1.呪われた少年の話
屍は語らない。
死者に語る口はないから。
だけど生者は『嘘』を語る。
彼らの口が減ることはないから。
――リウル・クォーツレイという『勇者』がいた。
数年前まで生きていた、本物の英雄。
歴代最強の男。
その功績は、おそらく後世まで語り継がれるであろう。
真実を隠し、嘘に塗れた御伽噺。
吟遊詩人たちは唄う。
誰も知らないことがある。
それはまだ幼い、少年の“願い”だった。
知らなければ良いことだってある。
知ることがすべて正しいことじゃない。
――小さき魔術師は、だから語らない。
嘘に塗れていようが、嘘を積み重ねようが。
その『嘘』で誰かが傷ついたとしても、その『嘘』で大切な人たちが守れるのなら。
――――リウル・クォーツレイには、『弟』がいる。
おそらく勇者リウルも知らぬ、同じ両親から出来た、同じ血が流れている実弟。
しかしその『弟』の名前もまた、“リウル・クォーツレイ”という。
二人のリウル・クォーツレイ。
一人は勇者であり、偽りの英雄。
なら――もう一人は……?
「“リュウレイ”って呼んでもいい?」
小さき魔術師の部屋に勝手に入ってきた少女は、これもまた勝手にあだ名をつけてきた。
いや、きっと彼女は察していたのだろう。
少年が――リュウレイが、本当は己の名前を忌み嫌っていたことを。
だから純粋に嬉しくて。
本当に、心底、嬉しくて。
でも素直にはなれなくて。
「勝手にすれば?」と突き放すように返せば、何故か彼女まで嬉しそうに笑うから。
勇者リウル・クォーツレイの実弟にして自称「天才魔術師」。
そして――“人工勇者計画”の要である、弱冠10歳の、まだ幼い少年。
語られることのない、少年の『真実』。
――今ここに語ろう。
少年にかけられた“名前”という呪いが、どうして今もなお彼を蝕んでいるのか。
これは、呪いをかけられた少年の話である。
****
――キノコが嫌いだ。
あの独特な食感と、臭みのある味がどうしても好きになれないから。
――外で遊ぶのが嫌いだ。
昔から体力がないのもあるけど、泥がつくのも疲れるのも、あまり好きになれないし。何より家で本を読む方が楽しい。
――母が嫌いだ。
キノコ食べて吐いたときも、家でずっと本を読んでても、あの人は目を吊り上がらせて怒るから。
「なんでキノコが食べられないの!?“リウル”はキノコが好きだったでしょ!?」「なんで外に行かないの! 本なんて“リウル”は読まないわ!」「どうして言うことが聞けないの!?“リウル”は聞き分けの良い子だったでしょ!?」
キンキンと耳鳴りがする。母の癇癪声は頭が痛くなる。だけど母にほっぺを叩かれると、もっと痛い。
「なんで!」「どうして!」「“リウル”なんだから」「それはダメよ!」「それもダメ」「言うこと聞きなさい!」「悪い子!」「“リウル”はそんなことしないわ!」
耳も痛い。
頬も痛い。
胸も痛い。
痛い、痛い、と声を上げると、また怒られる。
「どうして出来ないの!?」「“リウル”は泣かない子でしょ!」「いい加減にしなさい!」
それが嫌で嫌で仕方なくて、酒場を経営してる父の元に逃げたことがある。
だけど父はいつも“オレ”を見てくれない。
逃げるように視線を逸らす。
怒鳴られてるときも、叩かれてるときも、この人は助けることもせずに逃げていく。
だから――父も嫌いだ。
「オレ、なんも悪いことしてないん! なんで怒られんの? オレ、そんな悪い子なん……?」
どうしてもツラくて、村長に助けを求めたこともあった。
だっていくら食べてもキノコは不味いし、外で遊ぶと疲れて熱出るし。
痛みと熱と、ひゅうひゅう喉を鳴らせながら縋りついた村長は言った。
「……、我慢なさい」
「え……?」
「我慢しなさい、と言ったんだ。これは仕方ないことなんだ」
「―――、」
何を言われたのかすぐには理解出来なくて、呆然としてたら母が来て腕を掴んで家に連れてかれる。
「私が悪いみたいに……っ! お前が悪いんじゃない! どうして“リウル”になれないの!? 同じ名前なのに! 同じように育てたのに!……なんでっ」
叩かれて、叩かれて、抱きしめられる。
「“リウル”……っ!“リウル”ぅぅう…………行かないで。どこにも行っちゃダメ。連れていかないで。お願い。お願いだから」
「………」この人は、オレの名前を呼ぶくせに誰のことを言ってるんだろう。
時々分からなくなる。
オレは本当に“此処”にいるのか。
オレは“誰”なのか。
痛くて、悲しく、涙が出て。
結局いつも通り母と一緒に泣いて、疲れて、眠ってしまう。
だけど唐突に、母の言う“リウル”が誰のことを差しているのか分かってしまった。
近くに鉱山しかないこんな辺鄙な村にやってきた、珍しい客。いわゆる旅人。
彼らの会話を偶然聞いてしまったから。
「なぁなぁ、知ってっか? この村って勇者の故郷らしいぜ」
「え、勇者って……あのリウル・クォーツレイ!? まじかよ、歴代最強の英雄様は田舎モンだったのか……」
「この近くに鉱山あんだろ? 魔石発掘の。噂だと、この辺の村の子供たちはみんな魔力量多いらしい」
「ああ、なんか魔力保有量が多いと勇者に選ばれやすいとか言うもんなぁ。本当かは知らねぇーけど。だったら俺もこの村に生まれたかった」
勇者。
リウル・クォーツレイ。
歴代最強の英雄。
この村の出身。
―――オレの家の家名はクォーツレイ。
そっか。
オレには………兄がいたのか。
兄は勇者に選ばれ、きっと帝都に連れて行かれたのだろう。そして母はオレに“兄”の代わりになれと言ってるんだ。
勇者に選ばれることのなかった、本来の兄の人生を。代わりにオレにやれと。
なに、それ。
そのためにオレは叩かれて、嫌なこと無理矢理やらされてたわけ?
「“リウル”、どこに行ってたの? 外で遊んでたの? 良い子ね、熱も出てない。良かった、やっぱりお前は私の子供だわ」
「………」
「? どうしたの、“リウル”。ただいまって聞いてないわよ? 言いなさい、ほら」
徐々に声音がキツくなっていく。
また怒るつもりなんだ。
早く言わないと、ただいまって。そうすれば耳も痛くならないし、叩かれることもなくなる。
今日は機嫌がいいのかもしれない、このまま従順にしてれば。
このまま言われた通り大人しくしてれば。
―――キノコが嫌いだ。
―――外で遊ぶのが嫌いだ。
―――母が嫌いだ。
―――父も嫌いだ。
だけど。
「っ、オレは!」
だけど、それよりも嫌いなのは。
「オレは兄さんじゃないんっ! 勇者でも“リウル”でもない! オレは――――こんな名前大っ嫌いだ!!」
もう限界だった。
理不尽に怒られるのも叩かれるのも。
“オレ”を否定されるのも。
いやだ!
いやだ!
もう嫌だ!
うんざりだ!
初めて叫んだように思う。本音を母にぶつけたことも。
はぁはぁ荒い息を零しながら、達成感と―――そして恐怖心に、ゆっくりと顔を上げる。
無表情の、母の顔。
殺される。
そう思った。
「突き抜けろ、早駆けの矢―――“駆し矢”」
ヒュガッ! と二人の間を何かが突き抜けて、壁に何かが刺さる。矢だ。驚き何が起こったのか分かっていない母よりも早くに我に返ると、本能に突き動かされるまま家を飛び出した。
「“リウル”!」母の怒りに満ちた呼び声が、更に背中を押す。
殺される。
怖い。
助けて。
「こっちおいでぇ~! はやく!」
村の中を駆けていると、建物の影から顔を出した男が手招きをしている。弓を持ってるから、きっと先ほどの矢は彼の仕業だろう。
自然と助けてくれた男の方へと足を向ける。
誰かは知らないが、きっとこの人は助けにきてくれたんだ。
「はぁっ、はぁっ」肺が痛い。だけど母に叩かれるよりは痛くない。
必死に空回る足を動かす。前に進めてはいる。だけど遅い。
近くにいた村人が異変に気付いたのか、それとも母の声に反応したのか、オレを捕まえようと手を伸ばしてくる。
怖い。
怖い。
また連れ戻されてしまう。
「たすけ、」
掠れて、息が漏れたような微かな声を上げる。
助けて。
そのとき――まるでその声に応えるかのように、風が頬を撫でた。
刹那、グゥオオオオ―――ッ! と背後で突風と、それに転がされた村人の悲鳴が聞こえる。咄嗟に振り向きたくなる気持ちを堪えて弓を携えた男の元まで着くと、彼はオレをひょいと持ち上げて肩に担ぐと一目散に村から離れる。
まるで人攫いのようだ。
だけど助けてくれた。
これからどうなるのかという不安と、母からも村からからも逃げ延びられた安堵から、男の肩にぎゅっとしがみつく。すると優しげに背中をポンポンと叩かれた。
母に叩かれるのは痛いのに、これは痛くない。
目に涙が滲んだ。