5.とある魔術師からの依頼
「―――――それが、帝国と教会が隠してきた『真実』ってことか」
グッと背もたれに体重を預け、レッセイ・ガレットは天井を仰いだ。
100の巡り。
それから勇者と魔王。
そのシステムを聞いて、なるほどこの国――グラバーズ国が鎖国した理由も察した。
「この国は教会に巣くわれ、王族も貴族も権力を失った……。この街に来るまで見てきたと思うが、我が国グラバーズはもはや何もない」
今にも壊れそうな古いテーブルを挟み、金髪碧眼の美青年は憂うように目を伏せた。
ボロボロのシャツとマント、泥と傷だらけの白い肌。
―――元グラバーズ国第三皇子オズワルド・ラファエット。
「じゃが、おぬしが本当の意味でこの国が終わる前にそれを止めたではないか。だからこそ妾はここにいるし、まだ希望を捨てぬ者たちも集ったではないか」
そして彼の隣で励ますのは一人の女性だ。
優しげな群青色の瞳、緑がかった紺色の髪を緩く三つ編みにして左肩に下ろした、おかしな口調の彼女はやけに前勇者リウル・クォーツレイの面影がある。
――いや、“逆”か。
しかも彼女は人間ではない。喪服のような黒いドレスに身を包み、袖から覗く細い肌には赤い紋様が幾重にも描かれ、頭には獣の耳。瞳孔も縦に割れ、口を開く度に見える鋭い牙。
「ヴァネッサ様、違います。貴方がわたしに接触し、全てを語ってくれたからこそですよ」
―――元魔王ヴァネッサ。
人と魔王が励まし合う光景に、未だに夢なんじゃねぇーかと疑う自分がいた。
でも、これが現実だ。
彼女はレッセイにも語ってくれた。真実を。過去を。
疲れたように大きく溜め息をこぼし、片手で頭を押さえる。
「……テメェらの全てを信用したわけじゃねぇけどよぉ、確かに辻褄は合う」
「! そうか、ならば協力をしてくれるのじゃな!?」
「悪ぃが、それとこれとは別だ」
目を輝かせて身を乗り出した魔王を拒絶するように、灰色の瞳で睨む。
――隠しているのか、それとも知らないだけなのか。
彼らの話には抜けている情報がある。
それに……レッセイが、いやガ―ウェイたちがしようとしていることと彼らの目的は違うのだ。
「俺は魔族と馴れ合う気はねぇし、テメェらみたいな厄介者をこれ以上抱えるのはリスクがありすぎる。こっちも時間に余裕がねぇんだよ」
「戦争が――始まるから、ですか」
「そうだ。……ったく、余計なことしてくれたぜ裏の帝国さんはよぉ」
「砲撃を撃墜出来ても、その事実だけは残るからのう。確実に過激派は動く」
「しかも撃墜したことでヴァネッサ様と我々の存在に勘付かれた可能性もあります。――それも含めて、教会の策でしょうけど」
だけど撃墜しなければ【魔界域】自体、攻撃を受けただろう。そうなれば動くのは魔王だけではない。
「さすがに妾も『塔の管理者』を敵に回すわけにはいかぬ。今は【魔界域】の地下で眠っているが、目を覚ませば……それこそ手に負えぬぞ」
「教会の目的が“塔”だとすれば、彼らはこの世界を壊すつもりでしょうか……?」
「………」
レッセイは不意に窓の外へ視線を移す。
荒れ果てた街の路地が目に入る。物乞いがギラついた目で通行人を見つめ、今にも襲いかかっていきそうだ。そして通行人たちは虚ろな顔を俯け、しかし警戒するように忙しなく周囲を窺いつつ足早に去っていく。
この街はまだマシな方だ。郊外はもっと酷い有様だった。
嫌でも思い出すのはアルニを拾った、あの焼け落ちた街。あの場所も郊外だった。
――そういやぁ、ニマルカから報告があったな。
アルニがグラバーズを目指している、と聞いたときはついにこの時がきたかと思った。
レッセイに聞きたいことがあるとかいう話だから、本当はこっちから会いに行けばアルニはわざわざグラバーズに来ることはないはず。
それでも止めなかったのは。
そうしなかったのは。
――――「ごめん……っ、ごめんな――アイリス」
街でアルニを見つけたとき、まだ意識があった。
真っ黒に焼け焦げた、小さな塊に手を伸ばして。今にも泣きそうに顔を歪めた少年の元へ駆けつけると、アルニは澱んだ灰黄色の瞳を向けて、言った。
俺を殺して――じいちゃん、と。
絶句するレッセイが気付いたときにはもうアルニは気を失っていて、そして彼が次に目を覚ましたときには記憶をなくしていた。
勇者を憎む、今のアルニになったのだ。
「――レッセイさん、どうかされましたか?」
ずっと黙ったまま眉を顰めていたレッセイへ訝しげにオズワルドが声をかける。
「なんでもねぇよ」と返しながら席を立ち、魔王へと顔を向ける。
「そういやぁ――勇者がこの国に来るみてぇだぞ」
「『勇者』……?」
「ティフィア・ロジスト」
「おお、知っておるぞ! 向こうから来て貰えるとは、ありがたいことじゃ。レドマーヌから報告は聞いていたが……確かおぬしの元仲間も一緒なのじゃろう?」
「ああ」
「せっかくじゃ、ここで彼らの到着を待とうではないか!」
名案だとばかりに顔を綻ばせ、再び輝いた瞳で見てくる。
しかも皇子まで「それはいいですね!」と賛同してきた。
――こいつら、あわよくば俺をここに居着かせ、その流れのまま協力させようという魂胆が見え透いていやがる……!
「ボロい拠点ではありますが、幸い部屋はたくさんあります! 好きに使ってくれて構いませんよ」
そりゃあ元とは言えお城だった建物だからな。高価な調度品とか芸術品はもうないし、ベッド代わりに床に敷いただけのボロい布きれと、壊れかけの机や椅子があるだけだけど。
「貴重品は自分でしっかり管理するのじゃ。何かあっても自己責任じゃぞ」
どうやらこの城――こいつらの拠点ではあるが盗人が中にいるらしい。
「わ、わたしではありません!」
そうかテメェか。
突然声を荒げて冷や汗を流す元皇子へ白い目を向ける。
「……なんであれパスだ。さっきも言ったがテメェらを信用したわけじゃねぇ。教会や帝国と繋がってないとは思うが、テメェらの仲間に紛れてる可能性もあるしな。寝首をかかれないとはいえねぇしよ」
「じゃが、それなら殊更だと思うぞ? 妾の側が安心だと思うが」
「ヴァネッサ様、わたし達も“敵”かもしれないと疑われているのですよ」
「む?」
「レッセイさんは“敵”が多い。信用してもらうのは難しいです」
「そ、そうか……」しゅんと落ち込むヴァネッサ。
喜怒哀楽が激しく、人間よりも人間らしい。
だからこそ――疑ってしまう。
“これ”は本当に、元とは言え魔王なのか、と。
――気味が悪ぃ。
不快感に眉を顰め、それから今度こそ部屋から出ようと杖をつき片足を引きずりながらドアノブへ手をかけ。
「また、お会いしましょう」
「またのう!」
「……」レッセイは無言のままドアを開けて部屋を出た。
城を出て街を歩きながら、知り得た情報を脳内でまとめていく。
魔族。人間。
魔王。勇者。
100の巡り。勇者の証。
魔術。魔法。
塔の管理者。女神。
「ダメだ……俺ぁ、こういうのは苦手なんだよなぁ」がしがしと後頭部を掻き、それから小さく溜め息を吐く。
――5人か。
周囲に散らばった、だけど歩くレッセイの歩調に合わせるようについてくる気配に口角を上げた。これくらい単純だと分かりやすいのになぁ……!
明確な敵意に最近戦っていなかったせいか、欲求不満気味だった体がうずく。
わざと街から離れると、やはり彼らは襲いかかってきた。
レッセイは支えていた杖へ瞬時に魔力を込める。魔術紋陣が刻まれていたそれは物質硬化が付与された。
さて、どこぞの回し者だと急接近してきた黒装束の剣を弾き、背後に迫ってきたやつの剣先を避けると首の根元を狙って殴る。
「ぐガッ」と首を押さえて体勢を崩したので、そいつの襟を掴んで振り回す。最初に攻めてきた黒装束に投げ飛ばし、それから地面の砂を掴んで三人目の黒装束の顔面にぶっかけた。
一瞬怯んだそいつの鳩尾を杖で突き、そこで彼らは一度レッセイから距離をとるように周囲を囲んだ。
……逃がす気はねぇってことか。
「弱ぇな、雑魚ども! もっと頭使って上手く戦わねぇと俺には勝てねぇぞ。――ほら、かかってこいよ、雑魚。第2ラウンド開始だ」
挑発するように手招きすれば、今度は5人一斉に向かってきた。だけど杖を振り回してなぎ払われることを警戒してか、微妙にタイミングをずらして四方から来る。
――考えは悪くない。だけど、それじゃあダメだ。不合格。
レッセイはその場で跳躍すると「おら、よっと!」杖を地面に向けて思い切り振った。
すると魔力が含まれた衝撃波が地面を砕き、それが地上にいた黒装束に襲いかかる!
「っ」咄嗟に防御態勢をとった無防備な彼らへ、砕いた地面に着地したレッセイが杖を振った直後。
ドッ――――――――――――――――――!!!!
「!?」急に足場が崩れ落ちた。
地下に空洞があったのか、砕いた地面と一緒に黒装束とレッセイが一瞬滞空し、やがて重力に従うように落下していく!
「ちィっ」舌打ちし、宙で体勢を変えると近くの瓦礫を踏み場になんとか地上へ戻ろうとするが。
ずきりと右足に尋常ではない痛みが走る。そのせいでずるりと足場の瓦礫から足を踏み外した。
再び舌打ちし、これはもう落下に備えて衝撃波ぶちかますしかねぇなと判断したとき――。
「か、風のせいれぇーさん! あの人、たすけて!」
舌足らずな少女の悲痛な嘆願が頭上で聞こえたかと思ったら、ふわりとレッセイの体が浮き上がる。
「これは……」魔法だ。
ゆっくりと宙を浮かび、丁寧に着地させられたレッセイは驚きと共に『魔法師』へ目を向ける。
小さな少女だ。まだ5,6歳といったところか。
くすんだブラウンの髪、大きな翠色の瞳。ボロボロの布を纏っただけの姿だが、レッセイが無事だと分かるやいなや心底嬉しそうに顔を綻ばせ「よかったぁ!」と笑顔を咲かせた。
前歯が一本欠けているのも合わさって、とてつもなく愛嬌がある子だ。
「助かったぜ嬢ちゃん。ありがとうな」
少女の目線に合わせてしゃがみ、その頭を撫でてやると更に嬉しそうにする。なんだ、良い子すぎるじゃねーか。
久しぶりの癒やしにほのぼのしていると「サーシャ!」と慌てたように駆け寄ってきた一人の女性が手を振り払って来て、少女を護るように抱きかかえるとレッセイを睨んだ。
少女サーシャとよく似た顔に、母親かと察する。
「この子に手を出すつもりなら、殺しますよ」
やけに物騒な言葉だ。まぁこんな街にいるんだ、無理もないかと両手を挙げた。
「何もしねぇ、女神様に誓っても。俺はその女の子に助けてもらったんだ。感謝こそすれ、危害を加えるつもりはねぇよ」
「おかぁさん、ホントだよ?……やくそく、やぶっっちゃったことはあやまるから! だからオジサンのことイジメないで?」
「……、」とりあえずは納得してくれたのか、警戒心はそのままに頭を下げてきた。
「失礼しました。――では私たちはこれで」
そそくさと少女の手を引いて去ろうとしたとき、ゲホッと彼女が咳をした。
「――っ、げほ。ゲホッ、ゲホゲホ! ゲホ!」続けざまに苦しそうに咳き込み始めた彼女に「おかぁさん!」と少女が抱きつき、レッセイは彼女の体を支えるように手を差し出した。
しかしその手を再び払いのけられる。
「おい、無理すんじゃねぇ!」
ヒューヒューと喉を鳴らし、しゃべる気力もないのに睨んでくる。助けはいらないとばかりに。
「おかぁさん、おみず!」
また魔法を使ったのか、両手に溜めた水を差し出すサーシャ。それに困ったように眉をハの字にし、水に口をつける。
――病人であれば診療所へ連れていくのが良いだろう。だけど彼女はそれを拒む。
どうしたもんかととりあえず支え合う親子を眺めていると。
「メイサ、サーシャ! なんだ、麗しの乙女達はこんなとこに居たのかい! ボクはとてもとても心配で探し回っていたんだ…………大丈夫かい? ほら、薬だよ」
今度はやけに仰々しい口調の男がやってきた。
黒い帽子を被った貴族然としたその男は、彼女――メイサを抱きかかえると慣れた様子で懐から取り出した薬を口に押しつけ、更にそこへ自分の唇を落とす。
唐突な接吻に慌ててサーシャの目を塞いだ。
「……ちゃんと飲めたかな?」顔を話した男の問いに弱々しくメイサが頷くと、良し! とそのまま彼女を抱きかかえて持ち上げた。
それから、そういえばとレッセイを振り返ると「団長! ずいぶんと久しい再会で感動すら覚えましたぞ!」と満面の笑みを向けた。
「ゴーズのおじちゃん! はやく、はやくお家にかえろ? おかぁさん休ませなきゃ、めっ、なんだよ!」
レッセイが何か口を開くよりも先にサーシャに咎められた男は「いやはや確かに。メイサが心配だからね」と頷き返し。
「団長も是非いらしてくださいませ!――その足の具合、少し診ることが出来ましょうし。積もる話もあるような無いような!」
「積もる話はあるだろうよ……」
だが良いタイミングで来たものだと、さっさと背を向けて迷い無く堂々と歩く男についていく。
――彼は数年前まで一時期レッセイ傭兵団にいた“魔術師”ゴーズ・カーレンヴァードである。