痛みの拠り所 ④
***
レッセイには――否、ガ―ウェイ・セレットには、早くに先立ってしまった妻が遺した最愛の一人娘がいた。
名前はメレーナ。
親の欲目で見れば美しく可愛いが、一般的には平凡な顔の、平凡な女性である。
男手一つで育ててくれて、しかも帝国の騎士団長であったガ―ウェイのことを尊敬していた一方で、しかしやたらと目立つ父親のことを少し疎ましく感じていた彼女は、ある日海の向こうからやってきた、一人の青年に恋をする。
青年の名前はアーノルド・ヴァレント。
――カムレネア王国から来た優男であった。
彼は魔物の生態調査に来た学者であり、調教獣の調教方法を確立させたケーガン博士の弟子だ。
勇者が選ばれたことで魔王の復活が確証され、それによる魔物たちの凶暴性増加が認められたため、【魔界域】から近いミファンダムス帝国へ派遣調査に来たらしい。
それならばすぐ王国へ帰ることはないでしょう! と、その日からメレーナの奮闘は始まった。
学者らしく興味がないことに関しては本当に無頓着な彼に、まずは顔を覚えてもらい。それから名前。次に趣味。癖。家族構成。好きな食べ物。過去にあった他愛無い出来事。
……少しずつ少しずつメレーナのことを知ってもらい、同時に彼女もまた彼のことを知っていく。
次第にアーノルドは彼女に惹かれるようになり、興味を持たれたことを察したメレーナはその時点でプロポーズを決めた。
アピールもプロポーズも、一歩も引くことも怯むこともなく行動に移した彼女の勇ましさは、なるほどガ―ウェイの血を継いでいると思わずにはいられない。
それでもその潔さに不安がないわけではなかったし、勢いで「付き合ってください」という前に「好きなので結婚してください!」と恋人関係をすっとばして婚約をせがんでしまったことに彼女自身後悔しなかったわけではなかったが。
やっぱり面白いな君は、と想定外にもアーノルドは快諾してくれた。
――かくして知人というだけの関係だった二人がいきなり結婚しますと報告に来たとき、ガ―ウェイは反対するよりも先に事情説明を求めたくらいだ。
そうしてあっさりと結婚してしまったメレーナとアーノルド。
本来ならメレーナが嫁ぐ形で王国に行ってしまうのかとガ―ウェイが寂寥感に浸っていたが、アーノルドが「あ、俺が嫁ぎますんで。お義父さん、これからも宜しくお願いします」とこれまたあっさりと彼が婿入りした。
どうもアーノルドは、そもそも実家から学者になること自体反対されていたようで、すでに折り合いが悪かったらしい。それで今回の結婚を機に縁を切っちゃうかと考えたようだ。
………いや、そんなに簡単に決めて本当に大丈夫なのか!? とは思ったものの、彼本人が良いというのでこれ以上ガ―ウェイは何も言えなかった。
それから少しして、二人の間に子供が授かった。
名前はアルニ。
二人の面影はあるものの綺麗な金色の瞳が特徴的な男の子だ。
***
……アルニの瞳を見たとき、メレーナとガ―ウェイは固まった。
なにせメレーナは灰色で、アーノルドは濃紺色の瞳だったから、どうして金色の瞳の子供が生まれるのだと疑問だったからだ。
メレーナ自身ももちろん不貞を働いてなどいないのだが、それでも不安そうにアーノルドを見て――彼はやっぱりいつもの軽い調子で「あ、祖母ちゃんと同じ色だー」とニコニコ嬉しそうに子供を抱き上げた。
それにどれほどメレーナは安心しただろう。
……そんなことをふと思い出し、レッセイは自分から少し離れたところで、ラヴィとニマルカに構われているアルニへ視線を向ける。
ぼんやりとした瞳は彼の知る金色とは少し違っており、なんだか濁ったような黄色をしている。さしずめ灰黄色とでも言うべきか。
「レッセイ」向かい合うように座っていたルシュが声をかけ、視線を戻す。
「……その、アルニは――記憶喪失ってこと、だよな」
歯切れ悪く確認する彼にレッセイは沈黙で肯定し、どうしたもんかと溜め息を吐く。
いや、まじでどうすればいいんだよ……。
――「おまえはだれだ」とアルニに言われ、思いのほかショックだったレッセイは頭を抱える。
同じく動揺していたはずのルシュはすぐに冷静になり、アルニから少しずつ話を聞きだした結果――日常生活に差し障るような全般的な記憶がないわけではないということが分かった。
帝国で家族と過ごした思い出や船での事故、グラバーズ国の街で倒れていた理由など……レッセイたちがアルニを拾う以前の出来事や関わった人物、自分のことまでを忘れてしまっているようだ。
解離性健忘症というやつかもしれない。
ちゃんと医者に診てもらった方がいいのだろうが。
「…………ガ―ウェイ、意見を変えてもいいか?」
「? なんの意見だよ」
「前にラヴィが言ってただろ、アルニと一緒にいるべきじゃないかって。……俺は、正直考えが甘かったのかもしれない。偶然でもあの子を見つけて、助けられたんだって思った。思ってしまった。――あの事故から2年、アルニがどんなふうに過ごしていたのかなんて、ちゃんと考えてなかったんだ」
耐えるようにギリッと奥歯を噛みしめるルシュの様子に、それは俺もだと胸中で同意する。
死んだと思ったはずのアルニを見つけて、拾って。それで安堵した。しかも、もしかしたら他にも生きてるやつがいるんじゃないかと、そんな期待まで抱いて。
だから目を覚ましたアルニに詰め寄ってしまったのだが、なんて愚かだったのか今更悔いている。
「だけどよぉ、ルシュ。俺もテメェもあのとき言ったはずだ。……俺たちの復讐を俺たちがやらねぇでどうすんだ。それに傍にいたからといって、あいつの2年間がなくなるわけじゃねーだろ」
アルニが一人きりだったのか、それとも誰か側にいてくれていたのかは分からない。
それでもきっと楽な生活ではなかったはずだ。
――グラバーズは鎖国して以来、他国からの貿易を禁止している。もし以前ルシュやニマルカが考察した通り横流しがあったとしても、その物資が国民全員に行き渡っていたとは考えにくい。
「じゃあガ―ウェイの意見は変わらないってことでいいのか?」
「………ああ。あいつを孤児院に預けて、それで俺たちは目的を果たしにいくだけだ」
答えながら立ち上がり、レッセイはアルニの元へ近寄る。その後ろをついて歩くルシュは、少し不服そうな表情だ。
「――決まったみたいね」
アルニの頬を人差し指でぐりぐり突いていたのを止めたニマルカの言葉に頷き、複雑そうな顔をしているラヴィの頭へポンと手を置く。
それから「アルニ、」としゃがんで少年と同じ位置に目線を持っていくと、まっすぐ彼を見据えたまま話した。
「テメェを知り合いがいる街の施設に連れてく。それまでは一緒だが、大人しくついてくるだけで良い。絶対に一人でうろつくな。……分かったか?」
「…………わかった」
「よし、お利口だ」笑みを浮かべながら、わしゃわしゃとアルニの髪をかき混ぜるように撫で回す。少年はそれを止めることもせずされるがままになっており、気が済んだレッセイが腰を上げると、先導して前を歩く。
もう先に進むようだ。
慌ててルシュがアルニの様子を見る。まだ目覚めたばかりだし、体力もないだろうから背負った方がいいだろうと思ったが。
「……」アルニは真っ直ぐ先を行くレッセイの背中をじっと見つめながら、それを追うように歩き始めた。
「――なんかカルガモの親子みだいだねぇ~」
「うふふっ、可愛いわぁ~♪」
いつの間にか隣にやってきたラヴィとニマルカの背中をバシンと叩くように前に押し出し、自分も彼らを追うように歩き出す。