泡沫に消えろ 前編④
面倒そうなのが増えたとすでに気疲れしていると、「あれぇ~? なんかやけに静かじゃなぁ~い?」普段からこの辺りを散策しているラヴィが違和感に声をあげた。
確かに森の中だと言うのに、虫の鳴き声一つ聞こえやしない。
だけどなんの気配も感知することが出来ないのが、余計に不安を煽る。
「私が先行して見てきましょうか?」
「いや、……たぶん魔族がいる」
リウルの言葉に二人がギョッと驚く。
「えっ、魔族がいるのぉ~!?」
「ま、ままま魔族、ですか!?」
……動揺しまくる二人の様子に、更に不安が増してきた。
何を今更そんな反応してるんだろうか。
「魔族は不思議な術を使うんだ。前にも気配を完全に絶って襲ってきたやつもいたし」
「では魔物の司令塔は魔族なのでしょうか……?」
「どうかな。そうかもしれないし、別々かもしれない。とりあえず用心するに越したことないけど」
答えながら腕輪から右手に大剣と左手に杖を出し、目を閉じる。
側にいるラヴィとニアの緊張した浅い呼吸が聞こえる。それから風に揺れる木々の音と――風を切る音。
リウルはすぐに目を開けてグッと左足を前に踏み出すと、大剣を一振り!
ガンッと何かを弾いた。
それからすぐに体勢を整え、すぐにまた大剣を一振り。ガ、ガガッ! と再び何かを弾く。
――そのとき、一瞬目の前の空気が揺らいだ。
それを認識するよりも先にリウルの後ろから飛び出したニアが追撃を仕掛ける。
「トラクタルアース流“渓流閃堕”ッ!」
地面を蹴って飛び掛かりながら、剣を上段に構えて――振り下ろす!
剣に提げている“鈴”の魔道具も発動しているのか、強化された剣技は宙を切り裂き地面を抉った。
だが、その攻撃範囲を逃れた『陽炎』は一度勇者たちから距離を取るように離れようとするが。
「爆ぜろ、矢の炎――――“炎し矢”」
『陽炎』が逃げた先の木々にいくつも矢が貫いたと思いきや、それは炎を散らしながら爆発した!
ドッ――! 爆発の衝撃をもろに受けた『陽炎』が大きく揺らぎ、それは徐々に姿を現した。
毛むくじゃらの太い手足に大きく鋭い爪、狐のような尻尾が七本、鋼の鎧のように固そうな胸に埋まった鈍色の“魔装具”。
間違いなく、魔族だ。
「ニンゲン、コロス」
殺意に満ちあふれた、魔族特有の縦二つある瞳孔がリウルたちを見据える。
「あまり知性はなさそうですね」
「生まれて間もない魔族かも。でも姿も気配も消せる能力は厄介かな」
「近くの村や町を襲う前になんとかしないとぉ~!」
「うん。――やろうか」
杖の先を魔族に向けて魔力をこめる。『勇者の証』が浮かび上がり、術を構築している間にニアが魔族へ肉薄しかけた。
「トラクタルアース流、」
「ガァワァウッ!」
だが剣技を繰り出そうとするニアよりも早く、懐に飛び込んできた魔族が彼女の腹に爪を突き立てようとしていた。
「っ!?」
「突き抜けろ、早駆けの矢―――“駆し矢”」
ひゅっ!
横合いから急に迫ってきた矢を反射的に殴り落とした魔族へ、ニアの剣が一閃。
それすらも弾かれてしまったが一度離れたことで体勢を整える時間が出来た。
――ダメだ、剣技はまだ慣れていないせいか繰り出すまでにどうしても隙が生じてしまう。
師匠であるガロにもダメだしをされた箇所だ。どうやら意識しすぎてしまうらしい。
剣技は使えれば強力な技も出せるわけだが、相手のスピードを考えればここでは封印した方がいいかもしれない。
そうしてニアが考えつつ剣を下段に構え、魔族は七本の尾をそれぞれ揺らしながら彼女の動向を探っていると。
【行け、葬送の炎弾。―――“業炎の砲撃”】
リウルの前方に20個ほどの拳より一回り大きな炎玉が現れると、杖を振った直後に一斉に魔族へと襲いかかる!
先ほどのラヴィの弓術の“駆し矢”よりも速い炎弾に魔族は目を剥きながらも辛うじて避けていく。それでも避けきれない炎弾は尾や爪で弾いた。
しかも消えた炎弾はどんどんリウルの周囲で再び生み出され、それらは魔族を追いかけ続ける。
「す、すごいですリウル様……!」
「うへぇ~、おいらたちの役目はここまでかなぁ~?」
こうなってしまうとお役御免になることを知っているラヴィは苦笑いを浮かべ、一方のニアは「え!?」と驚きに声をあげた。
全然役に立っていない。
任務の目的である司令塔がもしもこの魔族であれば、これで終わってしまう。そうなれば勇者に自分が仲間だと認めてもらえない……!
憧れた勇者様の仲間になれるチャンスだ、せっかくガロ隊長に推してもらったのに!
焦燥に駆り立てられ、ちょうどこっちに向かって逃げてきた魔族を視界に捉えると、ニアは自らも近づこうと前に出た。
「えぇ~!?」
「!?」
彼女の突飛な行動にリウルは慌てて炎弾の軌道を変え、それから走り出した。
「グゥゥウアアアアアアッ!」
炎弾が消えたことで脅威がなくなった魔族は、ニアが繰り出した剣戟を胸の鋼鎧で防いでそのまま彼女の体を押し倒した。
「っ」そして身動き出来ないその体に牙を突き立てようとその瞬間、「ニア、そのまま動かないで!」どちらにせよ恐怖で固まっていた彼女の体と水平にリウルの大剣が魔族をなぎ払う!
「ギッ、グァウッ!!」
右腕一本犠牲にしてなんとか避けた魔族が森の奥へと逃げていくのを追いかけようとして、「リウ!」ラヴィに引き留められる。
振り返れば軌道を逸らした炎弾によって木々が燃えており、すぐに魔術で水の弾を生み出して鎮火させた。
「二人とも、そこから動かないで」それだけ言い残すとリウルは魔族が去っていった方向へと再び駆け出していった。
それを見送ったラヴィは、未だに地面に転がったまま呆けているニアの元へ行くと、弓で軽く彼女の頭を殴った。
「痛ッ!」
「ああいうはぁ~、自殺行為って言うんだよ~。分かってると思うけどさぁ~」
リウルは力の制御が苦手だ。それはラヴィも知っている。
だからラヴィが一緒のときは細心の注意を払ってくれているし、もしものときはリウルが力を発揮出来るようにラヴィがその場から逃げることもある。
それをニアが知らないのは仕方ないとは言え、さすがにあの場で突っ込んでいくとは……度胸があると言うべきか、ただの無謀と言うべきか。――今回は後者だが。
「……申し訳、ありません」
涙を堪えるように俯く彼女に、ラヴィは何も言わずに隣に座る。
ラヴィはリウルと一緒にいることを選んだ。
それは勇者であろうとなかろうと、彼と仲良くなりたいと思ったからだ。
――あとは彼女の気持ち次第だ。
リウルは結構押しに弱いところがある。『仲間』でいたいと望んで接することが出来れば、きっと彼女のことも「勝手にすれば」と受け入れてくれるだろう。
……そうなればいいな、とリウルが消えていった方を眺めながらそう思った。
***
――また“消した”な、とリウルは森の中を駆けながら小さく溜め息をこぼす。
気配も姿もない。不思議なことに血痕も見当たらない。
だから逃げることを優先したか、或いは身を隠して再び襲うことを狙っているのかも分からない。
だけど、リウルを狙うように周囲から魔物が集まってきていることは分かる。
「やっぱりあの魔族が司令塔かな」
木の幹に隠れていた魔物を“それごと”大剣で両断し、木々の隙間を縫うように飛来してきた鳥型の魔物を魔術で消し炭にし、地面から飛び出してきたもぐら型の魔物を蹴り飛ばす。
それでも次々襲いかかってくる魔物を斬り殺し、あらたか片付いたときにはさすがにリウルも息を荒く乱していた。
その様子を窺っていた魔族は仕留めるなら今かとゆっくり近づき、―――そして思わず足を止めた。
「っ、くそ!」悪態を吐きながら『勇者』が泣いていたから。
「結局こうなった! だから仲間なんて……っ、余計なことばっかするから!」
そうして一通り癇癪を起こした彼はおもむろに膝を着き、ごめん、と斬り殺した魔物を撫でた。
小さな兎型の魔物だ。普段はこの森に生息していて、魔族の指令とは違い住処を荒らされたことに憤慨して襲ってきたのだろう。
本来なら殺さずに済んだ魔物たちに、そして任務とは言え殺さなければいけなかった魔物たちに、リウルは泣いて謝る。
ごめん、ごめんね、と。
「ナゼ、アヤマル――ニンゲン。ソレハ、ボウトクダ。ワレワレヘノ、ボウトク」
思わず姿を現してしまった魔族は、ゆっくりとリウルに近づく。
罠かもしれない、とは思わなかった。
「……そう、だね。確かに偽善だ」
魔族が近づいていることに気付いていても、リウルは動くことなく続けた。
「けど、おれは魔物も魔族も“敵”じゃないと思ってる」
幼い頃、怪我して助けた魔物のことを忘れたことはない。
助けてくれたお礼とばかりに頬を舐めてくれたことも、親に叱られて泣いていたときに慰めるように隣にいてくれたことも。
色褪せることなくリウルの中に“想い出”として刻まれているから。
「おれは、――戦争を止めたい」
リウルが勇者であることは、もうどうしようもない。それなら、この無益な命の奪い合いを根本から止めるしか方法はないだろう。
「……。オマエハ、オカシイコト、カンガエル」
人間は魔物たちの住処を奪い、襲ってくるからと殺してくる。
そんな人間とは違うモノを感じた魔族は、彼に切断された右腕を一瞥し、それから逡巡すると「ガラテス」と呟いた。
「……?」
「ナマエ、ガラテス。――ワレ、ユウシャニ、サンドウスル」
「さんどう?――賛同!?」
まさか魔族に支持されるとは思わず、素っ頓狂な声をあげて振り返れば、魔族はすでに姿を消していた。
「マオウサマト、ハナシ、スル。ナニカアレバ、ヨベ。イク」
「…………」まさかの展開に唖然としていたリウルは不意に我に返ると、涙と返り血に塗れた顔を袖で強引に拭き、それから屍になった魔物たちへ黙祷を捧げるとラヴィたちがいる場所へ戻った。
「申し訳、ありませんでした……」
肩を震わせて謝るニアへ冷めた眼差しを送り、それから帝都がある方角へ足を向ける。
「リウ~待ってよぉ~! ほら、ニアも行こぉ~?」
さっさと帰路へつくリウルの後を、ニアの手首を掴んで引っ張りながらラヴィが追いかけて行く。
――報告は誤魔化した方がいいだろう。
あの森にガラステはもう現れないだろうし、人間を襲うよう指示もしないだろうから、簡単に騙せるはずだ。
思わぬところで魔族のコネを得た。これはきっと、いつか切り札になるはずだ。
少しずつ、少しずつで良い。
人と魔族たちの認識を変えていければ。
もしかしたら本当に――手を取り合える日がくるかもしれない。