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勇者が死んだ世界を救う方法  作者: くたくたのろく
四章 墓標【前編】
150/226

5-4


***


 ランファ・ブランタークは、本当に偉大で――自慢の母親だ。



 ここウェイバードは商人の国だ。貿易国家ということもあり、世界中のあらゆる物が流れ、商人たちも自然と集まる。


 昔は国で商人たちを管理していたらしいが、あまりにも商人の数が多く、また取引している商品の数も半端ない。やがて少しずつ国で管理しきれなくなっていた。

 そのせいで商人たちの中でも格差が生じてしまったり、契約や取引で齟齬が生じればすぐに暴力事件が発生したりと、少し前までは本当にこの国は治安が悪かった。


 そこで代々ブランターク家が経営していた『商人協会』を、ランファはまず改革した。


 手当たり次第広げていた事業のほとんどを取りやめ、商人たちへの支援のみを全面的に行う商会に切り替えたのだ。


 日銭を稼ぐことすらままならなかった者、ライバルたちから邪魔され損失ばかり被っていた者、手に余る取引に困っていた者、上手く傭兵を雇えずにいる者など、今までは見捨てられていた商人たちを一挙に掬い上げ。


 それによって格差はほとんどなくなり、誰もが安定した商売が出来るようになった。

 おかげで商人協会へ登録する商人たちは後を絶たず、ウェイバード国に生まれた子供たちも気軽に「将来は商いがしたい!」と親に相談出来るぐらいには落ち着いたのだ。


 だからこそ、この国で、商人たちの間で、ランファ・ブランタークと『商人協会』の名前を知らぬ者はいない。


 そんな母の存在は大きく、最も尊敬できる女性。

 ラージは子供心ながら、そんな母のような立派な商人になりたいと思っていた。


 誰にも頼られ、導いていけるような、……そんな格好いい商人に。


 しかし、8年前に全ては覆ってしまった。


 ランファは追われる身となり、己を慕う者たちを国外へ逃がし、ラージのこともまた彼女が信頼するウィーガンという情報屋に預け――いなくなってしまった。

 ウィーガンはラージを匿いながら、ランファを必死に探していた。


「いいかい、ラージ。わたしはランファ様を助けに行く。君ももう14歳だ、これの価値は分かるだろう?」

 そう言って彼が渡したのは、ランファが残したという『権利書』と薬草商会の会長委任状だった。

「大丈夫、必ず戻るから」そう告げて、ウィーガンもいなくなってしまった。


 書類の束だけを抱えて、まだ幼い少年は一人――薬草商会の会長の座に着く。当然それを快く思う者などいなかった。


 初めから味方なんていなかった。

 何も知らぬ者は会長の座を狙うか、ラージを傀儡にと企むか、無関心かのどちらかで。教会と精通している者たちは大抵ラージへ媚びを売り、権利書の在処を吐かせようとしていた。


 時に暴力を振るわれたこともある。

 それでもラージは人前では堂々と振る舞い、薬学も人一倍努力して勉強した。


「いつか必ず、ウィーガンは母上と一緒に戻ってくる」

 それだけを希望に。


 やがてラージの努力する姿勢や知識に、商会の仲間たちは少年を認め始め――実は薬草商会にはグラバーズ国から流れてきた『反乱軍』が紛れていることを知り、色々あって彼らの指揮官にもなった。


 ――正直、荷が重い話だった。

 商会のことだけで手一杯だったのに、更に反乱軍の指揮官なんて。


 無理だと断れれば良かったが、母に救いを求めてやってきた彼らを無碍に出来るほど冷酷にはなれなかった。


 日々が辛くて、怖くて、夜もまともに眠れない。

 何度も夢を見た。母が殺される夢、教会に糾弾されながら死ぬ夢、商会の仕事がうまく行かなくなる夢。

 起きてるときですら嫌な事ばかり考えてしまうのに。


 ――そんな日が続き、思考力がだいぶ落ちていたのだろう。


 護衛もつけず、ラージは一人街の中を歩いていた。

 権利書を狙う教会や政府に雇われた者に襲われることなど頭になく、ただぼんやりと。フラフラ散歩してたときだった。


「な、なんだこの(アマ)! 頭おかしいんじゃねーのか!」

 目の前の路地から慌てたように男たちが数人出て行くのを見送り、なんとなく気になって路地の方へと顔を向ける。


「……」

 そこにいたのは物乞いのような、みすぼらしい姿の女性がいた。あの男たちに襲われたのか襤褸切れのような服は乱れ、ボサボサに伸びきった黒髪からのぞく水色の瞳は殺気立ち、右手に力なく握られた刀は血まみれだった。


 いつものラージであれば、関わることすらしなかっただろう。

 見ない振りをしたか、逃げ出したか。これ以上厄介事を抱え込めるほど、余裕なんてないのだから。


 だけど彼女のその姿が――ラージには今の自分のように見えた。


 独りぼっちで、誰に対しても威嚇して。

 不安を隠して、強がって。


 気付けば頬に涙が伝っていた。

 悲しくて、辛くて、痛かった。


 止まらない涙はやがて嗚咽となり「ひぐっ、えぐっ」としゃくりを上げながら盛大に泣き出すラージに、彼女は心底戸惑ったようだ。当然だ。


 そのまま去ってしまうかと思いきや彼女はむしろラージへ近づき「なんで、なく」と酷く拙い言葉で声を掛けてきた。


 明らかに少年よりも年上なのに、なんで幼い口調なのか。

 そんなこと気にもせず、ラージは目の前までやってきた彼女に突然抱きつくと、そのまま縋りつくように泣いた。

 彼女は困ったように眉根を顰め、しかし拒むことはなかった。





 それから落ち着いたラージは人前で泣くというみっともない行為を恥じ、無言で立ち去ろうとするも。

「……」

「………」

 何故か彼女はついてくる。


 刀を持った怪しげな人物を引き連れているからか、商会への帰り道も襲われることもなく。

商会内部にある自室に戻り、そこまでついてきた彼女はようやく役目を終えたとばかりに帰ろうとするのを見て、慌てて手をとって引き留めると――とりあえずお風呂に入れてあげた。


 悪臭を漂わせていた彼女は見違えるほど綺麗になり、商会にいる女性から貰った服を着せてやり、今度はラージが役目を終えたとばかりに一人納得して、更にご飯を食べさせてあげてから彼女と別れを告げた。


 変な縁だった。結局一言も言葉を交わしていない。

 だけどもう会うことはないだろうと思っていた。


「………」

「……………」

 翌日、何故かラージの部屋にいた。


 彼女は椅子があるにも関わらず床に正座し、じっとラージを見つめる。

「………」今更投げかける言葉も見つからず、だからといって帰れとも言えず、結局放置することにした。


 部屋にいる間、彼女は床に座ってラージを見ていた。部屋から出ると彼女は後ろをくっついて回り、仕事をしているときは窓の外をぼんやりと眺め。


 それが何日も続いて、数ヶ月も続いたある日。


 取引相手と契約の齟齬が生じ、ラージ自ら話をつけに外に出たときだった。

「……」見知らぬ集団に取り囲まれてしまったのだ。


 おそらくどこかの傭兵団。国に雇われてラージから権利書を奪いに来たのだろう。

 逃走経路を決め、なんとか逃げだそうとしたとき――彼女が動いた。


「なんで……」


 初めて会ったあの日から、一度も抜くことのなかった刀身を煌めかせ、傭兵相手に引けをとることなく大立ち振る舞いをしてみせたのだ。赤い血潮が舞う。無感情の水色の瞳が、次に間引く相手を見据える。


 恐ろしいほど美しい。


 だけど、駄目だ。


「待て! その人を殺すな!」

 最後の一人の首を切断する寸前、彼女の動きは止まった。何故、と問う視線に答えを与えるべく死に損なった男へと近づく。


「お前たちの依頼人当ててやろうか」

「……は、あ?」

 首に当てられた刀に気を取られていた男が、ラージの言葉に声を裏返した。

「この国の王――マキナ女王から直接だな。そして、俺が今から向かうはずの商会もグルだろう」

「なに、言ってんだ」


「傭兵は拷問の訓練を受けていないから、分かりやすくて助かる。その狼狽した目の行き先が、俺に答えを教えてくれるからな」

 死への恐怖という極限状態で、普通の人は咄嗟にとぼけることは難しい。一瞬言葉に詰まったのはその証拠。そして考えるように彼から見て左下へと視線が落ちた。咄嗟に言い訳を模索したのだろう。


「直接とか……本当あの女王様は隠す気ないな……」

 敵意も願望も。こちらが呆れてしまうほど、いっそ清々しいまでに。


「ころす?」彼女の問いにビクリと男が震え、ラージは首を横に振った。

「いや。――逃げ帰るついでに女王様へ伝言を頼む。“いい加減、刺客を送り込むのは止めて商人の国らしく交渉の場で話し合いましょう”、と伝えてくれ」

 彼女が男を離すと、彼は腰がひけたまま逃げていった。


「……」あれ、そういえば一応会話できたな。ちらりと彼女を見れば、血を振り払って刀を鞘に納めていた。


「………………」

 彼女との出会いは偶然以外の何ものでもない。仕組まれようがない。

 だけど彼女がラージと共に行動し、助ける理由が分からない。


 マキナ女王はさきほどの傭兵たちのようにかなり直接的な手を使う。もし彼女が刺客だとすれば、とっくにラージは投獄されて拷問を受けていたはずだ。

 しかし教会の刺客とも考えにくい。彼女の行動は、ともすればラージを警戒させるものばかりだからだ。


「あ、あの……」今更、こんなこと聞くのは少し勇気が要る。それでもラージは口にした。「名前を聞いても、いいか?」

「なまえ……?」


「俺はラージ。ラージ・ブランターク」

「…………………ぐあらだ」

「グアラダ?」

 鸚鵡返しに問えば、彼女はこくりと頷いた。グアラダ。グアラダか……。


「そうか。――なら、グアラダ。ありがとう、助かった」


 誰かを心から感謝することも、自然と頬が緩んで笑みを浮かべるのも、ずいぶん久しぶりな気がした。


 グアラダはラージの笑みを眩しそうに目を細め、真似るように彼女もまた笑んだ。



***


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