8-4
とんでもない爆弾発言に、さすがのガ―ウェイも言葉を失った。
「ゴーズ……お前、麻薬欲しがるほど繊細な神経してないだろ。なんかの実験か? それとも」
「失礼ですぞ、アルニ。ボクはいつだってメイサとサーシャの運命に心を痛める迷える子羊だというのに」
「し、詩人だね、ゴーズさん」ずれた指摘をするティフィアへ「詩人! そう! 愛する者たちの存在がボクにユーモアと情熱とイマジネーションを与えてくれる!」とちょっとよく分からないことを返す。
「メイサ……――そうか、テメェあの女に飲ませてた薬……!」
ようやく復活したガ―ウェイに、正解ですぞ団長とゴーズは指を差した。
「知らない方が多いので説明すると、ボクの愛する美しい女性であり、あの可愛すぎてついつい抱きしめてあげたくなってしまうサーシャの母親です」
「!」
「今は別室で寝かせていますが、その美しさに魅了されぬよう皆さんに会わせるつもりは一切ありません!」
メイサという人とサーシャが関わると面倒くさいなと思いつつ、「じゃあ麻薬はその人にあげてるってことか……中毒者、なのか?」とアルニが問う。
「いえいえ、メイサは病気なのです。医者も匙を投げるほどの死の病ですよ。発作のように喉が狭くなり、代わりに肺が膨らむ。息苦しいだけではなく、肺に圧迫された心臓や骨が軋むように痛みだす。そうして膨れ上がった肺はやがて心臓の鼓動を止めてしまう……これは一体なんの病気なんでしょうかね?」
困ったように苦笑するゴーズに、誰もが返す言葉をなくした。
「不思議なことにグラバーズではこの奇病があちこちで発症しているらしく。為す術もないボクは、せめて彼女の痛みを和らげてあげることしか出来ないのです」
「麻薬は麻酔にも使われる場合がある。……だが、メグノクサの花は作用が強すぎるのでは?」
「さすが薬草専門家。確かに依存性も強いメグノクサの花は下手するとメイサの心を壊してしまうでしょう。でも、それは痛みも同じですよ」
強烈な痛みを断続的に与えられれば、人の心は挫けて折れる。まるで拷問だ。
「普通の薬ではもうメイサから痛みを取り除けなかったんです。そこで以前カムレネア王国で麻薬を栽培しようとしていたという噂の男に接触したところ、まぁ値は張りましたが理解を示してくれましてね」
「……」複雑そうに眉を顰めながら、ラージは眼鏡のツルを人差し指で押さえる。
「だから今回の作戦において、実はボクは君たちを裏切るつもりでした」
オブラートに包むこともなくハッキリと断言した彼に、さすがにレドマーヌも食事する手を止めた。
「テメェはそういう人間だってことは分かるがよぉ、俺にまで隠す必要があったかぁ?」
そもそもガ―ウェイは一応ゴーズに頼まれて協力していたのだから、まさかガ―ウェイまで切り捨てるのはおかしい。
「団長は嘘つくのが苦手ではないですか! それに変なところで甘いですし。あと団長なら死んでも死ななそうだし、脳筋な団長に説明するのが面倒く……こほん、まぁなんとかなるか、と」
ほぼ本音がダダ漏れだ。
「シめる」と額に青筋を浮かべて静かに席を立つガ―ウェイに、どうどうとティフィアが宥める。
「でも結局は裏切らなかっただろ? それはなんでだ?」
姿は消してたしあまり協力的ではなかったが、結果的にみればかなり貢献してくれているのはゴーズだ。
裏切るつもりだったというのに、正反対のことをしているのはどうしてだと尋ねるアルニに、ゴーズは「いやはや、ちょっとそこの枢機卿員と話をしましてね」とカメラを一瞥する。
「――そう、自分が頼んだんだよ。教会から麻薬を横流ししてあげるから、ティフィア様たちを助けてあげて欲しいって」
「は?」
疑心の眼差しを方々から向けられるが、それを彼女は愉快そうに笑みを浮かべる。
「でも行方不明者の救出はゴーズ君が頼んできたんだけどね」
「どうせメビウスを裏切るならと思いまして。交換条件ですぞ」
「おかげで助かりました……」と頭を下げるウィーガンに、いえいえついででしたので、と返すゴーズ。言葉通り、本当についでだったのだろうが。
「さすがに慣れない転移術の連発は疲れましたなー! あっはっはっはっはー!」
そして次の瞬間――大きく笑い声を上げるゴーズの左頬に、ガ―ウェイの拳がめり込んで吹っ飛んだ。
ガタガタガタンッ!! と使っていなかったテーブルや椅子を巻き込んで飛んでいったゴーズを殴った張本人は「ムカつく笑い方しやがってよぉ。何が交換条件だ、テメェ!」と極悪な表情で睨む。
「いてて……短気は損気ですぞ団長! 暴力断固反対!」
「黙れや! 殺されなかったことに感謝しやがれ!」
巻き込んだ瓦礫から右腕だけ伸ばして暴力反対を訴えるゴーズをげしげし蹴りながら苛立った様子のガ―ウェイ。カメラに助けられたことが気にくわないようだ。
「い、いいのアレ……?」放っておいても大丈夫かと問うティフィアに、アルニは「アレが通常運転だから問題ねぇよ」と返す。
「それにしても助かったとは言え、素直に感謝出来ねぇよなぁ」
ジトっとカメラを見れば、それに気付いた彼女は綺麗に微笑む。
「自分のこと信頼してくれないのかい?」
「いや出来ねぇだろ」
「即答か、悲しいなぁ。……ティフィア様はどうかな?」
「え、え~と……」
「胡散臭い人間はお断りッス!」どう答えようかと困っていると、何故かレドマーヌが声を上げた。
「レドマーヌ……?」
「レドマーヌはティフィアの味方ッス! ね! アルニさん!」
「……」明らかに先ほどアルニに頼まれたことを意識しているのだろう。知らないティフィアとカメラは不思議そうにこちらを見てくるが、全ての視線を遮るように溜め息を吐き、そして席を立つ。
「悪い、疲れたから部屋で休んでる」
「う、うん。……、」
言い残して食堂を出て行くアルニの背中を見送りながら、ティフィアは口をもごもごさせた。
アルニの様子はおかしいままな気がする。“いつも通り”を演じてるような、そんな感じ。だから何か声を掛けたいのに、なんて言えばいいのか分からない。
大丈夫かと聞いても、きっと彼は平気だと返すだろう。
今までだってそうだ、無茶してばかりで。
サハディ帝国のときだって。
「どうかしたッスか?」
眉を顰めて俯くティフィアを不審がり、心配そうに尋ねるレドマーヌ。
「………ねぇ、レドマーヌ。元気のない人に何かしてあげたいときって、どうすればいいのかな?」
「元気がない……ラージのことッスか?」
「え、」
「ティフィア様はラージ君のことが好きになったのかい? なんだ、自分はてっきり――」
「ちがっ! 違います! そういことじゃないよ!」
確かに元気がないのはラージもだけど、これ以上は僕に出来ることはないと思う。――て、あ、あれ。そういう考えで言うならアルニだって同じだ。
何を悩んでいるのかは分からないけど、ティフィアには関係ない事柄だろう。余計なことして、また怒られるかもしれない。
……――でも、だって。
「う~ん、レドマーヌには分からないッス……。そもそも魔族は悩むことはしないッスから」
「そっか……」
役立たずでごめんッス! と謝る魔族少女にそんなことないよと言っていると「プレゼントとかはどうかな?」カメラが助言してきた。
「プレゼント! いいじゃないッスか! 人間同士、そうやって絆を深めるって元魔王様から聞いたことあるッス!」
鼻息荒く賛同するレドマーヌに苦笑しながら、プレゼントかと思う。
確かに悪くはないかもしれないけど、アルニはそんなもの貰って喜ぶだろうか……?
「アルニ君は装飾品とか身につけないし、これという武器もないしね。短剣も使い捨てだし」
「? あれ、アルニさんにあげるッスか?」
「ティフィア様、アルニ君へのプレゼントだよね?」
「う、うん」そう何度も聞かれるとちょっと恥ずかしいな、と頬を赤くする。
「アルニさんだったら、けっこう食いしん坊ッスよ? 前にお腹空いたレドマーヌに携帯食分けてくれたッス! めちゃくちゃ美味しかったッス~!」
それ満面の笑みで言うことではないし、レドマーヌも食いしん坊だと思うけど。
そう胸中でツッコミながら、確かに一緒に旅をしていて、あれが美味しいこれは駄目だとか教えてくれた気がする。あんまり覚えてないけど。
「それなら、何か作ってあげたらどうかな? ティフィア様、料理の経験は―――ないよね」
聞く前に断言された。
確かにそうだけど複雑だ。
「ニアが駄目だって……料理なら私がするって……」
「過保護ッスねぇ~!」
今まではそんなこと微塵も感じたことなかったが、ニアとリュウレイがいなくなって、あの二人を過保護だと称していたアルニの言葉が分かってきた気がする。
「アルニ君も料理は出来るし……それならお菓子はどうかな?」
「お菓子」
「簡単なやつなら自分が教えてあげるよ?」
「何を企んでるッスか、枢機卿!」「え、ここでそれを疑うのかい?」二人が何か言い争っているが、ティフィアはすでに思考の海にいた。いや、思考というよりは妄想だ。
完璧に作りあげたクッキーのような物をアルニに渡すと、アルニが嬉しいなー! と喜ぶ幻想のようなイメージが。
「……うん、良いアイデアかもしれない!」
これだ! とティフィアはカメラの手をいきなり握ると「宜しくお願いします!」とすでに指南してもらう気満々だ。
ちょっとは警戒しようよとカメラは苦笑したが、ティフィアのお菓子作りに協力することを了承した。
「みゅあ~、うるさいヤツらにゃ。というか緊張感がなさすぎる」
「……」
「…………ラージ?」
反応のない青年を訝しげにのぞき込めば、彼は座ったまま目を閉じ、小さく寝息を立てていた。
無理もないだろう、今日一日でいろいろありすぎた。
それでも人前で眠ったことがないはずのラージが珍しいこともあるものだと感心しつつ、仕方ないとミュダはラージから離れると人の形に戻り、そのまま彼をお姫様抱っこする。
「やれやれ、世話が焼ける。……みゅぁ~、せめて今ぐらい良い夢見るにゃ」
一瞬、慈しむような優しい眼差しを向け、ラージを抱えて部屋から出て行った。
***
サーシャは母親が横たわるベッドの横に食事を置くと、固く目を閉じて苦しげに息をするメイサをじっと見つめる。
「おかぁさん」
声をかけても応答はない。当然だ、ゴーズが痛みを和らげるためにと麻薬を飲ませ、精神が摩耗しないよう眠らせているのだから。
「……ごめんね、おかぁさん。サーシャがもっとイイ子だったら、“かみさま”がサーシャのお願いきいてくれたかもしれないのに」
かみさま、とサーシャは願う。
「かみさま、どうか……おかぁさんを連れていかないでください。サーシャのおかぁさんなの。サーシャにはおかぁさんしかいないの」
しかし幼いながらもサーシャは理解している。願いは届かない。奇跡などない。
“神様”なんて――存在しない、と。
「…………おかぁさん、」
メイサの手をぎゅっと握り、彼女の翠色の瞳がチカチカと透明度のある金色になる。
「ごめんね、おかぁさん……サーシャのせいで。ごめんね……ごめんなさぃ………」
そして少女はこれも理解している。
自分の母親が病になったのも、これほど苦しみ、痛みに悶えているのも、全て―――サーシャ自身のせいだということも。
***
黒い雨が止もうとしていた。
常人では聞くことの出来ない精霊たちの悲鳴が、断末魔が途切れる。
それと同時に、踏み荒らされマレディオーヌの攻撃によって抉り取られ、それでも僅かに残っていたメグノクサの花は、今や黒い雨のせいで真っ黒に染まっている。
と、不意に。
「ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ」
呻き声にも似た“何か”が響く。
「マ、だ。――お、おわ、ぉ、わり、じゃ、ナい」
「ソぅ、う、う、ダ、ぁ」
「こ、ここ、コ、ぉ、ロ、せ、ぇ、ェ」
「シぇ、ぇ、え、シ、ネ」
「ぁ、ぁ、ア、ぃ、い、ィ、つ、を、をヲ、を」
黒い雨は止んだ。
しかし、そこには黒いシミが残っている。
シミは広がり、そこにあったはずの色も黒く、黒く、黒く、塗り潰して。
「あ、あ、ぁ、タ、たり、なイ」
「た、リ、リ、リ、ぃ、なぃ」
「ナイ」
「黒」
「黒」
「黒」
「も、モモ、も、ぉ、らぃ、ィ、に」
「イ、ィ、ィ、い、くぅ、ゥ、ぅ、ぅぅ、う」
やがて黒いシミは動き出し、収束し、それは人の形をする。
「ぁ、ア、ぁ、ぁ、は、ハは、」
どろり、どろり、と黒いシミを滴らせ、人の形をしたそれは口の部分をパカリと開いた。
「ァ――、ア、ぁ、あ、あ―――、ぁ? ぁあ? ん”、んん”、ムツか、シィ、ィ、い、い?」
呻き声に似た“何か”は、
「む、むツ、ツ、ヅ、ず、かしぃ………い? あ、ああ”、うん、ん”っ、ン、でキ、タ?」
徐々に舌足らずな声となり、
「マ、だ、ぁ、ぁ、あ、あ、――? お、おお、いい、ゾ」
徐々に野太い声となり、
「――――あ、ああ、これ。これダ。いい。イ、い? ちが、う。え。え、ダ。ええ、な……? そ、そゥ、エエな」
徐々に耳障りの良い声となり、
「ええな、これ。これや、コレ。うん。……くくっ、なんやこれ。しっくりくるで?」
――色が変わる。
ざぁ――っ、と黒い人型の『何か』は、『誰か』へと変貌を遂げる。
「くっ、クククッ……なんや、俺、死んだんちゃうんか? 死んだ? あ、そうや。グアラダを道連れにしたもんな?……でも、なんでや? 感じる。グアラダも、ラージも、生きてる……? なんでや。俺は死んだのに。あいつらが生きてる? ふざけるな、そんなこと許さへん。そうだ、許さない。許せない。殺す。俺の夢ぶっ壊しとイテ、許セルわけ。ない、やろ? ククッ」
黒い長髪を一つに束ね、はだけた礼服を着た優男メビウス・ダミアン。
――否、メビウスらしきモノは、ぶつぶつ独り言に忙しい。
「殺す。殺す。殺す。ククッ、なんや、お前さんたちも嬉シそうやな。……え? あぁ、光。光を塗り潰すんか。黒。黒色。黒ク染メテ。無。無が、広がる。痛みも苦しミカラも、解放しなケレバ。――俺、ノ。花よ。花たち」
メビウスらしきモノが両手を広げると、彼の影が大きく広がり、そこから深い闇のような色をしたメグノクサの花が咲き誇る。
それを一輪手に取って鼻に近づけるが「違ウ」と放り捨てた。
「……黒。黒。足りナイ。まだ、足りひん。貰わないト……増やシて貰わないと……。俺の花。世界中に咲カセるんヤ………」
黒。黒。黒。
そうぼやきながら、ズルッ、ズルッと彼は影を引きずるように歩き出す。
崩れた瓦礫を避け、地下通路の奥へと向かっていきながら。
第4章前編 了
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