4-5
バフォメットの屋敷で一度姿を現してからティフィアの側にいたのだが、教会でゴーズが使った転移術式のせいで置いてけぼりを食らったまま、レドマーヌは一人ずっと探し回っていたのだ。
「レドマーヌのこと呼んでくれれば場所も特定出来たッス! なのに酷いッス! もしかしなくともレドマーヌのこと忘れてたんじゃないッスか!?」
「お前、ご飯食べるときも出てこないから……てっきり、バフォメットの屋敷に閉じ込められてるかと思ったぞ」
「ご、ごめんなさい……僕もそう思ってた」
「失礼な! そこまでレドマーヌは食い意地張ってないッス! でもお腹ペコペコなんで、あとで何か食べさせて欲しいッス」
ぐぅ~、と彼女のお腹の虫が鳴った。それにティフィアとアルニは苦笑しつつも安堵する。
「……レドマーヌ、君がこのタイミングで登場するなんてね」
「ふふん♪ レドマーヌの祈術は枢機卿員には有用みたいッスね。どうやら白旗上げるべきはそちらさんみたいッス!」
どや顔の魔族少女に、カメラは冷ややかな眼差しを向ける。
「残念だけど、今の一撃で自分に致命傷を与えることが出来なかったことを後悔すべきだったね」
「何を強がってるッスか。レドマーヌの矢から逃げられない癖に」
「そうだね。でも、逃げる必要はないだろう?」
自分に当たる前に矢を壊すか、射る前にレドマーヌへ攻撃すればいいのだから。
そう言ってカメラは再び姿を消したが――、
「残念なのはこっちの台詞ッス。何も準備しないでノコノコ姿を現したと思ってるッスか?」
レドマーヌの正面、目と鼻の先に空間転移したカメラは、しかしすぐにハッと何かに気付いて慌てて再び転移する。
彼女が寸前までいた場所には5本の矢が通り抜け、更に追撃すべく移動した彼女に襲いかかる!
「くっ……!」
「レドマーヌの能力は“必中の矢”と“静止”ッス! ありったけの矢を通路のあちこちに“静止”させてるから、存分に味わうと良いッス!」
槍を振り回して矢を破壊するが、次から次へと通路の奥から矢継ぎ早に向かってくる。
カメラが一気に防戦一方にもちかけられ――好機とばかりにティフィアとガ―ウェイが動く。
「風の精霊よ!」
カメラへ接近しようと駆け出す二人の背中を押すように魔法を使い、そして小物入れから小指の爪ほどの赤い実を取り出すと地面に転がし。
「うらぁあああああっ!」転移した先を驚異的な直感で当てたガ―ウェイの重い一撃が決まる!「がっ! ぁ、」
赤い実を潰して地面に叩きつけられたカメラは、口から息と一緒に血を吐き出した。
しかしそのまま寝ていればティフィアと矢がやってくる。潰れた実の赤い汁をつけたまま空間転移をするが――。
「これは先ほどのお返しですぞ!――【幻宴磨霧!!】」
片膝ついたまま、ゴーズの魔術が発動する!
前方の広範囲に展開された赤紫色の薄霧。その場の全員が霧に飲み込まれるものの、それに反応したのは一人だけ。
「っぅう”う”!?」目をかっぴらき、ビクッと体を仰け反らしたカメラは赤い汁の付いた左半身を押さえるように蹲った。
冷や汗を大量に流し身悶えるその姿に、これで終わったとレドマーヌは矢を再び“静止”させる。
それを確認し、ガ―ウェイはカメラの顎を杖に乗せ、俯いた顔をクイッと上げた。
「同情するぜぇ、枢機卿員。あの赤い実と【幻宴磨霧】のコンボはそうとうクるだろ? いい気味だぜ」
「っ、は、ぁぐ、ぅうっ」
歯を噛み締めて喘ぐカメラの様子に、ティフィアは心配そうにアルニへ視線を向けた。
「あ、アルニ。あれ、大丈夫なの?」
「……一応な。あの赤い汁“ゾカ”っていう神経毒のある実の中身なんだ。本来なら軽く痺れる程度だけど、【幻宴磨霧】は痛みを増幅させるんだ」
「本当は感覚を研ぎ澄ませる術なのですがね。神経まで敏感になってしまうから、今彼女は激痛に苦しんでいるというわけですな。でも1時間ほどで治りますぞ」
「そっか……」それでも苦悶の表情を浮かべる彼女に、少し複雑な心境ではあった。
「ふんっ。ほら、テメェら! さっさと行くぞ。急ぐんだろ?」
いつの間にかカメラから背を向けて通路の先に進んでいくガ―ウェイに、みんな慌ててついていく。
そして彼らの姿が見えなくなったところで、カメラは礼服の襟元を緩め、抑え込んでいた魔力を放出させた。
すると左鎖骨下辺りに刻まれた『魔術紋陣』が淡く輝きだすと、彼女の体に小さな“窓”がいくつも展開し――やがて全てが消えると、矢が貫いた痕もガ―ウェイから受けた傷も毒の痛みも、無かったかのように回復した。
「“部屋”はもう仕方ないとしても、さすがにこっちを見られるわけにいかない……」
起ち上がり、そっと胸の魔術紋陣に触れながらカメラは呟く。
「まだアルニ君に思い出されるには、早いからね」
それは、一対の翼と太陽を象った紋章であり。
紛れもない――――――『勇者の証』そのものだった。
***
「――にしても、まさか魔族と仲間になっているとは……。さすがにボクもいまだにどう接するべきか迷うところですな!」
やっぱりそうなるよね、とゴーズの言葉にティフィアは内心肯定する。
ガ―ウェイは何も言わないが、人間と魔の者が手を組むことなんて普通あり得ないことだ。
それも、仮にも『勇者』が魔族の少女と友人関係などと。
「迷う必要はないッス。気軽に仲良くしたいッス!」
「あっはっは! いいですなー、裏のない純粋な友好を育むということですな、魔族と! そんな簡単に割り切れるような関係ではないはずですがね! あっはっは!」
「嫌ッスか……?」
「まさか! 楽しそうだ! でもボクはこれでも、幼少期に母親と弟を殺されていましてね。何も感じないというわけではないのですよ」
普段の明るい口調の中に、ゴーズから初めて暗い何かを感じた気がする。
気になって横目で窺えば、しかし彼の表情に陰りはない。
「正直複雑ですけど、君のせいというわけでもない。それに魔族を恨んでいるわけではありません。そのおかげで今のボクが存在し、愛しいメイサとサーシャに出会ったわけですから!」
無理に明るく振る舞っているわけではなく、今の言葉そのものが彼の本心なのだろう。
レドマーヌにもそれが伝わったのか「分かったッス! 少しずつでいいから、魔族にも色々いるってこと知って欲しいッス!」と笑顔を向けてきた。
それに安堵した頃、先行していたアルニが再び足を止めた。
「ここだ」
通路の途中にある普通のドア。
この先に――行方不明者がいるかもしれない。巡回兵も警備兵もいないことが少し気になるけど。
アルニが全員に目配らせて、ドアに手をかける。
ギィ、と軋みながら開かれたその先は。
「な、なんスか、ここ……」
「……こいつは酷ぇな」
呆然とレドマーヌが呟き、ガ―ウェイが悪態を吐く。
――細長い部屋だ。
奥に祭壇のようなものがあり、かすかに魔術紋陣が刻まれているのが見える。ここはどうやら、地下にいくつもあったらしい謎の祭事部屋のようだ。
しかし、ただの祭事部屋でない。
奥の祭壇までに続く道に転がる、人だったモノたち。ミイラとは違った、萎びたような骸から滲み出るように、黒くドロッとしたヘドロのようなものが床に広がっていた。
「祭事部屋にしては、物々しいところですな。実験部屋と言った方がしっくりくる」
「……かもしれねぇな。つーか、この黒いシミはなんだ? 血、じゃねーな」
ガ―ウェイとゴーズはどんどん奥へ向かっていき、ティフィアもまた周囲を見回しながら行方不明者らしき人がいるかを探す。
しかし生きてる人の気配はないし、転がるたくさんの骸に足を取られそうになる。
――なんだかこの部屋にいると、胸が苦しい。
息がしづらいというか。居心地悪いというか。
ふと後ろを振り返ったとき、アルニが呆けて立ちすくんでいるのに気付いた。
「アルニ?」
「……………ここ、は」
ティフィアの視線に気付く様子もなく、呆然と祭壇の方を見つめながらアルニは呟く。
「――そ、だ。俺はここで、あいつと……――リウルと、」
リウルさん?
なんでリウルさんの名前が……?
アルニに尋ねようと口を開いたときだ。不意に声繋石が繋がるのを感じた。
『勇者! こちらで行方不明者10名、全員確認した。至急、捜索隊と合流して欲しい』
「分かった!」ラージからの連絡に頷き、ティフィアは声をあげる。
「みんな、行方不明者見つかったみたい!」
「いやはや、生きておられたようですな。てっきりこの骸がそうかと」
「縁起でも無いこと言っちゃ駄目ッス!」
ゴーズの不謹慎な言葉にレドマーヌがツッコミを入れるのを苦笑すると、アルニを横目に見る。
「……」
ぼんやりと黒いシミを見つめ、それから強く目を閉じるとティフィアの方へ振り返った。
「行こう。教会に妨害される前に助けねーと」
「うん!」
良かった、いつものアルニだ。
多少の違和感はあれど、アルニはアルニだ。
「こっから捜索隊がいる首都の地下までは時間かかるし、ゴーズ、転移術使えるか?」
「もちろん! こうなることもしっかり予想済みですぞ」
そしてゴーズが魔術を展開する。
「………」転移する直前、ガ―ウェイは祭壇を振り返った。
――ここだ。
盗み見たアルニの反応と、カメラがわざわざ妨害してまで部屋に行かせようとしなかった理由。
――――ここが、リウル・クォーツレイの遺体が運ばれてきた場所だ。
「ずいぶん探したぜ」
溜め息交じりのその言葉は、誰かに届く前に転移術式によって掻き消えてしまった。