5.すれ違い
薬草商会の執務室にて、ラージは一人焦れる気持ちを表わすように部屋の中をぐるぐると歩き回っていた。
「そろそろ勇者も捜索隊も目的地に着く頃か……。偵察隊からの報告もないし、なんだか落ち着かないな」
戦闘力のないラージは作戦に参加は出来ない。だから指揮官としてウェイバード隊の指示をするしかないのだが。
教会と政府軍の動きを定時連絡してくれている偵察隊からは「異常なし」と先ほど報告を受けたばかり。つまり、まだこちらの動きは察知されていないということだ。
最悪な事態を想定し、すぐに察知されて包囲網を敷かれるのではと緊張していたぶん、肩透かしを食らった気分だ。
「………」
こういうとき、いつもラージを宥めてくれるグアラダは外で待機してもらっている。地下でも地上でも、すぐに対応出来るよう備えてもらっているのだが、いつも側にいる彼女がいないから余計にソワソワしてしまうのかもしれない。
――とにかく落ち着こう。ただでさえ若輩である俺が指揮を執ってることを疎んでいる者がいないわけじゃない。こんな姿、部下に見られるわけにはいかないか。
『ラージ』
不意に声繋石のピアスが繋がり、メビウスの声に肩が震える。
捜索隊と共に行動している彼が連絡してきたということは。
「ど、どうだった。空振りか、それとも――」
『落ち着き、ラージ。目的の地点には着いたんやけどな、問題発生や。――魔物がおる』
一瞬思考が止まる。「は?」
『だから、魔物がおる。えーと、あれ何て名前やったっけ……ああ、せや。黒毬藻や』
地下とは言え、首都の真下。結界の範囲内のはず。それなのに魔物が、しかも害獣指定の黒毬藻が入り込んでいる……?
「数は」
『ワサワサおるで』
「……」すでに大量発生しているようだ。
メビウスと捜索隊の戦力ならば、多少時間はかかるだろうが駆逐は出来るだろう。しかし騒がしくすれば、地下を巡回する兵にも気付かれる可能性も高くなってしまう。
せっかくここまで教会や政府軍に見つからず、順調に事を進められているというのに、それを台無しにするわけにはいかない。
幸い黒毬藻の対処法は知っている。
研究のために回復薬の原料であるメグノクサを採りに森へ入るので、夢中になって奥深くに潜り込むと黒毬藻の生息地に足を踏み入れてしまうときがあるからだ。
「分かった、俺もそちらへ向かう」
通信を切り机の上にある羽根ペンを手に取ると、部屋のドア近くに飾ってある空の花瓶へそれを突っ込み、それから壁にかけられた絵の額縁の右下を5回ほど揺らすと、ガコンッと何かが開く音が響く。
振り返れば、反対の壁にいつの間にか鉄製の分厚い扉が出現し、それが勝手に開いたのだ。
躊躇うことなく中に入ると、真っ白な手狭な部屋には様々な色や粘性を持った薬品らしきものが試験管の中に保管され、その棚よりも手前においてあるスプレー缶を手に取ると急ぎメビウスたちがいる地下へと向かった。
「ラージ! 本当に来たんか……。しかも護衛もつけんと、危ないで?」
「商会から近いからな。一人で来た方が早い」
メビウスには言わないが、正直グアラダ以外の人間が側にいるのは気が気じゃないのだ。
――人は裏切る。簡単に。あっさりと。
それは嫌というほど思い知らされたし、だからこそ母上がいなくなってからずっと側にいるグアラダと、そして昔から付き合いのあったメビウスのことだけは信用しているのだから。
「これを散布すれば、あとは勝手に捌ける」
スプレー缶をメビウスに渡すと「よぅ分からんけど、噴きかければエエん?」と聞きながら、すでに行動に移していた。
シューッ、と勢いよく噴き出した中身は近くにいた黒毬藻に付着し、彼らは一体なんだとモゾモゾ動いたかと思えば、急に慌てたように蠢き始め、怯えるように通路の隅へと隠れるようにどいてくれた。
「お、おお……っ!?」あっさりと行く手を阻む魔物がいなくなり、感嘆の声を上げるメビウスにどや顔で説明する。
「ふふん、それは黒毬藻の天敵“首無し雉”の糞を養分に生える薬草を抽出した薬品だ。“首無し雉”のフェロモンに似たニオイがするから、絶対に近寄ってこない」
「さすがラージや! その薬草への知識、ランファより優れてるんやないか?」
商才溢れる母上。
誰からも慕われ、信頼される商人。
その彼女が立ち上げに協力したという『薬草商会』。
そして薬草商会の全ての権利書をラージに預けていなくなってしまった。
そこにはきっと意味があると、ランファが戻ってくるまで守り切らなければと子供ながら必死に勉強して、会長として相応しくなるために薬草のことも調べて研究しまくった。
元々研究者としての才はあったのかもしれない。
政府軍と対立する以前は、よく趣味で色々な薬品を生み出したものだ。
「母上より優れているということはない。だけどこれは俺の唯一の武器だからな」
「そうか。――さて、これで邪魔者もいなくなったことやし、さっそくドアを開けるけど……どうする、ラージ。ここで見てくか?」
「そうだな、ついでにこのまま見ておこう」
ラージが商会に戻ってから扉を開けて報告してもらうよりも、この場で直接見てしまった方が手っ取り早い。
念のため後方へ下がってから一応グアラダに連絡しておくか、と声繋石を繋げると同時にメビウスと捜索隊がドアを開ける。
「――――、」
噎せ返るほどのひどく甘い匂いに、頭がクラッとした。
『若、どうしました?』淡々としたグアラダの声に我に返ったが、それに応答する余裕はラージにはなかった。
「っ総員、鼻と口を塞げ!! 絶対にニオイを嗅ぐなッ!」
咄嗟に命令を口にし、戸惑いながらも指示通りにする捜索隊を押しのけて前へ出る。
「っ!」
大きく開かれたドアの向こう――そこは無機質な地下とは思えないほど、幻想的で美しい真っ白な花で埋め尽くされていた。
薔薇にも似たその花弁の形に、ラージは見覚えがあった。
「こ、これは、メグノクサの……!」
あり得ない。否、あってはならない物が視界いっぱいに広がっていた。
メグノクサは元々花も実もつけない。だけどとある条件を満たすことで花を咲かせる。そしてその花の匂いはとても甘く―――強力な快感と中毒性をもたらす。
まさか教会がこれを栽培していたなんて……。
「――そうか、だから権利書が欲しかったのか……」
一時期この国でもどこからか流通し、問題となったことがある。
だからメグノクサの花を違法麻薬指定として国全体でも厳しく取り締まるようになったのだが、売人たちが次に考えたのが“薬品”に加工して販売することだ。
一見回復薬と見紛うほど似ており、実際に製造過程も同じときた。
危機を察した当時のウェイバード国王とランファの協力の下、薬草商会に世界中における回復薬の製造権利を託し、売人たちの動きを封じたということだ。
つまりラージから権利書を奪えば、メグノクサの花を使った麻薬が作り放題になってしまう。
「メビウス、すぐに焼き払おう。この花は危険過ぎる」
「でもこの部屋のどこかに行方不明者がおるかも」
「もし居たとしたら、麻薬依存者だ。それもかなり重度の。……もう、普通の生活は一生送れない」
少なくとも1年以上前から行方不明なのだ。もしここに囚われているとすれば、それだけ長い間この花のニオイを嗅いでいたことになる。
とっくに気が触れている可能性が高い。
「そうかぁ……。でもな、ラージ。でも―――焼き払うは困るんや」
トン、と誰かに強く背中を押される。
突然のことにたたらを踏んで白い花畑に顔面から突っ込むと、その衝撃で眼鏡がどこかへ飛んでいってしまった。
すぐに起き上がろうとする体を、しかし捜索隊たちの男がねじ伏せるように抑え込む。
「な、!?」
「――だからさっき言ったんやで? 護衛つけんと、危ないでって」
頭まで抑えられているせいで、花の隙間を縫うように視線だけをメビウスに向ける。
いつも浮かべている優しげで柔和な笑みはなく、初めて見る――金貨の山でも見下ろすような醜く下卑た笑みを携えていた。
「お、まえが……俺を、裏切るのか?」
「裏切る? 違うやろ、ラージ。俺たちは商人や。どちらに利があり得があるのか、それを見極めて稼がせてもらうんが仕事や。……ラージ、お前さんは最近『反乱軍』であることに夢中やったからな、商人としての心得ちゅーのを忘れてもうたみたいやけど」
ほら、見い? と彼は両手を広げて花畑をうっとりとした眼差しで見渡す。
「最初はプランターで育ててたんや。それがこの数年でこれだけ株を増やせた! 邪魔やった『商人協会』の目もなければ取り締まる軍もまた『反乱軍』に夢中! ふははっ! ホンマ、女神教様々やで!」
「――まさか、行方不明事件は」
「せやで。この花のこと嗅ぎつけてきた人間、片っ端から拉致したんは俺や」
あっさりと自白した事実に、ラージは言葉を失う。
「枢機卿は関与してないけど、神父や神官たちは大体この花の虜や。この国の中枢も、花の匂いを求めて『薔薇の館』に来てくれる! 快感も快楽も求めて世界中の人間が詰め寄って、俺の店はどんどん大きくなっていくんや!」
メビウスの薔薇の館の他にも、当然娼館はたくさんある。それでもたった数年であそこまで大きくなったのは、裏で麻薬を使用し売買していたからだ。
「は、ははうえ……母上、は?」
頭がくらくらする。
花の匂いを嗅ぎすぎたのかもしれない。
「ランファか? 生きてるで? 本当は人質にして権利書奪ってから薬草商会乗っ取るつもりやったけど。――でもな、それよりももっと良いこと思いついたんや!」
ラージの顔の近くにしゃがみ込み、彼は言う。
「なぁラージ、俺と手ぇ組まへんか?」