは別に問答無用で殺戮したいわけではないはず。証拠に、話を無視するわけではない。彼女の言うことは分からないこともあったが――でも。そう、一つだけあるじゃないか。
これを切り口にするのは少し躊躇われるけど、だけど今はこれしかないのだ。
「さっき君は僕のことを『お兄ちゃん』とは正反対だって言ったけど――その人ってアルニのこと?」
アルニには妹がいる。『魔王』と同姓同名の、妹。
それに8年前に己の“対”が死んでいることを言っていた。
アルニは記憶をなくして、レッセイ……もとい、ガ―ウェイに拾われている。
魔王アイリスの幼い顔には、どこかアルニと似た面差しもある。
これが単なる偶然なわけがない。
「君はアルニの妹の、アイリスちゃん……なんでしょ?」
「――私は魔王であり魔族であって、人間のアイリスではないの」
話す気になったのか、アイリスは冷ややかな瞳をティフィアに向ける。
「だけど、お兄ちゃんの記憶を消したのは、私なの」
「!」
「人間という生き物はかくも愚かなの。何も分かってないの。『勇者』なんて体の良い“供物”でしかないというのに。でもそれ以上に―――『魔法師』は利用されるだけの、憐れな存在なの」
「そ、れは……8年前のことを言ってる?」
「8年前も、それ以前からもずっと、『勇者』も『魔法師』もそうだったの。教会がそういうふうに管理してるから。管理して、利用してるからなの。お兄ちゃんの記憶を消したのは、また教会に利用されないためだったけど、すでに思い出しかけてるの。……なんで今になって。こんなこと、今までなかったのに」
――ああ、そうか。
ふとティフィアは、この魔王がしようとしていることを理解した。
やり方も考え方も違うけど、同じなんだ、と。
「アイリスさんは、アルニのことがすごく大事なんだ……」
8年前に魔王として誕生したのに、それでも戦争を引き起こさなかったのは。
そして今更になって魔王軍を率いて帝国と戦争を仕掛けたのは。
――戦争で教会の注目を引けるから、少しでもアルニを守ろうとしたんだ。
「私はこの世界が嫌いなの。大っ嫌いなの! 人間も、魔の者も、精霊も、なにもかも全部!」
ギュッと、アイリスは猫のぬいぐるみを強く抱きしめる。
「だって、この世界は――お兄ちゃんを傷つけるから!」
怒りと憎しみに満ちた眼差し。
彼女の言葉は、きっとそれがそのまま『魔王』アイリスの“存在意義”なのだろう。
――魔王アイリスの“対”は、アイリスだ。