3-4
「いやぁ、危なかったですなー! さすがのボクでも肝が冷えましたぞ」
あっはっはっ!
本当に崖っぷちだったあの状況を大笑いで済ますゴーズの後頭部を、ガ―ウェイは本気で思いっきり叩いた。
「テメェはもっと反省しろって言っただろうが! 敵地に潜り込むのに堂々と真ん中に転移する阿呆がいるか!」
「いたた……。そうは言いますがねぇ団長。転移術って元々数人の魔術師が協力して造り出す大規模術式でしてねぇ? 一人で術を組み立てて展開することの難しいことたるや。魔術師ではない団長には理解出来ないでしょうが」
「それでもやるっつったのはテメェ自身だろうが……」疲労感に大きく溜め息を吐き、それから後ろを振り返る。
「で、なんでアレまで一緒に連れてきたんだよ」
アレ、と呼ばれて一人呆けていたティフィアはびくりと肩を震わせた。
おそらくまた転移してどこかに移動したのだろう、気付けばこの薄暗い洞窟のような通路の真ん中にいた少女は、とりあえず剣を鞘に納めて緊張した面持ちで姿勢を正す。
「近くにいたカメラ枢機卿を術の範囲内から外すだけでいっぱいいっぱいですよ。本当にどうします? また時間いただければ、転移させちゃいますけど」
こちらとしては“目的”は果たしたし、『勇者』を連れて回るリスクを考えれば放り出してしまった方が良いのだろう。
ガ―ウェイが思案していると「あのっ!」ティフィアが大きく声をあげた。
「あの、足、痛くない……ですか?」
足、と言われて右足へ視線を移せば、ズボンに赤い染みが広がっていた。どうやら傷口が開いてしまったようだ。
痛み止めを飲んでいるとは言え、まったく気付かなかった。まださっきの交戦で興奮状態から冷めていないのかもしれない。
まぁ出血はそれほど酷くはないし、放って置いても問題ないだろう。
「嫌ですねぇ団長、痛いならちゃんと泣き叫ぶか喚くか悶えるかしてくれないと。仲間に自分の状態を伝えるのも大事なことですぞ? ほら、何事にも報告・連絡・相談が必要ですから」
まったく、団長は不器用ですよね~。と人差し指で突いてくるゴーズを再びぶん殴り、それからティフィアへ視線を移す。
――『人工勇者』。
彼女がそれであることをガ―ウェイは知っている。そしてクローツが考案した『人工勇者計画』の概要も。更に言えば、この少女がフィアナ王女のクローンであることも。
憐れに思う気持ちはある。ただ同情するつもりはない。
ティフィアの境遇や人生がどうであれ、ガ―ウェイには関係ないことなのだから。
……ただ、思うことがあるとすれば。
「…………おい、ロジスト」
呼ばれ慣れない姓で声を掛けられ、一瞬きょとんと他人事のような反応をしたティフィアは、慌てて「は、はい!」と返した。
「さっきはどうして俺たちを庇うなんて阿呆なことしやがった」
「阿呆……」初対面の人にアホと言われて内心ショックを覚えつつ、彼の問いに答えるべく考えながら口にする。
「教会で、そっちのお面の人に僕は“敵”側だと言われました。『勇者』は教会に属するから。――でも、“僕”にとっては“敵”じゃない」
ティフィアはガ―ウェイたちのことを知らない。
だからこそ。
「突然現れて攻撃してきたけど、僕はあなたたちの目的も理由も知らない。だから“敵”だなんて、そう決めつけたくない」
わかり合いたい。
戦わないで済むのなら、それが一番だと思うから。
「お願いです、聞かせてください。僕に出来ることがあれば協力します」
アルニがここにいたら、時間がないのに余計なことに首を突っ込むなと怒られそうだ。確かに戦争を止めるために、急がないといけないんだけど。
だからと言って、目の前で困っている人を見過ごすわけにはいかないから。
「――甘っちょろい考えだな。俺なら反吐が出るぜ」ガ―ウェイは顔を顰めて嫌悪感を剥き出しにしたが、彼はゴーズへ顔を向けた。
「どうする、ゴーズ。勇者を利用するってのも、悪ィ手ではねぇと思うぞ?」
「んん?――ああ、これはボクの問題だから判断を委ねてくれるというわけですな? そうですなぁ……信用して良いのか、正直疑わしい」
本人が“敵”ではないと言ったところで、そんなものいつでも掌を返せる。疑われるのも無理はないだろう。
しかし。
「だけど、さきほどボクらを助けてくれたのも事実。本当に教会に属しているなら、あのとき殺してしまう方が都合が良いのだから」
そうしてゴーズはお面に手を掛け――それを外した。
ひょうきんな態度からはかけ離れたような、気品ある整った顔立ち。
優しげな枯葉色の瞳が特徴の彼は、ティフィアの前で片足を着いて頭を下げた。
「勇者様のその慈悲に感謝を。――ボクの名はゴーズ・カーレンヴァードです。どうかボクの愛する者を助けてくだされ」
「――っ」何故か、息が詰まった。
助けて欲しい、と言われたのはこれが2回目だ。最初はカムレネア王国にあるライオスの街長ライズ。彼は街の人たちを助けてくれと懇願してきたが――彼は自分可愛さに民を売った人だった。
でもゴーズは違う。
心から。真摯に。本当に助けを乞うている。
その想いが伝わってくるように、切なさに泣きそうになった。
「全力を尽くします」
守ろう。
今度は失敗しないように。
間違えないように。
立ち止まらないように。
***
ずり、と建物の壁に預けてた背中が滑り、音を立てる。
「……は、」小さく息を吐き捨て、アルニは顔を覆うように手を宛がった。
今、俺どんな顔してるんだろう。
そんなどうでもいいことを思う。だけど考えていることはそれとは全く違うことだった。
――教会に戻ったとき、何故か枢機卿員2人に挟撃されるティフィアの姿に驚き、とりあえず助けに入ろうとしたのを、しかしティフィアと一緒にいる二人の内の一人が視界に入り――足を止めてしまった。
変なお面を被った人物に「団長」と呼ばれていたその人を、アルニはよく知っている。
『レッセイ傭兵団団長、レッセイ・ガレット』。
なのに枢機卿たちは「ガ―ウェイ」と呼んだ。
ガ―ウェイ・セレット、と。
その名前を、どこか聞き覚えがあった。
昔に。
幼い頃に。
大きいその手が、わしゃわしゃと頭を撫でるように髪の毛をぐしゃぐしゃにしていく。
妹のアイリスはいつも、その人が家に訪れると嬉しそうに飛びついて。
母さんが、呆れたように「また来たの? お父さん」って。
――違う。
そんなわけが、ない。
だってあの人はレッセイって名前で、俺を拾って、育ててくれた団長だ。
俺たちの団長。
「なんだ、よ。これ……」
会って、話がしたかった。それだけだったのに。
聞きたかった。
どうして解散したにもかかわらず、傭兵団のみんながいなくなったのか。何をしているのか。
聞いて、それで…………それで――――俺、どうしたかったんだろう。
リッサと話したときは、カムレネア王国から出るときは、もっとちゃんとした意志があったはずなのに。
声が。
記憶が。
ノイズと共に頭に浮かぶ度、気持ちがぐちゃぐちゃに掻き乱されていく。
ずるずるとしゃがみ込むと、もう立ち上がれないような気がした。
――思い出したくない。
王国に帰りたい。傭兵団のみんなでバカやってたあの頃に戻りたい。
ゾワゾワと足下から迫り上がってくる恐怖心に、アルニは初めて自分の気持ちを自覚した。
そのときだった。
「――大丈夫か?」
頭上から声をかけられ、咄嗟に顔を上げた。
刀を提げた黒髪ポニーテールの女性――グアラダである。
彼女はラージへ報告を終え、帰路に着く途中で蹲る青年に気付いて声をかけたのだが、それがまさか勇者の仲間であるアルニだと思わず、その顔を見て驚いたように「あなたは……」と目を丸くした。
「誰、だ」
澱んだ灰黄色の瞳が、警戒するように鋭く睨みあげてくる。
さっきまで泣きそうだったのに。
迂闊に接触してしまったことにグアラダは後悔し、しかし待てよ、と思い直す。
教会と勇者の動きを観察していたグアラダは、さきほどティフィアが枢機卿と対立する姿を見ていた。
勇者は教会を擁護も贔屓もしていない。
だけどこのままだと、さきほど行われた会談での約束は無効になってしまうかもしれない。
――利用出来るんじゃないだろうか。
ラージのためになるのなら、使える駒は多い方がいいはずだ。
「私の名前はグアラダ。ただのグアラダ。……あなたは?」
「……アルニ」
「アルニ、どこか痛むのか? 吐きそうなのか? して欲しいことはあるか?」
「へい、きだ。頼むから、構わないで、くれ……」頭が痛むのか、こめかみを抑えて辛そうに言葉を吐く。
それでもグアラダは去ろうとせず、彼の背中を撫でようと手を伸ばしたとき―――
バチンッ!
何かが弾かれたような大きな音と共に、グアラダの手に衝撃が走った。
反射的に手を引っ込めて確認すると、赤みを帯び、火傷したかのような痛みを感じる。
それからアルニの方を見れば、彼女は思わず息を呑んだ。
――彼を守るように小さな炎がいくつも浮かび上がり、それは見た目以上の熱を発していた。
だが、それよりも。
まるで親の仇でも見るように、殺意に満ちた鋭い――金色の瞳が。
感じたことのない怖気にグアラダの体は、縫い止められてしまったかのように動くことが出来なかった。
その隙にアルニはふらつく足で立ち上がると、その場から立ち去ってしまった。
***
少しずつ、何かが変わっていく予感に、まだ誰も気付いていない。