5-2
「俺と手ェ組まへんか?」というメビウスの誘いに、ラージは目を丸くした。
「組む……?」
どう考えてもラージを仲間にしたところでメリットはない。むしろここでラージを拷問するなり麻薬を使うなりして権利書を奪う方が手っ取り早いはずだ。
まさか勧誘されるとは思っていなかったという様子に、メビウスは苦笑する。
「ラージ、あのな? 俺が言うのもあれやけど、あんまり自分を卑下するものやないで?」
「……意味が、分からない」
「ホンマに?―――なぁ、ラージ。お前さん、俺が裏切ること予想してたやろ」
よいしょと起ち上がり、それから左耳の十字架のイヤリングに触れて。
ガギンッ!!
収納石から取り出した細剣と、いつの間にか現れたグアラダの刀が衝突した!
「!」
間違いなく不意打ちを狙ったはずなのにと彼女が舌打ちし、即座に体勢を切り替えるとラージを取り押さえていた捜索隊の男たちを蹴り飛ばす。
そして彼を肩に乗せてすぐに距離を取るように部屋の出入り口へ下がると、そこで彼を降ろして懐から予備の眼鏡を渡した。
それを装着したラージは、通路にもいたはずの捜索隊が皆一様に昏倒しているのを確認し「よくやったグアラダ」と労う。
「若が事前に命じてくれた通りにしただけです」
そう、この作戦を始める前にグアラダには伝えてあった。もし声繋石が繋がっても返答がない場合は、必ず俺のところに来るように、と。
――ラージは常に“最悪”を考えている。
スパイがいて作戦が漏れる可能性も、勇者との約束を反故にして政府軍が奇襲してくる可能性も、仲間や勇者が裏切り寝返る可能性も。
そういう最悪なパターンをいくつも想定し、常に行動する。……ただそれだけなら、正直メビウスもラージを勧誘しようとは思っていない。
「やっぱり来た、ラージの専属騎士」
「何故、若を裏切ったんです?」
「ラージにも言ったけど、俺たちは商人や。俺はなぁ、ただ店を大きくして――」
「違うはずだ、メビウス。それはお前の理由じゃない。あくまで目的の一つのはずだ」
あ、キた。
眼鏡越しに薄茶色の瞳が、口角を上げたメビウスを映し出す。
「――メビウス・ダミアン。38歳。生まれは隣国グラバーズ。12歳のときにウェイバード国のダミアン男爵家に養子入りし、15歳でカムレネア王国へ。そこでアレイシス傭兵団の団員となり、数年で副団長の座につくものの5年前に脱退。それからこの国に戻り、『薔薇の館』を開業」
唐突にラージの口から出てくる彼のプロフィール。
「ダミアン侯爵家に養子入りしたのは、裏市場でやらかした当主へ差し向けられた暗殺者から身を守るための肉壁として。しかしそこで当主の妻との間に子供を作ってしまい、当主から怒りを買って逃げるように王国へ渡った」
「よぅ調べたな、そんな昔のこと。……改竄されてたはずやのに、さすがラージや」
「――これは推測だが、ダミアン婦人に使われたのか?」
何を、とは言わなかったが、それがメグノクサの花であることは分かるだろう。
「そうやなぁ……当時は本当に糞ッたれ思ったけど」
大丈夫、お前は気持ち良くなっていればいいのよ、と化粧塗りたくったケバい婆のねっとりとした声を、今でも覚えている。
養子とは言え買われた身。拒否も拒絶も出来るわけなく、目を閉じて時間が過ぎるのを待って――だけど甘い、甘ったるいあの匂いがそれを変えてくれた。
「嫌なことも痛いことも、ぜぇんぶ気持ち良くなるんや。気持ち良くなれば糞ッタレ思ってた事すら、何もかも最高に良くなるんや」
気付けば夢中になっている自分がいた。
快感を、快楽を求めて。
カムレネア王国へ逃げて、傭兵業をしながらもずっと。
「団長に気付かれんと栽培するのは難しくてなぁ。俺についてきてくれる言うた仲間と一緒に、ここへ戻ってきたんや」
婦人は当主に殺されていた。そして当主をメビウスが殺して、当時婦人がどうやって花を入手したのか調べると、行き着いた先は教会だった。
「この地下部屋で栽培する許可をもらって、その条件に麻薬を世界中に広めることが約束やった。俺は念願の店を構えて、それでみんなにも分かってもらいたかったんや!」
辛い想いをしていても、悲しみに暮れていたとしても、その全てを忘れて幸せになれるメグノクサの花を。
「――なぁ、ラージ。8年前にこの国で起きたこと、お前さんは知ってるやろ?」
「……教会がこの国を乗っ取ったあの日のことを言っているのか?」
「せやな。裏市場の掌握、ウェイバード政府上層部の交代。あとはグラバーズ国に拠点を構えていた『反乱軍』への救援物資の供給断絶と、それを行っていた『商人協会』の弱体化――それらが全部この麻薬のためにあるんだとすれば、自ずと世界の“未来”っちゅーやつが見えてくるやろ?」
あのとき起きたことが“麻薬”を基点とした思惑があるとすれば、それは……。
「裏市場は麻薬の貿易、売買のルートを確保するため……政府上層の交代は教会と癒着のある者が権力を持つため……邪魔になりそうなウェイバードの『反乱軍』を潰し、そして『商人協会』を弱体化させることで商人全体の力を無くす………」
商人たちも当然生活がかかっている。転職するか、続けるためにどこかの商会に登録するか、或いは――援助してくれる後ろ盾を探す。
その後ろ盾が政府、或いは教会だとすれば。
「――教会はすでに……麻薬を広める準備が出来ている?」
「ピンポーン! 大正解や」
麻薬が広まれば、その中毒性の高さから求める者は急増するだろう。教会が思うように動かせる教徒が増える。一般人であろうと権力者であろうと、有名な学者や優秀な魔術師さえも。
それはつまり、教会が圧倒的な軍事力を有するということに繋がってくる。
ランファはそれを恐れていたのか。
だが、一体なんのために……?【魔界域】へ侵攻するためだろうか?
「教会の最終目的は俺も知らないんやけど、そこはどうでもええ。……俺はな、これでもラージのこと気に入ってるんや。その情報収集能力も、薬学の知識も。俺たちが手を取り合えば、この麻薬はもっと極められるはず。もっと広められるはずなんや」
だからな、ラージ。俺と組んで欲しい。
細剣を持っていない手を差し伸べてきたメビウスに、ラージは目を伏せた。
――ランファが行方不明になり、彼女が残した権利書を狙うようにたくさんの人がラージを殺そうとし、利用しようとし、裏切られてきた。
誰を信じていいのか、誰が俺を殺そうとしているのか。
疑心暗鬼に囚われて、何度もくじけそうになった。
そんなとき、傍に寄り添ってくれたのは。話を聞いてくれて、助けてくれたのは、――グアラダとメビウスだけだった。
信じたい。
信じたかった。
それでもラージには立場も責任もある。
だからどれだけ信頼を寄せている相手でも、裏切られることは常に想定していた。
もしかしたら完全に信頼してしまえば、裏切られたときに堪えられないと無意識に思っていたのかもしれないが。
「若……」心配そうに振り返るグアラダに答えず、ラージは大きく深呼吸をする。
それから声繋石のピアスへ意識を向け――「勇者! こちらで行方不明者10名、全員確認した。至急、捜索隊と合流して欲しい」一方的に通信相手へ告げると、これが答えだとメビウスを見る。
「――残念や、ラージ。こうなるだろうな、とも思っとったけど」
心底残念そうな彼に眉を顰めた。
「……、じきに勇者がくる。この花の存在を勇者が許すはずがない。そうなれば教会も、」
「ホンマに、そう思ってる? 元々は教会が始めたことやのに?」
「……………」
「まぁ、ええ。悲しいけど勧誘は失敗や……。――じゃあ、ここからは遠慮も躊躇いも要らないな」
敵意を察知しグアラダとラージが身構える。
そんな二人に彼は客に向けるような愛想笑いと共に剣先を向けた。
「ラージ。捻りもなんもなくてアレやけど、ランファ・ブランターク含めた行方不明者全員の命と引き換えに、“権利書”渡してもらおうか?」