5-8
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――真っ暗な世界が広がっている。
ラージは何故か異様に軽い己の体を思わず確認し、それから隣でキョロキョロと辺りを見回す勇者の少女へ視線を移した。
「“ここ”はどこだ、勇者。何をした」
グアラダが裏切り者だとすれば、ティフィアが本当の『勇者』かどうかすら疑わしい。
権利書の在処を吐かせるための、なんらかの術かもしれない。
警戒を強めて問えば、ティフィアは「うえぇっ!?」と驚いたように声をあげると、何故か頬を赤らめてラージへ振り返る。「え、えー……と。何を、したんだろ、僕」
「……惚ける気か?」
「え!? いや、ホントだよ! そもそも僕は魔術も魔法も使えないし……」
本当のことを言っているのか、それともシラを切るつもりなのか。
「まぁいい。とにかく真っ暗で何も見えないし、何か明かりになる物は――」
「……え?“何も見えない”?」
「――何故、私の中に二人がいる!」
ラージとティフィアが振り返ると、今まで向けられたことのない怒りに満ちた水色の瞳で見据えてくるグアラダの姿。
「グアラダ……!」咄嗟に身構えたが、ラージとグアラダの間に入ったティフィアが「駄目!」と手で制した。
「……グアラダ、ごめんなさい。怒るのは無理ないと思う。でも、僕はこのままじゃ嫌だ」
「独りよがりもいい加減にしろ! お前が嫌だろうがなんだろうが――」
「ラージ!」
グアラダの言葉を遮って、ティフィアがラージを見る。
「ちゃんと見て。ちゃんと耳を澄ませて。そうすればラージも分かるよ――“ここ”がどこなのか」
「止めろ!」
いつの間にかグアラダの手には刀が現れ、口を封じようと彼女が襲いかかってくる!
ティフィアはそれを避け、グアラダへ体当たりすると二人は一緒に転がるように倒れた。
「ラージ! 早く!」
転がったときに刃に当たったのか、肩口に血を滲ませながらティフィアが叫ぶ。
「っ、」
何がなんだか分からないラージとしては、言う通りにしていいものかと躊躇う。
だけど騙しているようには、不思議と思わない。
それに「よく見て耳を澄ませろ」なんて、罠としては不可解すぎる命令だ。
えい、ままよ! とラージは見渡す限りの暗闇へ目を凝らす。
黒色に塗りつぶされていたはずの視界は、――しかしぼんやりと何かが浮かび上がってくる。
白い、大きなスクリーンのようなものだろうか?
「止めて! 見ないで! 見ないでください、ラージ!」
グアラダの悲痛な叫びを背に、次第にハッキリと見えるようになったスクリーンに映し出される映像に唖然とした。
視界を埋め尽くしていた暗闇。それはいつの間にか全方位に広がるスクリーンを浮かばせ、無数の映像を流していた。
『グアラダ、お前ずいぶんと文字の読み書き上達したな』
『おい、グアラダ。眼鏡の予備はそんなに買う必要ないだろ。俺はそんなに壊すつもりは――』
『グアラダ! 大変だ、貯蔵しておいた俺の糖分補給菓子が溶けてなくなってしまってる!』
『ん、グアラダ。お前もついでだ、新しい服を新調したらどうだ? いつも――』
『………母上なら、失敗しないのに。やっぱり俺は駄目だな……』
『グアラダ、裏が取れた。あいつはやはり裏切り者だ。こちらの情報を漏らされる前に、』
『や、やったぞ! 新規の契約がとれた! グアラダ、聞いてくれ!』
『おいおい、グアラダ。そんなにがっつかなくてもご飯はなくならないぞ』
スクリーンを埋め尽くすほど、己の姿が映し出されている。
しかも、聞こえてくる音声すらも。
ぽかんと口を半開きに呆けながら眺めていると、不意に優しく視界を塞がれた。
グアラダが後ろから、ラージの頭を抱えるように隠したのだ。
「――見ないで、と……言ったじゃないですか」
声も、ラージの頭を抱える腕も震えている。
「“ここ”は―――」
グアラダ、お前の“心の中”なのか……?
ぎゅ、と抱きしめる強さが増し、ラージは口を閉ざす。
「……違います。これは私の記憶です。ただ、ラージと一緒にいる時間が長かったから。だから、それで、」
もしも彼女の言う通り“記憶”だとすれば、ラージしか映っていないのはおかしい。例え長く一緒にいたとしても、それこそメビウスや反乱軍の仲間が多少なりとも映っているはずだ。
グアラダは嘘を吐いた。
きっと、今までも。
――その理由が、気付きたくなくとも分かってしまう。
視界を塞がれても聞こえてくる自分の声。だけどそれに紛れるように、グアラダの声も微かに聞こえてくるのだ。
好き。
好きです。
ラージ。
愛してる。
「……………」
息が詰まるほど、甘く切ない声。
どうして俺は気付かなかったのだろうか。
こんなにも守ってくれていたのに。
こんなにも大切にしてくれていたのに。
何も言わず側にいてくれたのに。
もう――とっくに独りぼっちではなかったのに。
「グア、ラダ…………お、俺は、」
先ほどの暗闇は、おそらくティフィアには見えてなかった。彼女には最初から、このスクリーンも声も聞こえていたのだろう。
ラージだけが見えてなかった。聞こえなかった。――否、見ようとも聞こうともしていなかった。
怖かったのだ。心を許して、信じ切ってしまったら……裏切られたとき、堪えられる自信がなかったから。
だから自分に言い聞かせるように、誰が裏切っても平気なように、常にそればっかり考えていた。
「俺、は………」
――なんて言えばいいのか分からない。
そもそもグアラダが俺に恋愛感情を向けていたからと言って、それで裏切ったことがなくなるわけではない。
だからなんだ、とグアラダを突き放したって良いくらいだ。
第一、彼女を女性として見たことなんて一度もない。
グアラダの想いに何も返せないし、それにこれから彼女とどう接していいのかも分からない。
だって裏切ったんだ。
グアラダは、裏切り者だ。
いくら俺のためだったとしても、好きだったからこその行動だとしても、今まで通りの関係にはもう戻らない。戻れない。信じることが出来ない。
なのに俺は……どうしてこんなに言い訳ばかりしているのだろうか。
―――俺はグアラダのこと、どう想っているんだろう。
震える彼女の腕に触れる。
泣いているんだろうか。それとも、まだ怒っているのだろうか。
そういえばグアラダはいつも無表情で、微かに感情を浮かべるだけで……出会って間もない頃はどう接していいのか手探りだったな。
名前を呼ばれるのが好きそうなのは知っていた。呼ぶとすぐ駆けつけてくる。「どうしました、若」と命令を待つ犬のように。
それも俺のことが好きだったからなのか。
たまにジッと見つめてくるのも、距離を測りかねているような様子も、何か言いたそうな口振りも。
そんなに、俺を好きでいてくれていたのか……?
「――――――グアラダ、」
そっと彼女の腕を掴めば、すぐにその腕は拘束を外した。
後ろを振り返る。
いつも通り、傍にいてくれるグアラダ。
でも、もう……“いつも通り”は止めよう。
「グアラダ――俺はお前が嫌いだ」
「っ!」傷ついたように、悲しみを堪える水色の瞳。
「俺はお前に裏切って欲しくなかった。傍にいてくれるなら、今まで通りでいて欲しかった」
「………」
「……正直なこと言うが、俺はグアラダが裏切ったときのことを覚悟はしていても――その対応も対処も、策は練ってなかった」
「え?」
「いや、正確には思いつかなかった。お前が裏切ったら、きっと俺はもう終わりだと分かってたから」
メビウスがグアラダを専属騎士と揶揄していたが、あながち間違いではない。常に傍にいて、守ってくれていたのだから。
ラージにとっての主戦力であり、切り札であり、柱だった。
グアラダがいなければ、教会と政府軍相手に張り合えるわけがない。
「グアラダが裏切ったら、俺は死のうと考えてた。そうすれば権利書は一生やつらの手には渡らないだろ?……でも、出来なかった。――実際にお前が裏切ったら、なんかもう、どうすればいいか分からなくなった」
覚悟なんてものは一瞬で忘れ、それよりもどうして裏切ったのか、どうすればグアラダがこっち側に戻ってくれるのか。そんなことを逡巡していた。
「で、ですが! 毒を、」
「あれは麻薬を抜くためだ。勇者が来ただろう? 死線を潜ってきた彼女らが何らかの回復手段を持っているはずと予想した」
「はずって………」確証もなくやったのかと呆れたような表情に、ラージは眼鏡のツルを人差し指で押さえながら「話を戻すぞ」と続ける。
「考えてみたが、俺とグアラダの考えはおそらく平行線だ。お前は俺が好きだから、そのための行動をするのだろう? だが俺は最悪の場合、自分が死んででも権利書を優先する」
「………」
「分かってると思うが、俺はランファ・ブランタークの息子であり、薬草商会の会長だ。……俺はその立場に責任を背負ってる」
「………………」
「だから、あえて言わせてもらう。―――グアラダ、裏切るくらいなら俺と心中してくれ」
俯き暗い顔をしていた彼女が、珍しくきょとんとした。
「お前のすべてが俺だと言うなら、一緒に死んでくれ。お前の心も、その未来も、全部俺に寄越せ」
「―――――な、!?」
一気に頬が紅潮し、その色が耳にまで移る。
「俺は恋も愛も分からない。お前の気持ちを否定するつもりもないし、俺ももう少し考えてみることにしよう。……これは譲歩だ、グアラダ。その代わり――お前の全てを俺に捧げろ」
自分の言ってる意味が分かってますか!? と思いながらグアラダは熱を持ち焼け落ちてしまいそうな顔を咄嗟に逸らす。
なんという破壊力のあるプロポーズ。
諦めていたのに。拒絶されると思っていたのに。
むしろラージは本当にそれでいいんですか、と問い質したいくらいだ。
「……聞いてたか、グアラダ?」
「聞こえてました! だからこっち見ないで!」
「?」逸らした顔をのぞき込もうとしたラージから離れて拒否すれば、首を傾げられた。この鈍感。
でもそれは、グアラダを意識していないからなのだろう。
「……………――ラージ」
「……」
「私には元々ラージしかいません。だから――最初から私はあなたの物です。この命はあなたと共に、この生涯は全てあなたの物だ」
まだ少し赤い顔で小さく笑みを浮かべて誓えば、「契約成立だな」とラージもまた笑みを返す。
それはまるで、初めて名前を教え合ったあの頃のようだった。
やり直そう。
ボタンを掛け違ってしまったあの頃とは違う。
きっと、もう大丈夫。
これからもずっと一緒に笑い合える。
「―――さて、勇者。いつまでそこで耳を塞いでいるつもりだ」
不意にラージが横を向き、手で耳を塞いで目を逸らしていたティフィアへ声を掛ける。なんとなく視線を感じて恐る恐る二人を見て、
「おっ、終わりましたか!?」
何故か声も上擦っている。しかも敬語。
「何に対して言ってるか分からないが、とりあえず和解は出来た」
「! そ、そっか……」恥ずかしそうに二人をチラ見しながら気まずそうに頬を掻く。
「心配だったから離れなかったけど、でも、その……なんだか僕が聞いていいものか分からなくて」
「別に大した話はしてないだろ?」
再び首を傾げるラージに、グアラダとティフィアはぎょっとした。
一緒に死んでくれと言っておきながら、どうやら彼にとってそれは“大した話”ではないようだ。
ある意味大物かもしれない。
「それよりも――勇者、感謝する。ありがとう」
「へ、」
「おかげでグアラダのことも、己のことも、全て切り捨てずに済んだ」
「私からも感謝させてください。……どうやったかは分からないけど、あなたが“ここ”にラージを連れてきてくれたから――ありのままを話せた」
「――――、」
「勇者?」ラージが訝しげに問うが、ティフィアは涙を堪えるのに必死だった。
助けられたのかな。
救えたのかな。
僕のしたことは、間違ってなかったのかな。
――僕に出来ること、ちゃんとあったんだ。
「えへへっ! どういたしまして!」
初めて、本当に誰かを救えた気がした。
「じゃあ、勇者。そろそろ戻して欲しい。こうしている間、“現実”ではどれくらいの時間が経っているかは分からないが、あまり悠長にはしていられないからな」
確かに。
戻ればまたあの混戦状態に身を置かなければいけなくなるのは憂鬱だが、だからと言ってこのままではいられない。
「――――もど、る……?」
あれ、そういえば―――どうすれば戻れるんだろう?
様子のおかしいティフィアに「ま、まさか」とラージが薄茶色の瞳を鋭くさせる。
「戻る手段がない、とか言うつもりじゃないだろうな」
「………ご、ごめんなさい……っ!」
「ごめんで済まされるか!」
「ラージ、落ち着いてください」グアラダに宥められ、ラージは大きく深呼吸する。
すぅ、はぁ。
「…………勇者、“これ”は初めてやったのか?」
「え、あ、ううん。一度だけ―――」あのときも無我夢中だったけど、ナイトメア――ノーブルさんのときと同じだ。僕を受け入れて、と言って。それでノーブルさんと話して。
シスナちゃんの声が聞こえて……ああ、そうだ。光が。
「アルニ、」
ぽつりとそう名前を呟いたとき。
グイッ!
首根っこを掴まれ、誰かに引っ張られる感覚。その瞬間、ハッとティフィアは目を覚ました。
「あ、あれ……?」
メグノクサの花を下敷きに横たわるラージとグアラダが真っ先に視界に入り、それから耳元で聞き慣れた声が「お前、それ二度とやんな。死にかけてたぞ」と。
振り返れば、いつもより黄みがかった灰黄色とかち合った。
「アルニ……!」
「動けるなら立て。……そろそろ決着つくぜ」
彼の視線の先、レドマーヌの矢と氷柱が刺さったネコの魔物の向こうで、あれだけいた傭兵たちが山のように積まれ、それを背に追い込まれたメビウスへガ―ウェイが杖先を向けている。
「ずいぶんと手こずらせやがって。――で、ランファたちはどこにいやがる」
「は、はは……っ! ホンマに化け物か、レッセイ! こんな……嘘やろ………」
ははは、と乾いた笑みを浮かべるメビウスは、まだ現状を受け止められずにいるようだ。
それを眺めていると、不意に服の裾を掴まれ「ティフィア、心配したッス! 死んじゃったらどうしようかと思ったッス!」とレドマーヌが泣きそうになりながら言った。
「ご、ごめんなさい……。なんだか、こうしないといけない気がして」
「いいッス。きっと、それがティフィアの運命ッス。……運命なら仕方ないッス」
「?」なんだか含みのある言い方だなと思ってると、足元で「ぅ、う……っ」「ん、」身じろぎする二人にアルニとレドマーヌが警戒する。
それはそうだ、二人が和解したことを彼らは知らない。
「待って! 大丈夫、グアラダはもう――」
「あん?――っかしィなぁ? 思ったより『-因子』が溜まってねェんだけど」
その声に全員が振り返る。
部屋の入り口からゆっくりと、その人物は姿を現した。
「やッぱよォ麻薬は駄目だな、死んでも喜んじまって。良い夢でも見てンだろうなァ?―――でもそれは困ンだよ」
耳の上で束ねた二本の金色の髪が、濃度の高い魔力を帯びた風圧で靡く。
獰猛な藍色の瞳が“敵”を見据えて、弧を描いた。
「つゥわけでさぁ、アタシが絶望を運んできたってわけ。キミタチが心置きなくバッドエンドを迎えられるよう、協力してやんよ」
彼女が手を広げ、その周囲に魔術紋陣が浮かぶと――合計12個もの黒い筐体が出現する。
「さぁ――死ね! さぁ――絶望しろ! アタシが枢機卿員第2位席―――『破壊兵器』のマレディオーヌさぁ!」
鋭い犬歯を剥き出し嗤い、黒い筐体が黒い火花を散らす。
災凶最厄の兵器が破壊の限りを尽くしに降りて来た。
長くなって申し訳ないとは思ってます。