泡沫に消えろ 前編②
翌日、倒し損ねた魔物を討伐してこいと言われて再び同じ場所へ向かうと、本当にというかやっぱりというか――ラヴィがいた。
しかも何か串焼きのようなものを食べている。
「リウ~! こっちこっちぃ~」
……ここ一応魔族も出てくる危険区域で、一般人侵入禁止になってるはずだけど。
昨日と変わらない緩い姿に脱力し、大きく溜め息を吐きながらも彼の元へ行く。
「今日は何食べているの」
「いひひっ、今日はねぇ~! なんと蠍甲虫の腸詰めぇ~!」
名前を聞いてもピンとこない。
そんな様子にラヴィは一本串焼きを渡すと解説し始めた。
「本当は幼虫探してたんだけど見つからなくてさぁ~。成虫の蠍甲虫は全長1m程度なんだけど腸の長さは国2つ分の大きさって言われててねぇ~。それを綺麗に洗浄して挽肉と香草を混ぜたタネを詰めて出来たのがソレさぁ~! よく屋台でも売られてるよぉ~」
確かに昨日とは違って香ばしい匂いがそそられる。
それほど空腹ではなかったのに食欲が湧き上がり、口の中も唾液が分泌されていた。
「……」パリッと歯ごたえある皮を噛み千切って一口食べれば、ジューシーな肉汁と食べ応えのある肉の質量、そして肉の臭みとあいまった香草が癖になりそうだ。
「うまい……」
「いひひっ、やったぁ~!」
嬉しそうに笑うラヴィに釣られて、小さく口角が上がる。……久しぶりに笑った気がする。
「リウはぁ~、昨日の逃げた魔物倒しに行くのぉ~?」
「うん」
「じゃあ、おいらも一緒に行っても良い~?」
「え、」一緒にと言われて固まってしまった。
「ダメぇ~?」
咄嗟に返答に困ってしまう。
昨日の戦いぶりを見る限り、魔物相手ならば戦力としては申し分ないだろう。
でも――もしもリウルが『勇者』だと気付いてしまったら?
魔族が現れてしまったら?
「ごめん、申し出は嬉しいんだけど……」
「そうなのぉ~? でもまぁ、一緒じゃなくてもぉ~元々狩りに行くつもりだったけどねぇ~」
「!?」
「じゃあ、お先にぃ~」といつの間にか広げた道具をまとめ、さっさと先に進もうとするラヴィを慌てて引き留める。
「ま、待って! 分かった、分かったよ……おれも、行く」
「やったぁ~」と喜ぶ姿にハメられた気がしなくもないが、一人で行かせるよりはマシだろうと強引に自分を納得させた。
「………。リウ、そんなに警戒してると疲れちゃうよぉ~?」
暫く歩いていると周囲を警戒し緊張するリウルに、もっと肩の力抜いてぇ~とかアドバイスされてしまった。
――誰のせいだと……! こっちは気が気じゃないというのに!
この場所は帝国から離れて、だいぶ【魔界域】に近づいてしまっている。近づけば近づくほど魔族の出現率も高くなる。戦時中だし当然だ。
正直リウル一人ならどうとでもなる。しかしラヴィを守りながらというのは難しい。
――軍部から仲間をつけろと言われて、それを蹴り続けている理由はこれだ。
リウルは生まれつき魔力保有量が異常値だった。使っても使っても減らない、まるで無限に湧き上がる魔力。
それに加えて、ありとあらゆる“力”を増幅させる『勇者の証』があるせいなのか、力のコントロールが苦手なのだ。
「ねぇ、ラヴィ。これ以上は危険じゃないかな」
「そうだねぇ、戻ろうかぁ~」さすがにラヴィも危険を感じ始めたのか頷き、来た道を戻ろうとしたそのとき。
「あっれ? マジで? 人間がこんなとこまで迷いこんでるとか! あたしツイてる!」
上空から舞い降りるように、毒々しいほど派手な真紅色のドレスを身に纏った女が、赤みを帯びた金髪を靡かせて上唇をぺろりと舐めた。
「う、わぁ~……もしかしなくても、あれが魔族ぅ~?」
「……タイミング悪ッ」
「うふっ、美味しそうな男の子が二人いるとか、あたし本当にツイてる―――て、ちょっと! ドコ行くつもり!?」
リウルはラヴィの手首を掴んで逃げ出していた。
「あたしを無視とか良い度胸じゃないのガキィ!! ちょっと遊んであげようと思ったケド、もう良い! どうでも良い! 食べてヤル!」
「り、リウ~! あの魔族太って――こっち来てるぅ~!!」
ラヴィの言葉に一瞬後ろを振り返ると、ぶくぶくと肌が泡立ったと思えば全身の質量が増し、ぱつぱつになったドレスを破って、腹から巨大な口が牙を剥く。
はっきり言ってキモい。
だけどそんなこと言ってる場合ではないだろう。
明らかに距離が縮み始めている。このままだとすぐにでも追いつかれる。
――魔術は、ダメだ。ラヴィを巻き込んでしまうかもしれない。
それならばと腕輪の収納石に魔力を込めて大剣を取り出した。
「ラヴィ、そのまま走って。おれがなんとかするから」
「でも」と駄々をこねそうになる彼を前に突き飛ばし、それから振り返ってありったけの力を込めて剣を振る。それは衝撃波となって一時的に魔族の動きを止めた。
「早く! きみがいると邪魔なんだ!」
「!」びくりと震えたラヴィは躊躇うように逡巡し、すぐに踵を返して走って逃げ出した。
……それでいい。
「あれれれれれれ? マジで? いいの? オトモダチ、行っちゃったよ? 可哀想に、独りボッチになっちゃった!」
「別に……友達じゃない」昨日会ったばかりの、しかも魔物の肉を食べ合っただけの関係だ。つまりは、他人なのだ。
それに邪魔だったのは本当だ。手加減とか出来ないから、怪我とか死なせてしまうわけにはいかない。だから突き放した。――それだけだ。
「魔族一体なら剣だけで十分かな」
大剣を水平に翳し、魔力を感知した『勇者の証』が勝手に浮かび上がって力を増幅させる。
それを見て「マジでカワイソーに」と笑っていた魔族が固まる。
「え、嘘でショ……? こんなガキが勇者なワケ、」
「そのおしゃべりな口、開いたまま閉じなくさせてあげる」
腰を落とし地面を蹴る。一瞬で魔族との距離を詰めると、大きく振りかざした大剣はすでに魔族の腹に食い込み、「ひェ、ァ――」悲鳴をあげる前に――絶った。
そしてピクピク痙攣してる上半身の胸辺りについている“魔装具”と呼ばれる石を砕く。
「……」返り血を浴びた頬を拭い、剣にもついたそれを振り払ってから魔石に収納した。
結局こうなったと小さく溜め息を吐き、被ってしまったこの血をどうしたものかと思っていると、横からタオルが突き出されて、咄嗟にリウルは驚く。
「何を驚いているんですか、勇者様。私の気配に気付いていましたよね?」
きょとん薄桃色の瞳を丸くして首を傾げたのは一人の少女だ。肩より少し長めの褐色の髪と、華奢な体躯には不格好の鎧を纏い、それから腰に提げた剣の柄には“鈴”が揺れている。
――最近親衛隊に入ったばかりの、ニア・フェルベルカだ。
「……、クローツに言われて来たの?」
無意識に眉根を寄せ、タオルを受け取って顔を拭く。
確か彼女は王国の人間で、武術を学びたいと帝国にやってきたそうだ。それをクローツが拾って、“武神”と呼ばれる親衛隊隊長であるガロ・トラクタルアースの弟子入りを果たしたとか。
「はい!……クローツ様は勇者様のことを心配してましたよ?」
余計なお節介だと内心悪態を吐く。
「それから―――あそこにいるのは、勇者様のお知り合いの方でしょうか?」
あそこ、とずいぶん離れた茂みに指差した。
そこから呆然と、複雑そうな表情でリウルを見つめるラヴィの姿に――心が冷めていくのを感じた。
「………さあ? 知らない。たまたまここに迷いこんだんじゃない?」
「そうですか……。では私は彼を近くの街までお送りいたします。勇者様は、」
「任務の続き、でしょ。言われなくても分かってるよ」
敬礼してラヴィの元へ行くニアを見送ることなく、そしてラヴィのことを振り返ることなく。
リウルは更に奥地へと足を進める。
きっと、彼とはもう会うことはないだろう。
――そういえば、勇者になってから「またね」って初めて言われたな、なんて。
そんなことに今更気付いた。
「……きみはきっとアホなんだね」
リウルは大きく溜め息を吐き、目の前にいる少年に冷めた眼差しを向ける。
――あれから数日後、とくに任務もなく自室でゆっくりしていたら軍部から急に魔族討伐の要請が来た。
それをさっさと片付け後始末を兵に任せて街へ戻る道中、地面にしゃがんでいたラヴィがリウルを見るなり気まずそうに立ち上がった。
「リウ、」
「おれは――『勇者』だよ」
「っ、」ハッキリと告げると、彼は言葉を詰まらせた。
「おれの側にいれば当然、魔の者にも目をつけられる。死にたくないなら、もう関わらない方が身のためだよ」
ラヴィは生活のために魔物を狩っている。だけどリウルといれば魔族とも遭遇することが増えるし、もしかしたら『勇者』を殺すために人質にとろうと考えるかもしれない。
百害あって一利なし、というやつだ。関わるだけ損するなら、ラヴィがついてくる必要なんてないはずだ。
さようなら、と彼の横を通り抜けようとして――すれ違い様に腕を掴まれた。「い、いやだ!」と。
「いやだ! いやだぁ! やだ、やだ、やだぁぁあああ~!!」
「ちょ……っ」
駄々こねるように泣き出したラヴィに戸惑っていると、彼は噛みつくように話始めた。
「おいら街で生活したごとないからぁ……っ、旅団の人たちとぢか、人と関わったことなぐでぇ~! だから嬉ぢかったのにぃ~……、歳が近い“友達”が出来だっでぇ~っ」
――友達? そんなものになった覚えもなければ、それほど親密な間柄でもなかったはずだけど……!?
「邪魔しないがら”ぁ~、おいら強くなるがら”ぁ~! ごれで終わりなんでぇ、やだよぉぉおおおお”~~~~……!」
鼻水をズルズル啜りながら抱きついてきた少年を突き飛ばすことが、きっと『勇者』として正しい。
彼は普通の人間だ。軍人でもなければ常人と比べて少し強い程度の、ただの子供。
だけどここまで本心をぶつけてくる人は初めてで、しかも突き放せるほど冷酷にはなれなかったリウルは迷いに迷った末に、これは仕方ないことだと自分を納得させた。
「分かった! 分かったから、ちょっと離れて!」
「――え、本当ぉ~?」
うぉ~ん! と噎び泣くラヴィの肩を掴んで引き剥がそうとすれば、涙も鼻水もどこへやら、ケロッとした顔で彼は普通に離れた。
「やったぁ~! 勇者と友達になったぁ~!」
こいつ……っ、嘘泣きだったのかよ!
顔を引き攣らせながら白い目を向ければ、彼は心底嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「いひひっ、リウルぅ~! さっそく今日のご飯を狩りに行こぉ~!」
本当にさっそくだな……。
「…………もう勝手にしなよ」
なんだかすごく疲れて溜め息交じりに返せば、今度は手首を掴まれて「れっつらごぉ~」とどこかへ連れて行かれる。
それを、まぁ悪くないかなと思った。