痛みの拠り所 ⑥
「トラウマを克服させちゃいましょう!」
突然そんな提案をしてきたニマルカに、ルシュとラヴィは「嫌な予感がする」とばかりに顔を顰めた。
――彼らは今とある街の酒場で、彼女に付き合って飲みに来ていた。
アルニはあれ以来、本当にカルガモの親子のようにレッセイの後ろをついて歩くようになり、酒が飲みたいと喚く彼に酒瓶だけを渡してアルニと大人しく宿の部屋にいてもらっている。
「えっとぉ~……トラウマってことは~、アル坊のってことでいいのかなぁ~?」
「もちろんよ! アルニちゃんったら暴走することはなくなったけど、それでも“火”を見ると怯えてるじゃない? これだと日常生活に支障ありまくりでしょ?」
「そうだけどなぁ……でも精神的なことだし。具体的にどうするつもりなんだよ」
「火の中に放りこむとか言わないでよぉ~?」
「あら、それいいわね」
「おい!」
「冗談よ冗談!」さすがにそんなことしないわよぉ、とケラケラ笑いながらグラスを傾ける彼女に、二人は不信感しかない。
ニマルカと一緒に旅を始めて、もう1年が経つ。だけど彼女は……そう、色々と“雑”なのだ。
レッセイも適当なところがあるが、彼女はその上を行く。
――アルニを拾う前のことだ。
気付けばいなくなっていたニマルカを探したら「お酒切れちゃったから補充しようと思って♪」と、とある大きな山賊グループの拠点を一人で潰しに行っていたということもあった。
あまり目立った行動はするなとどれだけ言い聞かせても、その度に惚けてくるし。
レッセイもあまり他人のことを言えないからと「放っとけ」と容認するし。
最初のころはルシュも散々頭を悩ませたものだ。
「でもニマルカがそんなこと言ってくるなんて~、……意外かも~」
確かに傍若無人ではあるが、あまり他人に深く干渉するようなマネをするようなやつではない。
何か理由があるのかと問えば、彼女は店員に酒を追加注文してから答えた。
「アルニちゃんのトラウマは――魔法師としては致命的すぎるのよ」
「それは……火を使った魔法が使えなくなるとか、そういうことか?」
「それもあるけど、もっと根本的なものよ。――精霊は“自然そのもの”。どこにでもいるし、どこにでも感じる。私たち魔法師は、生まれたときからずっと精霊を感知してるの」
それがどういうことか分かる? と逆に問われ、首を横に振る。
「つまり『人間』よりも『精霊』を身近に感じてるってことよ。親兄弟や友人よりも……側に在ることが当たり前な存在なの。
私たちは彼らに魔力を与え、彼らは魔法という力を与えてくれる。……絶対に裏切ることのない、対等な相手。それを恐れるということは……信じられなくなるということは、魔法師でありながら魔法そのものを否定してることと同義なのよ」
「う~ん、分かるような分からないようなぁ……」
「右に同じだ。俺たちは魔法が使えないし、説明が抽象的すぎて理解出来ない」
「しょうがないじゃない。そもそも精霊の存在自体感覚的なんだから。……そうねぇ、じゃああんたたちにとって身近なもので例えましょう」
店員が持ってきた酒をぐびりと煽り、ニマルカは続ける。
「そうね、武器とかどうかしら。ルシュは刀を、ラヴィは弓を――それぞれ手にすることも見ることすらも出来なくなってしまったら、どう思う?」
二人はそれぞれ考える。
……愛用してる武器はおろか、それに属するものが使えない。見ることも恐れてしまうのだとすれば。
まず最初に違和感を覚えるだろう。そしてふと武器屋なんて覗いて刀があると思えば、店に寄ることも憚られる。
もし違う武器を手に出来たとしても、戦場で見かける場合や街中で腰に提げてる人もいるかもしれない。
その全てに怯えなければいけないのは、かなり苦痛だ。
しかも魔法師は常に精霊を感知している。つまり、常に恐れている状態だということか。
「神経がすり減りそうだな……」
「考えただけでツライかもぉ~……」
ようやく理解してくれたかとばかりに椅子にふんぞり返ると、彼女は更に店員へ酒を要求する。
飲むピッチ速くないか?
「うふふ~♪ だからねぇ? トラウマを克服させちゃいましょうってことなのよぉ」
「……旦那ぁ~、たぶんニマルカ酔っぱらってきてるよ~」
「顔赤くなってきたし、そうだろうな」じきに呂律も回らなくなるだろう。その前にさっさと宿に戻るかと席を立ったときだ。
「私がなんとかするわぁ。だって魔法師を理解できるのは、魔法師しかいないもの。……目には目を、歯には歯を、魔法師には魔法師をってねぇ~!…………ん~? なんの話だったかしらぁ?」
あ、駄目だ。意味わからないこと言い出した。
「帰るぞ、ラヴィ。支払いは任せていいか?」
「いひひっ、任されたぜぇ~!」ラヴィが店員に支払っているのを横目に、ニマルカへ肩を貸す。
……――ニマルカのことは最初、苦手だった。だけど彼女の素直じゃない優しさを、今は知っている。
きっと彼女なりにアルニのことを考えてくれていたのだろう。
「ほら、行くぞ酔っ払い」
「ええ~、おぶってくれないのぉ~! ケチぃ! ルシュのケチぃ!」
文句は無視した。
後日、街から外れた場所でニマルカはさっそくと言わんばかりに『トラウマ克服~がんばれアルニちゃん!~』計画を実行することにした。
ちなみにこのくそダサいネーミングは、彼女とラヴィ考案である。
「アルニちゃん、まずは“火”そのものじゃなくて“火の精霊”で慣らしてみましょう!」
まるで教師にでもなったかのような口ぶりだ。
当のアルニは困惑したように、さっきから俺とレッセイの方をチラ見してくるが――悪いな、アルニ。ニマルカが暴走したら止めるから、それまでは付き合ってやってくれ。
「精霊……」
「記憶がなくても、感じてはいるでしょ? 目には見えてないけど、なんか蠢いてる“アレ”よ」
蠢いているという表現はいかがなものなのだろうか、対等な相手なんじゃなかったのか?
アルニも戸惑いつつ頷いていた。
「右手を前に出して。餌付けるみたいに微量の魔力をそこから放出してみて」
言われた通りにする少年は、しかしすぐに怯えたように手を振り払う。
ルシュたちには分からないが、おそらく火の精霊とやらが寄ってきたのを堪えられなかったのだろう。
「あら、やっぱ無理だったわねぇ。……それにしても魔力制御は上手ねぇ」
微量の魔力を一定で放出し続けるのは、けっこう神経を使う。
それこそ偉そうに教えているニマルカには苦手分野だし、レッセイもそういう細かいことは苦手だ。
「じゃあ今度は私が火を遠くに出すから、自分で無理だと思う距離まで近づいてみましょう!」
そう言ってニマルカは50m先に、掌くらいの大きさの火を灯した。
しかし。
「っ、……――!」ひどく緊張した面持ちで、アルニはそこから一歩も動かない。
いや、正確には何度も足を上げて一歩踏み出そうとしているが、結局出来ずにいた。
冷や汗も酷く、無意識に魔力を放出してしまって空気がざわついている。
――ここまでだな。
ルシュが思ったのと同時に、ニマルカがパンッと手を叩いた。
すると火が消え、音に驚いたアルニが彼女の方を見る。
「はい、おしまい! そろそろお腹空いたし、今日はここまでにして楽しい食事タイムよぉ~っ!」
ほらほら行くわよ、とアルニの手を引いて街へ意気揚々と向かっていった。
ずっと黙って様子を見ていたレッセイは大きく欠伸を掻き街へと足を向け、ルシュも後を追おうとしたときだ。
パタパタと軽やかな羽ばたきと共に、彼の肩に一羽の小さな鳥が留まる。
「レッセイ、待った」
制止の声に振り返ったレッセイは、空の色をしたその鳥に眉を顰めた。
「調教獣か」
――そう、この鳥は魔物だ。
映鳥と言う環境色に擬態出来る鳥型の魔物で、非常に記憶力が良く一度見たり聞いたモノは絶対に忘れない。
だから上手く躾けて調教獣にしてしまえば、声繋石でやりとりができない場合に非常に使えるのだ。
一拍置いてから、それはしゃべりだした。
「――“ミファンダムス帝国第28代目カミスダリグレス皇帝陛下、崩御。第一位王位継承者ラスティラッド・ルディス・ミファンダムスが戴冠”」
帝国にいる協力者からの情報だ。
「……ついにやりやがったか、ラスティの坊主は」
崩御された理由は聞かずとも分かるとばかりに、レッセイは大きく溜め息を吐いた。
「まぁ、あいつは教会の傀儡じゃねーし。頭のネジが外れてはいるが……こっちとしては都合が良い」
「フィアナ様が心配だけどな」
「クローツの野郎もついてる、大丈夫だろ」
「? ガロ・トラクタルアースではなく?」
「…………あいつは、」
レッセイが言葉を続ける前に、映鳥が伝言の続きを述べる。
「“『勇者計画』との関係性は不明だが、勇者リウル・クォーツレイについて新たな情報入手。――勇者亡き後、その遺体をグラバーズへ移送していたことが判明。場所、不明。意図、不明。出来れば調査願いたい”」
「あ”あ”!? 移送だぁ?」
「なんでそんなこと……」
帝国は勇者リウルの死の真相を隠蔽した。だから自殺したと分かってしまう彼の遺体は、都合が悪かったのだろう。
だけどそれならば焼却するなり、魔物に食わせるなりすれば良かったのだ。
しかしそれをせず、グラバーズへ運んだ。……やはりあの国には何かあるというのか?
「レッセイ」
すでにもうカムレネア王国領には入っている。あと数日すればローバッハ港町に着くだろう。
そうしたらアルニを施設に預けて、またグラバーズへ戻るしかない。ウェイバード国が懸念ではあるが、この手掛かりはきっと重要なもののはずだ。
「……あの二人にも伝えねぇーとな。とりあえず腹減った。戻るぞ」
映鳥に「了解した」とだけ伝言を聞かせて協力者の元へ飛ばした。