8.そして
「……少し、回復しましたぞ……」
目の下にくっきりと隈を浮かべ、まだ疲労感を残したゴーズが目を覚ましたのは、その数分後だった。
「ゴーズ、テメェに色々聞きてぇことはあるが、その前に転移術だ。ここだと見つかるのも時間の問題だからな」
ガ―ウェイの言葉に、この場所に転移させた張本人も分かっていたのか「そうでしょうな」と大きく頷いた。
「あ、でもその前に」
「ん?」
ゴーズはラージへと視線を向け、それから彼は言った。
「行方不明者ですが、そこの枢機卿員からの協力もあって――全員安全な場所に保護しています」
「!」
それは思ってもみなかった朗報だった。
メビウスが死に、教会からも政府軍からも追われる立場であるラージには、『薔薇の館』を捜索することが非常に困難だったからだ。
「中にはランファと呼ばれていた女性もいらっしゃったので……母親なのでしょう?」
「あ、ああ……」
「今からボクの家に転移します。ランファさんたちもそこにいますよ」
もう、会えないものだと。そう思っていたからか、ラージは喜びたいのに上手く反応が出来ずにいた。
「はぁ……過労死しそうですな。もう一人魔術師がいてくだされば」
「贅沢言うんじゃねえ! とっとと魔術使え!」
ガ―ウェイに蹴られ、気だるい体をなんとか起こして術式を展開する。
そして転移術は――半分成功した。
「うわわっ! そ、空!? 空の上!?」
慌てふためくティフィアの言葉通り、魔術紋陣から落とされた一行たちは空の上から地面に向かって落ちていた。
「ゴーズぅぅうううう! テメェあとで絶対ぇシめるっ!」
再び魔力を使い尽くして眠るゴーズの隣でガ―ウェイがぶち切れた。
「う、うわぁ……管轄が近いとは言っても、さすがに全員【空間転移】は無理かな」
「アルニ、魔法は!」
「っ、さすがにこの高さからの勢いは殺しきれない!」
すでにアルニは魔法でなるべく落下の勢いを削いでいるのだが、いかんせん魔力量に問題がありすぎる。このままだと潰れてしまう。
糞ッ、とガ―ウェイは杖を構え、ティフィアもまた剣を取り出す。
地面に直撃する寸前を狙うしかない。
「ラージ、ちょっと離すみゃ」
「へ、」思わずしがみつくように抱きかかえてきたラージの胸から抜け出すと、ミュダは人型に姿を変え、【幻夢の刀】を出現させる。
そして。
「みゅっ!」地面に向けて一閃。
ガッ! ブォオ―――――ッ!
ミュダの一閃は地面を斬ることも抉ることもなく、凄まじいほどの爆風とも呼べる向かい風を噴き上がらせる!
「これなら!」
一気に落下の勢いがなくなったのを良いことに、アルニはすかさず風の精霊を呼んで全員を地面へとゆっくり着地させた。
「ミュダ、すごいッスね! その刀、ちょー強いじゃないッスか!」
そして片翼しかないにも関わらず、ゆっくり宙を降りてきたレドマーヌはミュダの刀を絶賛する。
「ふんっ、人型にならないと使えにゃいのが欠点だが」
褒められたことに満更でもなさそうに得意げな表情をし、ネコの姿に戻ると当たり前のようにラージの肩に跳び乗る。青年もまた当然のようにそれを受入れ、ミュダの体を優しく撫でた。
その様子はまるで、長い間ずっと共にあり、信頼しきっているかのような。
――“あのとき”の二人みたいだなぁ、とティフィアは感慨に耽る。
グアラダの心の中に入ったとき、二人が笑い合っていた、あのときだ。
「……」
ようやく分かり合えたはずだったのに。
……ありがとうって感謝してくれたのに。
僕は。
「――で、ここがゴーズの家なのか……?」
訝しげなアルニの声に我に返る。
目の前にはレンガ造りの小さな一軒家が建っていた。そしてその周囲を取り囲むように黒い霧と深そうな森があり、ちょっと不気味だ。
ああ、とガ―ウェイは頷く。「その森と霧の中には入るなよ。一生そこで彷徨いたいなら別だけどよ」
「魔術か?」
「魔道具でやってんだとよ」
「結界の代わりということか。すごい技術だな」感心したようにラージが呟いた、とそのときだ。
がちゃり、とゴーズの家の扉が内側から開かれ――小さな人影がそこから顔を覗かせる。
「おきゃくさま?」
くすんだブラウンの髪に大きな翠色の瞳の、愛くるしいその少女に驚く中「あ、オジサンだ!」と顔見知りを発見したのかガ―ウェイを指差して玄関から飛び出した。
「ゴーズのおじちゃんもいる!」
そしてガ―ウェイの足元で寝ているゴーズに駆け寄ると、その頬をツンツンと突き始めた。
「……ガ―ウェイ、まさかこの子ゴーズの娘とか言わねーよな?」
「ゴーズの遺伝子でこんな素直で良い子が出来るわけがねぇだろ」
「そうだよな」
なんとなくアルニが安堵していると、「サーシャさん! 外は危険ですよ!」更に家から飛び出してきたのは白髪の中年男性だ。皺が深く刻まれ、左目には眼帯をつけている。
「ウィーガン……? ウィーガンなのか?」その男に反応したのはラージだった。
呆然と呼びかけたその名前に、眼帯の男は濁った右目を見開き、そしてゆっくりとラージの元へ近づくとその頬を骨張った両手で包みこむ。
「まさか……ラージ、か?」
「あ、ああ」
「っ! ぁ、あああぁぁっ……生きて、また会えるとは!」
頷くラージに感極まって抱きついたウィーガンという男は涙を流し、それから体を離すと青年に土下座をした。
「すまない! すまなかった!――君を一人にしてまで……わたしはランファ様と共に戻ると約束したというのに………っ」
「ウィーガン……」
「それだけではなく……わたしはランファ様のことも守れず――!」
「!」ウィーガンとの再会に戸惑いがちだったラージが、その言葉に息を呑んだ。
「は、母上……母上に何があった!? どこにいる!」
こちらです、と家の中へと戻るウィーガンの後を追うようにラージがついていく。
忙しない展開にティフィアたちも戸惑っていると、ゴーズをツンツンしていた少女がそれに気づき、「あのね! オジサンたちも入っていいんだよ? みんなつかれたお顔してるの……。部屋はね、サーシャがじゅんびしたよ! みなさん休んでくださいっ」と身振り手振りで必死に伝えてくれる。
その健気さに癒やされながら、ティフィアは身をかがめて少女に挨拶する。「ありがとう、そうさせてもらうね。僕の名前はティフィア・ロジスト。ティフィアでいいよ。宜しくね」
「あっ! そっか、まだじこしょーかいしてなかった……サーシャはね、サーシャ・モーキスって言います! もうすぐで6さいです! よろしくおねがいします!」
大きく頭を下げて自己紹介したサーシャの頭を撫で、そして彼女を先導に一同も家の中へと入って行った。
玄関を潜るとそこは小さな部屋が一室。ただし壁やら宙には扉だけがあちこち設置されており、だいぶ奇抜なレイアウトである。
「……もしかしてこれって、」
亜空間でつくられた部屋に繋がる“扉”だろう。ローバッハ港町のジエン酒場でも見たのと同じだ。
「サーシャについてきてね」そう言って近くの扉へ入っていく少女を追いながら、ゴーズを背負ってついていくアルニはカメラを横目で一瞥した。
サーシャ・モーキス。
前に脅迫されてまでマレディオーヌから守って欲しいと頼んできた、その対象者。
一見普通の女の子にしか見えないのだが、なにかあるのだろうか。
――カメラは何かを隠している。それも、かなり重要なことを。
「……」
だけどそれは俺も同じか、と視線を戻した。
「この先の、ろうかにあるお部屋をつかってください! あ、でも、つかってるところもあるから、ええとね、」
あそことあそこは使われてるからダメだよと指を差すサーシャに「サーシャちゃん、ラージ……眼鏡をかけたお兄さんが行った場所はどこかな?」と問う。
「こっちだよ!」
快く案内してくるようで、ティフィアの手を引きながら一緒に向かった。
アルニはゴーズをベッドに寝かせるべく別れ、レドマーヌは「ちょっと元魔王様に報告してくるッス」と言って消えたため、ガ―ウェイとカメラは二人の少女についていく。
そうして到着したのは廊下の奥にある一室。ティフィアとサーシャは入っていったが、ガ―ウェイはなんとなく予想がついているのと、部屋に入らずに部屋の前の壁に寄りかかるカメラの監視のために同じように廊下で待機することにした。
薬が切れてジクジク痛む足に溜め息を吐き、先ほどの――マレディオーヌとの戦いを思い返す。
ほぼ無数に出せる黒い筐体。
しかも即座に修復可能。
一つ一つが強力な光線を放ち、合わさればそれだけ強大な威力になる。
いずれ、というより近いうちに――必ず再戦しなければならなくなる。
そのときにあのバケモノをどう倒せばいいのか。
こういうときにニマルカがいると便利なんだがなぁ、と内心愚痴っていると「ガ―ウェイ、」とカメラに呼ばれ、伏せていた視線を上げる。
「……気安く呼ぶんじゃねぇよ」
嫌悪感丸出しで返せば、やれやれとカメラは肩を竦めた。「ずいぶん嫌われてしまったようだ」
「安心しやがれ、女神教の教徒にはもれなく全員不審感しか抱いてねぇよ」
「ふふっ、まぁそうだろうね」
「特に――“勇者派”の筆頭であるテメェはな」
「おや、自分を特別視してくれるなんて……光栄だよ」
目を細めて、茶化す彼女を睨みつける。
「――テメェ、何を企んでやがる」
「なんのことかな?――って言いたいところだけど、君に惚けても無駄か」
「グラバーズ国はテメェの“管轄”だったな」
「そうだね」あっさりと同意するカメラに、不審感は積もる一方だ。
「……一応否定しておくと、自分はこれでもティフィア様たちにとって“ためになること”しかしていないと思ってるよ?」
だから敵ではないと、そう言いたいのだろうか。
「それはテメェのさじ加減だろうが。本当にためになると思ってんなら、そもそもこの国になんて来させねぇだろ」
「意外と甘やかすタイプなんだね、君。それじゃあティフィア様は成長しない」
「そのためなら教会と対立させても、死にかけても良いってか? そりゃあずいぶん――“勇者派”らしくないんじゃねぇーか?」
確かにそうだね、とカメラは返し、そして「うーん」と逡巡するように唸る。
「……君はティフィア様のこと、大体は知っているんだろう?」
「まぁな」
帝国の王女フィアナのクローン体で、クローツの養女にして人工勇者。
つくづく憐れな少女だとは思う。
「でも教会は彼女を警戒している。……イレギュラーな存在を、教皇は恐れているんだ」
「イレギュラー、ねぇ?」
生まれるはずのない命。存在しないはずの存在。それが教会のトップを脅かしているというのは、どうにも腑に落ちない。ガ―ウェイから見てもあの少女は、ただの弱い少女でしかないからだ。
「自分はね、アルニ君が“鍵”になってくれると思っているんだ」
「――あ?」アルニが鍵? 何言ってんだコイツ。
「『勇者』は運命が選び、世界を救い『英雄』となる。それは神であろうと覆せない――理。……自分は、ティフィア様ならきっと、」
――神をも殺してくれると信じているんだ。
「……」
その歪な盲信にうっとりと酔いしれる彼女は、なるほど確かに“勇者派”の人間なのかもしれない。
ティフィア・ロジストは『勇者』ではない。
だけど彼女はティフィアこそが本当の『勇者』であり、『英雄』たりえるとそう信じている。
……だけどよりによって『神殺し』を望んでいるとは。
女神教の人間の発言とは思えない。
いや、カメラの言ってる“神”がレハシレイテスを指してのことかは不明だが。
何にせよ面倒そうなことを企てていることは間違いないようだ。
――ここで殺すか?
一瞬過ぎったそれに、どうせ空間転移されて失敗するかと思い直す。
それに何を企てているにせよ、彼女は枢機卿の一員。しかもその能力は便利なものだ。
マレディオーヌとの戦闘に役立つだろうし、それまでは注意しながら見てるしかねーか、と己を納得させた。