1-6
――遠き日のことを、不意に思い出す。
「クローツは考え過ぎなのだと思うのよ、私は」
城の中庭でティーカップを傾けて優雅に紅茶を口にするのは、一人の女性だった。
毛先が青みがかった銀色の長髪がさらりと揺れ、不敵な笑みを携えるフィアナ・ルディス・ミファンダムスはカップを片手に自分に親指を差す。
「この私みたいに適当に生きてればいいのに」
「貴方様は大雑把すぎですけどねぇ」
そんなフィアナの背後に控えていたガロが余計な口出しするが、彼女はそれを無視してテーブルに飾られていた花を一輪取ってクローツに向ける。
「まぁでも貴方が言いたいことは分かっているわ。どうせ勇者様との婚約のことでしょ?」
昔から勘の良い彼女に隠し事は出来ない。
沈黙で返した肯定に、手に取った花を愛でることもなく放り捨てるとフィアナはガロを手招きした。
嫌そうにしつつも無碍に出来ずに近寄るガロに抱きつくと、彼女はうふふと唐突に笑い始めた。
「クローツが嫉妬しているわ! 可愛いわねぇ!」
「……俺に抱きつく必要、ありますぅ?」
「胸が昂ぶると何かに抱きつきたくなるものなのよ、女ってのは!」
本当かよと胡乱な眼差しを向けられるが、それすら無視してフィアナはそのままクローツへ顔を向ける。
「ねぇ、羨ましい?」
何故そんなに挑発してくるのか。クローツは大きく溜め息を吐いた。
「……僕は貴方様をそんな目で見たことはありません」
貴族出のクローツはよく社交界に顔を出していた。そのときに親から無理矢理歳が近く王族である彼女と知り合わされたのだ。
両親からすればお近づきになって、あわよくばという思惑があったのだろうが。
「でしょうね」
ふっと小さく笑みを零してからガロから離れると「クローツが危惧しているのはラスティのことね」と事も無げに言った。
やはり彼女は実弟からどんな風に見られているのか知っていたようだ。
「あの子がお痛してるのは分かっているわ。ガロにラスティのこと調べてもらったもの」
え、と思わずガロへ視線を向けると、彼もまた大したことなさそうに「今王子に“失敗作”の廃棄させられてるんだよねぇ」と話す。
いやこの人――親衛隊隊長でフィアナ様の護衛もしてるのにそんなことしていたなんて……一体いつ休んでいるんだろうかと純粋に疑問に感じた。
「でも魔術的にも成功は難しいって前にクローツ言ってたよねぇ?」
「は、はい。人間の体を作り出すことは可能ですが、問題は魂が宿らないということです」
「魂か……。私、昔から思ってたんだけど――死んだ人の魂はどこに行くのかしらね」
肉体が死ねば、そのまま魂も消滅する。それが一般的な解釈であり、クローツもまた同じ考えだ。
万物には“式”が宿る。でも魂に“式”はない。
「その辺に漂って、お化けになってるかもしれませんよぉ~!」
脅かすようにからかうガロをまた無視したフィアナは「もし」と例えた。
「もし魂が還る場所があるのなら、とても綺麗な世界だと良いわ」
「珍しくロマンチストですねぇ」
「私も女性だもの、そういうものに憧れるくらいはあるわ。それに……少しでも救いがあればいいと思うのは、私のエゴかしら」
一瞬フィアナが自嘲するのが見えた気がしたが、それよりも「救い」という言葉にクローツは疑問を抱いた。
救いならばあるじゃないか。
確かに魔王が復活し、魔の者たちが活性化していることは恐ろしい。しかし勇者がいる。
魔王を倒せる唯一の存在を女神様がお遣わしなった。
しかも今期は歴代最強とも謳われている。
何も不安に感じることなんてないはずだ。
「……、そういえば勇者が魔王倒したら結婚されるんですよねぇ? そのいい加減で不遜な性格直さないと、すぐにでも愛想尽かされますよ?」
「あら酷い言い草ね。大丈夫、リウル様は寛大で優しいの。ガロ、貴方と違ってね」
「あははっ、そりゃあ俺と比べたら誰だってそうでしょうよ」
「――姉上!」
突然割り込んできた声に振り返れば、そこにはフィアナの弟であるラスティが息を弾ませながら駆け寄ってきた。
「ラスティ、そんなに急がなくても貴方の姉は逃げないわよ?」
「ですが隠れるではありませんか!……クローツも、見つけたなら教えてくれよ」
ジト目で睨まれて「すみませんでした」と謝ると、仕方ないわねとフィアナが席を立った。
「ラスティ、ちょうど部屋に戻ろうと思っていたところなの。一緒に行ってくれる?」
「もちろんです!」
中庭を後にしようとする姉弟の後ろへついていくガロが、不意に慌てたように驚く。
それからすぐに彼に抱きついたフィアナが肩に顎を乗せて、クローツへ手を振りながら「そういえば執務室にお手紙置いといたんだったわ! あとで読んでおいてね」とだけ言い残して去ってしまった。
……手紙?
言いたいことがあるなら考えるよりも口にするような人が。
いつもの気まぐれだろうか?
そんなの読めば分かるかと執務室へ戻り―――そこでティフィアと出会った。
最初はフィアナの差し金かとも思ったが手紙の内容とは全く関係なかったので、あの時点ではフィアナは少女の存在を知っていたとしてもティフィアが逃げ出していることは知らなかったのだろう。
ティフィアを保護し、なんとなくラスティから匿うことにしたクローツは少女のことを調べたり隠蔽工作したりと忙しくしていたため、手紙を開封したのはその数週間後になってしまった。
そして手紙には――いや、もはや手紙と言うよりもメモだったが――こう書いてあった。
『 お願い、君にしか頼めないの。
“証”の呪縛を解く方法を見つけて。 』
要点を得ないその伝言の意味が最初は理解出来なかった。
ただそれから何度かフィアナと会っているのに彼女からは何も言わない。
言わない、というよりも言えないのか?
クローツはまず“証”とは何を差しているのか考えた。
思いつくのは『勇者の証』だ。だけど呪縛とはなんだ……?
「そういえば、」勇者の証は魔術紋陣に似ている。――もしかしてあれも魔術の一種、なのか?
それに気付いてからは研究に没頭した。
何度か勇者にも足を運んでもらい、当時の陛下やラスティ、ガロ隊長にも誰にも本当のことは打ち明けず、ただ魔術の研究と称して調べた。
調べて調べて調べ尽くして―――分かった頃にはもう、全てが手遅れだった。
勇者は自殺し、フィアナ様は死んだ。
今でも鮮明に、明確に思い出せる。
城のやけに長い通路の真ん中で、血だまりの真ん中で倒れる彼女の姿を。
立ち尽くすクローツを置いて、駆けつけたガロが彼女の元へ行き声をかけた。
「ガロ……」か細い声、震える手が彼の頬に触れて。
もうすでに朦朧としている意識をなんとか繋ぎ止めて――「ごめ、んな……さい」と。
それだけを口にして彼女は呆気なく死んでしまった。
どうしてフィアナ様は隊長に謝ったのか、それは分からない。
ただそのとき気付いた。
――フィアナ様はガロ隊長のことが好きだったのか、と。
そのときガロがどんな表情をしていたのか、俯いていたために見ることは出来なかった。
彼女が息を引き取ったのを確認したガロはすぐに隊員を招集して周囲の警戒と王族の警護を強化し、クローツもまた我に返ってラスティと共に帝都の結界がある封印の間へと向かったから。
その後も以前同様変わらない態度だったガロが、突然隊長を辞めて旅に出たことには驚いたが。
ニアからの報告と宣誓を聞いて、懐かしい昔の頃を思い出してしまった。
「――これで踏ん切りはついた?」
その声は唐突に、背後からかけられる。
だけど振り返りはしない。
そんな彼の反応にふふと嗤うと『勇者の亡霊』はテーブルに置かれた鈴を手に持ち、ころころと手の中で転がす。
「そんなもの、最初からついてます」
「それもそうか……おれと組んでる時点で。―――計画はもう始めるのかい?」
「そうですね。魔の者にも反乱軍にも、一度見せつけてあげるつもりですから。……それよりも、貴方のほうはどうなんです?」
「おれはいつだって準備万端さ。おれは、ね」
何がおかしいのかくつくつと亡霊は嗤う。
それを放ってクローツは執務室から出ると研究室へと足を急がせた。
フィアナ様は魔族に殺されたということになってはいるが、真実は違う。
――彼女は知り過ぎてしまったのだ。
おそらく、そろそろクローツも同じように消されてしまうだろう。
「その前に、」魔の者との戦争を終わらせて魔王を倒す。
全てはそこからだ。
……もう同じ轍は踏まない。
何度も後手に回るわけにはいかない。
「女神レハシレイテス様、どうか―――」
本当に存在しているのかも分からない女神様に、いつも縋るように願ってしまう。
――どうか、迷える我々に希望の灯を。
***