2.始動
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パタパタと一羽の小鳥が飛んでくる。
飛んでいる空と同じ色をしたそれは映鳥と言う。
環境色に擬態出来る鳥型の魔物で、非常に記憶力が良く一度見たり聞いたモノは絶対に忘れない。声繋石でのやりとりが出来ない場合、重宝される伝達鳥だ。
その映鳥のために宿り木代わりに左手を掲げれば、小鳥はそこに留まって羽を休め、一拍おいてしゃべりだした。
「――“待たせた。枢機卿員2人は引きつけとくから、混乱に乗じて動け。帝国の管轄である枢機卿員第5位に気をつけろ。……必ず『勇者計画』に関する情報持ってこい、以上”」
報告を終えた映鳥はさっさと飛び去っていき、それを見送りながら――ルシュは思わず口角を上げた。
ついに、ここまで来た。
「レッセイ――じゃなかった……ガ―ウェイ、なんだってぇ~?」
ひょこっと隣から顔を出してきたラヴィに「動くぞ」とだけ伝えれば、彼も待ってましたと口にしつつ目をギラつかせた。
「あっちはグラバーズにいるんだっけ~?」
「アルニとゴーズと一緒にいるらしいが……向こうはガ―ウェイに任せよう。枢機卿員を2人も引きつけてくれるなら有り難い」
教会には転移の魔術紋陣がある。それらは全て教会本部へと繋がっているのだが、つまり教会があるところなら枢機卿員はどこにでも転移出来るということ。
動きを察知して、枢機卿員――特に厄介なマレディオーヌが出しゃばってこないのなら、いざというときは実力行使でなんとかなるかもしれない。
「ラヴィ、一応確認するが……俺たちの目的は?」
「――帝国のお城で『協力者』と合流して、第一宰相を捕まえること~!」
「正解」
――ミファンダムス帝国第一宰相デミ・イェーバン。
先代のカミス皇帝がいたときから宰相の地位に就いていた彼が、教会と深い繋がりがあることは『協力者』から聞いている。
帝国に来る前は女神教の司祭だったらしく、教会に関して、或いは『勇者計画』について何かしら知ってる可能性が高い人物だ。
何も知らなくとも、とりあえず教会本部へ通じる転移の魔術紋陣まで案内させるつもりだ。
「まずはお城に潜入だね~! なんでニマルカも合流させないのか分かったよ~」
「あいつは陽動には使えるけど、隠れながら行動することが出来ないからな……」
じっとしていられない性分なのだろう。それに女王様気質というべきか。
“暴嵐の魔女”という異名に相応しく、魔法だけでなく彼女の通る道は常に嵐を巻き起こしてくれる。
頼もしい半分、今回のような隠密行動には向いていないのだ。
「じゃあ行こうか~!」
興奮気味に先導を歩き始めたラヴィに苦笑しつつ着いていきながら、ルシュは思う。
弟弟子であるヴァルツォン・ウォーヴィスも、この機会を逃さず動き出すはずだ、と。
もし互いに目的のため対峙することになれば、遠慮なく刃を向けるだろう。それは別に構わない。あいつは強い。だけどヴァルの戦い方は熟知しているつもりだ。ラヴィと2人ならなんとかなるだろう。
ただ、問題が一つある。
――ガロ・トラクタルアースの存在だ。
ヴァルは特にガロへの復讐に燃えているらしいのだが、ヤツが出てきたら厄介だ。それこそ枢機卿員第3位席と同等くらいに。
ヤツの動きだけは読めない。上手くヴァルと対立してくれるか、或いは戦争に夢中になってくれればいいが、もしルシュたちの方へ狙いを定めてきたら……。
そもそもガロが帝国側なのか教会側なのか、それとも道化なのか、それすら良く分かっていないのだ。確実なことは、ガロの後ろには誰かがついている、ということだけだ。
「簡単にはいかないだろうな」
必ず何かが起こる。そんな予感と胸騒ぎを振り払うように足を速めた。
協力者からの話では、城への潜入ルートは2つ。配置された警備兵並び親衛隊の目を掻い潜る正規ルートと、万が一の際に王族が逃げるために作られた隠し通路から行く最短ルート。
最短ルートは兵士に出くわす確率が高く、あまり逃げ道や隠れるところがないということで正規ルートから行くことを選んだのだが。
「ルシュの旦那ぁ~、兵の配置が変わってるよ~」
「クローツのやつか。本当にアイツは疑い深いな……」
まぁ、やってることは正しいのだが。
――ルシュたちが合流場所にと決めたのは『中庭』だ。そこは庭師によって美しく飾られた草木があって身を隠せるし、基本的に王族か許可された者しか入ることが許されていない。
魔の者が攻め込んできているこの状況下で、中庭への出入り口は警備が薄く、また誰かが気晴らしにと入ってくることがない。協力者と逢引きするにはちょうどいい。
しかしその中庭まで向かっていたルシュたちは、いないはずの兵士の存在に足を止めざるを得なかった。
他の通路も確認したが、穴がない。
どうする~? と視線で問うラヴィは、すぐに目を見開いて「そ、それ……!」と驚愕に指を差してきた。
――こういう事態を想定していたルシュが懐から取り出したのは、“鈴”だ。
帝国の親衛隊員が持つ魔道具。以前ラヴィに色仕掛けから暗殺を目論んでいた親衛隊の女と対峙したとき、こっそり拝借していたのだ。
使える物はなんでも使う。それが師であるガ―ウェイ・セレットから最初に聞いた流儀である。
「“領域変換”――ッ」
ちりん、と鈴が鳴り響く。それと同時にルシュの魔力が周囲に満ち拡がっていく。
魔力の気配に気付いた兵士たちが反応を見せる前に、すでに宙に浮かせた毒針が鎧の合間を縫って兵士の首筋へと潜り込む。そしてビクンッと体を震わせると床に沈んでいった。
「お、おぉ~……」
「なに感心してんだ。さっさと行くぞ」
初めて使う魔道具なのに上手く使いこなすルシュへ、尊敬の眼差しを向けるラヴィの肩を叩いて先を促す。
出来れば使いたくはなかったのだ。侵入者がいます、と教えているようなものなのだから。
とにかく時間がない。急いで協力者と合流しなければ。
***
帝国軍騎士団団長ライオット・キッドは憂鬱そうに溜め息をこぼした。
後ろに騎士団の部下が整列し、ライオットの合図を固唾を飲んで待機している彼らの前で。
それはもう重く、長い、大きな溜め息を。
「ライオット」隣からそれを諫める副団長ユグシルのきつい眼差しを無視し、更に溜め息を吐く。
「俺様死にたくねぇ~よ~」
「ライオット!」
さすがにこの場で吐いてはいけない言葉を平然と零す彼に、慌てて叱責するように名を呼ぶが、ライオットは心ここにあらずと遠い目をしたままだ。
騎士団の仕事は攻め込んでくるであろう魔の者の排除。
クローツ・ロジストが『人工勇者』というモノを使って魔術をぶっ放すが、それでも侵攻してくる敵と戦えという命令だ。
魔王軍の中には強力な魔物も、一人でも苦戦するような魔族がゴロゴロ存在している。
……つまり、死んでこいと言うことだ。
命令に背けば即処刑だろう。だからライオットも戦場に赴くしかなかった。それは彼が率いる兵たちもそうだろう。従わなければいけない。これが軍人の最悪なとこだ。
勇者が生きていれば、こんなことにはならなかった。
勇者がいれば、彼がなんとかしてくれただろう。
実際リウル・クォーツレイは魔王軍をたった一人で掃討したのだから。
勇者に出来ても、普通の人間であるライオットたちには出来ない。出来るわけがないのだ。
「ライオット、本当に俺たちに勝機はないですか?」
「ねぇーよ。あるわけないだろ。あぁ、これが俺様の人生最後なら……一度でもいいから『薔薇の館』に行ってみたかった……」
騎士団長の座に着いてからは本当に多忙を極め、休みもあってないようなものだった。だから有名娼館に行きたくても行けなかったのだ。それだけが心残りだと言うと、副団長は微妙そうな表情を浮かべた。
「こういう状況でも緊張感のない貴方を、ある意味すごいとは思います。下半身だけ残ってれば生きてそうですね」
「おいおい、俺様の心臓は下半身にでもあるってのかよ! とんだバケモノじゃ……いや、でもヤれるならそれでも、」
さすがにドン引きし始めた副団長を視界に捉え、口を閉ざす。これ以上の無駄話は俺様の股間、じゃなかった、沽券に関わる。
欲求不満なんだから仕方ねーじゃんと内心言い訳しながら、ふと数年前の出来事を思い出す。
肉塊になっても生きていたあの少年。まさか勇者リウルの弟だとは思わなかったが、彼の故郷の村を調査した部下からの報告では、やはり彼らは『神隠し』にあっていた。
あの洞窟にあった死体以外、村人たちは一人も存在せず、だけど少し前まで普通に生活していたような形跡だけはあった。
……それだけじゃない。あの少年が快調し、事情聴取をして聞いたが――彼の母親は今までも少年を虐待してはいたが、それでも事件が起こる前までは安定していたらしい。
なのに、突然豹変した。
少年の供述では、母親は誰か……おそらく村人になにか言われたんだと思うと言っていたが、そうなるとあの事件は故意に引き起こされたことになる。
何か知っていそうな村長もいなくなっていたことから、結局事件に関してはそのまま調査も中断することになってしまった。
――奇妙な事件だったな、と今でも思う。
「あ、あの、ライオット騎士団長」
不意に後ろから部下が声をかけてきた。
「どした?」
「あれ、は、なんですか?」
青年が指差す方、それはライオットが目を眇めてようやく見える距離。ビキリ、と唐突に地面が割れた。
「『人工勇者』の魔術……」隣でユグシルが呟く。距離があるからよく見えないが、あれがクローツ・ロジストの言っていた“牽制”の一撃だろう。
向こうから魔の者の断末魔が聞こえる。
すぐにそれが止めば良いのにという願い虚しく、断末魔は続く。つまり、牽制のための一撃であったあの地割れを、魔王軍が越えようとしている。
ガシガシと首の後ろを掻き、怠そうに後ろで控える部下たちを振り返る。
――俺たちは軍人だ。
勇者が死んだあのときから、こうなることは分かっていた。だから誰もが決意を秘めた眼差しで、ライオットの言葉を待っている。
言いたくねぇな、と胸中で愚痴る。
責任とか、誰かの命を背負うとか。そんなこと俺様には荷が重すぎるし、何よりも自分が嫌なことを部下に強いるのも嫌だ。
俺様はもっと楽な仕事がしたかった。なんで武術に長けてしまったのか。先代、先々代の団長が裏切ってしまったのか。何よりも――どうして俺様は逃げ出さなかったのか。
「……はぁ、不幸すぎて涙も出ねぇよ」
今にも逃げ出したい。安全な場所にいたい。死にたくない。戦いたくない。
だけど、誰かがやらなければいけないのだということも………分かっている。
「――いいか、俺様の有り難い言葉だ! よく聞け! どうせこれが最期だ!」
最後に部下へかける言葉を、ずっと考えていた。
国のために死んでくれとは、言いたくない。ぶっちゃけこの国おかしいし。
生きるために戦え、も違う。あんな数の魔物と魔族、いくら後方から『人工勇者』の魔術が支援してくれるとは言え、前線で戦う以上死んでも当然なのだから。
副団長に相談しても「最後なんて縁起でもない! 味方を鼓舞する言葉にしてください!」と怒られてしまう始末。
死に行く者へ、鼓舞するような言葉ってある?
俺様だったら何言われても嫌なんだけど。
だからと言って、何も言わないのもなぁ。そう思って、ずっとずっと、直前まで考えて。
結局俺様らしく言っちゃえばいいか、という答えに行き着いた。
「この戦争、メインは『人工勇者』にかかってる! 俺様たちは所詮、多少の時間稼ぎだ!――だから、俺様たちがやるべきことは馬鹿みたいに真っ正面から死に行くことじゃない!
俺様に続け! 無様に逃げ続けろ! 敵の回りを犬みたく、ぐるぐる回って威嚇するだけで良い! そうすれば――あとは、コイツがなんとかしてくれる!」
コイツ、と言いながら隣にいる副団長の首に肩を回す。ユグシルは一瞬何を言われた分からないといった顔をし、それから兵たちの「おおおおっ!」という歓声にようやく事態を飲み込んだ。
「ちょっ、ライオット!? 何を、そんな……無責任なっ!」
「いやいや、無責任男代表の俺様に言われてもなぁ~。それに俺様を信じろ! とか言っても胡散臭いけどさ、ユグシル・トラクタルアースの名前の方が信用あるし」
騎士団団長としては無責任であることも、部下である副団長の方が信用たり得るというのも問題ではあるが。
しかし、だからこそここにいる兵士たちはこの二人についていくことを選んだのだ。
嘘が吐けない、適当で下半身事情がだらしないのに、それでも実力のあるライオットと、彼とは正反対に勤勉で武神を輩出したトラクタルアース家の嫡子であるユグシル。
確かに先々代のガ―ウェイ・セレットや武神のガロ・トラクタルアースよりは個々の実力は下回るだろう。だがこの二人が戦場で並び立つとき――その実力は跳ね上がる。
少なくとも、魔族相手に引けは取らない。
「よっしゃあ! じゃあテキトーに行くぞお前ら~。俺様たちにはユグシルがいる!」
「ふざけるのも大概にッ――て、お前たちもなんでそれで勢いついてんです!?」
行くぞー続けぇ! と言うライオットの緩い合図の下、出撃する兵士たち。
だけど誰もが最初のときに感じられた緊張感はない。
いつも通りだ。いつも通りに敵と戦う。ヤバくなったら逃げて、助け合って、上司に任せる。
何故か士気が上がった兵を見て、ユグシルもまた肩の力を抜いて口元を緩めた。
この緩さが、今の騎士団だ。
ライオットが築き上げた、騎士団なのだ。
ならば適当な団長の尻拭いも、補佐するのも副団長であるユグシルの仕事だ。
いつもと変わらない。
変わらず、彼の隣に並び戦おう。
剣を抜き、足を走らせる。考えるべきは国や愛する者たちではない。
いかにして時間稼ぎをしつつ生き残り、またこの仲間たちと酒を飲み交わせるかだけだ。
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