3-6
【“業炎の砲撃”】
空の上で、一つの人影が両手を広げた。
周囲に炎の弾が無数に出現し、それらは魔の者のみを狙うように宙を飛び交う。
「こうして空から見下ろすと、まるで世界の終末を見ているみたいで――悲しくなるね」
目深に被ったフードのせいで人相は窺えないが、悲しいと言いつつもその口角は笑みを浮かべていた。
彼の眼下には、地上に転がる魔の者たちの屍。
割れた大地も、凍った大地も、遠くから聞こえる人間の断末魔も、魔の者たちの遠吠えも。
―――ああ、このまま『死』が世界を呑み込めばいいのに。
「愉快そうで不愉快なの」
ビュンッ!
魔術生体から切り離されたであろう触手が、人影を狙うように飛んできた。それを躱し、彼は群青色の瞳を向ける。
「現魔王アイリス――」
「私の名前を気安く口にしないで欲しいの、“勇者の亡霊”」
全長5mの紅い大蜘蛛針に乗る幼い少女――魔王アイリスは、ひどく長い黒髪を宙に伸ばし、それを蜘蛛の巣状にして“勇者の亡霊”と同じく上空まで来ていた。
「おれの相手をしている場合かな? 魔術生体も、騎士たちも、おまけに教会の連中まで君を狙っているというのに」
「有象無象が私の相手になると思うの? 私は魔王なの。“武神”や“枢機卿員”が出てきても、私を倒すことは出来ないの」
「じゃあ言い換えよう。――おれと君の目的は同じはずなのに、どうしておれを止めようとしているんだい?」
「同じ? 馬鹿言わないで欲しいの。“世界を救おうとしているオマエ”と、“世界を壊そうとしてる私”が同じなわけないの」
「同じだよ。おれは“勇者の亡霊”なんだから。おれと君は同じ『勇者』の“願い”で出来てるんだから」
「―――、」何か言おうとしたアイリスは、不意に右手を横へ翳す。
大量の蜘蛛の糸が織り重なり、一瞬で出来上がった分厚い糸の壁に巨大な炎の槍が振り下ろされた!
“華焔槍”だ。
更に華焔槍が防がれると、今度は薙ぐように雷の槍“弔雷槍”が襲いかかる!
アイリスは乗っていた赤い大蜘蛛針から飛び降りてそれを躱し、巣にしていた己の髪も一度元に戻しながら地面へと落下する。
「あは♪ 来たきたキタ―――ッ!!」
落下地点では、それを狙っていたガロ・トラクタルアースが満面の笑みで柄に手をかけていた。「トラクタルアース流抜剣術、」
「はぁ……。無駄なの、“武神”。だってオマエにはもう――」
「――亜空斬ッ!!」
「私の眷属がくっついてくれてるもの」
「!?」
ぴたり、と。剣を鞘から半分抜いたところで、体が突然動かなくなった。
本人には見えていないだろうが、彼のズボンの裾から侵入した米粒くらいの紅い大蜘蛛針がガロの足に針を刺していたのだ。
「教会の人間が私の元に来るのは分かってたもの。弱体化が狙い、だったのでしょ?」
抱えていた猫のぬいぐるみを愛おしそうに頬ずりし、ねずみ色の仄暗い瞳がガロを見据える。
「オマエたちを無策で相手にするほど、愚かではないの。私の存在意義を果たすために、オマエたちが一番障害になるのも分かってるの。……なにせ、私はオマエたちのやり方を知ってるもの」
「……」
紅い大蜘蛛針によって動きを封じられているガロは無反応だ。
アイリスはそれを確認するなり、彼にくっついている眷属へ己の意志を伝達する。
その男を殺せ、と。
だがそれよりも速くガロの瞳の色が紺色から金色に変わるのと、眷属からの反応が損なわれたのを感じたのは同時だった。
「――亜空斬っ!!」
途中で強制的に止められた剣技が、今度こそ魔王を肉薄する!
双剣が×を描くように交差して振り抜かれた剣から、斬撃が彼女を襲った。
魔王は“対”である勇者にしか倒せないが、魔族がそれぞれ持つ【魔装具】に攻撃を与えることが出来れば、ダメージを蓄積させて弱体化させることは可能だ。
魔装具は基本的に魔族の体の中心に位置する。多少のズレはあるが、胸や腹、背中には確実に存在する。つまり胴体に攻撃を当てればいいのだ。
「あ、ありゃりゃ……?」
肉を絶つ感触も、魔装具らしき硬い何かに亀裂が入る感覚もあった。目の前の少女の胴体が切り裂かれ、血しぶきだって浴びた。
それなのに。
「接続試行――成功。修復のための式を構築。……完了」
トラクタルアース流の特徴である“残撃”を避けるように、切り刻まれ抉られた体が痛みすら感じないとばかりに移動する。そして、音孔鯨のような超回復を持っているのか、体も切り裂かれた服すらも完全に元に戻った。
「え、痛覚ないの?」
「もう終わり? その“残撃”を広範囲で隙間無くやれば、私は復活出来ないかもしれないの」
「……それってアドバイス? それとも煽ってる?」
「挑発してるから煽ってる、が正しいの」
「あ、はは……良い性格してるじゃん。でも、――いい。いいよ! おかげで楽しくなってきたよ! さっきまで弱いヤツ相手にしてたから、萎えてたんだよねぇ!」
目をギラつかせながら双剣を構えた。
「トラクタルアース流―――!」
さっきよりも気迫が段違いだ。アイリスは目を閉じ、己の中にある魔装具へ意識を向けた。
刹那。
「っ、とと! 危ないなあ!」
「……ウザいの」
二人の間を割るように、“放たれた呪堕の永眼”の触手が振り下ろされ、それを避けるように飛び退けると、アイリスは先にコイツを片付けるかと何度も邪魔してくる魔術生体へと目を向ける。
一方のガロは離れてしまった魔王との距離を埋めようとし、目の前に立ち塞がった人物に眉を顰めた。
「今いいところだったんだけどなぁ。――雑魚に用はないからさぁ、退いてくれな~い?」
ねぇ、死に損なったヴァルツォン?
そう続けて言うと、目の前の男は卑屈そうに笑う。
「お前の言う通りだ。殺す価値もないと幻滅され……だが、俺は今こうして立ち上がり、お前の障害となっている」
「障害? それは自意識過剰なんじゃない? 君は障害物にもならないよ。せっかく殺さないであげたんだから、惨めに生きてれば良かったんじゃない?」
「……俺はとっくに惨めだ」
大切な人すら守れず、仇にすら敵視されず。その仇の弟子に励まされ、ここにいるのだから。
「惨めに生きて――それでも俺にはやらなければいけないことがある」
折れた剣を構える。だが、さきほどまでヴァルツォンを縛り付けていた感情はない。
あるのは、強い意志だけ。
「“誓い”を守るために、俺はお前を倒す! 武神ガロ!」
「……なんか良いことであった? どちらにせよ君じゃあ相手にならないから、早々に退場願おうか、ヴァルツォン」
ガロは双剣を適当に構え、あまりやる気が出ないようだ。だが、油断してるなら好都合。
ヴァルツォンは腰を低くし、間合いを詰めるべく地を蹴った。
***
上空から城の方を見つめていた亡霊は小さく嗤う。
そこにいる小さな魔術師の少年が杖を“放たれた呪堕の永眼”へ向け、自分の中にある全ての魔力を注ぎ込むように、彼は魔術を展開させた。
【 “術式加算”、連立術式解放。――震撼せよ! 天を貫き、大地を穿つ絶死の瞳。破滅と破壊をもたらせ!――穿ち死せる地獄ッ!!】
魔術生体の血走った瞳が瞳孔を開き、そこへ与えられた強大な魔力を充填し始める。
「アガ、ァガガッ!」
苦しむように声をあげて震える魔術生体を制御しつつ、立ち続けることが困難になった足がガクリと膝を着く。
鼻から流れる血は量を増し、更に目尻からも赤い滴がこぼれ落ちる。
「こ、れで―――終われぇぇえええええええええええええッ!!」
リュウレイの願いと共に、充填を完了させた魔術生体の瞳が“対象”に狙いを定める。それに気付いた魔王アイリスは何か口早に術を詠唱していた。
収束する魔力の渦が魔術紋陣を浮かび上がらせ、そこから強烈な光が魔王の真上を直撃する!
ドゴッ――――ォォォオオオオオオオオオオオオォォオオオッッ!!!!
魔王に直撃するだけでは収まりきらず、その光は周囲一帯を呑み込み、更に爆風のような衝撃波が大地を抉る。
近くにいたガロとヴァルツォンはそれから逃れるように、発生源である“放たれた呪堕の永眼”の触手へ跳び乗って回避し―――そして。
「クフッ」思わず喉から笑い声が漏れた。
「はぁっ、はぁっ……! 間に合った――!」
土煙が晴れると、魔王を守るように現れた少女が安堵した表情を浮かべていた。彼女の手に握られた三枚の白い羽根が消えると、二人の少女を守るように展開していた結界も同じく霧散した。
少女は毛先が青みがかった銀髪を揺らし、大きな黒曜石の瞳を後ろにいるアイリスへと向ける。
「初めまして、魔王アイリスさん」
「……『勇者』」
「――ククッ。視えてるよね、リウ。キミが命を削って放った魔術が、キミの大切な人に邪魔されたよ?」
“勇者の亡霊”の目には、リュウレイの“願い”が視えている。
『死』への恐怖心。自己の承認欲求。
それでも己の宿命を受け入れて、覚悟して――命を賭して魔王を倒そうとしたリュウレイの渾身の一撃を、ティフィア・ロジストが防いだ。
魔術生体の“目”を通してその事実を知ったリュウレイの紅い瞳が見開き、驚きと怒りに唇が戦慄き、なんでと小さく掠れた声を漏らす。
「――ようやく隙間が生まれた」
動揺のせいで魔術生体の制御がわずかに乱れる。それを確認した亡霊はすかさず“放たれた呪堕の永眼”に触れた。
ぶわっ!
亡霊の姿が黒い液状の塊に形を変えると、それは魔術生体の瞼の裏に潜るように入り込む。
一瞬で消えた“勇者の亡霊”の存在に気付いた者はいなかった。
***