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「元魔王様に連絡したら転移の魔術紋陣を用意してくれたッス。……色々聞きたいことはあると思うッスけど、レドマーヌが説明するより元魔王様に直接聞いて欲しいッス。レドマーヌも答えられることとそうじゃないことがあるッスから」
そう言ってレドマーヌは懐から大きな紙を取り出して地面に広げた。
術式は魔術であり魔族には使えない。そもそも原理を理解していないから。魔術はあくまで人間の技術であり知識だ。
だからこの転移術式を用意したのは元魔王ではなく人間。それも魔術師。元魔王に賛同してる人がいるのだろうか。
「行くぞ」
アルニの声に頷く。
地面に設置された魔術紋陣へ足を踏み入れる。
――本当に行くの? と心の片隅で、弱虫の僕が問いかける。
きっと、ここが分岐点だ。
元魔王から色んなことを聞けば、何も知らなかったと言い訳して逃げることはもう出来ないだろう。
でも。もう、今更だ。
ミファンダムス帝国を出て行ったあの日から――僕は『勇者』になることを選んだのだから。
「レドマーヌ、お願い」
「了解されたッス!」
狭い術式の中で3人寄り添って、やがて魔術紋陣は魔力に反応して光り輝く。
目の前が切り替わるのは一瞬だった。
「ただいま帰ったッスよ~、ヴァネッサ様!」
転移の余韻にすぐ動けないティフィアとアルニを置いて、レドマーヌは飛び跳ねるように部屋の奥へと駆け出していった。
「レドマーヌ、ちゃんとおつかい出来たッス! やれば出来る子ッス! 褒めて欲しいッス!」
「やれやれ……じゃが、確かにおぬしにしては良くやってくれた。ミルフィートは“あちら”に取られてしまったし、他の穏健派メンバーはちとか弱いからのう」
さて、と切れ長の瞳がティフィアたちへと向けられる。
「――っ」
縦に細長い二つの瞳孔。猫か犬のような獣の耳と、赤い紋様が浮かぶ肌。それは間違いなく魔族特有のモノで、喪服のような黒いドレスの中にはおそらく“魔装具”が鳴りを潜めているのだろう。
だけどティフィアが驚いたのはそこではない。
緩く三つ編みにして左肩に下ろした、緑がかった紺色の髪。そして群青色の瞳。
それは記憶の中にいるあの青年の面影を強く連想させたからだ。
「……どうやら“リウル”とは面識があったようじゃな。あの子を知る者は同じように間抜けな面を晒すからのう。まぁ、あの子自身も妾の姿を見て驚いておったが」
思い出すだけで愉快なものじゃ。そう言って一人ひとしきり笑うと、彼女は大きく優雅に両手を広げた。
「混乱しておるようじゃから先に名乗ることにしよう。――妾は先代の魔王ヴァネッサ! 先代の勇者リウル・クォーツレイの“対”であり………そうじゃな、今は『魔王の亡霊』とでも自称しようかのう」
「ま、魔王の、亡霊……?」
更に混乱するティフィアの隣でアルニだけは目を細め、その二人の対極する反応に元魔王ヴァネッサは内心で苦笑する。
“亡霊”。それに反応するということは、もう一人の“亡霊”に出くわしたことがあるということだ。やはりどこかにいるのか、リウルと一瞬憂うように目を伏せたヴァネッサは、しかしすぐに笑みを浮かべて人差し指をくるくる動かす。
すると、部屋の隅に片されていたボロボロのテーブルと椅子がひとりでに動き出し、彼女らの前に置かれた。
「妾に聞きたいことがあるんじゃろう、ティフィア・ロジスト」
「!」
「そこの魔法師は付き添いか?」
「は、はい。ついてきてくれました」
「うむ、良い心がけじゃ。敵かどうか分からない相手を警戒しないわけにいかぬからのう。昔、とある人間は妾の前に一人でノコノコやって来てのう……あれはさすがの妾でも注意してやったものじゃ」
「元魔王様、話が脱線してるッス!」
「ん? おお、すまぬすまぬ。つい昔を懐かしんでもうた。――じゃあ話の前におぬしらのことを教えて欲しい。名前と、ここへ来た目的と、あとは適当に」
ボロい椅子に腰掛けたヴァネッサはニコニコと二人の自己紹介を待っているようだ。
これ、意味あるのかなと思わずアルニの方を見てしまうが、彼も困ったように眉を顰めて同じようにこちらを見ていた。
うーん、でもこのままだと話が進まないし。言われた通りにするしかないかと席に着く。
「え、っと……初めまして、ティフィア・ロジストです。ここへはヴァネッサさんに色々聞きたくて来ました。僕は戦争をどうしても止めたくて……でも、それには僕はあまりにも無知だから」
「ふむふむ。無知を自覚し抗うか。まだ未熟さはあるが、なるほど、今の時代珍しくはあるか。――で、付き添い人よ。おぬしは?」
ティフィアへ向けていた視線をアルニへと移す。
まさか自分にまで白羽の矢が立てられるとは思っておらず「え、俺?」と咄嗟に聞き返すと、ヴァネッサはさも当然のように頷いた。
「俺はアルニ。……ティフィアの付き添いで来た」
「それだけか?」
短い自己紹介に不満げだ。だけど特に言うことはない、と口を閉ざすと「まぁ良いじゃろう」とヴァネッサが一つ頷く。
「ではティフィア・ロジスト。――おぬしの言う“戦争を止めたい”とは、どういう状態のことを指しておる?」
「どういう状態……?」
「再び停戦状態をもたらしたいのか、或いは魔の者を一掃したいということなのか、じゃよ」
「……………僕は、」ティフィアはアルニとレドマーヌを一瞥し、それから己の手を見た。
「戦争を止めたいというのは、僕のエゴです。人類を守りたいなんて、そんな殊勝な理由でもないです。――僕はただ、大切な人たちが傷つくのも、悲しむのも見たくない」
だから、と少女は元魔王へ真っ直ぐ視線を向ける。
「僕は魔王と交渉して、人と魔の者が争い合うことない未来をつくりたい――!」
共存、もしくは同盟関係を築く。
延々と続く100の巡りによって争い続け、人と魔族は互いに憎しみあっている。だけどレドマーヌのような魔族もいるのだ。
話せば分かる、とは言えない。だけど人と魔の者の関係が変わらず戦い続ける運命なんて、そんなのは分からない。
少しでもいい。人も、魔の者も、互いに少しでも歩み寄ることが出来るなら――これから戦争の形は変わっていくかもしれない。
そんな想いをこめたティフィアの答えに、ヴァネッサが「ふ、」と顔を歪め。
「ふ、ふふっ、くっ! くくっ、ふはははははははははははははははははははははははッ!!」
爆笑された。
あれ、そんなおかしいこと言ったかな。
「あはははっ、ふぐっ、くくくっ! ………はぁはぁ、実に愉快! 愉快じゃ! ふははははははっ」
「あ、あの……僕、変なこと言いましたか……?」
「――――いや、妾に“戦争を止めたい”と言ってきた人間は、おぬしで二人目じゃ」
まだ笑みを携えているのに、その群青色の瞳がティフィアを冷酷に見下す。
「のう、ティフィア。おぬしの身近に二人の魔族がいて、気付かなかったわけではなかろうて。―――魔族が己の力を引き出すとき、“神様”の存在を口にするはずじゃ。その名前が、知人や親しい人と同じ名前であることに違和感はなかったのかえ?」
「そ、」それは、気付いていた。
レドマーヌの“神様”の名前は、フィアナとイゼッタ。イゼッタという人は知らないが、フィアナは母親と同じ名前。
最初は偶然なのかなと思っていたけど、ミュダの存在がその可能性を高くしてしまった。
ミュダの“神様”はグアラダだ。それは間違いない。
死んだはずのグアラダが、“神様”と呼ばれミュダの力となっている。
でも、それはつまり――、
「人が、魔族を生み出してる………?」
震える声で答えを紡げば、ヴァネッサは笑みを深くして頷いた。
「人間の強い“思念集合体”……それが魔族の核“魔装具”じゃ。そして、その思念の中でもより強い想いや感情が、魔族の容姿と存在意義を与える。おぬしらの仲間にいるミュダという魔族が一番分かりやすいかのう」
ただし、“アレ”は少し魔族の条件から外れておるがのう。と小さくぼやく。
それを聞き逃さなかったアルニは「魔族の条件?」と首を傾げた。
「うむ、魔族が生まれる条件はいくつかあるのじゃが……まぁ今は関係ない話じゃ」
大事なのは、人間から魔族が生まれるということ。
マレディオーヌと戦ったとき、彼女が言っていたことを思い出す。
彼女は魔族を倒すことに“意味がない”と言っていた。“湧いて出てくる”、と。
そして、――「昔ッからよぉ……バケモノを生み出すのは人間だって相場は決まってンだよ。人間が存在し、“願い”続けるから――終わらねェのさ」と。
魔族の存在と行動理念が人間の“想い”によるものだとすれば、なるほど、魔族によって人間へ敵意の有無があるのはその違いなのかと、アルニはレドマーヌを一瞥して考える。
「人の強い想いが……魔族の形と目的を与える……」
一方ティフィアは、信じられないような話に頭を痛めながらも、なんとか自分なりに噛み砕いて理解しようとする。
「あの、ヴァネッサさん」
「なんじゃ」
「今の話、あくまで魔族の話、ですよね? その、魔物とか――魔王は、違うってこと、ですよね?」
「良い質問じゃ。……じゃが、『魔物』については妾も知っていることは少ない」
想わぬ返しにティフィアは「ん?」と首を傾げた。
「おぬしらとて猫や犬、鳥といった『生き物』たちのことを詳しく知っておるか? 専門家ならある程度知っておるかもしれぬが、妾や魔族にとって『魔物』とは『生き物』とそう変わらぬ。狂暴ではあるがな。
魔族が魔物を使役出来るのは、さきほど話した“魔族が生まれる条件”に関わってくる。それは妾よりもレドマーヌから話を聞くのが良いじゃろう。この子も一応魔物の使役は出来るからのう」
「先に言っておくッス! レドマーヌが使役出来るのは小さい鳥型の魔物だけッス。戦力にはならないし、下手すると混乱を招くこともあるから使役は絶対しないッス!」
魔物を使役、という魔族らしい特技を使うことを、自らきっぱり断固拒否だと腕をクロスさせて「×」をつくる。
混乱を招く、というのが気になるが、今聞くべきことではないだろう。
「分かったよ、レドマーヌ。――じゃあ、ヴァネッサさん。『魔王』について教えて下さい」
これが本題だとばかりに緊張しつつ、ヴァネッサに問う。
――『魔族』が人の心から生まれるのなら、『魔王』は一体何から生まれるのか。
100の巡りによって復活する魔王。人々を憎み、災厄をもたらす存在。
それを嘆いた女神様が人々の中から加護を与えし勇者を選び、勇者は魔王を倒せる唯一の希望となる。
信じられ、繰り返してきたその歴史。
どこまでが真実で、どこまでが嘘なのか。
「………妾は人間が嫌いじゃ。人は醜い。人は汚い。人は愚か。人は惨い。傲慢で利己的で、理不尽で暴力的で。妾は生まれたときからそれを知っておる。月日が経つごとに、妾の中にあるその黒くドロドロしたモノは膨れ上がる一方じゃった。
視界に映る全ては吐き気のするような澱みのようで、その澱んだ海に少しずつ溺れていくような錯覚。その澱んだ海を消すには人間を殺せば良い、と。妾は本気でそう思っておったし、それは――妾の“対”であるリウル・クォーツレイもまた同じじゃった」
憂うように、嘆くように。
「妾にはあやつの痛みが分かる。感じる。何を気負い、何に溺れて、何に殺されたのか」
「ころ、され、た……?」
「似たようなものじゃろう。リウルが妾の目の前で首に剣を当てたとき――あやつはもう人間への憎悪に染まっておった。人間を一切信用出来ぬほど、打ちひしがれ、絶望しておった。……妾は知っておる。妾だけは理解しておる。実に憐れで愚かな勇者」
そして、
彼女は続けて言った。
「妾の――妾だけの、“神様”」