1-2
村はずれの森の奥まで来ると「ここまで来れば大丈夫かなぁ~……?」緩い口調と共に足を止めた男がそっと肩から降ろす。
少しの間とは言え、地に足が着かない浮遊感のような錯覚に何度も地面を踏みしめ、それから男を見上げた。
ようやくちゃんと見たその人は、吟遊詩人のような格好をしている。
楽器の代わりに弓を背負い、彼はオレの視線に気付いて緩い笑みを浮かべた。
「初めましてだね~。おいらはラヴィって言うんだぁ」
「ぁ……えっと、オレ………」
告げるべき名前が分からない。“リウル・クォーツレイ”という名前は兄のモノだ。それをオレが名乗るのは違うように思える。
でもそうなると、オレには名前がない。
……無い、のは。名前だけじゃないけど。
「……、“リウル”なんでしょ? どんな理由があれ、それはキミの名前だよ~」
「オレの、名前……」
「嫌なら偽名で呼ぼうかぁ?」
「………」少し考えて首を横に振った。
別の名前。それもやっぱり“オレ”じゃない気がして。
「じゃあ“リウル”。とりあえず助けちゃったけどさぁ……ど~する? このまま逃げる?」
「逃げるって……どこに?」
「帝都とか~? 元々おいら、ここへは寄り道で来ただけなんだよねぇ」
あの村出身の友達がいたんだ~、と少し悲しげに口にして。
オレは目を伏せ、それから村がある方角へ顔を向ける。
――嫌いだ。
あの村にある物、いる者、その全てが。
だけどオレはまだ子供で。
嫌いだからと言って、全部捨てられるほど割り切れるわけじゃない。
逃げたい。これからも兄の代わりでいないといけないなんて、嫌だ。オレはオレだ。でも、じゃあ……“オレ”って何?
「っ、」
名前も。両親も。今までの人生も。それら全てが兄のモノだったオレには、何があるのというのだろう。
そして兄のモノしか持ってないオレに、“オレにしかないモノ”をつくれるのだろうか。
分からない。
どうしていいのか分からない。
母が敷いた“リウル”というレールを歩いたことしかないオレに、それ以外の生き方なんて分かるはずもない。
「………リウルは泣き虫さんなんだねぇ」
どうしていいか分からない、迷子にでもなったような気がして。嗚咽を噛み締めてボロボロと涙をこぼす。
ラヴィはよしよしと頭を撫で、そして「そうだぁ! リウルが良かったら~、一緒について来て欲しい所があるんだぁ~」と笑みを浮かべた。
「ダメかな?」と首を傾げる男の手を掴み、泣きながら頷く。
「いひひっ、良い子だぁ」
変な笑い声を上げ、そのままオレの手を握り返すと泣き止むのを待たずして「しゅっぱ~つ!」と前を歩き出す。
引っ張られるオレはよろめきながらそれに着いていき、空いてる腕で涙を強引に拭い払った。
それから森の中を歩き回り、疲れ始めるとそれに気付いたラヴィに抱きかかえられ―――やがて辿り着いたのは廃坑道の一つだった。
「?」
ここは以前魔物や有毒ガスが発生したことで閉鎖したはずだ。しかし男は進入禁止の柵を越えると、躊躇うことなく奥へと進む。
坑道内は迷路のように枝分かれしているのに、よどみなく進んでいく様にここへ来たのが初めてではないことが分かる。
「どこ行くん?」
「ん~? 友達の秘密基地かなぁ?」
「ひ、秘密基地……?」
「前に教えてくれたんだぁ~。幼なじみの女の子にいつも虐められてて~、嫌になったらここへ逃げるって言ってたんだよ~」
「女の子に虐められてって……ラヴィの友達は女性なん?」
「いひひっ! 男だよ~! 村で遊ぶよりも森の中駆け回ってたらしいさぁ♪」
「う、う~ん……? そっちの方が危ないと思うけど……」
村には結界があるけど、その外には魔物がうろついている。森の中駆け回ってたら、格好の餌食だ。
「おいらもそう思う。でも、今思えば……それが友達の『答え』だったんだよ~」
答え?
それを問う前に、坑道の行き止まりに差し掛かった。
しかしそこには手作りなのか歪んだ棚があり本が乱雑に仕舞われ、地面には食べかけの木の実や干からびた魚の骨、切り刻まれた包帯や血のついたハンカチが転がっている。
誰かを治療していたのか? 彼の友達という人は医者なのだろうか。
気になってラヴィの顔を見上げれば、なんだか悲しげで寂しそうな表情を浮かべていた。
質問出来る雰囲気じゃないなと、適当に棚から本を一冊拝借する。
タイトル、――《赤ちゃんでも分かる魔術入門書》……?
「……あ、それねぇ~。友達が旅人から貰ったらしいんだけどねぇ、読んでも結局よく分からなかったんだってぇ~」
そういえば魔術苦手だって言ってたなぁ~、と懐かしむ様子を背に『魔術』かと本を開く。
「“魔術の基本は式と式を組み合わせることで完成させる、一つの作品です”……?」
続きを読めば、積み木のイラストが描かれていた。
『式』と書かれた積み木を組み立てて、それがお城のようになっている。
「『式』って積み木……なわけないよね? どういうモノなん?」
こういう仕組みだと言われても、その『式』自体を見たことがないからイマイチ想像出来ない。
「う~ん、『窓』が展開出来れば見れるんだけどねぇ~……」キョロキョロと辺りを見回し、それから何故か転がっていた木の棒を手に取る。
「おいらも魔術は詳しくないんだけど……こうやって棒に魔力を通わせて~、それで“鏡”を想像するんだ~」
「鏡?」
「そうさぁ~。鏡は見えないモノを映すって言われてるでしょ~?『式』も同じ、目に見えるモノじゃないから、鏡に映すんだ~」
あくまでもそういうイメージ、ということだろう。
説明しながら実践するラヴィの周囲に、不意に薄青色の帯状の何かが2枚浮き上がってきた。しかしそれは安定せず、明滅したと思いきや完全に消えてしまった。
「魔力の維持が難しいんだよねぇ~、これ……」
「お、オレもやってみたい」思わず手を伸ばすと、はい、と木の棒を渡された。
「その木の棒、脆いから魔力は少しだけで大丈夫だよ~」
「少し……」目を閉じて集中する。ちょっとだけ、力を込める。
「そうそう! それでねぇ~、さっき見せた帯みたいなモノと鏡を想像してねぇ~」
鏡は2枚。帯の形をしている。
薄青色で、それはオレの周囲を囲むように浮かぶ。
想像しながら、魔力の維持にも神経を使う。
難しい。
魔力が安定しない。
「おお~! すごいよ~! 初めてで『窓』展開出来るなんて~!」
……出来てる?
目を開ける。目に入った薄青色の帯は、しかし一瞬で消えてしまった。
「あ」
「あ~……残念だねぇ。でも一発で出来るなんてすごいよぉ! 素質があるかもよ~?」
「………『式』は、どうやって見るん?」
「『式』は万物に宿るって言われてるからねぇ。その棒を……例えば地面に突き刺して、見たい!って念じると地面に宿る『式』が見れるようになるよ~」
「それで魔術が使えるようになるん?」
「今教えたのは『式』の解析方法だよ~。実際魔術を使うにはねぇ~、その『式』と別の『式』を組み合わせて『法則』を……って、興味あるなら帝都に行くのがオススメかなぁ。おいら簡単なことしか知らないよ~?」
その本に載ってることと同じことしか教えられない、と言うラヴィに、それでも聞きたいとせがむ。
オレにしか無いモノが欲しい。
オレだけのモノが欲しい。
何でもいいから。
“リウル”とは違う何かが、欲しい。
その必死さが伝わったのかは分からないが、ラヴィは仕方ないなぁと教えてくれた。
本を教科書に、ラヴィが解説していく。
とにかく必要量の魔力の維持と、集中力、それから『式』の暗記。
元々本を読むことが好きなオレにとって、集中することは苦でもない。それに暗記するのも、覚えて魔術が使えるようになるかもと思えばむしろ楽しい。
「――リウルは魔力保有量けっこうあるから~、もしかしたら結界も一人で作れるかもねぇ!」
「結界って……村にあるやつ?」
「そうそれ~! 友達もねぇ、おいらたちの拠点を守るために結界の作り方を専門家に聞きに行ってたんだよ~。魔物とか~、あとは仲間だったニアって騎士がねぇ、何度も拠点ぶっ壊したせいなんだけどねぇ~」
苦手な相手なのに、それでも教えてくださいって頭下げに行ったんだって~、とおかしそうに笑う。
「と言っても、おいらは知らないから教えられないんだぁ~。ごめんねぇ」
首を横に振り「ありがと」と感謝する。見ず知らずのこんな厄介事抱えてそうな子供を助けてくれた挙げ句、魔術に関しても色々教えてくれたのだ。感謝こそすれ、それ以外の言葉を探す方が難しい。
いひひひ、それは良かったと口にし、それから「どうする? おいらと一緒に帝都行く?」と誘ってきた。
「おいらは帝都でやらないといけないことがあるから、ずっと一緒ってわけにはいかないけどさ~。でも案内とか~、頼れる人とかは紹介出来るよ~?」
「……」
「もちろん無理にとは言わないよ~。村に戻るつもりならぁ、おいらからもお母さんに話つけるよ~」
「…………」
「……キミが選ぶんだよ、リウル。キミ自身のことだから、キミが自分の人生を選ばなくちゃいけないんだ~」
「オレの人生……」
「そうだよ~! キミの抱えてる悩みは、おいらはよく知らないけど~……でもねぇ、これだけは言いたいな。――おいらは、キミに幸せになって欲しいなぁ~」
またラヴィは悲しげな表情をする。
それはきっと、何度も話に出てきた“友達”を思い浮かべているからだろう。
「おいらはねぇ、自分の人生を生きられなかった人を知ってるんだ~……。やりたいことも、したいことも出来ないで、悩みも打ち明けられなくて~……助けを呼ぶことも、しないで……」
一人で我慢して、我慢し続けて、追い詰められて……それで壊れちゃったんだ~、と。
「だからねぇ~、おいらはリウルにもそんなふうになって欲しくないんだぁ~」
苦笑しながら話すそれが、他人事とは思えなかった。
きっとラヴィもそう思っているから、一緒に行こうと誘ってくれている。
このまま村に留まっていれば、オレはいつまでも“リウル”であることを強要されてしまうから。
「オレは……」ぎゅっ、と本を抱くようにかかえる。
ラヴィはきっと、良い人だ。この人に着いていけば、オレは新しい“オレ”の人生を得られるかもしれない。
でも。
「……ラヴィは、言ったよね。どんな理由があっても、それがオレの名前だって」
一瞬何のことだろうと小首を傾げ、それからすぐに思い出したように頷いた。「ああ、うん! 言ったねぇ~。自己紹介のときだよね~」
「もしラヴィと一緒に帝都行くなら、オレは名前を変えないといけないよね」
「そう、だね~。……確かにその名前は、ちょっと目立つかも」
言いにくそうに肯定するラヴィに苦笑する。
そしてオレは――己の前髪を掴んで見上げた。
緑がかった紺色の髪。母親譲りのその色は、村に訪れた旅人が言ってた勇者の特徴と同じモノだ。
幸い瞳の色は父親と同じ紅い色なのだが、それでも同じ名前と同じ髪色だと、色々勘ぐる人も出てくるはず。実際、勇者とオレは血縁者なのだが。
そうなると母のように、今度は“勇者としてのリウル”を強要する人が現れるかもしれない。勇者はこうだった、と。弟なのに出来ないのか、と。
「……オレは“オレ”だよ」
「うん」
「“リウル”って名前でも、それは変わらないんだよね」
「そうだねぇ~」
「それならオレは……――村に戻る」
考えた末の答えにラヴィは目を細め「……どうしてか、聞いてもいいかな~?」と問う。
「オレがいなくなったら母親が壊れちゃうから」
母はオレを“兄”と重ねている。もしオレがラヴィとこのまま帝都に行けば、母は再び愛する我が子を連れて行かれたと錯覚するだろう。
“村ぐるみ”でオレを“リウル”として育ててきた。でもそれは、きっと母のためだ。勇者の、憐れな母親のためだ。
「母親のために犠牲になるってこと~?」
その問いには首を横に振った。
「犠牲になるつもりはないん。今までオレはずっと母に反発してばかりだったけど、」
オレは“兄”じゃない。
そう意固地になって、“オレ”を見て欲しくて。
だけどオレが反発すればするほど、母は癇癪を起こした。
オレは子供で。
母は弱い人で。
――オレは母親と向き合わなければいけなかったのだ。
反発して分かり合えないなら、譲歩して少しずつ歩み寄れるようにしなければいけなかったんだ。
「……ラヴィは“オレ”を見てくれた」
オレのことを“オレ”として、一人の人間として認識して、接してくれた。
そして“兄のモノ”じゃないモノを、オレに教えてくれた。
だから、大丈夫。
オレは“オレ”を見失わない。
「オレ、いつか自分一人の足で帝都に勉強しに行こうと思うん。それで魔術師になって、ラヴィみたいな旅人になりたい!」
「―――っ、」先ほどまで大人びたことを話していた少年が、いきなり年相応に夢を語り始めたのに、思わずラヴィが息を詰まらせたことには気付かず。
「そのときはちゃんと母親に送り出してもらいたいん。それで、オレは世界中巡りながら故郷宛てに手紙を書くんだ!……手紙、一回書いてみたかったんだよね」
「……そ、かぁ~」
「――そういえば知ってる? なんかすごい強いけど悪どい魔女がいるんだって。旅人が話してたん」
「それって……――ひひっ、おいらもその悪どい魔女のこと知ってるさぁ~」
「そうなん!? オレ、いつか戦ってみたい! すんごい強い魔術師になって、その悪い魔女をオレが倒すん!」
「いひひひひひっ! いいねぇ~、それ! おいらも見てみたいな~♪」
「へへっ! オレ、とりあえずこの本と、ラヴィが教えてくれたこと、もっともっと勉強して頑張るから! だから――ありがとう、ラヴィ。大丈夫だよ」
それが、“オレ”が選んだ人生だから。
そう言えば、ラヴィは目尻を赤くして「分かったよ」とオレの頭を撫でた。
リュウレイは、可哀想ですがまだどん底に落ちてもらいます。
これ以上重い話が見たくない人はリュウレイの過去編は見ない方がいいかもしれないです。(今更感←)