3-7
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――死ぬのかな、オレ。
ふとそんなことを思う。
そしてそれは、間違ってない気がした。
目尻から涙とは違う、ドロッとした赤い滴が頬を伝う。全身から力がごっそりと抜け落ち、膝が崩れ落ちた。
お前は生きろと言った父の言葉が過ぎる。
約束しようよと言ったマナカの笑顔が過ぎる。
ここから逃げよう、と。引きこもっていた部屋から連れ出してくれたティフィアの姿が過ぎる。
それと同時に“放たれた呪堕の永眼”は魔王へ向けて穿ち死せる地獄を放つ!
「こ、れで―――終われぇぇえええええええええええええッ!!」
魔王さえ倒せば。
そうすれば他の人工勇者やジェシカの命も報われる。その命に意味はあったのだと証明出来る。
オレも。オレの命も、人生だって――ただの代替品じゃないって……オレが選んで決めたこの人生を――胸張って、終われる。
なのに。
なのにどうして……。
どうしてなん?――お嬢。
「なんで……」
邪魔するん。
魔術生体の“目”を通して、魔術が直撃したはずの魔王の前にティフィアが立っているのが見える。
魔王の少女を庇うように。守れたことに安堵したような表情に、初めて誰かを本気で憎いと思った。
「リウ、倒せたんですか?」
ふらつきながらも近づいてきたクローツに、リュウレイは目を逸らした。
「…………防がれた」
「! 馬鹿な……っ! あれだけの出力を咄嗟に防ぐなんて」
ティフィアの持っていた白い羽根――あれはレドマーヌのものだ。彼女の羽根は微回復か結界として使えるもので、結界単体としてはそれほど強固なものではない。
レドマーヌの羽根の力を底上げしたのは、恐らく魔王だ。
「……」
魔王がティフィアの登場をさも知っていたかのようなタイミングでの強化。だが、考えるべきはそこじゃない。
帝国へ進軍してきた魔王軍の魔族たち。その体のどこかには必ず“紅い大蜘蛛針”がくっついている。
今まで戦ってきた魔物の状態、ライオスの街のこと、それから紅い大蜘蛛針の解析をしたときに見た術式――それらを照らし合わせれば、現魔王アイリスの能力を推測することが出来た。
「“進化”と“洗脳”―――」
条件はあの紅い大蜘蛛針だろう。あれに刺されたモノは、魔王の術式に侵される。
その条件なら、もしかしたらティフィアがあの場所にいるのも、それのせいかもしれない。
「そうだ、きっと、そうだ。だってそうじゃなきゃ、」
「リウ……?」
ボタボタッ、と今度は耳から何かが垂れてくる。リュウレイの足元はすでに血にまみれ、少年の紅い瞳もどこか虚ろげだ。
「倒さなきゃ。魔王を。無意味だったなんて、そんなこと。オレたちは、」
綻びかけた“窓”を再び展開する。
――そうだ。あの魔王と同じ術式を使って、魔術生体を強化させれば!
強化した状態でまた穿ち死せる地獄を放てば、もう防ぎきることはできないはずだ。
「リウ! 待ちなさい、一体どうするつもり――」様子のおかしいリュウレイを止めようと手を伸ばしたクローツの手が、黒い何かに弾かれる。
その間にもリュウレイは体内に僅かでも残る魔力を術式の構築に全て充てていた。魔力欠乏症による目眩も眠気も、気力だけでやり過ごし。
ゴホッ。ゲホッゲホッ、ゴプッ。
唐突に咳き込みながら、血の塊を吐き出す。肺が、胃が、腸が、痛い。
筋肉も、骨も、軋むようだ。
全身が悲鳴を上げている。限界を訴えている。
「――まだ、だよ! まだイケる……っ! 血反吐がどうしたん? 立てなくても、動けなくても――まだ魔術は使える!!」
魔王を倒さなければ。――死にたくない。
みんなの命を無意味に犠牲にしないためにも。――痛い。
オレが“オレ”であるためにも。――苦しい。
まだ。
まだ魔力はある。
もっと。もっと。もっと!
もっともっともっともっともっと……っ!
「ぁぁぁぁぁあああああああああああああァァあああああァアアアアぁぁァアアアアアあああああああああああッッッ!!!!」
頭の中だけが妙に冷めている。
全身から血が噴き出し、魔力が暴走してるのに、魔術の術式を構成することだけは止められない。
――不思議だ。
母さんに右目を抉られたとキよりも、村人に斧で切り刻まレたときよりモ、魔物に貪られたときヨリも。
痛くナイ。
苦シくナイ。
アア、良かっタ。オレは、キット死ナナイんダ―――――…………
足元の赤い血が、少年の紅い瞳が、徐々に黒く濁っていく。
ぶつんっ、と。
気を失って倒れかけるリュウレイの体を、咄嗟にクローツが支える。
「リウ! しっかりしなさい、リウ!」
呼吸と脈を確認する。生きてるのが分かると、小さく安堵の息を漏らした。
――人工勇者は、全滅した。
リウもこれでは魔術は使えない。
クローツの人工勇者計画は、完全に負けたのだ。
「……仕方ありませんね」
計画が失敗した場合の代替策はもちろんある。
現在魔王率いる魔王軍はこの帝国に集まっている。
帝国の各地にある『封印の間』に施した、とある術式――“反結界”を発動させ、この国に魔王諸共魔の者を封印する。
結局これも一時しのぎにしかならないが。
だが、こちらには勇者の亡霊もいる。彼を完全に頼るわけではないが、もうこれしか方法がない。
「すみません。リウ、ジェシカ――僕の養子たち」
酷い目に遭わせて、苦しませて、助けることも、その名誉を讃えることも出来ず。
リウを抱えたままクローツが立ち上がったとき、
「ア、ガ、ァァアア……アアアアアァアアアアアァァァアアアアアアアアアア――――ッ」
“放たれた呪堕の永眼”が雄叫びを上げた。
その叫びが。
そこに渦巻く魔力が。
――そして、何よりも。
「ま、さか」
紅い瞳が。
「リウ――そこに、いるんですか?」
人工勇者によって生み出された『魔術生体』“放たれた呪堕の永眼”。
それは大量の触手を、魔の者や騎士の屍へと伸ばして魔力を吸い上げる。
紅い瞳から黒い涙のような液体を流し、グパッと大きな口が開いた。
【オレの代ワリに、オ前たちが死ネバ良い。――穿チ死セル地獄】
上空を埋め尽くす魔術紋陣が一斉に描かれる。
世界が白い光に包まれた。
***