5-3
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「あっはっは! 申し訳ありませんなぁ……何度も言いますが、ボクは転移術が苦手なので」
全く反省の色も見せず謝罪するゴーズに、地面に腰を打ち付けた全員はそれぞれ痛みを堪えるように起き上がると、黙って彼を殴りつけるガ―ウェイを静観した。
――カメラと対峙した後、不気味な祭壇の部屋から転移したティフィアたちはどこかの部屋の天井から無防備に落下し、尻餅をついたのだった。
「そういうところ、本当に変わんねーな」さりげなくガ―ウェイの拳から逃げる魔術師にアルニは苦笑を浮かべる。
「というか、この部屋って……?」
「さすがに捜索隊たちがいる部屋からは近いはずだぞ。隣くらいじゃねーか――って、レドマーヌ何やってんだ?」
埃くさい無機質な部屋に、大量に積まれた麻袋へ鼻を近づけて「すんすん」ニオイを嗅ぐ魔族少女に声を掛ければ、不意に彼女は残念そうにその場から離れた。
「甘い匂いがするからお菓子が入ってると思ったッス……」
「さすがにお菓子がこんな場所に保管されてるわけないだろ……」
保存食ならともかく、と呆れるアルニをよそに、ティフィアも麻袋へ近づいてニオイを嗅いでみる。確かに甘い匂いがする。
「……?」あれ、でもこれ……どこかで嗅いだことがある気がする。
どこだったっけ。旅の最中じゃなくて、もっと前。
帝国にいた頃。
――あ、そうだ。
リウルさんに教えてもらって、“あの部屋”に鍵がついてないと知って。それから部屋を抜け出して、隠れてフィアナの部屋に行くようになったときだ。
お母さん宛に届いた花束。白くて綺麗な薔薇のような花。
甘いその匂いをお母さんは気に入ってたけど、護衛のガロさんはそれを見てギョッとしてた。
慌てたようにその花束を奪って、その場で燃やしてたっけ。
驚いてたお母さんに……そうだ、ガロさんは「これは毒花ですよ。……チッ、どこのどいつかなぁ? こんなものフィアナ様に送りつけてきた死に急ぎ野郎は」そう零して、珍しく殺気立ってた。
ええと……名前は―――、
「メグノクサの、花」
記憶の糸から紡ぎだした毒花の名前に、ハッと反応したのはガ―ウェイだった。
彼は近くにあった麻袋を唐突に破り、そこに詰められていた乾燥した白い花を見て眉を顰めた。
「……メビウスの野郎、諦めてなかったのか」
小さく呟くと、さっさと一人で部屋を出て行ってしまう。
それを追うように後からついていくと、通路を少し進んだ先で捜索隊の人たちが倒れているのが見えた。
「大丈夫ですか!?」慌てて駆け寄り確認すると、どうやら気絶しているだけのようだ。
それに安堵し、それから開け放されたままの部屋の扉へ視線を向ける。
「す、すごいニオイ……酔いそうッス」
噎せ返るほどの甘い匂いに、思わず鼻を摘まむレドマーヌ。
「この匂い、確か『薔薇の館』で……」
どうやらアルニもこの匂いに覚えがあるようだ。
「ふむ、あまり状況は良くないかもしれないですな。――団長」
「ああ、俺たちが乗り込む。テメェはここでいつでも逃げられるように転移術の用意しとけ。……次失敗したら、本気でシめる」
「あっはっは! 脅迫されると悪戯心が燻ってしまいますぞ!……分かっていると思いますが、そろそろマレディオーヌが動くかもしれません。お気をつけて」
「ふんっ、誰に物を言ってやがる」
「ガ―ウェイ、」不意にアルニが彼に薬瓶を投げ渡した。「痛み止め。念のために」
「俺よりもテメェ自身の心配でもしてろ。弱っちぃんだからよぉ」
「分かってるよ!……俺は花の方を優先するぞ」
「当たり前ぇだ。――全員、なるべく息すんなよ。中毒者になりたくなきゃな。特に魔族女、テメェは鼻が良さそうだ」
「魔族は五感があっても呼吸しないッス。摂取しなきゃ毒は通用しないッスよ!」
「……。あと、ロジスト」
「は、はいっ!」
いまだに慣れない姓呼びにどぎまぎしていると、ガ―ウェイは灰色の瞳をすっと細めた。
「テメェは足を止めるな。何があってもずっと動き回れ」
「はい!……?」足を止めるな……? 撹乱させろってことかな。
指示の意図が分からないまま、ガ―ウェイを先頭に部屋の中へと入る。
「――っ」
そこはメグノクサの花畑だった。いや、栽培場というべきか。
通路でさえすごかった匂いが、強烈なほど部屋に満ち溢れている。
そして。
「あぁ、来てもうた。……まったく、その強情さは母親譲りやな」
面倒くさそうにガ―ウェイとティフィアを一瞥したメビウスは、足下に転がる人影を見下す。
その人影は何かを堪えるように歯を食いしばり、大量の汗を滴らせながら蹲っていた。
ラージ・ブランタークだ。
その傍らにはグアラダが寄り添っているのだが、様子がおかしい。
そもそも声繋石での通信内容とは全く状況が異なっていた。
そんな中、何かに気付いたアルニが短剣を投げ、彼女の右手にあった注射器がパキン! と割れる。
「レドマーヌ!」
「ほいッス!」
アルニに呼ばれるより先にすでに動いていたレドマーヌは、弓を番え駆け出す。マントに隠れていた片翼を羽ばたかせ、跳ぶように距離を詰めながら矢を射る!
「っ魔族!?」異形に驚くグアラダが襲い来る矢を刀で斬り落としながら後ろへ下がり、その隙にティフィアはラージの元へ。ラージ、と声をかければ虚ろな薄茶色の瞳が見上げてくる。
「ゆ、しゃ……?」
「うん、そうだよ」頷けば彼は安堵したように息を吐き、ポケットから飴玉を取り出すとそれを口に入れた。
「駄目です、若! それは――!」
それを見たグアラダが制止するのを無視し、ガリッと飴玉を噛み砕く音が聞こえ――その直後、ごぼっ! とラージが口から大量の血を吐いた。
「!?」
突然のことに驚いていると、ラージの鼻や耳、目といった全ての穴からドクドクと血が零れ落ちていく。
「くそっ、レドマーヌ代われ! 回復!」
グアラダを牽制していたレドマーヌとアルニが入れ替わり、彼女が祈術を使おうとするが、その手首をラージが掴んで止める。
「ゴホッ……ま、待て…………まだ、だ。ゲホッゲホッ!……はっ、ぁぐ……30秒、このまま、に……っ」
「何言って……!」
そうしている間にもラージの体から大量の血が流れ、白い花を色付けていく。
その姿を見ながら、メビウスはやれやれと溜め息を吐く。
「体内の麻薬抜くために毒を使ったんか……。そんなやから、グアラダはお前さんを裏切るはめになったのに」
――ティフィアたちが来る少し前、ランファたちを殺されたくなければ権利書を寄越せと脅迫したメビウスだったが、予想通り拒否られた。
権利書の価値をラージはよく理解している。己の立場も。
だからメビウスは仕方ないと、最後の切り札を使った。グアラダに、ラージを裏切らせたのだ。
「どうせテメェが誑かしたんだろうが、メビウス。昔から味方をつくるのが上手かったからなあ?」
独り言のつもりでぼやいた言葉に、目の前に対峙してきたガ―ウェイが揶揄する。
王国にいたときは飲み仲間だったが、こうして対立するとはあの頃は思いもしなかった。
「それは買い被りすぎや、レッセイ。――まさかホンマに勇者と同行してたとは。マーシュンの話、半信半疑やったけど……らしくないことして、何を企んでるんや?」
「俺には俺の事情がある、テメェと同じように。お互いエゴ貫いてんだ、こうして刃を交えることもあんだろ」
「せやな、確かに。でもルシュはいないんやな」
「良かったな、いなくて。あいつは変なところで潔癖だからな」
王国でも当然麻薬を作ろうとしていたメビウスに、どこから情報が漏れたのかルシュに釘を刺されたことがある。
俺の目が届く範囲内で麻薬と賭博は許さない、と。ただ、そうじゃなければ別に構わないとも。
「でも燃やすつもりなんやろ?」
「テメェが個人的に麻薬の売買してんなら見逃したけどよ、さすがに国やら教会が絡んでくるとなると規模がデカくなり過ぎだ。面倒なことになりそうだしよぉ、潰しておくかと思ってな」
「相変わらず気まぐれなお人やなぁ……。厄介なのに目をつけられてもうた」
言いながら、グアラダと対峙していたアルニに左手を向ける。人差し指に填められた魔道具の指輪が魔力に反応に、魔術紋陣を展開する。
その瞬間、二人を隔てるように数枚の薄い壁が出現する。――否、壁ではなく“鏡”だ。
「どさくさに紛れて魔法で焼き払うつもりやったんだろうけど、させへんよ?」
鏡を見た瞬間に動きを止めたアルニに、その隙を逃さずグアラダの刀が差し迫る!
それを寸でのところでティフィアの剣が止めた。ラージのことはレドマーヌに任せ、助っ人に来たのだろう。
鍔ぜり合う二人からメビウスへ視線を戻し、ガ―ウェイは小さく唸った。
「テメェ……なんで知ってやがる」
魔法師の弱点――それは“鏡”を見せることだ。
「神父様からのありがたい教えってやつや。それと、まだあるで?」
パチン、と指を鳴らすと彼の両脇に魔術紋陣が浮かび上がり、そこから青銀色をしたネコの異形が現れた。
「こっちは女王様が貸してくれた調教獣や。そんで、」
更に指を鳴らすと、通路からぞろぞろと武器を持った輩たちが部屋に入ってきた。
メビウス傭兵団の団員たちだ。
「正直この場所を踏み荒らして欲しくないんやけど、勇者様とレッセイ相手や。出し惜しみはせぇへんで」
通路で待機していたゴーズが捕まっていないのを見ると、どうやら魔術でなんとか隠れているようだ。
「ずいぶんな歓迎じゃねーか。上等だ、喧嘩はこうじゃねーとなあ!」
久しぶりの戦闘らしい戦闘になりそうで、ガ―ウェイは興奮しながら杖を構え、上唇をぺろりと舐めた。