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……確かこの辺だったはずだけど、と朧気な記憶を引き出しながら辺りを見回していると。
ちゃりんっ!
目の前で男が財布から小銭を落とした。彼は慌てて地べたを這いつくばり、迷惑そうに見下ろしてくる通行人たちに頭を下げながら金を探す。
アルニの足元にも転がってきていたので、それを拾おうと屈んだときだ。
「――そのまま、拾いながら聞いてください」
小銭を落とした男が顔も上げず話しかけてきた。
そろそろ向こうから来るとは思っていたので、大して驚くことなく従う。
「この先を行ったところに赤い屋根の店があります。店主に瞬きを三回見せ、裏口へ。そのとき、鍵をお使いください」
鍵、と言いつつアルニが拾った硬貨を指差す。
そして。
「――いやぁ助かりましたぁ! どぞどぞ拾ってくれたお礼ですわ、受け取ってくだせぇ!」
さきほどの丁寧な口調とは打って変わり、東南大陸の訛りの強い口調にシフトした彼は、満面の笑みでアルニに会釈すると軽やかな足取りで去って行く。
アルニも「ありがとう」と片手を挙げて、さっさと歩き出すと――見えた。武器屋の看板を掲げた赤い屋根。
ちらっと背後を一瞥すると、アルニを尾けていたであろう男たちの前に大柄の観光客たちが視界を遮っているところだった。
これ幸いと店に駆け込み、男店主へ瞬きを三回見せると顎で奥へ行けと示される。頷いて裏口のドアを開けて路地裏に足を踏み入れた瞬間。
「!」
持っていた硬貨が光り出すのと同時に足元に魔術紋陣が浮かび上がり、そのままアルニは姿を消した。
一方、尾行していた男たちは慌てて観光客をどかすが、すでに姿を見失った後。この“班”を指揮していたリーダーの男は部下たちを散開させると、男自らも当たりをつけて探す。
ふと気になった武器屋へ入ると、その奥で何かが光ったのが見えてそちらへ足を向けようとしたが、立ち塞がるように店主が遮ってきた。
「店主がいる前でバックヤードに入り込もうたぁ、最近の盗人もいい根性してるじゃねーか」
「……どけ」
「――いいのかぁ? ウチと殺り合うこと、上司は容認してんのかねぇ?」
ウチ、と言いながら店主がカウンター奥の壁に取り付けられた“薔薇のタペストリー”を視線で指せば、男はあからさまに舌打ちをし、踵を返すと店を出て行った。
それを見送った店主は、壁に掛けてある木製の盾に触れると魔力をこめる。盾の内側には声繋石が仕込んであり、それが繋がるのを感じると小声で報告した。
「言われた通り、ガキはそっちに通した。……なぁ、これって本当に問題にならねぇんだよな?」
不安げに尋ねる店主の問いに、ふっと鼻で笑う声。
『心配することがあるん? いつも言うとるやん、きみ等の“居場所”を守るんがウチの役割。そもそもあちらさんも本気じゃない。――それに前に話したはずや、こっちも話は進めとる』
「そうだったな……悪い」
『ええよ、構わへん。不安にさせたウチが悪い。今日中にはハッキリさせるから、外にいる皆にも伝えといて』
「分かった。信用してるぜ、“首領”」
そして店主は通信を切った。
『分かった。信用してるぜ、“首領”』
言い終わるのと同時に通信が途切れたが、それを“首領”と呼ばれた男は「だから“ボス”やのぅて、メビウスって呼んで言うとんのになぁ」と苦笑まじりに愚痴りつつ。
「――久しぶりやなぁ、アルニ。息災やったん?」
「ああ。……そっちも久しぶり、メビウスさん」
黒い長髪を一つに束ね、はだけた礼服を着た色白の男――メビウスは目の前にいるアルニへ顔を向けると、柔和な笑みを浮かべた。
***
メビウス・ダミアンはレッセイやニマルカの飲み仲間であり、カムレネア王国でアレイシス傭兵団の副団長を務めていた男だ。
だけどやりたいことが出来たと言って傭兵団を抜けると、新しく自分で傭兵団を立ち上げて現在ウェイバード国に拠点を構えている。
ちなみにその拠点というのがこの場所―――
「アルニは初めて来たんやったなぁ。ようこそ『薔薇の館』へ」
――娼館である。
名前通り至る所に薔薇が飾りつけられた館内を歩きながら、たくさん並ぶ部屋へ自然と目を向ける。
甘ったるい香のニオイがするなと思ったら、とある一室だけ扉が僅かに開いており「ぶひぶひっ僕は豚さんですっ! どうかこの家畜めを美味しくお食べくだ――」パタンと、メビウスが静かに閉めた。
「ドアの建て付けが悪ぅなっとるなぁ。カジに修理頼んどかないと」
「そうだな……早急に治した方が良いよ」
やっぱりティフィアたちを連れてこなくて良かったと心底思った。
「しっかしなぁ、アルニがカムレネア王国から出るとは思わへんかった」
「? なんで?」
「レッセイ傭兵団が解散したんは聞いとったけど、……姉さんとルシュに引き留められへんかった?」
姉さん、というのはアレイシスのことだろう。
「勧誘はされたけど……。あー、いや。そういえば俺、カムレネアから出るとき誰にも話してなかったな……」
リッサには話したけど。
そもそも魔族襲撃以前から、カムレネア王国には元レッセイ傭兵団のメンバーは誰もいなかったし。アレイシスには言う必要がないと思ったからだ。
「なるほどねぇ。前に姉さんと通信したとき、寂しがってたんやで?」
「え。――アレイシスさんが?」
普通の男よりも屈強な姿と漢らしい立ち振る舞いが脳裏に過ぎり、あり得ないと首を横に振る。
「あっはは! あの人よぉ勘違いされるけど、実は女性っぽいとこもあるん。今度戻ることがあったら会ってやって?」
半信半疑、分かったと返すと小さく笑われた。
それから「ここや、ここ」と言ってとある一室を開けると、そこは小さな個室だった。
促されるまま椅子に座ると、メビウスは壁に飾られた薔薇へ手を伸ばす。
「!?」
彼が魔力を薔薇に通したのと同時に、壁の一角が切り抜かれたように隣室の様子が見えるようになった。向こうはどうやら応接間のようだが。
「これ、向こう側からはただの壁にしか見えん。だけど、こっちからは声も様子も丸見えや」
「……なんでこんなもの、」
「アルニの事情は、まぁウチはよぅ知らへんけど。勇者と旅してることは聞いとる。カムレネアではお世話になった礼や。――今から面白いもンが見れるで」
ニッ、と口角を上げると八重歯が覗く。
メビウスはまたあとで、と言い残すと部屋を出て行ってしまった。
「……なんか変なことになったな」
『反乱軍』の拠点を聞きにきただけだったのだが、勢いに乗せられてこの部屋に留まることになってしまった。
一体メビウスはどういうつもりで何を見せようとしているんだと、とりあえず置いてあった水差しでグラスに水を注ぎ、それで喉を潤していると。
「――お三方にわざわざご足労いただいて、本当に恐縮ですわ。ウチの我が儘聞いてくれて、ありがとうございます」
隣室の扉が開いたと思ったら、メビウスが入ってきた。彼は後ろにいる人物たちにも入るよう促す。
そしてその内の一人を見た瞬間、「ぶふっ」と思わず水を拭き出してしまった。
「いんやァ? タイミングとしては最高さァ、そろそろこの退屈な硬直状態から脱却したいと思っていたところだ。――なァ、王女サマもそうお思いですよねェ?」
「ええ。マレディオーヌ様の仰るとおりです」
口元を拭いながらマレディオーヌを凝視する。……なんでここにいるんだ?
そして彼女の傍らに立つ、高価そうなドレスを纏った金髪の女性。マレディオーヌが「女王サマ」と呼んだ彼女は、まさか。
そして二人とは少し距離を空けて入ってきたのは、アルニと歳が近そうな青年だ。褐色の肌に眼鏡と天然パーマが特徴な彼は、きつく口元を引き結び目の前の二人の背中を見つめていた。
それから彼らは、2人席にマレディオーヌと“女王サマ”、テーブルを挟んで青年とメビウスが着席する。
……これはどういう状況なんだと、張り詰める空気に思わず緊張しつつ食い入るように様子を窺うことにした。
「さて! まぁお互い知ってるとは思うけど、一応自己紹介といきましょうか。――ウチはメビウス・ダミアン。メビウス傭兵団の団長兼『薔薇の館』の管理者をやっとる。宜しゅうお願いします」
メビウスが頭を下げると、隣に座る青年が眼鏡のツルを指で押さえながら口を開いた。
「……ラージ・ブランターク。『薬草商会』の会長だ」
――嘘だろ!?
『薬草商会』とは全種類の薬草を管理、調査、栽培を一括に扱っていて、各地に点在する商会の支店では薬品の製造と卸売までやっている。
世界中の道具屋に回復薬を卸していて、魔の者の脅威がある限りなくてはならない物だ。
もちろんアルニがいつも使っている回復薬も、薬草商会が卸した正式な商品である。
そんな、ある意味では女神教とタメを張れるほどの影響力を持つ商会の会長が――こんな若者だとは思わなかった。
「あァん? そりゃァおかしいだろうが。自己紹介ってのはよォ、もっと正確に名乗らないといけないんじゃないのか?――なァ『反乱軍』さんよぉ??」
「……」
「だんまりかァい? 否定も肯定もなしかよ。それとも沈黙は肯定ってことで、おーけぇ??」
「マレディオーヌ様、そのくらいにして差し上げましょう。話が進みません」
煽り倒すマレディオーヌをあくまで無視で通すラージという青年。
メビウスが止めようと口を開いたところで、意外にも“女王サマ”が口を挟んだ。
マレディオーヌは舌打ちし、それから気だるそうに「女神教枢機卿員第3位席、マレディオーヌ」と簡潔に自己紹介した。
そして最後に。
「マキナ・ウェイバード・ランブレイア――このウェイバード国を統べる者です。以後、お見知りおきを」
……な、なんだこの面子。ちょっと本当にわけがわからない。
マレディオーヌとメビウスは置いておこう。えっと……あのラージという青年が、にわかに信じがたいが『薬草商会』の会長。で、しかも『反乱軍』らしい。
そしてマキナという女性がこの国の最高権力者である女王様……?
まだ自己紹介の段階だというのに、すでに頭を抱えそうだ。
そうそうたるメンバーが、隣室で向かい合っているというわけだが……。
「よっしゃ、全員顔と名前が一致したところで本題に入りましょうか」
パンッと手を鳴らし、メビウスが満面の笑みで言い放つ。
「今まで保留にしてきたん返答ですけど、ウチらメビウス傭兵団――もとい、『薔薇の館』は正式に女神教の庇護下に入ることを宣言します」
2章で『薬草商会』のことについて軽く触れていますが、ずいぶん間が空いてしまっているので一応さらっと説明入れてます。
もし覚えがある人で「いやいや、前にその説明読んだ覚えあんだけどゴラァ」という方、そういう理由なので流して読んで下さい。