泡沫に消えろ 前編⑥
「あれぇ~?」と思わずラヴィは首を傾げた。
――帝都から離れた平野にて、いつものように狩りに出ていたラヴィは遠く微かに見えた人影をつい目で追う。
キョロキョロと辺りを見回す様子はまるで不審者だ。近くに家でもあれば盗みに入りそうな。
おかしな挙動の人影――ニアは、ラヴィの視線に気付くことなく更に奥へと進もうとしていた。
確かあっちはリウルと会って間もない頃、初めて魔族と出くわした場所だ。そんな所に一人で何しに来たというのか。
ラヴィは心配になってニアを追いかけることにした。
一方ニアは地図を逆さにしていることに気付くことなく、この辺りは森だと描いてあるのにおかしいなと辺りを見回していた。――迷子だと自覚していないようだ。
「そろそろ遺跡に着いても良さそうなんですが……」
「えぇ~、遺跡に向かってたのぉ~!? それ反対方向だよ~?」
「そ、そんな……―――て、ラヴィさん!?」
「いひひっ。そうさぁ~、ラヴィさんなのだぁ~!」驚く彼女に、してやったりと悪戯が成功したことに喜ぶ。
「……そもそもニア~、それ逆さだよぉ~?」
ソレと指差したのは地図だ。「うぇっ!?」と素っ頓狂な声をあげて、ニアは顔を真っ赤にした。
「もしかしてニアってぇ~」
「ち、ちちちち違いますから! 地図の見方くらい分かりますよ!」
自分が向かってる方角すら分かっていないくせにと内心ツッコミ、「それならおいらが案内したげるよ~?」と提案してやる。
「本当ですか!?」
「うん、おいら遺跡近くまで行ったことあるし~」
遺跡周辺の魔物はそれほど強くない。魔族が出たと聞いたこともないので、それくらいなら付き合ってあげようかなぁ~と思った。
助かりますと眉をハの字に下げ安堵するニアに苦笑いを浮かべて、二人は遺跡へと向かった。
「遺跡に行ってどうするの~? あそこぉ~、立ち入り禁止じゃなかった~?」
「へ!?――あ、えっと………………願掛け、みたいなもので」
気恥ずかしそうにぽつりぽつりと経緯を聞き、なるほどねぇとラヴィは納得する。
認めてもらいたいという気持ちは、分からなくない。リウルの隣に立てるような強さが欲しいことも。
でも。
「己を認めることも大事だよ~?」
「己、ですか……?」
「向上心も大事だけどさぁ~、自分に出来ることを見極めることも必要ってこと~」
「出来ること…………でも私にはこれしか、」
腰に提げた剣を見下ろし、ニアはきゅっと唇を引き結ぶ。
「う~ん、ニアは考えすぎだと思うけどなぁ~。――――あ、あそこが目的地だよぉ~!」
小さな森を抜けた、拓けたところにそれはあった。
今にも崩れ落ちそうな瓦礫の山のように見えるが、石で出来たアーチのようなものの奥に立派な扉があった。あれが入り口だろう。
それにしても本当にボロい。立ち入り禁止にしているのは普通に危険だからか。
「こんな場所にぃ~本当に強い魔物っているの~?」
「あくまで噂ですけど……」
「……おいらもついていって良い~?」
ちょっと不安になって再び提案すれば、心細かったのか今度もまた嬉しそうに「本当ですか!?」と声をあげた。
遺跡内部がどうなっているかは知らないけど、もし入り組んでいたら彼女は遭難しそうだ。それに崩れたときに対処出来そうな技を、ラヴィは持っている。
あとは純粋に、もし本当に魔物がいたとして―――美味しい魔物がいるかもしれない、という利己的な考えからだが。
「で、ですが魔物と戦うときは私一人でやりますからね! そうじゃないと意味がありませんから!」
「分かってるよぉ~。ほら、早く行かないと日が暮れちゃうよ~」
早く早くと急かすように彼女の背中を押し、その後についていく。
「うわぁ~」「す、すごい……!」
遺跡の内部は意外と綺麗でしっかりとしていた。外の瓦礫はなんだったんだと思うくらい。
壁には見たこともないような文字とイラストのようなものが刻まれているが、専門家でもない二人には理解出来ないのでさっさと通路を進んでいく。
カビや埃の臭いと一緒に冷たい空気が流れ込んで、ぶるりと体を震わした。
「なんか寒いねぇ~」
「どこから冷気が流れ込んできてるんでしょうか……?」
幸い通路は入り口からずっと一本道だ。ということはこの冷気は奥から流れてきていると考えるのが普通だが―――ニアは違和感に眉を顰める。
肌に当たる空気の流れが四方からきているように感じるのだ。
ニアはすぐに剣を抜けるように鞘に手を置き、ラヴィも背中から弓を取り出す。
それから暫く歩いていると、扉が見えてきた。
二人は顔を合わせて頷き、警戒しつつ扉を開ける。
ギィ、と軋む音を立てて開いた扉の先は―――広い空間があった。
「ここが……最奥部?」
「他に扉も道もなさそうだしねぇ~」
何もない部屋だ。
唯一部屋の奥に祭壇のようなものが置かれており、わずかに何かの痕跡が見える。
これは魔術紋陣? なんでそんものがここに、とラヴィが首を傾げたときだ。
「ん~?」
足元に何か蠢くモノが見えた。黒毬藻だ。
慌ててそれを足で踏み潰すが、よく見れば祭壇の影や壁の隙間からどんどんと湧いて出てきているではないか!
――黒毬藻は本来深い森に生息する魔物だ。直径15cmの黒い毛玉で、生き物の血を吸う。弱いし血を吸う以外の攻撃はしてこないが、こいつの厄介なところは1匹見つけたら100匹は近くにいると思った方がいい、ということだ。
「っ」壁をどんどんと埋め尽くすほど溢れ出てきたソレに青ざめる。
さすがにこれだけの数に血を吸われたら、ミイラになるしかないだろう。
「ラヴィさん! どうしよう……扉がなくなっています!」
ニアも黒毬藻に気付いて先ほど開けたばかりの扉を開けようとするが、あるはずの扉がそこから消えていた。
――おいらたち、もしかしなくとも罠にかかった感じぃ~?
「いひひっ、あとで知られたら~リウに怒られるじゃんかぁ~……!」
ラヴィはありったけの魔力を弓に流し込み、それに反応して徐々に大きくなる巨弓を足で押さえる。
「ニア~、こっちはなんとかするからぁ、そっちヨロシクねぇ~!」
「分かりました!」ニアも抜剣し、ちりんと“鈴”を鳴らす。
「降らせ、矢の雨―――“雨し矢”」
「――“領域変換”」
巨弓から放たれた一本の矢が光り輝くのと同時に魔術紋陣を展開し、そこから無数の矢が次々と黒毬藻を葬っていく。
ニアも領域変換によって身体能力を向上させ、片っ端から剣で吹き飛ばして斬りつけるのを繰り返す。
そうして背中合わせに戦い続け―――――
「ふぅ~……もう疲れた~! う~ご~け~なぁ~い~!」
「っ、はぁ……はぁ、はぁ……。これであらかた片付いた、でしょうか?」
ごろりと寝転ぶラヴィの隣で、ニアは念のためにぐるりと周囲を見回す。動いている黒い物体はないようだ。
「あの、ラヴィさん。――すみませんでした、私のせいで」
一息吐くよりも先に、大きく頭を下げた彼女にラヴィは「気にしないでぇ~」と苦笑いを浮かべた。
「ついてくって言ったのおいらだし~。むしろ行って正解だったねぇ~」
さすがに一人でこの数相手するのはキツいだろう。特に剣士であるニアには。
「ほとんどラヴィさんのおかげで助かりました。……やっぱり私は、ダメダメですね」
「………、ねぇ~。ニアは強くなってぇ~、それでどうするの~?」
「それで、とは?」
「リウに認められて仲間になって~、その先はぁ~? リウが魔王倒したら~、それで終わりでいいの~?」
「そ、れは………」考えたこともなかったかのような反応に小さく笑う。
「おいらはリウと友達でいたいんだぁ~。仲良くなりたい、もっと。だから強くなろうって決めたんだぁ~」
「私は……私はただ、リウル様に認めてもらえれば……それだけで」
「それって今じゃなきゃダメなこと~?」
「え?」
「今から一緒に強くなってさぁ~、最終的に認めて貰えればいいんじゃないかな~?」
「…………最終的、に」目から鱗だった。ずっと“今”だけを見ていた。今すぐ認めてもらわなければ、仲間にはなれないのだと。
――そんなことないのに。
「そう、ですよね。確かに、ラヴィさんの言う通りです」
「そう言えば呼び捨てで良いよぉ~!『仲間』でしょ~?」
「っ!」
仲間だと言われて鼻の奥がツンとした。
「はい、ラヴィ! これから宜しくお願いします……!」
これで大丈夫かなとラヴィはようやく起き上がり、さて、と消えたはずの扉がまた出現しているのを確認し「じゃあここから出よぉ~!」と元気よく右手を挙げた。
しかし遺跡を出た二人を待ち受けていたのは――――。
「いひひっ……もしかして強い魔物って、これぇ~?」
「寒い原因も、でしょうね」
冷や汗が首筋を伝う。
二人の前に立ち憚っていたのは一体の巨大な魔物だ。
クリスタルのように透き通った鱗から冷気を噴き出し、大きな顎と六本の足、全長八mのその巨体に埋もれるように小さな翠色の目が八つ。
ワニ型の異形の魔物――晶凍ノ鰐。
「こんな場所にいるような魔物じゃないよねぇ~!?」
「本来ならグラバーズ国より更に南の氷島に生息しているはずですが……」
ぎらり、と八つの目が二人を見下ろす。
「逃げよう、ニア~! 全速力でぇ~!!」
「え、で、でも……!」彼女の手首を掴んで無理矢理引っ張る。
あれは無理だ、どう考えても! 二人がかりでも!
それこそリウルのような反則級の力があれば違うかもしれないけど、ただでさえ黒毬藻の大群を蹴散らして魔力も体力もだいぶ消費しているのだ。
敵う相手じゃない。
「ら、ラヴィ……! 前!」
「へ――――」ぐいっと反対にニアに体を引かれて尻餅をついた直後、前方を何かが掠めた。そのすぐあとにニアが前に出て居合い斬りをかます。
しかし“それ”は機敏にバックステップを踏んで避け「キィーキィー!」煽るように鳴いた。
真っ白な針金のような毛皮に身を包んだ、全長2mの猿のような魔物―――白猿。しかも5匹もいる。
「これ、本当に嵌められたみたいですね」
「勇者の仲間を潰すためってぇ~? ずいぶん用意周到だねぇ~」
今回の司令塔は間違いなく魔族だろう。魔物が司令塔の場合は、同じ種類の仲間しか命令出来ないはずだ。しかもこれだけ強力な魔物を揃えてくるとは。
「やるしかないかぁ~」
起ち上がりながら弓を取り出す。もうそれほど魔力は残っていない。
ニアの顔にも疲労の影が窺える。
――どうにか隙を作って逃げるしかないなぁ~。
でも罠を張った魔族がどこで高見の見物をしているかも分からない。
これは確実に二人を殺す気だ、とラヴィは「いひひっ」と冷や汗を拭って笑った。