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「お待ちしておりました、勇者ご一行様。それからカメラ枢機卿も」
教会に入るとすぐに、薄暗い礼拝堂に腰の曲がった老人が出迎えた。おそらくここの神父だろう。
ティフィアが挨拶しようとするのを制し、カメラが彼の前に出ると「すまない、急いでいてね。ヴァフォメットの屋敷に行きたいんだ」と頼む。
「このような夜更けに、ですか? 宜しければ日が昇るまではこちらで――」
「いや、夜の内が良い。それに、出来れば彼女と出くわしたくはないんだ」
「マレディオーヌ様のことでしょうか。でしたらすでにカメラ様をお待ちですよ」
神父の言葉にカメラが顔を顰めたときだ。
「なんだいなんだい、アタシに挨拶もないのかィ? カメラ・オウガン!」
トン、と。
突如、神父とカメラの間に降り立ったのは一人の女だ。
金色の癖が強い髪を耳の上で二つに束ねてカメラと同じ礼服を着崩して纏い、装飾品をゴテゴテに身につけた彼女は、獰猛そうな目つきでこちらを見据える。
「ひでぇなァ、おい! 率いる派閥は違えど同僚だろォが……無視されたらいくらアタシでも悲しィってもんだぜ?」
「無視だなんて、人聞きが悪い。自分はただ、マーレの手を煩わせたくなかっただけだ」
「相ッ変わらず嘘が得意なご様子で!――で、何しに来たわけェ? ここの件は全権アタシに委任されてるはずだけど?」
「やりすぎている自覚がないようだね。はっきり言えば迷惑なんだ、こっちにまで飛び火しかけてる」
「ありゃまぁ……そいつァ悪かった。でもそろそろ片がつくんだ、それでイイだろォ?」
「片をつける、の間違いじゃないのかな?」
「ククッ、同じことだろォがよ。――くれぐれも邪魔だけはするなよ、おこぼれの第2位席様?」
「……あまり調子に乗らないことが長生きの秘訣だよ、第3位席」
ニィと口角を上げたマレディオーヌは、もう用はないとばかりにカメラの横を通り過ぎていき、そして。
「あの女の嘘には気をつけな、勇者」
「!」すれ違い様にティフィアにだけ聞こえるよう忠告をしていった。
咄嗟に振り返るも、すでに彼女の姿はなく「どうかしたか?」と訝しげに尋ねてきたアルニになんでもないと首を振る。
「――すまなかった……ティフィア様、アルニ君。見苦しいところを見せてしまったね」
こうなるから会いたくなかったんだ、と申し訳なさそうにカメラが頭を下げた。
「そ、そんな謝らないで下さい、カメラさん」
「どうせ派閥同士、いろいろあるんだろ? 仕方ないんじゃないか?」
「いや、違うんだ。女神派と勇者派は確かにそれぞれ派閥として存在しているが、対立しているわけじゃない。……ただ、どうも自分はマーレ――マレディオーヌと馬が合わなくてね」
先ほどの対峙を見ていれば分かる。
おそらく出くわす度に、あんなふうに噛みつき合っているのだろう。
「あの、“ここの件”ってどういう……?」
ずっと気になっていたのか、ティフィアの問いにカメラは神父を一瞥し「答える前に、先にバフォメットに会いに行こうか」と返した。
今度こそ神父に案内された先には、いくつかの魔術紋陣が床に刻まれていた。その内の一つへ入ると、ぐにゃりと視界が歪んで切り替わる。
やっぱり何度経験しても慣れない感覚に目を瞬かせていると、隣でティフィアが飛び出した。「バフォメット様!」
「――お久しゅうございます、ティフィア様。それからカメラ様も」
「お久しぶりです、またお会いできて嬉しいです!」
「ご無沙汰だね、バフォメット。健勝そうで何よりだ」
いつもより弾んだ二人の声に、やけに親しみのある人なんだなと思った。
そしてアルニもまた魔術紋陣から出て部屋の奥へ足を向ける――が。
「……」
途中で歩みを止めてしまった。
アルニ? とティフィアがこちらを見てくるが、それよりも先に動いたのは“男”だ。
「『魔法師』には少し、この部屋は奇妙に感じることでしょう。申し訳ない、それは私のせいでね」
彼は前屈みの体を杖で支えながらゆっくりと近づいてくる。
ゆったりとした神官服を着ており、そこから覗くあまりにも骨張った体は青白い。それに落ち窪んだ眼孔は白濁が混じった黄色い瞳で、笑顔を浮かべているつもりなのか顔が引き攣っているように見える。
生きているのが不思議だと思わせるくらいには、その老人に精気が感じられない。
だが、何よりもおかしいのは―――。
「――精霊がいない空間なんて、初めて見た」
「自然と警戒してしまうのは『魔法師』としての性でしょう。これでも昔は“同類”だったからよく分かるとも」
同類……魔法師か。でもなんで過去形なんだ?
それを問う前にカメラもやってきて「アルニ君、こちらがバフォメット・スヲッカ。この世界で唯一の占星術師だよ」と紹介した。
「改めて………初めまして、バフォメットです。――皆さま今日はお疲れでしょう、奥に部屋がありますのでどうぞご自由に。アルニ様も、精霊がいないのは私の周囲だけですので」
「……」なんだか気になる発言が多い。本当は聞いてしまいたいところだが、疲れているのも確かだ。何よりも、やはり精霊がいないと落ち着かない。
「ありがとうございます、バフォメット様。……アルニ、行こう?」
「ああ……、そうだな」
「カメラさんも」
「いや、自分は少しバフォメットと話しがあるから。先に休んで欲しい」
「そっか……。じゃあ二人とも、おやすみなさい」
おやすみ、と二人に見送られて部屋から出ると、彼の言っていた通り精霊の気配に安堵する。
「大丈夫、アルニ?」
「精霊を感じるだけでこんなにも安心するんだな……」
魔法師にとっては武器を取り上げられたようなものだ。それがどれほど心細いか。
しみじみとそう言えば、ティフィアにくすくす笑われた。
「すっごい緊張してたよね。ずっと顔引き攣っててちょっと面白かった」
「俺にとってはバフォメットって人も初対面だし。そりゃあ警戒もするだろ」
「そうだね。でも本当に良い人なんだよ? 僕も文字の読み書きとか教えてもらったことあるし、お母さんの昔話とか聞かせてくれたりしたんだ」
そうか。母親の代替品だったティフィアには、本来文字の読み書きとか必要なかったのだろう。だけど彼女は『代替品』であることから逃げ出した。
「母親……フィアナさん、だっけ? 王女様なんだよな」
「うん! お母さんはね、いつも国の未来と民のことを考えててね。いろんな人から慕われてて、格好良くて、頭も良くて、僕のことまで気にかけてくれる。そんな優しい人だったんだ」
“だった”、か……。ここでも過去形か。ということは、
「死んじゃったんだ、お母さん。2年前くらいに」
「――」思わずティフィアの顔を窺うが、彼女の表情は不自然なくらいいつもと変わらなかった。
「魔族に殺されたってクローツ父さまは言ってた。でも……その前からお母さん、暗い顔してたんだ」
「それはリウル・クォーツレイが死んだからか?」
彼とティフィアの母親が婚約していたことは、以前ガロから聞いている。もしフィアナがリウルのことを好いていて、亡くなったことを病んでいたのかもしれない。
だがティフィアは否定するように首を振った。
「お母さんはガロさんのことが好きだったと思う。いつも楽しそうにガロさんのこと話してくれたから」
「……正直、趣味悪いと思うぞ」
「ふへへ、ガロさんはお母さんの前だといつもタジタジだったんだよ? そうやってからかって、普段の愛想笑いを崩すのが面白いって言ってた!」
なるほど。ティフィアはそのフィアナって人のクローン体かもしれないが、本当に全然似てないな。
「――そういえばアルニにはどうして僕が『勇者』になろうとしたか、話してなかったね」
「あ~、そういえばそうだな」
これまでのことを思い返すが、確かに知らない。
ただ闘技場に参加するまでは『勇者』であることを隠していたことくらいか。
「帝国にはね、歴代勇者のための石碑があるんだ。魔王を倒した英雄たちのために――彼らの魂を弔うための」
「……」
「帝都の真ん中の公園にあるんだけどね、いつもお母さんが花束持って祈りに行ってたんだ。お母さんが死んじゃってから、僕はどうしても気になってニアに無理を言って連れていってもらったんだ」
近くにお城も教会も建っているその公園は、人々にとっての憩いの場でもある。
たくさんの人が利用しているので王女と似た容姿のティフィアが見られると混乱させてしまうからと、普段よりもフードを目深に被り花束を持って石碑の前まで行った。
「大きくて立派な石碑だった。……でもね、」
でも。そう続けて口にした少女は、そこで初めて悲しそうな表情を浮かべた。
「そこには枯れたお花しか、なかった」
「そ――」そんなこと、あるんだろうか。
魔の者から人々を守った勇者の墓を、まるで蔑ろにするような……そんな行為を。
「教会が管理してるんじゃないのか?」
「……分かんない。国が管理者だったかもしれないけど、でもね、それを見てるはずの人々も……誰も気にする素振りがなかったんだ」
「なんで、」
「リウルさんが亡くなったときは、それこそ公園を埋め尽くすくらい花束が手向けられたらしいけど。……ニアがね、言ってた。“人は受け入れる生き物だから”って。“この平穏が誰によって作られたかは知っていても、その人がどれだけ努力していたかも、何を犠牲にしたのかも、それを考えることはない”って。……悲しそうに、そう話してくれたんだ」
ありのままを受け入れる。結果だけを、結論だけを享受する。
その過程に目を向ける人はあまりにも少ない。
だから魔の者からの脅威がなくなった日々を過ごすようになり、勇者への畏敬は日常の中で風化していったということだろうか……?
「それとね、僕、リュウレイがいた部屋に入り浸ってた時期があって。本人はすごく嫌がってたし、クローツ父さまにもあまり構わない方が良いって言われた。でも僕は出来なかった」
「……」
「リュウレイはいつも一人で部屋に閉じこもって、ずっと魔術のこと調べてた。たくさんの魔術が使えるようになって、強くなりたいって。――ほら、よく『天才魔術師』って自称してたでしょ? 確かにリュウレイはすごいけど、そうやって自分に言い聞かせてるんだ。自身を追い込むために」
睡眠時間も削って、休むことなく。
ただ、がむしゃらに。
「リュウレイはね、“出来ない”って言わないんだ。どんなにツラくても、絶対に」
ニアにもリュウレイにも、それぞれ過去がある。
彼らがどんな想いを抱えていたのか、何を背負っていたのか、ティフィアは知らない。
「―――それが、理由なのか?」
「うん。……帝国にいる、僕にとって大切な人たち。でもみんな、いつも苦しそうにしてて……僕はそれが嫌だった」
『勇者』というのが人々の希望ならば。
その存在が救いなのだとすれば。
「僕が『勇者』になって、みんなのこと助けたいって――そう漠然と思って」
何をすべきか、何をなさなければいけないのか。そんなことも分からずに。
それでも、このままじゃダメだと感じた。
とにかく動こうって。
一歩踏み出せば―――きっと。
「結局、僕は何も出来ないままここまで来ちゃった。誰のことも助けられてないのに。……ニアとリュウレイがいなくなって、初めて分かった。僕はずっと、助けたいと思ってた人たちに甘えてたんだ」
おかしいよね、とティフィアは笑った。
「……、でも決めたんだろ?」
「うん」
「なら――まだ遅くはないんじゃねーか?」
そうかな。
そうだと良いな。
泣きそうになるのを堪えるように、彼女は言う。
「ねぇ、アルニ」
「ん?」
「―――ありがとう」
そこで一つの部屋に辿り着き「じゃあ僕はここにするね。おやすみなさい」と、さっさとドアを開けて入ってしまった。
ぽつりと一人残されたアルニはガシガシと後頭部を掻き、それから向かいにある部屋へ入った。