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話をしている内に、部屋に戻ってきたときに感じていた空虚さがなくなった頃にクローツが席を立った。そろそろ行くということだろう。
「リウ、」
「確認はいらない。オレはもう最初から覚悟してる」
大丈夫。そう自分に言い聞かせているリュウレイにクローツは何かを言いかけて止めた。
「あれ、クローツとリウじゃん」
部屋を出て廊下を歩いていると、向かう側から片手を挙げたガロが寄ってきた。
「二人揃って研究室向かってるってことは、計画進めるのかぁ~。ついにって感じだNE☆」
つい先日まで共闘していたというのに、いまだ苦手意識が拭えないリュウレイは眉を顰め、横にいるクローツを見上げる。
「……、隊長――いえ、ガロ。まだ帝国内にいたんですね」
「邪険にされちゃうと悲しいなぁ! でもさぁ、ほら! もうすぐ魔の者と戦えそうだし、俺が残ってた方が戦力的にもいいんじゃん?」
「そうですね、何度も呼ぶのは気が引けますし」
「でしょでしょ~? 計画が上手くいけばいいねぇ~! 平穏万歳☆ 来たれっ、戦争のない未来☆」
じゃあねとすれ違って去っていくガロを最後まで見送ってから、
「――リウ、分かっているとは思いますが……計画において貴方は不可欠な存在です。ここからは絶対に一人で行動しないようにしてください」
このタイミングで言うということは、クローツはガロを警戒しているということだ。
そしてガロ以外の、不特定の存在にも。
「うん」
計画を成功させる、そのためだけにここまで来たんだ。
ティフィアを傷つけ、シスナを死なせてまで。
――研究室のある、巨大な鉄の扉が開く。
「来たか、待っていたぞ――義父上、リウ」
「隊長……ご指示を」
そこに待ち構えるように立っていた二人の女性。一人は親衛隊員のレシア。それからもう一人はクローツ・ロジストの1番目の養子であり、人工勇者のジェシカだ。
その二人の後ろにはずらりと人工勇者の少年少女たちが整列しており、リュウレイはピアスから杖を取り出すとジェシカの隣に立ち、生意気そうな笑みを浮かべてクローツを振り返った。
「オレたちで魔王倒すんでしょ。――滾って来たね」
魔術で魔王を倒せる証明ができるのだ、これほど胸躍る作戦はないだろう。
そんな少年の姿に小さく笑みをこぼし、それからクローツは声高に告げる。
「これより最終調整を行い、終わり次第―――『人工勇者計画』を開始する。シスナが抜けた分君らには負担を強いることになるが……すべては“100の巡り”のため。魔の者との戦争を終わらせるため。人類の安寧のため」
――そのために犠牲になってくれ。
敬礼するレシアに対して、リュウレイや人工勇者たちは何も言わない。
だが、固い決意と覚悟を滲ませた瞳がまっすぐにクローツを見据える。
それだけで十分だった。
***
クローツとリュウレイと別れ後、街へ出たガロは広場へと足を運ぶ。そこで待ち合わせの約束をしていたからだ。
露店で買った、たっぷり甘辛いタレがまとった肉を挟んだ蒸しパンを頬張りながらベンチに座ると、ちょうど近くで吟遊詩人が謡い始めるところだった。
――――世界は100の巡りを繰り返し、憎しみに囚われた魔の王が生まれる。
――――彼の王は世界に災いをもたらし、女神の眷属たる人間を殺そうとする者。
――――それに抗う人間と魔の者たちとで、世界は戦火に呑まれてしまう。
――――それを憂いた女神レハシレイテス様は、とある人間に『救いの加護』をお与えになった。
――――女神に選ばれし“勇者”は魔の王を倒し、人々に希望と安寧を与え、天へと召し仕えられる。
――――これは『救い』の物語。これは『勇者』の物語。
――――100の巡りの中で、世界が何度も救われる物語。
ポロンポロンと弦楽器を奏でながら、それは誰もが知る物語を謡ったものだ。
観客たちが拍手を送るのを、やけに冷めた眼差しで眺める。
――この世界で『真実』を知っている人物など、ほとんどいないだろう。
ハリボテの平穏にぬくぬくと浸かっている彼らは疑いもしない。ただ言われるがまま、聞かされたままのことだけを鵜呑みにしている。
「……」
反吐が出るくらい滑稽だ。
「たい、ちょ、ぅ」
後ろから震えたような声がガロを呼ぶ。
「イースィ、そんな怯えないでよぉ~。周囲に不審がられちゃうじゃん?――あと、俺はもう隊長じゃないし」
ゆっくり振り返れば、ヒッと肩を跳ねさせた少しぽっちゃりとした女性は隈を浮かべた顔を更に青ざめさせていた。
親衛隊隊員の一人でニアとは同期のために仲が良かった彼女は、今やずいぶんとやつれて黒いマントで全身を覆い隠している。
「こ、こここれ以上はっ……わたしには、無理っ、です……!」
「あはは~、友達裏切って仲間裏切って国裏切って、わたしにはもう出来ませんって? それこそ無理でしょ~。君、もう行く宛もないんじゃないの?」
「それはっ!――たいちょ、が……ぜんぶ……………こわした、からぁっ!」
ついに崩れ落ちて泣き出してしまったイースィに、怪訝そうな眼差しを向ける人々に大丈夫ですよと手で制しながら彼女の傍に膝をつく。
「やだなぁ、直接君の家族に手を下したのは俺じゃないよ? でもさぁ、ほら。まだ頑張らないと! 君の許婚の彼、助けるためにさ!」
「っ、うぅ……っ。も、ぅ、いやだよぉ…………」
「頑張れ頑張れ!――次が最後だから、ね?」
最後。
その一言に彼女は面を上げた。「ほん、とぅ? ほんと、に……?」
「もちろん! 君にはサハディに行ってやってもらいたいことがあるんだ!……これが終わったら君のことも彼のことも開放してあげるよ」
『お願い事』を説明した後、ぽろぽろ涙をこぼしながらイースィは引き攣った笑みを浮かべながら立ち上がると「行ってきます」と元気よく港がある方へ駆け去っていった。
「あの子はもう限界だなぁ」
――ま、そうしたの俺だけど。
ニアとリュウレイが帝国に戻ってきたことで、サハディでの顛末はクローツに報告されている。
先ほど廊下ですれ違ったときも顔には出ていなかったが、僅かに向けられる警戒心と殺気は感じた。
今は計画を進めることを優先したようだが、いつ彼に剣を向けられてもおかしくはないだろう。
「……そのときは、」クローツと戦える。
きっと彼は本気で殺意を、憎しみをぶつけてくる。いつもは理性が勝って実力を出し切れない彼が、本気で。
「楽しみだなぁ♪」
それは楽しみ以外の何物でもない。
ヴァルツォンも、クローツも。
今まで立派な牙を潜めていた彼らが、ガロに対して命を賭けてでも殺しにくる。
それが――楽しみで楽しみで仕方ない!
ようやくここまで来た!
ずっとずっとこの時のために我慢してきた!
戦争だ!
強い魔族と戦える、強い人間と戦える。
これほどのご褒美は他にないだろう。
「簡単に死なないでねぇ、みんな。俺を夢中にさせて、俺に本気をださせてよ」
剣豪と呼ばれたノーブルはそれほどではなかった。
でも君たちは違う。
そして―――、
「早く俺を殺してよ……」
か細く紡がれた切望は、普段ガロを知る者には信じられないほど弱々しいものだった。
***