3.混沌
ミファンダムス帝国領の手前に開けた大きな亀裂。
三種の複合魔術――《釘つけられた呪堕の眼》によって魔王軍への威嚇射撃を放ったが、あまり効果は見られなかった。
しかし、帝国内にて動きを見せようとしていた反乱軍には一部怯ませることが成功したようで、その報告を聞きながらクローツは部下を労いつつ作戦の持続を言い渡す。
レシアから定期連絡が来ないのは、他の隊員からヴァルツォンの姿を見ていないと聞いていることから、おそらく今はヴァルツォンと交戦中なのだろう。
彼女にヴァルツォンの相手が務まるとは思っていない。彼は元騎士団長だ。一介の親衛隊員の手には余るだろう。……それでも良い。少しでもあの男を足止めし、指揮も扇動も封じることが出来れば――後はどうにでも出来る。所詮、烏合の衆なのだから。
不意に隊長、と声繋石を通して部下の声が届く。
魔王軍が次々と味方を犠牲にし、地割れを飛び越えてくる。
「……――リウ、今です! 次の術式を」
部下からのタイムリーな魔王軍の進行度を聞きながら、クローツは指示を飛ばす。
リュウレイは《釘つけられた呪堕の眼》を維持しながら、別の術式を展開させた。
【極光波牙雷群、膨張変化――我らの魔力を糧に、仇なす者共を飲み込み焼き尽くせッ!】
2つ目の複合術式!
【―――虹色の雷大波群ッ!!】
真上に浮かぶ『勇者の証』が再び輝きを放ち、高速で展開した幾重もの“窓”が一斉に砕ける。同時に地割れを突破した魔の者たちの目前に巨大な魔術紋陣が浮かび上がった。
そこから虹色の光彩を放つ薄い膜のようなモノがひらひらと、地を這うように幾重にも拡がっていき、それはゆっくりと近づいて触れた瞬間――「ッギィイイイ!?」びくんっ、と身体を痙攣させて焦げた臭いを漂わせて絶命させた。
海の白波を思わせるように次々と押し寄せる虹色の膜。美しいその正体は強力な高圧電流だ。
怯む魔物もいるが、大型や耐性を持つ魔物たちは足を止めない。魔族たちもだ。
影響範囲外指定されて【虹色の雷大波群】のダメージを受けることのない帝国騎士団が、そんな彼らへ肉薄していく。
「ぅらああぁアアアアアアッ!!」
電流により身体が痺れて動けずにいる魔族の一人に、馬に乗りながら剣を投げつける騎士団長ライオット・キッド。
正確無比なそれは魔族の魔装具を貫き、核を失った魔族は砕け散るように消えていった。
行き場を無くした剣は落ちる前に、“武器特性”により再びライオットが提げる鞘へ戻る。
「トラクタルアース流抜剣術――亜空斬ッ!」
馬から翼を持つ獅子の姿をした魔物へ跳び乗った副団長ユグシル・トラクタルアースの一閃が、上空にいた周囲5体の魔物を両断する。
彼らの活躍に続くように兵士たちもそれぞれ魔物たちへ剣を向けた。
「バケモノめぇ!」「くそったれ!」「そっちに大型行った!」「無理だ、一旦退くぞ!」「加勢する!」「あっち人数固めろ!」「バラけるなよ!」「負傷者はさがれ!」「魔族とは相手すんな!」
あちこちで怒号が飛び交うが、全員作戦通りに動いている。
一つ、魔族は相手にしない。攻撃してきたら全力で逃げること。
一つ、大型の魔物には複数人で相手する。ただし消耗戦になるようなら手を引くこと。
一つ、怪我したら退がること。軽傷だからと侮るなかれ。
一つ、同じ場所に留まらないこと。常に動き回り、撹乱させること。
「よし、いいぞ……っ!」
うまくいってる。
ヒットアンドアウェイ。けして無理せず、しかし時間を稼ぐために撹乱陽動させる。
それに足止めをくらった、或いは2つ目の魔術によって痺れて動けない魔の者を、少し離れたところにある地割れから植物のような蔓が、容赦なく掴み取っては崖下へと引きずり込んでいく。
グシャッ、ベキ、プチッ、ブチュ。
不穏な音にぞわりと身震いするが、大丈夫。アレは人工勇者様方の大魔術だ。俺様たちはああはならない。
「ライオット! 何サボってんですか!」
「別にサボってねえじゃん!」
いまだに上空にいる魔物を足場に、次々と魔物の数を減らしていくユグシルに窘められる。が、実際地割れの方を一瞥したとは言え、魔族に襲われていた部下の首根っこを引っ掴んで逃走中であるライオットは彼の言葉に断固抗議する。
「見れば分かんだろ! 俺様は今まさに死と直面している……っ!」
「す、すいません、騎士団長! おれのせいで!」
「部下を守るのもフォローするのも上司の役目だからな! 気にするな! だけどここで二人揃って死んだら、俺様恨むかも!」
「ええ!?」
そんなぁ!? と嘆く部下をとりあえず安全そうな場所へ放り投げると、背後から迫ってきた魔族の鋭い爪を真上から降りてきたユグシルが弾き――「しつこい男は嫌われるんだぜ、知らないの?」ユグシルと背中合わせに入れ替わったライオットが、体勢を崩した魔族の懐へ一閃!
「――、」咄嗟に魔装具を庇うように尻尾でそれを受け止めると、魔族は底冷えするような眼差しを向けつつ急激に魔力を高めてきた。
術を使う気だ。
魔族の使う不可解な術は、種類によっては防ぎきれるものではない。逃げるしかない、と身体を引いたときだ。
「……?」
不意に魔族の肩に、真っ赤な“何か”が見えた。
それは―――赤い大蜘蛛針だ。
ニアから報告を聞いたクローツが念のためにと情報共有してきたその魔物の存在に、考えるよりも先にライオットの本能が、勘が、彼の身体を動かした。
「はぁっ!」
逃げようと引いた体をむしろ前に出し、魔族の肩に乗る“そいつ”を剣で貫く。
「ライオット!?」同じように術を使われる前に退がっていたユグシルは、彼の奇行に思わず声を上げた。
ぴぎ、と断末魔をあげて死に絶えた赤い大蜘蛛針。でも、魔族は変わらず目の前にいる。
咄嗟にこの蜘蛛型の魔物を優先してしまったが、魔族の魔装具が淡い光を宿したことにライオットは己の死を確信した。
あ、俺様、死ぬ。
自分らしいといえば自分らしい。だけど、こんなところで、とも思う。戦争は始まったばかりだ。ユグシルがいればなんとかなるとは思っているが、騎士団長の死はけして軽いものじゃない。と思いたい。
騎士団長らしいことしたことないけど。
だが、いつまで経っても術は発動しない。しかも魔装具から光が消えていく。
あれ、と思わず魔族を見れば、何故か向こうもこちらを見ている。
じっと見つめ合う。
先程までの底冷えした眼差しはなかった。しかし「にん、げん……?」と訝しげに尋ねてきたので素直に頷くと、魔族にぱしんと頭を叩かれた。
「なんで!?」
「我が輩ムカついた、ので。……ああ、戦争中だった、ので?」
なに今更言ってんの、コイツ。と呆れていると、ユグシルも様子がおかしいことに気付いて近づいてきた。
「何、どういうことですか、これ」
「俺様も分かんねえよ。どうすればいいの、これ」
夢から覚めて間もないと言ったような、ぼんやりとした様子で辺りを見回す魔族。左サイドすべて刈り上げ、右だけやけに長ったらしい紫紺の髪と、眠そうな薄紅色の瞳。
――この魔族から敵意は感じない。でも今は戦時中、むしろ油断してる今の内に殺すべきだろう。
だけど『勘』は告げる。
この魔族は殺すべきではない、と。
「おい、我が輩魔族」
「それって我が輩のこと?」
「お前しかいないだろ。……お前、“穏健派”か?」
クローツからの情報で、魔族には“穏健派”と“過激派”がいるということは聞いている。
人間を前にして敵意も殺意も向けない。戦争にあまり関心がなさそうな態度。
もしかしたらと考えた問いは、あっさり頷かれて肯定された。
「迂闊だった、ので。魔王の能力はこの魔物を媒介としているとは……。我が輩のスパイ活動、バレバレみたいだった、ので」
「あの赤い蜘蛛に操られていたということですか?」
これも肯定。
「でも、これで“設置”が出来る、ので。……本当は戦争始まる前にしたかった、ので」
「設置?」と首を傾げたところで、不意に視界に影が差す。
「な、んですか、あれは――」
「……ああ、ヤバいの来ちゃった、ので」
空を見上げた、はずだった。
なのにそれは唐突に現れて空を覆い隠し、一瞬にして人間たちの表情を凍てつかせた。
――――ブゥォォオオオオオオオオオオオオオォゥゥウウウウウッッ!!!!
でかいクジラだ。全長はどれくらいかって、とにかく視界いっぱいにヤツの腹が見えるってことしか言えない。
顔はのっぺりしていて、大きな口にはびっしりと鋭い牙が生えている。体のあちこちに大きな穴がいくつも空いており、そこからぬめりを帯びた液体が出ていて、その粘液のせいか魔物の全身もぬめっていた。
「何、あの穴ボコの鯨……!」
「あれも、魔物なんですか……!?」
二人とも騎士として数々の魔物と戦ってきたが、あれほど巨大な魔物は見たこともなかった。
しかも見た目だけではない。その巨体の内部には、計り知れないほどの魔力を感じる。
「数年前にどっかの傭兵団に子供を殺されて食われたらしい、ので。めちゃくちゃ怒ってたところを、魔王様が気に入って拾ったって噂、なので」
でも、音孔鯨が来たってことは――。
そう続けて口にしようとした我が輩魔族よりも先に、頭上を覆う鯨はその大きな口をガパリと開き――そこから二つの大きな影を地上に投下してきた。
クリスタルのように透き通った鱗から冷気を噴き出し、大きな顎と六本の足、全長八mのその巨体に埋もれるように小さな翠色の目が八つ。
ワニ型の異形の魔物――晶凍ノ鰐。
浮かぶ直径三mの透明な立方体の箱に入った、キキキッ♪ と嗤うような音を出し続け、継ぎ接ぎだらけの毛のない皮と、玩具のような瞳。
ネズミ型の異形の魔物――窮鼠宴戯。
鯨の魔物は見たことがなかったが、その2体は知っている。
1体だけですら一個大隊を向かわせても討伐出来るかどうか微妙なほど、厄介で恐ろしい相手だ。魔族と同等か、下手するとそれ以上かもしれない。
「ら、ライオット……」
すっかり青ざめたユグシルが、無理だと首を横に振る。
そうだろう。無理だ。この戦場にはただでさえ他の魔物や魔族もいるのだ。
被害が出る前に。
誰かが死んでしまう前に。
声繋石で部下全員に繋げる。
逃げよう。
だって無理だ。
こんな状況、普通の人間が立ち向かえるはずがない。
帝国に戻って処分されるかもしれないが、俺様だけの責任にすれば全員死ぬことはないだろう。
勇者がいれば。
勇者が死んでさえ、いなければ。
こんな目に遭うことなかったのに――!
「そ――」総員、撤退せよ。
命令を下そうとした口が止まる。不自然に開いたまま。
「ぁ――が、――ぁ――?」
声が。
舌が。
口が。
動かない。
手も、足も、頭も。
「ギヒッ♪ キキキキッ、ギヒヒッ! キキキィ♪」
窮鼠宴戯が透明の箱の中で踊る。
「グゥゥウウオオオオオオオオオオゥゥオオオオオオオッ!!」
晶凍ノ鰐から噴き出される冷気が増え、勢いを増し。
「ブォオオオオオオゥゥウウウウウウウウウウオオオウウウウウウウッ!!」
音孔鯨の無数の穴から吐き出される衝撃波が、爆発的に冷気を周囲へと広げる。
――寒さを感じるよりも早く、凍らされていく。
ピキピキとすでに大地は凍り、魔術で開けた地割れは氷で塞がれ、魔の者以外の人々を氷の彫刻へと変えていき――遠くで彼らが、その彫刻を踏み潰して粉々にし、帝国へと向かって行くのが見えた。
死んでいく。
部下が。仲間が。
目の前にいるユグシルも、その光景を見つめるしかなくて。
圧倒的な力が、無慈悲さが、どうにもならない現実が――そこにはあった。
「―――、――――」
やっぱり、死ぬのか。
いくら時間稼いだところで、人工勇者がいたところで、元々ライオットたちが生きて帰れる確率なんてなかったのだから。
ああ、でも。
一瞬で氷漬けにされて死んだなら、きっと苦しむことも痛みも感じなかっただろう。
それだけは良かったと思えるかもしれない。
「――よし、“設置”完了、なので。……見えてる、ので? 元魔王様」
なにやら我が輩魔族がやっているようだが、急激に視界が狭くなっていく。
そうか、俺様も……いよいよか。
仕方ない、あの世で仲間たちと酒を酌み交わして―――
【膨張巨化、雷槍牙、焔花葬、――我らの魔力を糧に生み出せ魔槍!】
【――――“弔雷槍・華焔槍”!!】
【芽吹きの刻だ、本性を顕わせ――釘つけられた呪堕の眼!】
【――――術式改変、“放たれた呪堕の永眼”!!】
地響き。
熱。
溶けた氷でびっしょり濡れたまま、いつの間にか地に伏せていたライオットは、本当に運が悪いな俺様は、と生き残ってしまったことに弱々しく苦笑いを浮かべた。
***