2-5
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ミファンダムス帝国は元々【魔界域】から最も近い国だ。それ故に外敵から守るため国を囲う大きな外壁と、市街地と城を隔てる内壁、更に要塞のような厳つい城が特徴的で、魔術国家と呼ばれるに相応しいほど国内には魔術による仕掛けが施されている。
そして、それは当然ながら城にもある。
「ルシュの旦那ぁ~! 駄目だぁ、こっちにも結界があるよぉ~!」
通路の曲がり角から顔を覗かせて腕で「×」を掲げるラヴィに、思わず舌打ちしてしまった。
すでに協力者との合流地点である中庭は目前だ。出入り口にいた警備兵を殺したところまでは良かったのだが、中庭へ通じる扉が全て結界によって阻まれていた。
「協力者の人、もう待ってるかなぁ~」
「……ここまでくると罠の可能性も高いな」
「えぇ~、でも色々教えてくれたんでしょ? おいらは信じたいなぁ~」
脳天を矢で貫かれた警備兵をずるずる引きずりながら戻ってきたラヴィは、不意に頭上を見上げた。
「『人工勇者計画』だっけぇ? クローツ・ロジストって人が考えたやつ~。すっごい魔力が渦巻いてる……魔術兵器って感じ~」
「実際、同義だろう。クローツの養子たちに勇者の力を一部ずつ背負わせ、馴染んだ頃に集結させて『勇者の証』を完成させる。理論上はそれで魔王も倒せるはずだ」
「旦那、詳しい~!……でもさぁ~、その養子の子供たちって…………」
大きい力には代償が伴う。それが魔術だ。
魔王や魔族を蹴散らすほどの大魔術を連発で撃つということは、発動者にもそれなりの負担が強いられる。
魔力は無限じゃない。底を尽きてもまだ魔術を行使すれば――。
「俺たちには関係ないことだろ」
そもそも勇者リウル・クォーツレイが自殺しなければ、こんな面倒な事態にはならなかった。
さすがに彼と仲間だったラヴィにそんなことは言えないが。
「……誰かを犠牲にしないと平穏が保たれないなんてさぁ~、女神様が本当にいるなら……なんでこんな世界にしたんだろうねぇ~」
いよいよ感傷にふけ始めたラヴィに大きく溜め息を吐き、その胸ぐらを掴み睨めつける。
「ラヴィ、俺たちの目的を忘れるな。――俺たちは別に戦争を止めたいわけじゃない」
そう、それこそ関係ない話なのだ。
ガ―ウェイの下に集った俺たちの共通目的は、あくまで『真実の追求』。戦争が始まろうが誰が死のうが、それはどうでもいいことだ。
ただ、真実を隠す帝国と教会が動くとすれば――今だ。
教会は戦争を求めている。必ず今回も何かしら動きを見せるはずだ。懐に入るなら今しか無いのだ。この戦争が終わるまで……それがタイムリミット。
「だ、旦那ぁ、ごめ、ごめんって~。おいら、そういうつもりじゃ、」
「言い訳するな、どうせ『勇者』と『人工勇者』を重ねたんだろ。余計な感情は捨てろ、それはお前にとって足枷にしかならない」
突き飛ばすように胸元を離すと、よろけて小さく咳をしながら「分かってるよぉ~……」と弱々しく返した。
――さて、ラヴィのことはともかく、だ。今は彼にかまけている余裕はない。
協力者との合流が叶わない以上、この場に留まり続けるのはマズイ。かといって城から撤退したところで情報は得られないだろう。
だとすれば――協力者なくしてデミ・イェーバンを見つけ出すしかない。
だが彼は宰相だ。この緊急時に皇帝の側にいないわけがない。だがそうなると兵や親衛隊との戦闘は避けられいだろう。その間に逃げられてしまえば……終わる。
慎重に近づき、少しでも皇帝や兵と離れた隙を突いて拉致するしか――、と不意に気配を感じて即時抜刀。中庭に通じる扉から現れた人影の首を一閃する――直前に動きが止まる。
「ふん、惜しかったな。このまま我の首を絶っていれば、お前らは生きてこの国から出られなかっただろうに」
「っ!? な、何故お前が―――」
「“ここにいるのか”って?――簡単なことよ、我こそがお前らの『協力者』だからだ。一応名乗ってやろう」
首筋に当てられた刀身など気にする素振りもなく、傲慢な態度に不敵な笑みを浮かべた“男”は己の名を口にする。
「我はこのミファンダムスの帝王、ラスティラッド・ルディス・ミファンダムスだ」
透き通るような淡い蒼色の長髪をうなじのところで一つに束ね、思慮深い切れ長の黒曜石の瞳に狂気を滲ませる彼は――ラスティ皇帝陛下その人だ。
「帝国内部と教会を不審に思う者は多かった。特に父上――先代皇帝は人望が薄かったからな。ふん、死してなお恨まれる人生……史書には愚王と名を連ねるやもしれん。それを思えば愉快な気持ちにもなる。
そうは思わないか? ルシュ・ブローウィン。ラヴィ・ソレスタ」
「……………」
ラスティが扉に触れると、どうやら王族から許可されると侵入を許す結界だったのか、いとも容易く中庭へと入り込めた。
警戒しつつ先導するラスティへついていくと、中庭の奥で彼は足を止めて不意に振り返り、唐突に父親をこきおろすような発言をしたのだ。
隣でラヴィが居心地悪そうに「どうする?」と視線で問うが、どうすることも出来ないだろうとラスティの足元を見やる。
「うーっ! うー、う”う”―っ!」
そこには、ミミズのように悶えながらくぐもった声を上げる人影がいた。
猿轡を噛まされ腕も足もそれぞれロープで縛り上げられている。その人物はルシュたちが探し求めていた人物、デミ・イェーバンで間違いない。
「――疑心に駆られる者の動きは分かりやすくて助かる。その中で亡命しようとする者を俺の“影”に捕らえさせ、そいつの名前を騙ってお前達と映し鳥で連絡してたわけだ」
これでも協力者の身辺はだいぶ洗ったつもりだったが、なるほど。皇帝が全て偽装していたなら得心いく。皇帝に逆らえる人はこの国にはいない。
特にこのラスティ皇帝は狂人だ。
姉のクローンを作り出したり、実の父を殺して玉座に着いていたり、クローツの『人工勇者計画』だって非人道的だと騒ぐ者や他の王権者を祭り上げようとする者を一掃した。
クローン体製造に関しては論外だが、それ以外はまともに聞こえるかもしれない。
だが、彼は疑わしき存在全てを殺している。中には本当に関係ない者もいたかもしれないのに。
そう、ラスティ皇帝にとって『真実』こそどうでもいいのだ。
しかし、こんなまどろっこしい真似をしてルシュたちを誘き出し、ラスティにとっても一番疑わしい存在であるデミ・イェーバンを生かし続け……こうして餌として釣り上げた。
その真意は。
「何が目的だ」
ルシュの問いにラスティはデミの肩を蹴って転がし、後ろにある墓を振り返った。
「姉上は生きている」
「?」フィアナ王女はすでに亡くなっている。そして、その墓石に刻まれた名前も“フィアナ”。なのに、彼はその“死”を疑っている……?
「姉上は確かに亡くなってしまった。だが、その魂はまだ“この世界”に留まっている……! 殺されたこと憎み、我を残したことを悔やみ、離ればなれになってしまったことを嘆いている! 我には姉上の声が聞こえる!」
「………」え、これ本当にどうする? とラヴィが再び視線で問うが、俺も言いたい。知るか。
「――“あの子”だ。あの子が姉上の魂を持っている。なにせあの子は姉上と我の子供だ。姉上の器だ。そして、あの子は我のモノだ」
だいぶ支離滅裂だ。狂気じみた黒曜石の瞳は瞳孔が開き、その整った顔に似合わない醜悪な笑みで引き攣っている。
「あの子を連れてこい。そしたら、コイツを引き渡してやってもいい」
「……一応聞くが、“あの子”というのは?」
「『私の人形』。ああ、いや、確か今はこう名乗っているんだったか――“ティフィア・ロジスト”」
やっぱりそうだろうな、と眉を顰める。
彼女は現在グラバーズにてガ―ウェイとアルニたちと同行してる。居場所は知ってる、ガ―ウェイとゴーズに協力を頼めば引き渡すことは容易だが。
「悪いが、皇帝陛下のお人形遊びに付き合ってやれるほど、こっちは暇じゃないんだ」
別にラスティの要求をどうしても呑まなければいけない状況ではない。
目の前にデミ・イェーバンがいる。ラスティは王族として護身術はある程度覚えがあっても、それでルシュたちとやり合えるはずがない。
問題となるのは親衛隊、それから先ほど彼の言葉にあった“影”という存在。更にここは城内だ。向こうに利がある。
だが幸い、俺には親衛隊が持つ魔道具の“鈴”がある。瞬時に毒針を出して、誰かを呼ばれる前にラスティを眠らすことが出来る。
要求を拒否し、その後ラスティがどう動くか観察していると――
「そうか、それは残念だが仕方ない」
あっさりとそれを受入れデミの猿轡を外して立たせると、ルシュたちの方へと突き飛ばした。
「お、おお……?」咄嗟にデミを抱き留めたラヴィが困惑したように声を上げる。
ラスティは誰かを呼ぶ素振りもなく、ジッとルシュたちのことを眺めていた。あっさり引き渡したことと言い、どうにも不審だ。
「え、ええと~? デ」デミ・イェーバンさんですよねぇ? と本人確認しようとしたラヴィの言葉を遮り、彼は大きく息を吸うと。
「“楽園”へ導き給えッ――!!!!」
チカッ、と彼の胸元の魔石が光る。
「ラヴィ!」
「っ!」
不穏な気配を感じ取ってデミから離れようとするが、いつの間にロープが解けていたのか、彼はラヴィの身体に腕を巻き付けて笑みを浮かべていた。
ルシュは抜刀し、デミが提げている魔石の紐を峰の部分で釣り上げると首から抜き、そのまま誰もいない宙へ放る――!
ドッッッ!!!!
頭上で爆発したソレは―――「なっ!?」咄嗟に頭を守ろうと左腕を掲げ、降り注ぐ鋭い金属片がいくつも刺さり貫く!
――炸裂弾だ。
左腕だけでなく肩や太ももにまで血を滲ませる。だらりと腕を降ろすと、デミを庇うように背中に金属片を受けたラヴィが痛みに呻きつつこちらへ親指を立てる。きちんとおかしな行動が取れないよう腕も拘束してる。
それに良くやったと頷きラスティへ向き直ると、彼は称賛するようにパチパチと拍手を送ってきた。
「あの不意打ちへの対処、素晴らしい見世物を観せてもらったものだ」
「……俺たちを殺すのが目的か」
「まさか。お前達ならなんとかするだろうと思っていたさ。元々その男は我を殺すつもりで、あの首輪をぶら下げて近づいてきたからな。――今のはあくまで確認だ。女神教にとって、我とお前ら、暗殺対象としての優先度はどちらが高いのか、な」
「つまり教会から狙われているのは自分も同じだと言いたいのか」
「ああ。教会の傀儡にならん我を嫌ってのことだろうが。あとは色々知っているクローツから何か情報を得ている可能性も考慮してだろうな。ふん、愚かな者どもめ。そもそも先に“契約”を反故したのはヤツらの方だと言うのに」
「契約?」
「『人工勇者計画』を必ず成功させ魔王を倒すことと引き換えに、ティフィアに手を出さない、という条件のな。しかし、先刻我を殺そうとしてきたデミが口を滑らせた。“今頃ウェイバードで亡骸となっているだろう人形と同様、お前も同じように骸となれ”だったか?――なぁ、デミ・イェーバン」
「……」ラヴィに拘束されたままのデミは固く口と目を閉ざし、何も答えるつもりはないようだ。
だが、“契約”か……。なにか違和感がある。
ラスティの言葉。目的。そもそもこのイカレた皇帝は、結局何がしたいのか。
最初にルシュたちへ要求したのは、デミの身柄と引き換えにティフィア・ロジストの捕獲。でも先ほどのやりとりでデミの身柄はこちらのものとなった。なのにラスティは別に気にしてなさそうだ。
更に教会との関係も赤裸々に話している。もちろん嘘の可能性もあるが。
――そういえば、なんでティフィア・ロジストのフルネームを知ってる?
いや、知ってても当然か。『勇者』として彼女はすでに世界を旅してる。名前も所在も筒抜けだったはずだ。
だが、どうしてラスティは私兵や教会を使って彼女を連れ戻そうとしなかったんだ……? 何故教会との“契約”に、彼女に手を出すなと要求した?
そこまで考え、ハッと気付く。
―――違う。気にするべきは“ラスティ”じゃない。
元々“契約”を反故するつもりなら、何故このタイミングだった?
教会は戦争を望んでる。ラスティを暗殺するのも、ティフィア・ロジストに何かするのも、それは別に戦争が終わってからでもいいはずだ。
そもそも“契約”をした意味が分からない。ラスティの条件はともかく、引き合いに出したのが『人工勇者計画』の完遂と魔王の討伐。帝国としては世界中に魔王の生存を知られると、隠蔽したことが明るみになるから、契約せずとも計画を強行しただろう。
だが戦争が始まるか始まらないかのこの状況下で皇帝が暗殺されれば、さすがに帝国側としても再び『停戦』させて事態を収拾するはず。
……だいぶ矛盾してる。戦争を止めたいのか、或いは戦争させたいのか。
しかし、一つだけ。この支離滅裂な教会の行動に対して、一つだけ、この矛盾にあてはまる理由がある。
「《女神派》と《勇者派》の対立、か」
これしかない。
デミの前へと移動し、その首を右手でわし掴むと指先に力を入れる。ギリギリと爪が食い込み、彼は痛みと息苦しさに顔を赤くした。
「デミ・イェーバン。お前、《勇者派》だな」
「さ、っ、さて、どうだったか」
「とぼけても無駄だ。――お前に皇帝暗殺を指示した黒幕、言い当ててやろうか」
「……」
あくまでだんまりか。
普通に考えれば《勇者派》を統率しているカメラ・オウガン枢機卿員だが、おそらくそれは違う。
彼女についての情報はガ―ウェイから多少もらっている。彼女はティフィア・ロジストを死なせたり害なすつもりはないようだ。
――ならば《勇者派》の彼を動かしたのは誰か。
偽物といえど『勇者』であるティフィアが死んでも構わないといった口振り。戦争を止めようとするような動き。
カメラ・オウガンが指示していないのであれば、これしかないだろう。
「本物の『勇者』だな」
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