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――ただその人が、不安や恐怖に怯えることなく、幸せな日々を送れるようになればいいと願っていた。
「どうして、グアラダ!? なんで……ラージのこと、」
アルニを庇うように割り込んだティフィアは、グアラダと対峙し問う。
2人のことをティフィアはちゃんと知ってるわけではない。でも、それでも互いを信頼しきっているように見えた。
だからこそ、グアラダがラージに麻薬を打ったことが、裏切ったことが、信じられなかった。
「何故?――分からないですか、勇者。この状況を見て、ラージの立場を見ても、分かりませんか?」
彼女は苛立ったように手を広げ、部屋に雪崩れ込む傭兵たちやメビウス、通路に転がったままの捜索隊を指した。
「若に味方はいないんです。最初から! 全部! いくら策を弄そうが、いくら勇者が味方につこうが! 若は……っ、ラージは……っ!」
独りぼっち。
初めて会ったあの日から何も変わらない。
――何も、変えることが出来なかった。
「………今頃地上では『政府軍』が、半数が麻薬に犯された『反乱軍』を掃討してるはずです」
「! な、」
「何故、と問うのはもう止めてください、勇者。……私も、反乱軍の半数も、メビウスと教会の駒だ。作戦なんて最初から筒抜けでした」
それでもギリギリまでラージたちを泳がせたのは、メビウスがラージを勧誘したかったのと、ラージがボロを出して権利書の在処をグアラダに伝えるかもしれなかったからだ。
――そう、グアラダは権利書の在処を知らない。
結局のところ、ラージはどれだけ彼女を頼っていても、本当に信頼などしていなかったのだ。
「若は勝てない。勝てっこない! それなら私は、………私は、あの子を死なせたく、ない――!」
唐突にグアラダが一気に距離を詰めてきた!
両手に刀を握り突くような鋭い一撃を咄嗟に躱し、懐へ入ろうとしたティフィアだが「!?」目の前に彼女の膝頭が現れる。
「ア、がッ!」膝蹴りが顔面を直撃し後ろ向きに仰け反るティフィアへ、追い打ちを掛けるように反対の足で側頭部を蹴り飛ばされた。
更に追撃をかけるグアラダへ短剣が2本飛んでくるのを刀で弾き、何やら薬瓶を投擲してきたアルニから距離を取るように後方へ下がった。薬瓶は地面に落ちると割れ、黄土色の粘液が周囲の花にまとわりつく。
「火の――」精霊よ、と続けようとした言葉は、しかし再び出現した鏡によって遮られてしまう。鏡に映る自分の姿、というよりは別の――何か眩い光のようなモノが激しく明滅し、脳内に火花が散るような刺激にアルニの体が硬直する。
さすがにガ―ウェイもメビウス、調教獣、傭兵らを一人で相手しきれないようで、度々メビウスが邪魔してくるのが煩わしい。
「くそっ」
ティフィアからアルニへと標的を変えたグアラダが来る前に硬直が解け、すぐに閃光玉を投げて距離を取る。
「死ねやぁ!」
距離を取れば、今度は近くにいた傭兵が襲いかかってくる。振りかぶってきた棍棒を体を捻ってなんとか避け、短剣で相手の利き腕をぶっ刺してやる。ぎゃあっ! と悲鳴を上げた男を蹴り飛ばして、向かってきたグアラダの邪魔をし、その隙に周囲を見渡す。
――滅茶苦茶だ……!
言われた通り30秒待ってから、気を失ったラージを回復させているレドマーヌの元へは誰も襲おうとはしない。ラージが死んだら権利書の在処まで分からなくなるからだ。
しかし、グアラダ一人にアルニとティフィアが2人がかりで戦っているせいで、ガ―ウェイへの負担が半端ない。
杖を振り回して一気に襲いかかる傭兵たちをぶっ飛ばし、体勢が整う前にメビウスの細剣が連撃を繰り出してくる。それを躱して反撃しようとすると、あの魔物のネコが邪魔をしてくる。
みゅあみゅあ、歌うように鳴き声をあげる魔物はどうやら戦闘力はないようだが、時々ガ―ウェイがよろめいたり目を細めている姿から、平衡感覚を失わせる能力を持っていそうだ。
だからといって先に潰そうとするも、その身軽な体躯でたくさんいる傭兵たちの中へと紛れて姿を消してしまう。
本来なら同じく身軽なアルニがあのネコを潰すのが一番良いのだが、ティフィア1人ではグアラダを抑え込めない。
「――あ、るに……行って! 僕はっ、だい……じょうぶ、だから!」
不意に、吹っ飛ばされていたティフィアが片手で頭を抑えながら、フラフラと起き上がってきた。
左のこめかみを切ったのか、血が滴っている。
「い、いや、無理だろ。お前一人じゃ――」
「無理でもっ! やらなきゃ……。僕の、我が儘だから! 無理でも……押し通さなきゃいけないこと、だからっ!」
今まで、これほど熱量のある言葉を、ティフィアから聞いたことはなかった。
そうか、ティフィアが感情的になる前にニアとリュウレイがなんとかしてきたからか。
サハディでのあのときの言葉は、あのときの怒りは――まだ彼女の中で燻っているのか。
「分かった、すぐに魔物を片して戻る!」
そう言い残してアルニがさっさとガ―ウェイの方へと駆け出すのを見送り、ティフィアとグアラダが再び対峙する。
「勇者。どうして、そこまでして………」
不可解なモノを見るような視線を向けてくる彼女に、ティフィアは苦笑する。
「今度はグアラダの方が何故って、聞いてくるんだね。……ねぇ、どうして僕のこと『勇者』ってまだ言ってくれるの?」
「!」
大きく目を見開くグアラダに、ああやっぱりと納得する。
あのときはゴーズが何か魔術をかけてくれたのかと思ったけど、思い返してもそんな様子一度もなかった。そして彼女が裏切り者で、それから今までの言動を見れば――自ずと答えが見えた気がした。
「ラージを裏切ったことは、グアラダにとっても不本意だったんじゃないかな。……だから例えラージを傷つけてでも、彼の未来を守りたかった。違うかな」
グアラダは、ニアやリュウレイと同じなんだ。
大切だから遠ざけたくて、守りたいから傷つけることを選んだ。
――優しい人だ。
「グアラダ。さっきはラージに味方はいないって言ってたよね。だからラージのことを僕たちに任せようとしたんでしょ?」
ティフィアに『勇者の証』はない。
だけどラージに報告を偽ったのは、自分が裏切り者だったから。もしティフィアたちまで偽物だと言って追い返してしまえば、本当にラージを守ってくれそうな人がいなくなってしまうから。
「グアラダ、お願い答えて。そんなにラージのこと大事に想ってるのに、どうして裏切ったの? どうしてメビウスに協力してるの? 麻薬を使われた、とか?」
「…………薬に頼って、何もかも忘れられたらどんなに良かったか」
「え?」
「面倒なことも、嫌なことも……ラージのことも。忘れられたら…………忘れられれば、どれほどっ!」
涙を堪えた水色の瞳が、まるで助けを求めるようにティフィアを見据えるのに、彼女は刀を構えて襲いかかる!
「っ!」一撃一撃が重く、受け止める度に体が少しずつ後ろへ下がっていく。
「私にはラージを助けられない! 私にはラージを守れない!――私の全てはラージしかいないのに……っ! ラージには……っ、ラージは!」
――こんなとき、母上がいればな。
ラージの口癖だ。
ラージは生死も分からない母親ばかりを見ていた。母のように強くて賢ければ、と。
だけど、じゃあ私は?
母親がいない間、ずっとラージと一緒にいた。ずっとラージを見てきた。ずっとラージを守ってきた。
だけど彼はいつまで経っても独りぼっち。
信じてくれているはず。そう思いたいのに、彼は頼ってくれないどころか、いつだってグアラダたちが裏切ったときの対処も考えていた。
グアラダだけじゃない。反乱軍にいた、本当にラージのことを想っていた人たちのことすら、彼は見えていなかった。
彼の境遇を思えば当然のことだろう。だけど一方的な想いほど、虚しく悲しいものはない。
「長続きするはずが、なかったんです……! いつか瓦解する。そのキッカケがお前たちだっただけです。どちらにせよ、もう限界だった!」
ラージは優秀だった。だからこそ、この茶番が長引いてしまった。
長引けば長引くほど、その片思いは疲弊していって、去る者もいた。だけどそれでも支えてあげられればと健気な人ほど、麻薬に蝕まれていった。
「っ! それならどうして言わなかったの! グアラダも、その人たちも!」
涙で視界が歪んだのか、初めて隙を見せたグアラダの剣戟を弾き、剣の腹で殴るように彼女の胸部に一撃たたき込む!
「かはっ!」息と共に喘ぎ、地面に転がった彼女へ駆け出すと、しかしグアラダは途中で地面を蹴り宙へ跳ぶと、向かってくるティフィアへさきほど掴んだ地面の砂を投げるようにかけた。
咄嗟に顔を防ぐティフィアの腕にグアラダの踵落としが炸裂する!
ミシリ、と骨が軋み、反射的に剣を一閃すると彼女の右足首に当たったのか、赤い血が舞う。
「馬鹿正直に話せばわかり合える、なんて……それは平和ボケした人の考えです」
二人は一度距離を取り、牽制しながら出方を窺う。
だが、今のでティフィアの左腕は骨が折れたのか、激痛が走っている。
どう考えても劣勢だ。
「どれだけ長く一緒にいても、どれだけたくさん話していても、それでもわかり合えないんです。信じてもらえない。見てもらえない。……勇者、教えて下さい。私たちはどうすれば良かった? 泣いて、縋って、信じてくれと乞えば良かった?」
言って、グアラダは自ら首を横に振った。
「そうすればラージは私たちを疑ったでしょう。今までラージを裏切ってきた連中と同じようにしか見えないはずだ。そうなったら、もう……ラージは本当に心を閉ざしてしまう」
それから彼女は続けて言う。
――勇者、私はメビウスの娘なんです、と。
信頼を得ることの難しさよ。