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敗者

作者: CLIP


「さてと…」

透はいきなりそう言って、喫茶店を出て歩き出した。

「何なの?」

私も慌てて後を追うように歩き出して行くと、透は何も言わずに

どんどん商店街の外れの方まで私を連れて行った。

足を止めた先にあったもの、それは一軒の床屋さんだった。


「どうしたの?」

訳がわからない私は、立ち止まった透に聞いてみたけど

透はしばらく何も言わなかった。

「賭けだよ、昨日の…久美は何でも言う事を聞くって言っただろ?」

ようやく口を開いた透はそう言った。

そりゃ覚えてるけど、今の状況と、それと何が関係あるの?

私がそんな事を言おうと思った時だった。

「これから俺の言う通りにしてもらうから、いいね」

透は私の返事も待たずに私の手を引くと、その床屋に向かって歩き出した。

「ちょっと…何なの?訳がわからない…」

「判らなくてもいいよ、久美はただ言う通りにしてればいい」

透は嬉しそうに笑いながら同じ事を繰り返した。

「いらっしゃいませ」

透が店のドアを開けると、店内には他のお客さんはなく、

30代位の店主が出てきた。

「どうしたの…?」

私は横に立っている透にだけ聞こえる位の小さな声で聞いた。

透は私の質問には答えないで、店主に向かってこう言った。

「この子の髪を切ってやって下さい」


昨夜、ちょっとした賭けをした。

それは透の部屋にあったゲームだったんだけど

持ち主の透より、初めてやった私の方が上手かったのが悔しかったのか

何度も何度も二人で対戦していた。

私もちょっと酔ってたせいもあって、むきになってる透に

「私に勝てる訳ないじゃん」

なんて言ってしまったんだ。それが事の始まり…

「何だったら、賭けてもいいよ」

軽い冗談のつもりが、なぜか真剣になってしまって

結局、私が勝ったら

『何でも好きなモノをひとつだけ買ってもらう』そして、透が勝ったら

『何でもひとつだけ透の言う事を聞く』

って事で、勝負は始まった。

結果は、私の負け…言い訳しても仕方ないけど

嘘のように、簡単に負けてしまった。

「久美が言い出した事だしね、約束は守って貰うから」

寝る前に透が耳元でそんな事を囁いていた。


「このお嬢さんの髪を、ですか?」

店主が驚いたように私の方を見て言った。

それより、そんな事を言われた私の方が更に驚いていた。

「ちょっと…そんな事…」

「約束だろ?言う事を聞くって…」

言い掛けた私の言葉を透が遮る。確かにそうだけど…

(店主が断ってくれれば…)

私の思惑はまったく外れ、彼は奥の方のイスをさし

「どうぞ座って下さい」

と、すんなり納得してしまった様子だった。

透は『ほら…』と言うように私の背中を軽く押す。

抵抗したい気持ちもかなりあったけれど、それもみっともない。

仕方なく、私はいつも行っている美容院のイスとはまったく違う

いかにも無骨な造りのイスに座る羽目になってしまった。


「今日はどう言う感じにしますか?」

店主は棚から白いカットクロスを取ると素早く私の首に巻き付け

同時に肩までの髪を引き出して言った。

(どう言う感じって…)

私はなんと答えてイイか判らずに透の方を振り返ろうとした時

透は店主に手招きをするような仕草をして私から離れた所に呼んだ。

透の所に行った店主は、何やら内緒話をするように耳打ちされている。

私にはその透の声は聞こえてこないが、

「ええ~?」

「そんなに?いいんですか?」

「いや、それはちょっと…」

などと言う店主の驚きの受け答えだけが所々聞こえて

その言葉から、透が何を言っているのか、怖いような気がしてきた。

心臓がドキドキ高鳴り、耳まで真っ赤になってくるのが判る。

透はどんな髪型を注文しているのだろう?

鏡に二人の話す様子が映っていた。


「さ、じゃあ始めましょうか」

店主はなぜか嬉しそうに私の側に戻って来て言った。

霧吹きで髪を濡らしくしで全体をキレイに梳かしている。

「でもよく決心しましたねぇ」

私は彼のその言葉を聞いて背筋がぞくっとした。

決心?透はどんな髪型にするようにこの人に言ったの?

「あの…」

私は喉の奥のほうがくっ付いてしまったような、

そんな気持ちになりながら、ようやく声を出した。

「どんな風にするんですか…?」

彼はその質問に驚いたような顔をしてそして笑った。

「彼へのプレゼントに、彼の好きな髪型にするんでしょ?

仲が良くて羨ましいね」

私が一番聞きたかった『どんな髪型』と言う事への答えはなかった。

私は次の言葉が見つからずに、

ただ鏡越しに嬉しそうにこっちを見ている透の顔を軽く睨んた。

キレイに梳かした髪の、サイドとトップの髪をと持ち上げてはくるりと

それぞれクリップで留め、下りているのは後ろの髪だけになった。

「じゃあ、切りますよ」

彼はそう言うと、私の首をまっすぐにするように少し動かして

そして何度もまたくしで梳いた。次の瞬間…

『ジョキッ…』

ハサミが襟足の所に当たって、一瞬ひやっとしたすぐ後

その生え際ぎりぎりの所で髪が切られた。

『パサッ…』と長い髪がカットクロスを滑るように伝って落ちて行った。

真後ろだからはっきりは見えない、

私は首をひねって鏡に映そうとしたが、彼に『動かないで』と言わんばかりに

頭を軽く押さえられ、見る事が出来なかった。

『ジョキッ、ジョキッ…』

私は頭を固定されたように動けない…後ろの髪はどんどん切られていっていた。

クリップを外し、留めていた後ろの髪が下ろされた。

最初に切った所と揃えて切るのかと思っていたが、違うような気もする。

『ジョキッ、ジョキッ…』

後頭部の真ん中辺りにハサミがあたる…

(そんなところで…ショートにされるの…?)


やがて、後ろの髪が切り終わり、サイドの髪が下ろされた。

鏡にはいつもと同じ肩下までの髪をした私が映っている。

切られてしまった後ろは見えない。

私は妙に安心したような気持ちになっていた。でもそれはほんの束の間だった。

左側に立った彼はさっき切った後ろの短い部分

後頭部の真ん中辺りのラインから続けて、耳が半分以上見える辺りに

ハサミを閉じたままあてた。

これから切るラインを確認しているのだろうか…そして

『ジョキ、ジョキ…』

今度ははっきりと髪が切られていくのが見えてしまった。

「うそ…そんなに短く…」

私の言葉には答えずに、彼はそのラインからつなげて耳を通り

頬に掛かっている髪をこめかみの下辺りまで切り揃えてしまった。

耳はわずかに隠れてる程度で、下4分の3は出ている。

「やだ…どうして…」

片方だけすっかり短くなったへんてこな髪型のまま透を振り返った。


「可愛いよ、仕上がりが楽しみだね…」

透はそう言って、私に笑いかけた。

露出してしまった耳たぶがカーッと赤くなっていく。

カットクロスの下の手はひんやり冷たくなっていた。「今度はこっちね…」

店主は右側の髪を、また何度もくしで梳かし、左とは逆に

今度は前、顔の方から耳を通り、後ろの髪とつなげて行く。

『ジョキッ、ジョキッ…』

耳に、髪を切る音がそのまま聞こえてくる。それと同時に

切られた髪がカットクロスを滑り落ち、ひざの上辺りに溜まっていた。

20センチはある長い髪の束を私は呆然と見つめていた。

そして耳の横の髪が切られ、後ろの髪と繋げるように切り進められていった。


「はい、こんな感じだね」

店主は、私と、そして後ろに立っている透に向けてそう言った。

(信じられない…こんなおかっぱ…)

長さは耳にちょっと掛かるくらいで、おわんをかぶせたようなスタイル

「う~ん…もう少し…耳の上辺りにした方がいいかな?あと2cmくらい

それから、前髪も思いきり短くね…」

透が信じられない事言った。あと2センチ?前髪も短く…?

私は今度こそ声に出して『やめて』と言おうと思った矢先

「約束だからね、俺の好きな髪型にしてくれるって…」

先に言われてしまった。店主はその言葉をニコニコしながら聞いている。

「じゃあ、もう少し切りますか。あと前髪もね…」

さっき切った一直線のラインを削るように丁寧に2センチずつ短くしていく。

今度は耳がすっかり出されてそのまま後ろへと続いていく。

「次は前髪ね…」

くしで前髪を梳かすと、目にかかるほどの長さになっている。

視界が遮られて、前が見えない、と思った次の瞬間…

額の真ん中より少し上にハサミが入れられた

(うそ…そんなに上で…いやっ、やだっ…)

私は思わず頭を動かそうと思ったが、彼の大きな手が頭頂部に

しっかりと置かれて動かせない。そして

『ジョキッ。ジョキッ…』

うその様に目の前が明るくなった。パラパラと切られた髪が落ちて行く

雨のように、鼻や唇をかすってまた膝の上に溜まっていった。

眉がすっかり見える位置でまっすぐに前髪が切られていた。

「ちょっと…いやだあ~」

私はつい声に出してしまった。顔が全部出されてしまったような気がする。

「大丈夫、可愛いですよ」

店主は笑いながらそう言った。そして透の方を振り返り

「後ろはハサミでやっておきますか?」と聞いた。

ハサミで?ハサミじゃなかったら何なの?


「いや、すっきりとキレイにして欲しいから…」

透がこともなげにそう言った。店主はハイハイ、と頷きながら

鏡の横に作り付けになっている棚の扉を開け、中からバリカンを取り出した。

「やだ…やめて…」

私は思わず泣き声のような情けない声を出し、透に訴えようと振り返る

「いいから、黙って言う通りにされちゃえよ」

透は相変わらず楽しそうに笑っている、それが妙に悔しい。

店主がコンセントに繋ぎ、バリカンのスイッチを入れた。

『ビィ~~~ン…』

と音を立てて動き出したバリカンが鏡に映る。銀の刃先が絶え間なく動いている。

(あれで、私の髪が刈られる…)

私はそんな事を漠然と思い、彼に「下を向いて」と言うように頭を押されて

すぐに鏡が見えなくなってしまった。

(来る…)

音が近づいて来たと思ったら、すぐにうなじに冷たい感触が当たった。

それと同時にすごい衝撃…私は思わず身体をピクンと震わせてしまう。

(あ…上にくる…刈り上げにされてる…)

彼の持ったバリカンは、さっき一直線に切られた後頭部の真ん中を目指して

髪を数ミリに刈りながら進んできた。

(そんな上まで…どうしよう…)

おかっぱの下に合わせてバリカンが止まり、彼は一歩後ろに下がった。

「もう少し短い方がいいかな?」

誰に聞くでもなく、つぶやいている。それに答えるように透が言った。

「いちばん短くしてよ。つるつるくらいにさ」

何を言っているのか判らなかった、いや、判りたくなかった…

店主はバリカンを調節し、また私の後ろに立った。

そしてうなじから上に向かってバリカンを入れる。

「あ…」

くすぐったいのと、恐怖とでつい声が出る。

「いいね、青々としてて、キレイだね」

透もさっきより近くに来て見入っている。店主もなぜか嬉しそうに

私の髪をどんどん刈り続けていた。

やがて、後ろがすっかり刈られてしまうと、今度はサイド…

もみ上げの辺り、おかっぱになっている下のラインにバリカンを当てて

滑らすように下ろしていった。

『ジジジジ…』

もみあげが青々とした地肌に変わり、すっかり刈り落とされてしまった。


バリカンがようやく終ると、

店主はやがてカップにシェービングクリームを泡立て、

それをブラシで刈ったばかりの襟足に塗り始めた。

生温かい泡が塗られるたびに、私は首をすくめて身体をかたくした。

そして…

『ジョり、ジョり…』

剃刀が下の方から少しずつ残っていたわずかな髪を剃り落として行く。

逃げたい…でも私の身体は縛られてるようにかたくなり身動ぎも出来ないまま

イスのひじを握り締めていた。

下の方だけかと思っていた感触は、どんどん上まで上がってきて

結局刈り上げになった部分のほとんどを剃り落としている。

「すぐ伸びてきちゃいますからね」

彼はそんな風に、言い訳をするように言った。

熱いタオルで首筋を拭かれる…妙な気分だった。

今まで髪の毛があった部分が、あらわになっている感覚

そこにタオルの熱さや、ひんやりとした空気を感じるなんて…


「ハイ、お疲れさまでした」

店主がカットクロスを外して椅子の向きを変えた。

すぐに立ちあがろうとしても、なかなか立つ事が出来ない。

首がぐらぐらするような不安定さを感じていた。

透が手を差し伸べてくれた。意地でもつかまりたくなかったが

どうにも足がフラフラする。

「すごい可愛いよ」

立ち上がった私のうなじに手を伸ばし、下からそっと撫で上げた。

私はもう一度鏡の方を向き、恐る恐る後ろを映してみた

「こんなに…やだ…」

耳の上からぐるりと一周するように一直線に切られたおかっぱ

その下は青々と剃り上げてある。首筋が妙に長くなってしまったような

普通ではとても考えられない髪形になっている。


店の外に出ると、もう一度透がうなじを触る。

「すごいいよ。めちゃめちゃ可愛い…」

「信じられない!いくらなんでもこんな髪型…もう恥ずかしいよ」

私は怒鳴りたい気持ちを押さえてそう言った。

それでなくても、回りの人の視線がすべてうなじに集まっているような気がする。

「可愛いよ、似合ってる、惚れなおした、めちゃ色っぽい」

透は次から次へと誉め言葉を並べる。

そんな事じゃ許さない!私は怒るのをやめなかった。

「判ったよ、じゃあまた対戦しよう。リベンジしろよ」

またそんな事を言い出した。私が答える前に透は言葉を続けた。

「賭けの条件はまた同じ。でもさ…次は久美、坊主だからな」

「そんなの嫌よっ」

そう言って駆け出した透を私が追いかける。逃げる…

じゃれ合う姿が、夕焼けに照らされていた。



END

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