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「ガロ様、こちらへ」
城の屋上から飛び降りたガロの体が、地面に落ちるスレスレのところで風が巻き起こり、ゆっくり着地したところで、凍り付いた路地から人影が現れた。
この帝都の教会を管理する神官ミニスだ。
彼女の案内に従ってついていけば、数人の神官が魔術を展開し転移術式を組み立てていた。
「前線地帯へ転移先は設定しております」
「……、用意周到すぎて笑えなぁーい。ねぇねぇ、“枢機卿員第5位席”サマから何か言伝とかもらってないわけ?」
「貴方様へ下された命令は一つ、<魔王アイリスを弱体化させる>こと。それ以外に、という意味合いでしょうか」
「そうそう。どうせどっかでこの状況観戦してんでしょ? あいつ――リウル・クォーツレイが生きてんだけど、さすがに殺しちゃうのは駄目でしょ?」
「我々神官どもが第5位席様から賜った命令は二つ、<ガロ様を前線へ送り出すこと>。<ラスティ皇帝陛下を殺すこと>。それ以外の命令も伝言も承っていません」
「ふぅん?」
ということは第5位席にもリウルの存在は読めなかったということだろうか。……そんなわけないか。
何も言わないということは、言う必要がないということだろう。
まさか本人が出てきて対処するとか――は、もっと現実的じゃないな。うん。
「まぁいいや。頭の中ぶっ飛んでるヤツの思考回路なんて分かんないしー。じゃ、いってきますか!」
第5位席の悪態に眉を顰めた神官を無視し、双剣を携えて地面に広がる転移術式へ足を踏み入れた直後。
「――ガロ・トラクタルアースぅぅぅうううう”う”う”ッ!!」
巨大な影がガロへ体当たりするような勢いで飛び込んできた!
ぐにゃりと視界が歪み、転移してすぐに眼前へ掲げた剣身に吸い付くように、巨大な影から繰り出された回し蹴りを防ぐ。
「あははっ♪ ヴァルツォンじゃーん! 久しぶりだね、元気そ……うでは、ないかなぁ?」
蹴りを防がれるとすぐに距離をとるように後退し、殺意に満ちた獰猛な瞳がギラギラとガロのみを視界に入れる。
――ヴァルツォン・ウォーヴィス、やっぱり出てきた……!
ぺろりと上唇を舐め、興奮に口角を上げる。
ヴァルツォンは肉食獣のように背中を丸め、グルルと喉を鳴らしながら細い息を吐く。
その肩から脇にかけてニアに斬られた傷が痛々しいものの、折れた剣を握る手も眼光の強さも変わらない。
「貴様なら戦争が始まれば現れると思った。何よりも――『勇者』が『魔王』を倒す前に、必ず『魔王』へちょっかいをかけるとな」
「おお! 俺のこと詳しい!……でも君の反応はおかしいなぁ? リウル・クォーツレイが生きてることには驚かないの?」
「あれは彼ではない。『勇者の亡霊』だ」
勇者の亡霊? と内心首を傾げ、まぁいいかそんなことと思い直す。
ヴァルツォンにとってその勇者の亡霊とやらに関心はないようだし、ガロとしてもリウル・クォーツレイが生きていようと亡霊であろうとどうでもいい。
大事なのは、戦えるのかどうか。強いのか弱いのか、それだけだ。
「いいねぇ……俺のこと殺したくて堪らないって顔してる。ははっ、最高♪」
本当は万全な状態で戦いたかったがやむを得まい。
「いいよ、ウォーミングアップがてら相手してあげる!」
だが数刻の打ち合いの末、不意にガロは構えを解いて首を傾げる。
「……、負傷してるとは言え、そんなもんなの? ねぇ、ヴァルツォン・ウォーヴィス」
地面に膝を着き、息を荒げて呆然とするヴァルツォンは、彼を見下ろしながら失望するガロの言葉に何も言い返せなかった。
ヴァルツォン自身も己の体たらくに驚いていた。
こちらの重い一撃一撃をいなされ、逆手にとるように反撃され。それでもガロから一撃も受けていないのに、何故か体が重く、痺れるように震える。
「弱い。弱いよ、ヴァルツォン。騎士団長だったときの方がまだ強かったかなぁ……」
ニアとの戦闘で負った傷はあっても、それでもまだ戦える意志があったはずなのに。
地下牢にいたときも、指名手配されながらも眠り続けるイゼッタを抱えて逃げながらも、鍛錬を怠ったことは一度もなかった。
なのに。
すでにこの手は剣を握ることが出来ないくらい震え、足は立つことすら出来ない。
「まだ、だ……っ! まだ、俺は! 俺は!!」
止まれないのだ。イゼッタを残して死ぬことも、負けることも出来ない。
彼女の無念を、想いを、このまま消してはいけないのだ。
反乱軍を率いる長として。
イゼッタの友として。
この“武神”を倒さなければ――――!
「がぁぁぁあああああああああッ!!!!」雄叫びをあげ、己を奮い立たせる。
少しずつ立ち上がろうと震える体を起こすヴァルツォンの姿に、ガロは大きく溜め息を吐く。
「惨めな姿だねぇ、ホント」
「黙れ! 貴様を倒せば……っ! 貴様さえいなければ……っ!」
憎しみが。執念が。復讐心が。まだ足りないと言うならば、もっと気持ちを滾らせなければ。
そんな男の姿に殺す価値すらないなと幻滅したガロは、両手の剣を鞘に戻して彼に背中を向ける。
「! 待て、ガロ!」
「嫌だよ。君と相手する時間が勿体ない。こんなことよりも早く魔王と戦ってみたいし♪」
制止の声を無視し、さっさと目の前から去るガロに手を伸ばしたまま、ヴァルツォンは再び地に膝を着く。
……全く歯が立たなかった。
相手にすら、ならなかった。
「何故だ―――。俺は、この日のために……ずっと、ずっと、鍛錬を重ねて、」
そうだ。
そもそもガロの弟子であるニアにすら、負けていた。
ガロの言う通り、俺は―――弱くなってしまったのか。
「違う! 違う! 違う……っ! 俺は……俺は弱くなってなど!」
なら、どうして俺の足は立ち上がれないのか。
立ち上がろうとしないのか。
こんなところで止まっている場合ではない。
こんなところで負けている場合ではない。
ヤツを殺すために。差し違えてでも、倒すために。そのためにここまで来たというのに。
立て、俺の足!
剣を握れ、俺の手!
動け。動け!
イゼッタのことを、殺された仲間のことを思い出せ!
復讐心を滾らせろ!
奥歯を噛み締め、じくじく痛む傷を無視して、血でぬかるむ地面に立ち上がり、折れた剣を手にして、
「――そうして独りで背負って、折れた心のままどこに向かうつもりですか」
「……やはり、来たか。ニア・フェルベルカ」
また俺の前に立ち憚るというのか。
「お前に、何が分かる。それに俺の心は折れてなどいない!」
折れるわけがないのだ。
だから、ここにいる。
この復讐心が挫けるわけが―――
「剣は騎士の意志です」
彼女の薄桃色の瞳がヴァルツォンの折れた剣を見つめる。
「騎士は剣を誓いの“証”とする。それは忘れないためです。――守るべきモノを、戦うべき相手を……見誤らないために」
「俺が間違っているとでも言うのか!」
「なら、今の貴方の姿は正しいですか? それは本当に、その剣に誓ったことですか? その剣に誓った相手に、同じことが言えますか!?」
「――っ、これは敵討ちだ! 弔いなのだ! 誓いの証も、誓いの相手も関係ない!!」
「だったら言い訳するなっ!!!!」
腹の底から吐き出した叱責に、思わずヴァルツォンは息を呑む。
「貴方は先程言いましたよね? 勇者や国民を使い捨ての駒にする、この国が許せないと。だから復讐するのだと。――でも、本当にそうでしょうか?
帝国が許せないなら“反乱軍”を結成するよりもやることがあったんじゃないですか? 戦争に乗じて貴族を殺して、それでこの国が変わると?……貴方はこの国の未来なんて一切気にかけていません。証拠に、貴方はガロ先生を殺そうとしている!
陛下でも魔の者でもなく、先生だけを憎んで殺そうとしている。…………ヴァルツォン・ウォーヴィス。本当に誓いの証も、誓いの相手も、関係ないんですか?!」
誓い――。
ヴァルツォンは手の中にある折れた剣を見下ろす。
幼い頃から夢だった帝国騎士に入隊出来たとき、初めて誓ったのは陛下と国のために戦うことだった。
―――「ねぇ、ヴァル。私も一緒に誓いを立ててもいいかしら?」
士官学校時代、貴族や後ろ盾のなかったヴァルツォンはよく虐められていた。それでも恵まれたガタイの良い体躯のおかげで、ただ無視をされる程度で済んでいた。
その頃に出会ったのがイゼッタ・モーディという女性だった。
彼女は男爵家という家柄ながらも貴族も平民も分け隔てなく、なによりも賢く優秀だった。だけど愛想良くすることに疲れると、一人になりたくなるらしく、そうしてふらふら散歩しているところでヴァルツォンと出会った。
顰めっ面ばかりしてるから、怖がられて誰も近寄ってこないのよ。と初対面で言われた。
厳つい顔してることを自覚して。気迫があるのは騎士には必要だけど、仲間になる人たちを牽制しても仕方ないでしょう? と。
言われた通りだった。態度を改めれば、平民であっても武の才に恵まれていたヴァルツォンの回りには、いつの間にか人が集まるようになった。
そうして度々イゼッタと密会し、お互い気兼ねなく話しをするようになり、やがて学校を卒業して騎士団に入隊してからも、彼女との縁は切れることがなかった。
「私、婚約したわ」
イゼッタは夢だった宰相になるべく、政略結婚をすることを選んだ。
ずっと続くと思っていた関係が変わってしまうような気がして。だからなのか、モヤつく気持ちを抑えて彼女を祝福した。
少し寂しげに笑うイゼッタは、そして切り出したのだ。
「私は騎士ではないけれど、でもその剣に一緒に誓いを立てたい」と。
俺の剣はすでに皇帝と帝国のためにある。それでもイゼッタは誓約を口にした。
「私、イゼッタ・モーディはここに誓う。私の覚悟も、罪も、そして……この大切な想いも、――絶対に忘れない」
イゼッタは浪費癖のある母と、女遊びが激しい父から当主の座を奪い、両親を放逐している。全ては宰相となるため。
冷酷な女だと周囲は囃したが、両親のせいでモーディ家はいつ没落してもおかしくない状況だったのだ。ただでさえ男爵という最低の爵位で、常に財政難な上に管理している街も税収が高すぎて貧民が増えるばかり。更に父親が兄弟たちを増やしてくる。
イゼッタはモーディ家の当主として当然なことをしたのだ。むしろ腐らず逃げることもせず、むしろ両親を放逐したことに胸を痛める彼女は、強く、優しい女性だ。
だけどヴァルツォンは知っている。
愛想良くしすぎて、いつも疲れていることを。何でも出来るように振る舞うのは強がっているだけということも。料理が壊滅的に下手なことも。女性らしく化粧品やドレスが欲しいくせに、貧乏性が抜けないために買い物が出ないことも。ラヴロマンス小説を愛読していることも。
だからヴァルツォンはそのときに、密かに誓ったのだ。
――陛下も国も護ろう。でも、この大切な友人が窮地に陥ったとき、その時は。
「――――……“その時は、いかなる者が相手でも、俺が彼女を護る”」
そうだ。
この剣は、殺すための剣じゃない。
護るための剣だ。
だが俺はイゼッタを護れなかった。助けられなかった……。
顔を顰めて自責の念にかられていると、目の前から何かが放られた。それを反射的に受け取ると回復薬だった。思わずニアを見ると、彼女はちょうど剣を抜いてガロが去った方角を見据えていた。
「早く飲んでください。申し訳ないですが、休ませてる時間はありません」
「な、何故だ。どういうつもりで、」
「勘違いしないでください。先生……ガロ・トラクタルアースを止めるために貴方が必要なだけです」
「………俺の剣はもう、折れている」
「? 何言ってるんです? 貴方の心はもう折れてないでしょう?」
言われてハッとする。
気付けば重たかった体は軽くなり、傷は相変わらず痛むのに、ヴァルツォンは普通に立っていた。あれほど立ち上がるのが辛かったのに。まるで枷でも外れたかのような気分だった。
「――そうか……、俺は間違っていたのだな……」
ガロに何かされてイゼッタが昏睡状態になって、我を見失ってただヤツへの復讐に囚われていた。
この憎しみに満ちた心を昇華させたくて、ガロを殺そうとしていた。
だが冷静になって考えれば、イゼッタはもしかしたら魔術か何かで眠らされている可能性もあるのだ。ガロを殺したらイゼッタはもう戻ってこれなくなるかもしれない。
彼女はまだ生きてる。
なら、まだ救える可能性もあるのだ。
もらった回復薬を一気に煽る。傷の痛みが多少麻痺してきた。
「ニア・フェルベルカ」
「ニア、で良いですよ。私も名前、勝手に呼んでますし」
「では、ニアよ。……感謝する。答え合わせをしてもらって、良かった」
「私も身に覚えがあっただけです。――行きましょう。まだ終わってません」
頷き、そして走り出す。
しかし今度はガロを殺すためではない。
大切な人を取り戻すために、止まれないのだ。
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心強い味方が覚醒。
師匠のガ―ウェイ・セレット、そして兄弟子ルシュ・ブローウィンが認めるその実力。しかと見届けよ。