痛みの拠り所 ⑤
アルニがいるからとなるべく街を経由していたのだが、どうしても経路と距離的に一度野宿をとる必要ができてしまった。
ベッドが恋しいとやかましいニマルカを放置し、日が暮れる前にと支度を始める。
……ここまでの道のりであちこちの街から情報収集はしたが、ウェイバード国のときのようなことはもちろん、特におかしい出来事や噂を聞くことはなかった。
正直、ウェイバード国のことが噂されているかと思いきやそれも一切なく、逆にここまでくると不自然というか、不気味に感じたが。
――教会が情報操作してるとしか思えない。
勇者が……リウル・クォーツレイが自殺したことを隠蔽したときと同じだ。
ルシュは小さく溜め息を吐き、それからラヴィの隣で食事の支度を手伝っているアルニを見る。
あれから再び数日間眠りにつくということはなくなったが、それでもまだぼんやりとしていて見ているこっちとしては心配になってくる。
だけど最初のときよりは反応を返してくれたり、しゃべってくれることも増えたので、良くはなっていると思ってもいいだろう。
ちなみにとある街で医者に診てもらったが、やはり心因性の記憶喪失ではないかという検査結果だった。
「……記憶か」
どちらにせよレッセイはアルニから離れることを選んでいるわけだし、このまま忘れてしまった方がアルニのためなのかもしれない。
***
どこか現実味のない、まるで夢の中にいるようなふわふわとした意識の中。
アルニは頼まれた野菜を洗ってラヴィという青年にそれを渡す。
「ありがとねぇ~、アル坊はいい子だなぁ」
彼が嬉しそうに笑う。……なんで喜んでいるんだろう?
分からずにじっとラヴィを見ていると、彼は野菜を食べやすい大きさにカットし、それを鍋の中へ入れてニマルカが魔法を使って、野菜が浸るくらいの水を入れた。
「魔法は便利だよなぁ~。おいらは魔術も分からないから、どっちも羨ましいよ~」
「いやねぇ、魔法と魔術を一緒にしないでちょうだい。魔術なんて所詮、魔法の代用なんだから」
魔術を毛嫌いする彼女が、再び魔法を使う。
空気中に漂う『何か』が、ニマルカの魔力を餌に動くのを感じた。
「灯りなさい、火の精霊たち」
鍋の下に用意された薪に火が灯る。
――火、が。
「そういえば最近は街で食べてたから、ラヴィの手料理は久しぶりだわぁ」
「と言っても~、そんなに食材ないから簡単なものしか出来ないけどね~」
二人が談笑を始める横で、アルニだけはぼんやりと火だけを見つめる。
揺れて、広がって。
やがて大きくなって。
痛みなんてもうないはずの、やけどの痕が残る背中が疼く。
――火が、呑み込んで。
頭の中に、知らないはずの光景がチカチカと浮かび上がる。
――人も、建物も、大事なモノすらも、火は全部舐め溶かして。
「っ、ぅ」ぐらりと視界が揺らぎ、思わず尻餅をついた。そこでラヴィとニマルカがアルニの異変に気付く。
「アル坊……? どうしたの~?」
「レッセイ、ルシュ! ちょっと来て! アルニちゃんが―――」
――嗤う声が。
――助けを呼ぶ声が。
――俺を呼ぶ声が。
耳を塞いでも聞こえてくる。
うるさい、と叫び、触れてこようとする手を振り払う。
宙に浮かぶ見えない存在が、味方するように周囲の風を渦巻かせ“彼ら”を遠ざける。
「風が……っ。これじゃあ近づけない!」
「まずいわ、暴走しかけてる。早くなんとかしないと……!」
「ニマルカの魔法でなんとか出来ないの~!?」
「さっきからやってるわよ! でも精霊が言うこと聞かな―――って、レッセイ!?」
――こないで。
――うるさい。
――いたい。
――にくい。
――くるしい。
「――アルニ。……おい、アルニ!」
「っ、うるさい! 来るな!」
誰かが近づいてくる気配を感じて、アルニの気持ちに呼応するように魔法の威力が増す。
くるな。こないで。おねがいだから。
――もうこれ以上俺から奪わないで……!
***
小さな竜巻がいくつも目の前を立ち憚る。
それでも仲間たちの声を背中に、レッセイは一歩一歩少年に近づくために前に進んでいく。
「っ、うざってぇ風だなおい!」
来るなと言わんばかりに、レッセイの足を止めようと強まる風。
袖から取り出した筒を使って払っても一瞬で戻ってしまう。
……面倒だな。――それなら、
彼を退けようと吹き荒れる風の中、足を開いて力強く地面を踏み、そして筒を掲げ――思い切り地面に突き刺した!
ビキビキビキッと地面が割れ、ささくれるように隆起した地面が竜巻を超えてアルニに迫りくる。
「っ!」ハッと息を呑む少年の眼前で、それはまるで地面に意思でもあるのか急に動きを止めた。
だから気付かなかった。
その隆起した地面で己を隠し、近づいてくる存在に――。
「テメェ……いい加減にぃ、しろやぁぁあああああああ…………っ‼」
急に目の前に現れたレッセイの顔に驚いたのと同時に。
ガツンッ!
と、頭突きをかまされた。
「~~~~~っ!?」よっぽど石頭だったのか、切れて血が滲む額を痛そうに震えながら抑えるアルニ。
その様子にレッセイはぐっと口角を上げて「ふんっ」と鼻で笑う。
「弱ぇ弱ぇ……! テメェの反抗期はその程度か?」
「いやいや。あんな反抗期、俺は嫌だぞ」
竜巻が消えたのを見計らい、呆れたようなルシュと共にラヴィとニマルカがアルニの元へ駆けつける。
「アル坊~! 大丈夫じゃないよねぇ~……すっごく痛そう。待ってぇ、回復薬あるから~」
「ぶふっ! ずいぶん男前になったじゃない?……レッセイは石頭だから痛かったでしょ。分かるわぁ~、私も一度かまされたことあるもの」
「………なんで、」
あんなに拒絶したのに。
どうして何事もなかったかのように寄ってくるのか。
意味が分からない、と困惑した表情を浮かべるアルニの頭に、優しく手が置かれる。ルシュだ。
「アルニ、俺たちはお前の“味方”だ。お前を害することも、敵になることもない。絶対に、だ」
「―――」
「あら、さっきの頭突き忘れちゃったの? めちゃくちゃ害してるじゃない」
「血も出て痛そうだったよねぇ~」
「お前ら……! せっかく良いこと言ってるのに邪魔するな!」
――絶対に『敵』にはなりえない。
そう言われて、初めてアルニはようやく“彼ら”を見た。
けらけら笑いながら人を揶揄うのが好きなニマルカ。
心配性だけど常に笑顔で周囲を明るくしてくれるラヴィ。
いつも気にかけてくれる優しいルシュ。
そして、レッセイ。
彼とはあまり接してないから分からないし、今も少し離れた場所で仲間たちの様子を眺めているだけだけど。でも――向き合ってくれたのは、レッセイだ。
心に響くような言葉も何もなかったし、頭突きはただ痛かったけれど。
だけど、きっと――。
頭に乗せたままだったルシュの手に自分の手を重ねた。
「? どうした、アルニ」
「信じる」
ルシュの言葉も。
彼らのことも。
信じたところで何かが変わることはないかもしれない。
それでも……信じたいと思えた。
「………そうか」
ルシュは嬉しそうにそう返した。