痛みの拠り所 ⑦
数日後。
――ニマルカの『トラウマ克服~がんばれアルニちゃん!~』計画は、難航を示していた。
まずは火に慣れさせるべきだという彼女にしては真っ当な作戦は、残念なことにすべて失敗した。
「慣れていけば、少しずつ“火”に近づくことが出来るかと思ったんだけどな」
「私もそう思っていた時期もあったわ……」
遠い目で思いを馳せるニマルカに、ルシュは苦笑する。
「その後はイメージトレーニングだっけ~?」
「そう! 本物がダメなら、想像したもので免疫をつけるべきだと思ったのよ!」
「だけどこれも失敗したな」
「やっぱりトラウマ思い出すんだろうねぇ~」
「そう思って、今は無理に“火”に慣れる必要はないって言っちゃったけど……」
あの手この手とニマルカも試行錯誤しアルニとも距離を縮めてきたが、ローバッハまであと2日くらいで着いてしまう。
さすがに、それまでに克服させるのは無理だろう。
「あとは施設の人に任せるしかないよねぇ~」
「それこそ無理よ」
「ニマルカ、意固地になるな」
「別になってないわよ」
拗ねたように口を尖らせておいて、よく言えたな……。
「気持ちの問題だしねぇ~。案外、時間が解決してくれるかもよ~?」
「ホント、感情ってやつは面倒くさいわねぇ……」
「みんながみんな、お前みたいに『適当』じゃないからな」
「あら失礼じゃない? 乙女はみんな繊細よ。だから私のこの『適当さ』はある意味処世術でもあるんだから」
「確かに~。ニマルカの適当さには、ときどき救われるよ~」
「おい、ラヴィ。調子乗るから止めろ」
えぇ~、と困ったようにラヴィが声を上げたとき、離れた場所で用を足してたレッセイがアルニと共に戻ってきた。
ついてくんじゃねぇ! と殴られても意地でもついていったアルニは、たんこぶを撫でる反対の手で考え事をしていたニマルカの服の裾を掴んだ。
「? どうしたの、アルニちゃん」
「ニマルカ、大丈夫? なやみごと?」
「っ、っ、っ!? アルニちゃんが! 私の! 心配してくれてる!」
可愛いわ! とアルニを抱きしめて騒ぐ彼女の後ろで、「ねぇねぇ~、おしっこしてる間ずっと見られてたの~?」と珍しくからかってきたラヴィの脳天に、レッセイの鉄拳が振り下ろされていた。
***
その日の晩、ローバッハの隣街であるミズロにて。
「確かに、考え事も慎重になるのも私らしくなかったわ」
ニマルカは一人、橋の柵に腰掛けながらそう呟く。
彼女の顔は赤く、吐き出す息も酒臭い。完全に酔っ払いだ。
「……なんで今まで気を遣ってたのかしら。この私が。アルニちゃんが可愛いから? レッセイに気を遣ったから?―――私は、」
私はニマルカ。
ただの――ニマルカだ。
「ふふっ、そうよね。姓を捨てたときから、私は私が思った通りに生きるって決めたじゃない」
適当? 雑? 粗暴?
――いいじゃない、それが私だもの。
ニマルカは柵から降りると宿へ向かう。
時間的にラヴィはもう寝てるし、ルシュは情報収集からまだ帰ってきていない。アルニのお守りであるレッセイは、部屋で酒を飲んでいたのかいびきを掻いて寝ていた。
「アルニちゃん、アルニちゃん」
「……?」
酒臭いのは嫌いなのか、レッセイから距離をとった床で丸くなって眠っていた少年を揺すって起こすと、彼は寝ぼけ眼をこすってニマルカを見上げる。
「どうしたの……?」
「これで最後だから」そう言って、彼女はアルニを街の外へと連れ出していった。
「アルニちゃん、今でも“火”は怖い?」
「……うん」
「私やレッセイたちがついてても?」
「…………」
――トラウマは簡単に消えるものではない。心の奥深くまで根付いたそれを、取っ払うことは容易ではない。
だけど、アルニの将来を考えるならば早い内に解決した方が良いだろう。
「アルニちゃん、私はね。私は――過去に『魔法師』である自分のことを恨んだことがあるわ」
「?」
「どうしたってこの力は、良い意味でも悪い意味でも目立ってしまうもの」
街から少し離れた平野までくると、ここでいいかと足を止める。
「ニマルカ……?」意味が分からず、不安そうに見上げてくる灰黄色の瞳。
突然こんな場所につれてこられたのだから、怖がられるのも仕方ないだろう。
――まぁ、今からすることはきっと、もっと残酷なことだろうけど。
「強くなりなさい、アルニちゃん。そして忘れないで――精霊はあなたの気持ちに必ず応えてくれるわ」
掴んでいた手を離し、トン、と少年の体を押して突き放す。
そして。
「火の精霊よ―――囲みなさい」
ゴォ――――!
一瞬にしてアルニを取り囲むように炎が燃え上がった。
***
「ひっ、」目の前が真っ赤になるのを感じたアルニは、咄嗟に目を閉じてしまう。
だけど、その熱が。精霊たちが。
囲むように燃え盛る炎を嫌でも感じさせる。
火が。
声が。
イタイ。クルシイ。
助けて。
「っ!」
頭を抱えて震える体を小さく丸める。
嫌だ!
いやだ……!
「――おいっ! ニマルカなにやってんだ!」そのとき、炎の壁の向こうから聞こえたのはルシュの声だ。
「あら、思ったよりも早いじゃない」
「街の外が明るくて気になったんだよ! お前……まさか本当に、火の中に放りこんだのか!?」
「うふふ、やっちゃった♪」
「――、説教は後だ。はやく魔法を解け」
「いやねぇ、それって命令? レッセイに言われるならともかく、ルシュに命令される筋合いないもの」
「お前……っ! 自分がしてること分かってんのか!」
「あらら? 怒った? 怒っちゃった? ふふっ、怒った顔も可愛いわよ?」
ピリピリと空気が張り詰める。――ルシュが本気で怒ってるんだ。
仲裁してくれるラヴィはいない。二人を止められるレッセイもいない。
そっと目を開けた。
「っ、」動いていないはずの炎の壁が、まるで迫り来るような錯覚に陥る。
だけど今まで聞こえていたはずの声が小さくなっていた。
それはきっとルシュとニマルカのことが気になって、意識から逸れただけなのだろう。
それでも体は恐怖で動けない。
怖い。
だけど二人に喧嘩して欲しくない。
……俺のせいだ。
俺が――火が怖いから。
「……」
怖いからと、また目を閉じて耳を塞いで繰り返すのか?
向き合ってくれた彼らから、目を逸らすのか?
――ちがう。
ルシュは言ってくれたじゃないか、俺たちは味方だと。
ニマルカは言っていたじゃないか、精霊は応えてくれると。
「火の、精霊たちよ……っ」
怖い。
怖い怖い怖い――!
でも。
呼びかけに応えた精霊たちが、怖がるアルニを宥めるように寄り添ってくれるのを感じた。
……そっか、精霊も“敵”じゃないんだった。
そんな当たり前のことを、ようやく分かった気がした。
――そのときだ。
「吹き荒べ、矢の嵐――“嵐し矢”」
弱まった火の壁を貫いて、一本の矢が地面に刺さる。それは遅れて術を展開し、近くの炎を蹴散らした!
直後そこからルシュが飛び出してきたと思いきや、アルニの首根っこを引っ掴み、遅れて駆けつけてきてくれたラヴィへ放り投げる。
炎によって暖められた空気を細く長く吸い込み、足を大きく開くと刀の柄に手をかけた。
「“一閃凪”―――終」
フッ、と息を吐き出すのと同時に目にも止まらぬ速さで抜刀し、周囲を薙ぎ払うような鋭い一閃。
それは一瞬にして炎の囲いを消し飛ばした。
「そんなことしなくとも、消してあげたのに」
刀を納めながらパチパチと適当な拍手を送るニマルカを無視し、アルニへ視線を向ける。見た感じ怪我もないようだ。
ただ不安そうにルシュとニマルカを交互に見ている。
「旦那ぁ~、ニマルカもぉ~! 今回のことはあとでレッセイに怒ってもらうとして~、それまで頭冷やしたら~?」
「頭冷やす必要があるのはルシュだけじゃないかしら。私はアルニちゃんのためを想って、」
「よく言う。……大事ないから良かったが、街から出れば魔物もうろついてる。それにお前の魔法が万が一にもアルニに当たったらどうするつもりだったんだ」
「は? ちゃんと周囲は警戒してたし、アルニちゃんが傷つくようなこと私がするわけないでしょ?」
「どうだか……いつも雑だから信用できない。第一、こんな荒療治やってもしアルニがまた自分の殻に籠もったら、」
「うっさいわねぇ! 大丈夫だったんだから良いでしょ!」
「そういうのが雑だって言ってんだよ!」
ヒートアップしていく二人に怯え始めたアルニを見て、さすがにこれ以上はまずいと止めに入ろうとしたラヴィだが。
その後ろから制するように彼の肩に手を置いて、前に出てきたレッセイに「あ~あ」と思わず苦笑いしてしまう。ラスボス登場だ。
――レッセイは腕を振って両手に筒を取り出すと、それを思い切り上空へ投げる。やがてそれは弧を描いて地面に向けて落下していき。
「私より弱いくせに、私のやることにいちいち口出してこないでちょうだい!」
「強さは関係ないだろ! 大体、お前がいつも勝手やるからじゃねーか!」
「本当にうっさいわねぇ。いい加減黙らせて――」
「上等だ。その傲慢な態度捻り上げて――」
二人の周囲に魔力と殺気が満ちていく。一触即発だ。
しかしそれぞれが戦闘態勢に移ったその瞬間!
ヒュッ――――ガッ!!!!
「「!?」」
鼻の頭を掠めて、足元の地面に筒が突き刺さった。
筒。それを見て真っ青になった二人は、恐る恐る同じ方向を見やる。
「テメェらずいぶんと楽しそうじゃねーか……。俺もよぉ、本当は酒場で飲みたいのを我慢して宿で飲んでよぉ……それでも気持ち良く寝てたっつーのになぁ?」
「が、ガ―ウェ――レッセイ。違うんだ、俺はただニマルカを止めようと、」
「あ、あらぁ……レッセイ、ご機嫌よう。違うのよ、私はただアルニちゃんのトラウマを克服してあげようと、」
「――――黙れ」
「「っ、」」
「俺は今、機嫌が悪ぃ」
ゆっくりと二人に近づいていくラスボスへ背を向け、ラヴィは「帰ろっかぁ~」とアルニの手を引いて街へと戻る。
道中で二人の悲鳴が木霊していたが、自業自得だと小さく笑った。
翌朝。
目を覚ましたアルニの元に、満身創痍なルシュとニマルカが謝りに来て、ラヴィが「朝ご飯食べに行こぉ~!」と三人を外に連れ出す。
途中でまだ眠そうなレッセイも加わり、いつもの騒がしさにアルニは笑みを浮かべた。
ふと街の露店で肉を焼く網から火が見えて、一瞬体が強張ったものの――大丈夫、とレッセイたちを見上げる。
ここには“絶対の味方”たちがいて、応えてくれる精霊たちもついている。
独りじゃない。
それならもう、怖がる必要なんてない。
……ただ。
「アルニちゃん、私の膝の上でご飯食べる?」
「ぜったい、やだ」
ニマルカのことは、とうぶん好きになれそうにはないけど。