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あの日、『尋問室』で行われていた詳細をヴァルツォンは知らない。知らないが――推測くらいは出来る。
ガロの目的は分からない。
どうしてイゼッタを尋問する必要があったのか、それとも別の理由があったのか。
そもそもクローツがヴァルツォンたちの脱獄の手引きをしたことも謎だ。
同じ親衛隊の、しかも隊長と副隊長。
二人の思惑は同じなのか、違うのか。
――どちらにせよ、ヴァルツォンは友を失った。
あれ以来ずっと虚空を見つめる彼女の姿に、後悔も自己嫌悪も尽きない。
もっと早く駆けつけていられれば。
クローツに頼らず、もっと早く自ら牢を抜け出していれば。
そうすれば、また彼女と酒を飲み交わしながら笑い合えた――そんな未来が、あったかもしれないのに。
「ヴァルツォン」
背後に音もなく現れたのは協力関係にあるビーツという男で、彼はイゼッタの義弟だ。
「このアジトももうダメかも知れねぇ」
「……悪い、俺が動いたせいだな」
「どちらにせよ時間の問題だったろ?――ちょうどいいじゃねぇーか。こっちも戦力かき集まったところだしよ。そろそろ俺たち『反乱軍』の初陣と行こうや!」
犬歯を剥き出しに不敵に笑うビーツに、ヴァルツォンは頷く。
「機会は訪れた。全軍に通達―――これより作戦を開始する」
声繋石の指輪を通して仲間たちにヴァルツォンの言葉が届く。
これでもう後戻りは出来ない。
だが、それで良い。
真実を秘匿した王家を鏖にし、イゼッタや罪なき者たちの犠牲者の仇を討つ。
そして邪魔する者は殺す。
それだけだ。
***
「隊長」
いまだに呼ばれ慣れない呼称に閉じていた目を開けると、部下である親衛隊員の一人であるレシアが心配そうな眼差しを向けていた。
「隊長……顔色悪い、ですよ? 少し休まれては………」
それに首を振って拒否すると、彼女から渡された書類に目を通す。
「『人工勇者』はシスナとティフィア以外の……計34人、調整完了……してます。あとは“No.0”が、各勇者の証に接続、術式の共有が済めば………いつでも術、行使……出来ます」
それと、とレシアは続けた。
「元騎士団長……ヴァルツォン・ウォーヴィスの捜索に、当たっていた隊員が……遺体で、発見されました。戦闘痕跡から、レッセイ傭兵団の……ルシュ・ブローウィンと、ラヴィ・ソレスタ、それからヴァルツォン・ウォーヴィスと遭遇したと、思われます。
現在、その遭遇場所であるBARを、調査している……ところ、です」
「報告ありがとう、下がっていいですよ」
ぺこりと頭を下げて部屋から出て行くレシアを見送ると、クローツは再び報告書へ視線を落とす。
「―――遭遇、ですか」
これは偶然ではないだろう。
この隊員はおそらく、分かっていてこのBARへ赴いたはずだ。……どこかで情報を得て。
「……はぁ」小さく溜め息をこぼしながら背もたれに体重をかけると、ぎしりと椅子が軋んだ。
「――どうして帝国から逃げ出さなかったんですか、ヴァルツォン……」
いずれ、こうなってしまうことなんて分かりきっていたのに。
帝国の総力をあげれば、いくら元騎士団長と言えど帝国内に潜伏している以上簡単に見つけられてしまう。
今まではなんとか誤魔化してきたが、ここまできたらそれも難しい。
それに同盟国であるカムレネア王国の王女であるミアからも再三催促されている。個人的な取引相手だ。無碍にも出来ない。
「レッセイ傭兵団――もとい、ガ―ウェイ・セレットの一味たちも動き出している。……まさか手を組んで?」
言いながら、胸中でそれを否定する。
そもそもガ―ウェイが帝国を敵視しているのは家族の一件があるからだ。そこにヴァルツォンは関与していないどころか、その頃はまだ牢に入っていたのだから。
だからこそヴァルツォンはガ―ウェイに負い目を感じている。
「だとすればやはり……『尋問室』ですか」
彼が脱獄した日、変わったことと言えば『尋問室』が数日間使用されていたことだ。
イゼッタ・モーディが人脈を使って、帝国の内部事情を外に漏らしていたことが発覚し、それを尋問するために使われたはずなのだが――室内は惨状だった。
しかもクローツが調べる前にガロがさっさと封鎖して部下に任せてしまったおかげで、わずかに感じた魔力痕跡すら追うことも出来なかった。
あそこで何かあったのは確実。ヴァルツォンが帝国に留まる理由がそれなのだとすれば、彼もまた帝国を敵視している可能性がある。
しかも『反乱軍』を健軍しているようだ。
「魔の者との開戦に加えて反乱軍との抗争――。これはいよいよ“あちら側”が本格的に潰しにかかってきましたね」
グラバーズ国の次はサハディ帝国も潰され、そしてミファンダムス帝国か。
「まぁ、簡単に潰させませんけどね」
クローツは立ち上がり、それから部屋の窓辺へと立つ。
それと同時に扉をノックする音にどうぞと促せば、とある人物が入室する。
「――クローツ様、」
暫くの間見なかったはずの彼女の姿に、口端がつり上がる。
褐色のボブヘアーに吊り目がちなその左目には泣き黒子が特徴的な――カムレネア王国元王女であり、現在はこの帝国の親衛隊隊員であるニア・フェルベルカだ。
「ニア、謝罪はいらない。……貴方の報告を待っていましたよ」
これで全てのピースが揃う。
“あちら側”の目的が、全容が――炙り出せる。
そのためにミアに頼んでティフィアを『勇者』に仕立てて、ニアをそのまま彼女につけることにしたのだ。
危険な賭けではあった。
でもニアがいるならリウの安全は問題ないと判断し、旅を続けさせた。
だが結果的にそれで良かった。
シスナを失ったことは残念だったが、サハディ帝国に何が起こったのか知ることが出来るのだから。
報告を終えた後、ニアは躊躇うように泳がせていた薄桃色の瞳を一度閉じ、それから意を決したようにまっすぐ見据えた。「クローツ様、一つ尋ねたいことがあるのですが」
「……いいでしょう、話してみなさい」
「私は旅を通して、いかに自分が無知であったかを思い知らされました」
「……」正直驚いた。元王女である彼女は少し傲慢なところがあった。それがしおらしく、己が無知であったことを素直に口にするとは。
「クローツ様は今でも――ティフィア様のことを愛していますか?」
一瞬、呆気にとられた。
「……それを、聞く必要があるとは思えないが」
しかしニアは「大事なことです」と一蹴した。
「私はクローツ様が本当の娘のようにティフィア様を想っていると、今でも思っています。だからリュウレイ――いえ、リウを連れて旅に出たティフィア様を追いかけたのですから」
連れ戻すのではなく、共に行くことを選んだのは。
「そもそもティフィア様が帝国を出て行く許可を出したのは、帝国から護るためだったんですよね。皇帝陛下の偏愛から、帝国内部で暗躍している者たちから」
「………」
「クローツ様は知っていたんじゃありませんか? ティフィア様の体質のこと」
共に旅をしていれば、いつかは知られると思っていた。
ただのクローン人形が意思を持つこと自体、本来あり得ないことなのだ。
だからラスティ陛下の実験を黙認していた。失敗するだろうと思っていたから。
しかし、ティフィアは生まれてしまった。
ただそれを知っても尚、クローツは何かするつもりなんてなかった。
彼女が陛下の部屋から逃げ出して親衛隊の宿舎に迷い込まなければ、それこそ彼から匿おうなんて……そんなことを。
「知っていましたよ、もちろん。彼女の身体検査をしたのは僕ですから」
「それを当時上官だったガロ先生に話さなかったのは、そもそもクローツ様が誰も信用していなかったから、なのでは?」
珍しく鋭く突っ込んでくるニアに、クローツは何も答えず窓へ視線を移した。
だからニアが「本当に不器用な人」と寂しそうに、だけどどこか愛おしげにはにかんだことには気付かなかった。
「――クローツ様、私をティフィア様やリウと共に旅をすることを許してくれたということは、多少なりとも私のことを信用して下さっていると、過信しても宜しいですか?」
「……」
何も答えなかったはずなのに、ニアはありがとうございますと謝意を述べた。
「では、まことに勝手ではありますが―――私、ニア・フェルベルカは今よりティフィア・ロジストの騎士となることを、ここに誓います」
突然の宣誓に思わず振り返れば、ニアは剣に提げていた鈴を外して渡してきた。
「親衛隊であることすら辞めるのですか」
「はい。私は帝国に与することなく、ただ彼女の剣であり盾となりたいのです」
ティフィアのためだけに。
彼女の味方であり続けるために。
「そう、ですか」鈴を受け取りながら思う。
どうして自分はこんなにもしがらみに取り憑かれているのだろうか、と。
……それを選んだのもまた、己自身なのだけれど。