泡沫に消えろ 前編①
「――これが“勇者”だと!? デタラメ過ぎる……っ」
少し離れたところで四本の手足を持った魔族の男が、ガクガクと震えながら眼前に広がる大きなクレーターを見て顔を青くさせた。
そのクレーターの真ん中でゆっくり身を起こし、右手に大剣と左手にガラス細工の杖を持った少年が群青色の瞳を巡らせ、魔族の姿を捕らえると小さく呟く。
「……逃げてれば見逃してあげたのに」
はあ、と溜め息を吐いて、怠そうに杖を向けた。
すると彼の周囲に薄青色の帯――“窓”が展開し、グローブをはめていた左手の甲から『勇者の証』が浮かび上がり、淡く光を放つ。
【収斂の火葬】
「ひっ!」恐怖に男が顔を歪めたその瞬間、周囲の空気が重くなる。まるでその空間から逃げ出せないように、体を固定されたような。
やがて周囲の空気が彼へ一気に圧力を加え、断末魔をあげるよりも先に魔族の男が小石ほどの大きさになると突然発火し、小さな灯火はすぐに焼け落ちていった。
「これで魔族は5体と魔物68体、討伐完了」
剣と杖を腕輪の収納石に戻し、緑がかった紺色の髪と服についた土埃を払った少年―――“勇者”リウル・クォーツレイは軽く黙祷すると、踵を返して帰路につく。
***
100の巡り。
――100年の眠りから覚めて復活した魔王を倒すべく、女神によって選ばれた者。それがリウルだった。
皇帝陛下と女神教の教皇から直々に依頼や任務を承り、その地に現れた魔の者を倒す。
人類の平穏と安寧のため、人々の希望となりて魔を討ち滅ぼすことこそが勇者に選ばれしリウルの役割であり、使命でもある。
リウルはミファンダムス帝国の首都エルダーニに戻ると、裏道を使って城の裏手へ。そして事前に鍵を開けておいた旧書庫の窓から侵入すると――。
「――たまには街の人たちに顔をお見せいただきたいと、前にもお話しませんでしたか?」
読んでいた分厚い魔術書を閉じ、眼鏡を外しながら席を立って振り返るのは皇帝直属の配下である親衛隊副隊長であるクローツ・ロジストだ。
その生真面目そうな見た目通り、少々口うるさい。
「おれも前に言ったよ。面倒くさいから、嫌だ」
「軍部からの協力者手配の申請も拒んだとか」
「仲間なんて必要ないし。おれ、強いから」
うざったそうにあしらうリウルに溜め息をこぼした。
「勇者様、我々は心配しているのです。今はお一人でどうにか出来ていても、それがいつまで続くか分かりません。確かに貴方様はとても強い。ですが相手は――」
「はいはい、説教ならまた今度聞くよ」
クローツの話を遮って部屋から出て広い通路に出ようとした足をふと止める。壁に体をくっつけて曲がり角を覗き見れば、数人の兵士たちがこっちに向かってダラダラと歩いていた。
「いやぁ、勇者様々だよな! 俺たちの仕事が目に見えて減ったし!」
「お前このあと彼女とデートだっけ?」
「魔の者倒すのは勇者の仕事だろ? 俺たちは本来の仕事に戻っただけっしょ」
「でもさー、最近教会の人間が多く出入りしてねぇか? なんか上層部も様子がおかしいっていうか……」
「それこそ問題ねぇーって! 親衛隊にはガロ・トラクタルアース、軍部にはガ―ウェイ・セレットとその弟子たちだろ? なんかあってもあの人たちについていけば大丈夫だろ」
――平和ボケしたやつらだと胸中で悪態を吐き、それから近づいてきた彼らと鉢合わせないように元来た通路を戻る。
すでに魔王は復活していて、すでに魔の者たちは戦争を仕掛けているというのに。
なのにそれほど兵士達や国民に危機感がないのは、街に強力な結界があるおかげで今日日平穏が保たれていることをちゃんと理解しきれていないのだ。
確かにリウル自身の力も魔族たちへの牽制には繋がっているが、彼らが総力戦に出たら守り切れるわけがない。
特に【魔界域】から近いこの国は前線区域にもなっている。
頻繁に現れる魔族と魔物の数を、彼らは知らないのだろう。
「……どいつもこいつも他力本願」
リウルが街に出たり兵士たちとコミュニケーションをとらないのは、つまりそこにある。
勇者がいるから。
軍や親衛隊がいるから。
結界があるから。
だから大丈夫だと平和を語る。
そうして、もし何かあったときには掌を返して「お前達のせいだ」と責任を押しつけてくる。
何度もそういう場面を見たし、実際言われたこともある。
どうしてもっと早く駆けつけられなかったんだ、と。
「うむ、よくやってくれた勇者よ」
なるべく人と会わないように遠回りしながら玉座の間へ辿り着く。跪いて報告を果たせば、皇帝陛下は膝元に寝転がる愛猫撫でながら、いつもの決まり文句を口にした。
第28代目カミスダリグレス・ウオンツォ・ミファンダムス皇帝陛下だ。
最初に目にしたときは艶やかな銀髪と意思の強そうな黒い瞳が特徴的だったのに、今やその面影すらない。髪は白く染まり、瞳はやけに濁っている。
皇帝の斜め後ろには第1宰相の男が小さく咳払いした。
「ん? んー、んぅ?……ああ、勇者。もう良い、下がれ。また頼むぞ」
労いも感謝もない、心すらこもっていない、当たり前だと言わんばかりの言葉。
リウルは大きく頭を下げて、さっさと部屋から出る。なんと無意味な時間だ。
――そういえば今日は教皇がいなかったな。
出来れば毎回顔を合わせたくないので、いないに越したことはないのだが。
そうして城の中にある自室に戻ると、椅子に腰掛けて一冊の本を広げる。白紙の本だ。
そこにリウルは文字を綴る。
今日殺した魔族のことを。魔物のことを。
忘れないように、忘れてしまわないように。
「……また、殺さないといけないのかな」
毎日毎日戦って、殺して。
魔族の命乞いも、魔物の悲鳴も飽きるほど聞いた。
――最初に殺した魔物のことを、今でも覚えている。
鮮やかな暁色の鳥型の魔物だった。細い足に辛うじて残っていた布きれには『れどまーぬ』と名前が書かれていて、昔怪我した魔物を助けたことを思い出した。
殺せと教育係の兵士に言われた。
殺さなければといけないと本能が警鐘を鳴らす。
だけど殺したくなんて――なかった。
後悔してる。
ずっと、ずっと、昔から。
それから数日後、いつものように任務で魔物の群れを討伐に向かっていたときだ。
「……?」
すでに誰かが戦っていた。
軍の人間かと訝しげに見れば、吟遊詩人のような風体の、リウルと同い年くらいの少年が大きな弓を使って周囲の魔物を一掃している光景だった。
「いひひひひっ、爽快じゃぁ~! 大漁じゃぁ~! 今晩はご馳走じゃぁ~!」
奇妙な笑い声をあげながら、巨大な弓を用いて大量の矢の雨を降らしている。
生き残った魔物たちは慌てふためきながらも逃げていき、それには手を振って見逃していた。
「……」追いかけて逃げた魔物たちを鏖にするべきかとも考えたが、止めた。勇者としては失格だろが、それよりもと魔物の死体を手慣れたように解体し始めた少年の元へ寄る。
「むふふっ、やっぱこの時期は脂がのってて旨そうだぁ~♪ これなら生でもいけそぉ~」
「お腹壊さない?」
「新鮮な肉は生でも大丈夫さぁ! そのままでも良いしぃ、ちょっと塩とかレモン汁振るとまた変わってくるしぃ。おいらは表面軽く炙るのが好きだけどねぇ――――て、誰!?」
リウルの気配にも気付いていなかったのか、本当に驚いたように振り返った少年に名乗ろうとして、ふと思う。
彼はリウルの姿を見ても勇者だと気付いていない様子だ。知らないのか興味ないのか。
どちらにせよここで正体明かして、畏まられたり騒がれても困る。それに彼がしようとしていることにも興味が湧いたことだし。
「おれは、――リウ。きみは?」
「おいらはラヴィって言うんだぁ~!――ねぇねぇ、リウは魔物の生肉食べたことない?」
「ない」
「へへっ。じゃあ、この魔性の味を食らってみると良いさぁ~!」
急に口元に生臭い生肉が押し込まれた。
それをおそるおそる咀嚼して飲み込み、何故か緊張しながらそれを見守るラヴィ。
そして。
「うまい……」臭いけど、でも噛み締める度に脂が口の中に広がって旨味が溢れる。
リウルの言葉に嬉しそうに「でしょでしょ~!」と次々に魔物を解体した部位を差し出し、こっちは臭みが少ないとか、こっちは脂が多いとか、その食べ方も細かく教えてくれた。
そうしてリウルも解体を手伝い二人でつまみ食いしながら、少し時間はかかったが死んだ魔物は全てバラし終えた。
「これどうするの?」
さすがにラヴィ一人で食べるには多すぎる。
「近くの村とか街に持っていって売るんだぁ~。それがおいらの貴重な収入だからねぇ~」
「ラヴィは旅人?」
「そうさぁ~。おいらの親が旅団の団員で、この前みぃ~んな魔物に食われちゃって今は一人だねぇ~」
「―――」
へらへらと大したことなさそうに口にした。確かにこんな時代だ、魔王が復活したことで魔物たちも活性化し狂暴になっている。だからラヴィのような過去を持つ者だって少なくはないが。
「……魔物が憎くないの?」
大体の人たちは時代を、魔の者を憎むものだ。だけど彼は楽しそうに魔物を狩り、それを食べている。それが信じられなかった。
「ん~? だっておいらたち人間だって魔物の肉、普通に食べてるよねぇ?――食って食われる、それが自然の摂理でしょ~?」
「それが、自然……」
無意識に己の手を見る。
たくさんの命を屠ってきた。
勇者として、それが当たり前なのだからと言われ続けて。
命は奪い合うモノなのだと――ずっと。
「……そっか。そうだね、おれも…………そう思う」
命は平等であるべきだ。
どちらかが搾取する側であってはいけない。
「じゃあ、おいらは行くけどリウも来る~?」
あれだけの大量の肉をどうやって詰めたのか、大きな布に包んで抱えたラヴィの誘いに首を横に振る。
「おれは――戻らないと」
「そっか~、残念だなぁ。じゃあ、またねぇ~」
手を振って別れを告げた彼に、咄嗟に手を振り返しそうになって慌てて止めた。
どうにも彼は緩すぎる。そのせいか調子が狂うなと頬を掻き、そこでふと気付く。
「………『またね』?」