2-4
「妾の――妾だけの、“神様”」
黒いドレスに隠された“魔装具”がある胸部へ手を当て、愛しげに口にした。
その言葉の意味は、もう考えずとも分かる。
分かってしまう。
「魔王の“神様”が……勇者………?」
人の強い想いが魔族を生み出す。魔族はその中でも一際強い想いを抱えた人を“神様”と呼ぶ。
それが魔王と勇者の関係にも当てはまるということは。
「『魔王』は『勇者』の“対”じゃ。――そもそも、おぬしら人間は勘違いしておる。魔王が復活するから勇者が選ばれるんじゃない。勇者が選ばれたから、魔王が生まれるんじゃ」
「―――っ、」
「ま、待てよ! 勇者が魔王を生み出すって――本末転倒だろ!」
息を飲むティフィアの隣で、椅子をひっくり返す勢いのままアルニが立ち上がり、異を唱えた。
そうだ。
元々“魔王が存在しない”というのなら、そもそも女神が『勇者』を選ぶ必要なんてなくなる。
魔族は強い。しかし魔王と違って勇者でなくても倒すことは出来る。
『100の巡り』というもの自体、無意味なものになってしまう。
じゃあ――『勇者』とは、なんだ………?
「残念じゃが、『100の巡り』については妾も知らぬ。何故100年という周期で、こんな茶番をさせられておるのか。……妾はただ“神様”に従っておるだけじゃ」
「リウルさんも、そのことは知ってたんですか?」
「恐らくな。妾よりも知っていることは多そうじゃった。あの子は素直じゃったからのう、もしかしたら直接話を聞きに行ったのかもしれぬ」
「直接?」
「そうじゃ。直接、教会本部にでも乗り込んだのじゃろう」
「!」
僕がヴァネッサさんから話を聞いているように、リウルさんは教会に直接確かめに行った……?
そこでリウルさんは、勇者と魔王の関係はもちろん『100の巡り』についても聞いたはずだ。
「――『勇者計画』……?」
ふと立ったまま考え込んでたアルニが、ぽつりと呟く。
「なぁ、ヴァネッサ――」
「ちゃんと敬称つけるッス! アルニさんでも怒るッス!」
「良い。妾はもう『魔王』ではないからのう。ついでじゃ、ティフィアも妾に対して敬語はいらぬ」
「元魔王様!」
「レドマーヌ、おぬしもじゃ……。“元魔王様”なんて言いにくいじゃろうて」
「そんなの無理ッスよ~!」無茶振りでもされたかのように首をぶんぶん横に振るレドマーヌを無視し、気にせずアルニはヴァネッサへと問う。
「ヴァネッサは『勇者計画』が何か知ってるか?」
『勇者計画』。
その名称を聞いたのはつい最近のことだ。
ガ―ウェイがマレディオーヌへ投げかけた言葉。
クローツ父さまの『人工勇者計画』とは別の、教会が企てている――何か。
「少し前にガ―ウェイ・セレットにも聞かれたが、妾は知らぬ。教会が何を考え、何を策謀してるかなど、妾にとってはどうでもいいこと。知りたいのであれば、おぬしらと共にいる枢機卿員に尋ねればいいじゃろう」
正直に答えてくれるかは怪しいがな、と続け、それから「ああ、でも」と何か思い出したように虚空へ人差し指を向ける。そこへ何かをなぞるように描くと、彼女の魔力に反応して薄黒い魔術紋陣が浮かび上がった。
一対の翼と太陽を模った紋章――『勇者の証』。
「一つ、妾が断言出来ることがあるとすれば、『勇者の証』は女神とか言う空想の存在が造り出した“術式”でも“加護”でもない、ということくらいじゃな」
「ヴァネッサさんは女神様はいないって思ってるんで……思ってるの?」
うっかり敬語でしゃべろうとして慌てて修正したのがおかしかったのか、小さくフッと笑った彼女はテーブルに頬杖をついた。
「のう、ティフィア。『魔術』の起源を知っておるか?」
「えっと、確か『魔法』を使えない人々が、それに代わる力を編み出せないかって研究して……」
「――そう、つまり『魔術』は人間が生み出した英知じゃ。そして『勇者の証』を見ろ。これは魔術の一種である魔術紋陣で違いない。ただ、違うモノは混じっておるが、それでも紛れもなく『魔術』じゃ」
「……それって、『勇者の証』は誰かが人為的に造って、勇者にする人を選んでるって、こと?」
「正解じゃ。そこに教会は関与しておる。どこからどこまで関わっておるかは知らぬが、もしかしたら――全て、なのかもしれぬのう」
「…………」
『勇者の証』。それを研究していたクローツ父さまなら、すでに“答え”は導けているのかもしれない。
だけど“100の巡り”にしても『勇者の証』にしても、やっぱり教会が絡んでいて。
なによりも、僕たちの知っていることとは違っている。
戦争。
100の巡り。
繰り返される『勇者』と『魔王』の因果。
魔の者が生まれる条件。
「――もう一つだけ、聞いてもいいかな」
「なんじゃ?」
「ヴァネッサさんは今でも人間が嫌いだって言ってたけど、ならどうして協力してくれるんですか……?」
「そんなこと――簡単じゃよ」
目を眇め、憂うような、慈しむようなその表情に、ティフィアは思わず見惚れた。
「それが“神様”の“想い”だからじゃ」
「ねがい………」
「人を憎んでおった。抑えきれぬほどの憎悪が、妾の中にも流れ込んでおった。じゃが、それでもリウルは―――」
今でも鮮明に、焼き付いて離れない光景。
当時――魔王軍を率いていたヴァネッサは部下を鏖にされ、いよいよ最終決戦かとリウルと対峙した。
魔族の屍で築いた山の頂で、リウルは虚ろな瞳に仄暗い感情を灯しながら嗤っていた。
「これで少しは一矢報いることが出来るかな。……ははっ、これがオレに出来る唯一の“復讐”だ」
魔の者の血がべったりと塗れた剣を掲げて。
「――ねぇ、『魔王』。オレ、分かったんだ」
彼は言った。
「この世界に“救い”はないってこと。本当は誰も“救い”なんて求めていないってこと。誰もが与えられた必然の運命に従ってる。それが……それこそが“正しい”って、無意識に感じ取ってるから」
掲げた剣を首筋に当てて。
「でもオレは認めてなんてやらない。絶対に。これが“間違い”だとしても、オレは、オレだけは、――世界を救ってやる……っ!」
群青色の瞳に憎悪が満ちる。
黒く、昏い。
今まで流れてきていたはずのリウルの感情。なのに、ソレ、をヴァネッサは知らない。
「おぬし、何を――」
彼は死のうとしている。それだけは分かる。いや、逆に言えば“それだけしか分からない”。
「さよなら、魔王。オレはいなくなるけど、」
―――――オレの“願い”だけは生き続けるから。
そうしてリウルは己の首をかっ斬った。
“神様”の命が目の前で潰える光景は、美しくも虚しく――何故かとてつもない悲痛に苛まれた。
「……妾の中に残っているのは人間への憎しみと怒り。だけどそれ以上に、悲しいのじゃ。
分かり合えぬことが。争い合い、殺し合うことが。人間よりも魔の者に触れていたリウルだから、歯がゆかったのじゃろう。……本当に愚かな子じゃ」
目を閉じ、己の胸に手を当てたヴァネッサは、どこか泣いているようにも見える。
「ティフィア・ロジストよ。リウルに出来なかったことが、おぬしに出来るか? 魔族や魔王はそれぞれの“神様”こそが絶対じゃ。人を憎み恨む魔族に、おぬしらの想いや考えなど通用せぬ。どれだけ言葉を重ね、時を積もうと、な」
だから戦争を止めることは出来ないのだと、理解し共存し合うことなど出来ないと、ティフィアの考えを否定したのだ。
戦争を止めるためのてがかりどころか、これじゃあ手詰まりだ。
下唇を噛みながら思考を巡らす。
本当に――本当に出来ないのだろうか。
「その“神様”の想いは絶対に変わらないものなの?」
「変わらぬ。魔族を生み出す条件はさきほど教えたはずじゃ。“強い想い”。それを越えるほどの強い感情を、その魔族の“核”に上塗り出来れば変えることは出来るじゃろうが」
「“核”……それって魔装具のこと?」
うむ、とヴァネッサが大きく頷く。
「しかし現実的ではなかろう。そんな方法はないし、あったとしても魔族一人一人にその方法を使うのは時間も手間もかかり過ぎる」
「――俺からも一ついいか?」
「なんじゃ、魔法師」
「さっきリウル・クォーツレイの話をしてたとき……まるで常にそいつの感情が流れてくるみたいな言い方してたよな? それにヴァネッサ――あんたは変わってるように見えるんだが」
アルニの指摘に、彼女は肩を竦めた。
「『魔王』の“対”は『勇者』ただ一人。それも生きてる人間じゃ。魔族よりも魔王の心は揺らぎやすい、というのは事実。だが、『魔王』の行動原理は魔族同様“強い想い”でしか適用されぬ」
ヴァネッサの答えに、あ、と口を開く。
「そ、それって――魔王の気持ちは変えられるってこと!?」
「『勇者』を心変わりさせることが出来れば、のう。それに『魔王』には魔族を従わせる“権限”がある。いざというとき強制的に戦争を止めることが出来るじゃろう」
手詰まりだと感じた目的に、光明が差す。
――だが。
「妾はそれを推奨せぬがな」
「え……、どうして?」
「………。先日のことじゃ、レドマーヌに頼み、枢機卿員のカメラ・オウガンから現在の勇者について聞いてもらった」
現在――それはつまり、『現魔王』の“対”である『勇者』のことだ。
「勇者が誰で何をしてるかも把握してるって言ってたッス。教会は『勇者』を手元に置いてないってことで良いと思うッス。ただ……『勇者』として“欠点”があるとも言ってたッス」
「欠点?」
なんだろう、と考えるティフィアの前で、ヴァネッサが重い口を開いた。
「妾はその報告を聞いて思ったのじゃ。おそらく『現勇者』は――――とっくに壊れておる」
***