1-5
食堂に移動すると、ちょうどテーブルに料理を配膳し終えた給仕が頭を下げ、部屋から出て行くところだった。
あまり人の気配を感じなかったから、自分たち以外に人がいることになんとなく安堵する。
テーブルは横に長く、バフォメットは迷うことなく端っこに着席し、3人もそこから近いところに座った。バフォメットの向かいにティフィア、その隣にアルニ、バフォメットから2つ離れた席にカメラが着く。
料理は軽いものから重たいものまであって、アルニはさっそく豹鹿の角煮に手を伸ばす。口に入れた瞬間トロッと肉が溶けるようにほぐれ、甘塩っぱいタレと絡んでうまい。
……豹鹿は強いしカムレネア王国近辺に生息していないこともあって、店で売ってても高価過ぎて滅多に食べられないんだよなぁ。
次は何を食べようかと再び料理へ視線を向けるが、不意に服の裾をちょいちょいと引っ張られる。ティフィアだ。
どうかしたのかと目で訴えれば、少女は顔を引き攣らせながらテーブルの下を何度もチラ見していた。
「………」なんか嫌な予感がする。
恐る恐る見やれば、ティフィアとアルニの足の間辺りに人影がいた。橙色の尾がゆらゆらと主張し、琥珀色の瞳を爛々と輝かせて涎を垂らすレドマーヌの姿が。
――こいつ、本当に食べるときにだけ現れやがった!
さすがにバフォメットの目があるからと一応隠れているようだが、その食い意地にはドン引きだ。ティフィアもどうしようかと苦笑している。
蹴り飛ばしてやりたい気持ちをなんとか抑え、バフォメットとカメラに気付かれないようパンを渡すと、それはもう嬉しそうに尻尾をぶんぶん振り回し、貪り食べた。
そして更に次を要求してきた。……コイツ、本当に蹴っていいか?
「――そういえばティフィア様、ここにはどれくらい滞在されるつもりなのですか?」
レドマーヌに意識を持って行かれていた少女は驚き「へ、あ、」と困ったようにアルニとカメラへ視線を向ける。
「そうだね、ともかく外にいた武装集団の動きが気がかりってところかな。一応部下に探ってもらっているけど、街の至る所にいるようだし。もう少しここで様子を見るべきかもしれない」
様子見……まぁ普通そう考えるよなぁ。
「ティー、お前はどう考えてる」
「え?」
「俺は別に構わねーけど、お前はそれでいいのか?」
いつもならリュウレイが聞いていたはずの問いを、アルニがぶつける。
ティフィアはサハディで『勇者』であることを決意した。そして元魔王と会うことを。そのためにグラバーズに行くことを。
魔術兵器ナイトメアのせいで、今や魔の者との戦争は一触即発。いや、もう始まっているかもしれない。――だからこそニアとリュウレイは帝国に戻ったんじゃないかとアルニは思っている。
ティフィアはあのとき言った。全部を救い上げる、希望になると。
戦争が始まり激化すれば――もう止めることは難しいだろう。
ニアとリュウレイも戦争に参加するつもりなら、ただじゃ済まないはずだ。他にも傷つき亡くなる人も大勢出てくる。希望になることを選んだなら、それを見過ごすつもりはないはずだ。
――だとすれば、ティフィアには時間がない。
それを理解したのか「あ、そっか。僕次第なんだ」と考え込む。
「う~ん、出来れば早くグラバーズに行きたいけど、危険なのかもしれないんだよね」
あの武装集団が反乱軍かもしれないということをティフィアは知っている。
「……話、出来ないかな」
「説得する、ということかな? それは難しいね」
このウエイバード国にいる反乱軍を指揮している人物も居所も分かっていない状態だ。
それに下手に刺激するとどうなるか分からない。それをカメラは言っているのだろう。
「――ああ、それなら俺が行こうか?」
適当に料理をよそった小皿をテーブルの下に渡してから事も無げにそう発言すれば、カメラが驚いたように目を丸くしていた。
「簡単に言うけど、もしかして心当たりでもあるのかな?」
「まさか。でもツテがいるって言ったろ?」
「でも渋ってなかったかい?」
確かに武装集団に追い回されていたとき、そのツテを使うのは躊躇ったが。
「あー……いや、女性を連れて行くのは、ちょっとな」
なにかを察したカメラは「なるほどね」と頷き、ティフィアだけは首を傾げている。
「よく分かんないけど、でもアルニ一人だけ行くのは危険じゃないかな……?」
「あの連中の狙いはたぶん『勇者』か『教会』のどっちか、或いは両方だと思う。それなら俺一人の方が動きやすい」
「だが君は自分たちと一緒にいるところを知られているはずだ。捕まればどんな目に遭うか分からないよ?」
「捕まらなければいいんだろ? 問題ねーよ」
「ほ、本当……? 危ないと思ったら戻ってきてね! 絶対だよ!」
心配そうに声を上げるティフィアに「分かったよ」と苦笑で返す。
「――では、彼が説得に成功するまではティフィア様もカメラ様もここにいらっしゃるということですね?」
「は、はい。すみません、ご迷惑おかけしちゃって……」
「いいえ、私は嬉しいですよ。ここには使用人はいても、こうして話し相手になってくれる方はいませんからね。――そうだ、宜しければ皆さんの行く末を占わせてはもらえませんか?」
いいんですか!? と喜ぶティフィアに対しアルニは微妙な顔をする。
占いねぇ……。
運勢とか未来のことが垣間見えるという占星術。魔術の一種らしいがどうも扱いが難しい上に、正確に分かるわけではないからと習得しようと考える魔術師がいないという。
つまり信用に値しない、気休め程度の未来予知しか使えないから、だから現在占星術を使えるのはバフォメット一人だけなのだ。
――というかこの人、元魔法師だって言ってたはず。魔術が使えるのは、それが原因なのか?
訝しむアルニをよそに、バフォメットはどこからか水晶を取り出す。それはやがて彼の魔力に呼応するように薄青色の帯“窓”を出現させた。
【星よ。紡がれた答えの一端を標し、光の導くままに我が瞳にそれを映せ。――未来視】
パキンと“窓”が消えるのと同時にバフォメットは目を閉じる。
「……………―――、」
未来、とやらを見ているのかバフォメットはそのまま微動だにしない。
不意にぐいぐいとズボンを引っ張られ、とりあえずパンをレドマーヌの口に突っ込んだ。
そのときだ。
「昏い」と。
占星術師は呟いた。
「昏い、雨が。否、慟哭が聞こえる。……戦争。人が――人間同士と争っている……?――赤い、蜘蛛のようなモノが」
「!」思わずアルニとティフィアは目を合わせた。
間違いなく赤い大蜘蛛針のことを言っている。
「――『勇者の証』が見える。大輪のような……紅い。なのにどうして、誰もいない……? い、や―――あれは。光。しかし、何故、澱んで……崩れて、いく」
「……」
ブツブツと視たモノを口にしているが、どれも抽象的でよく分からない。とりあえず戦争に赤い大蜘蛛針が出現することだけは分かったが。
あとはあれか、『勇者の証』か。それがあるということは、ティフィアか人工勇者がその場にいるということだろうか。
「壊れる。壊れていく。――慟哭が、聞こえる。世界が、終わる。そんな……前に“視た”ときは、これほど酷くは……………何かが、未来を変えてしまった……?」
そこでハッとバフォメットが目を開いた。
「大丈夫ですか、バフォメット様……?」
元々精気のない顔が更に青ざめて汗を流している。ひどい顔だ。
ティフィアが席を立って彼の側にいくと「横になられた方がいいです」とバフォメットを支えながら立ち上がらせる。
「申し訳ない。こんな体たらくで……」
「そんな! バフォメット様の占いは正確だから……きっと掛かる負荷も大きいんだと思います。――アルニ、カメラさん。僕ちょっと行ってくるね」
「俺も行こうか?」
「ううん、僕一人で大丈夫。二人はゆっくりしてて」
そう言い残してティフィアはバフォメットと共に食堂を後にした。
「あまり良い結果ではなかったみたいだね。世界が終わるなんて、不吉すぎる予知だ」
一気に食欲失せてしまったよ、と肩を竦めるカメラ。
「右に同じく。………なぁ、ティーも言ってたけどあの人の占いって正確なのか?」
「ほぼ、ね。だから教会では重宝してるんだ。彼は今までに2度勇者の出現を予知しているからね」
まじか。そんなすごい人だったのか。
「でも全然そんな人間に見えなかったッスよねぇ。むしろ今にも死にかけてる感じがしたッス。死相くっきりだったッス」
「ああ、俺もそう思った……―――て、レドマーヌ!?」
いつの間にテーブルの下から這い出て、ちゃっかりティフィアの席に座っていた魔族少女は「? 変な顔してどうしたッスか?」と白々しく首を傾げた。
カメラは驚くことなく平然としているので、もしかするとテーブルの下に現れたときからすでに気付いていたのかもしれない。
「それにしてもここのご飯は美味しいッスねぇ~! 住み着きたいぐらいッス!」
「フフッ、レドマーヌ君は食べることが好きなんだね」
「よく元魔王様にも食い意地張りすぎるなって怒られてるッス。ご飯に釣られて人間に捕まりそうになったことが多かったからッスけど」
「お前、本当に魔族っぽくないよな……」
「そんなことないッスよ? 人間の知る魔族はみんな“過激派”ばかりッス。“穏健派”はレドマーヌとそんなに変わらないッス」
そう聞くと魔族も人間に似てるよな。性格によって個性があるのかもしれない。