春風を 君と
1□□□□□□
走れ 走れ 走れ
私、高井晴は公園を目指して走っていた。
4月ももうすぐ終わる春真っ盛り。
今日は初夏の陽気になるとテレビで言っていたけど、確かにちょっと走っただけで汗が出てきた。
始まりは突然のSNS
》晴 どこにいる? すぐ来て
それは親友の望月遥からのものだった。
《なに? どうしたの
》恋が大ピンチ
恋とはもう一人の私たちの親友。遥も恋も小学生からの仲良しトリオだ。
《行くよ 今 どこ?
何事かと少し震える指で返信を打つ。
》公園 走れ!
光の早さで返信が来た。
だから、私は息が切れるのもかまわず走っていた。
急げ 急げ 急げ
角を曲がると青葉台公園が見えてきた。私たちにとって公園と言えばここしかない。
青葉台公園は結構広い。
公園の入り口で、私はちょっと背伸びをして回りを見渡す。
遠くの方で手を振っている人がいた。
(あ、遥だ)
隣に恋とおぼしき人もいた。
私は深呼吸をするともう一度走り始めた。
「一体、どうしたのよ」
合流した私は肩で息をしながら二人に尋ねる。
「わあ、待ってたよ ハル」
恋が両手を大袈裟に振り、叫ぶ。
恋は私を本名の『はれる』ではなくハルと略す。
桜色のひらひらした服を着ていた。初めて見る服だ。また新しい服を買って貰ったのだろうか。
羨ましい。
でも、私が本当に羨ましいと思うのは、そういう服を着て似合ってしまう恋のスペックの高さかもしれない。
「あれよ、アレ」
恋がわたわたと手を振って空を指差す。
見上げた空は青く澄みきった春の空だった。
「うん、良い天気」
私は呟く。
「違う、違う。空じゃなくて、木の方よ」
恋の言葉に視線を隣の木に移動させる。
木に何かひらひらした物があった。
帽子だ。
桜色のつばの広い、いかにも恋が好きそうな帽子だった。
高いところの木の枝に引っ掛かり、風に吹かれてひらひらと舞っていた。
「急に風が吹いて、飛ばされちゃったの」
恋が頭を抱えて、泣きそうな顔で言った。
「高くて、私たちじゃとても届かないのよ」
遥が同じ様に木を見上げ、付け加えた。
なるほど、そこで私の出番と言う事か。
合点が行った。
合点は行ったけど、大ピンチってこんなことかと脱力感に一気に襲われる。
私は小さなため息をつくと遥と恋を見おろす。
私と二人では背の高さが頭ひとつ分程違っている。恋が両手を胸のところで組んで、キラキラした瞳で私を見上げていた。
小学校の中学年から私の手足はぐんぐん伸びた。
5年生でお母さんを越え、小学校の卒業式にはお父さんも越えていた。
卒業写真で両親の真ん中で拳ひとつ分頭が突き出た自分が写っていたのを見て密かにショックを受けたものだ。
私は自分の背が高いのが嫌いだった。
それは、もしもモデルのような体型だったら自慢もできるけど、私の場合は単に手足が長いだけ。
まるでフランスパンに手足がついたようなものだ。姿見なんかで全身が見えるとガッカリしかしない。
「で、ハルならきっと届くと思ったの」
恋の声が私を現実に引き戻した。
「そうそう。私らじゃ、全然駄目だけど晴ならジャンプすれば帽子が取れると思う」
なんか、背が高い、背が高いと連呼されているようで釈然としないけど、それはひとまず置いておく。
私は帽子の位置を目測して、唸った。
「かなり高いよ。いくら私でも無理っぽい」
「ものは試しだから、やってみてよ。失敗しても死にはしないし」
弱気な私に遥が答える。
(う~ん…… まぁ、良いか)
私は深呼吸をし、帽子を見上げる。
意識を帽子に集中し、跳ぶ。
手が帽子の下で虚しく空を切った。
かすりもしない!
(むぅ)
ちょっと、いや、かなり悔しかった。
「もう一回!」
私は宣言すると、今度は思いっきり跳んだ。
指先が微かに帽子に触れる。帽子がゆらりと揺れた。
「あっ、惜しい!」
恋が叫ぶ。
最初は嫌々だったけど、こうなってくると意地でも取りたくなってくるから不思議だ。
「助走したら良いんじゃない」
遥が冷静にアドバイスをくれた。
「助走? うん、分かった」
私は早速5メートル程離れると、全力で走り、跳ぶ。指がつばのところに触れる。
(届いた!)
掴めなかったけど帽子はグラリと大きく動いた。でも落ちてはこなかった。
「あああ~」
恋が世界が終わるかのような声を上げる。
「もう!」
私は叫ぶともう一度挑戦する。今度はもう少し助走の距離を取ってみた。
でも、結果は同じだった。指の第2間接の辺りまでは届くのだけれでも帽子を掴むことができない。叩くのが精一杯だった。
私は膝に両手をつき、前屈みのまま荒い息をつく。額に汗がにじんでいた。何度か試したが上手くいかなかった。
「少し休んだら。なんかジャンプ力落ちてるよ。
それか、家に戻って台になるものを取ってくるかする?」
遥がへたばっている私と帽子を見比べて言う。
「その方が早いかなぁ」
恋は少しガッカリした様子で答えた。
私は……
私は、木の枝でヒラヒラと風に舞う帽子を恨めしく見上げる。なんか、嘲笑われているようで凄く悔しかった。
その時
風が吹いた
蒼い風が キラキラとした光を纏って
少なくとも
ほんの一瞬だけれども
私にはそう見えたのだ
蒼い風が地を滑り
一際大きく伸び上がり 空を駆ける
風は一瞬の早業で帽子を掴むと
再び大地に 舞い降りた
本当に、ほんの一瞬の出来事。
いや、いや、違う。
それはみんな私の目の錯覚。
蒼い風と思ったのは、青いシャツに身を包んだ一人の少年に過ぎなかった。
日に焼けた肌。
少し茶色がかったショートヘア。
初めて見る子だった。
その子は固まった私に目を向けるとニコリと笑った。
「ごめん。なんか苦労してるみたいだったから割って入ったよ」
そう言いながらその子は私に帽子を押し付けた。
その時になって初めて私は馬鹿みたいにぽかんと口を開けているであろう自分に思い当たる。
顔から火が出た。
「わ、私のじゃないから。
こ、この子のよ」
私は手にした帽子を火のついた爆弾を手放すように恋に投げつける。
「ふ~ん、そうなんだ」
名前も知らない少年は私を下から上へ眺める。
(なに?失礼な奴)
私の心に小さな反発心がわき起こる。ちょっとむっとした表情で見返してやる。
(あれ?)
なにか違和感を感じた。
「ま、いいや。じゃあ、またね」
その子はそう言うと、そのまま走っていってしまった。
「あー、行っちゃった」
恋が残念そうに言う。
「なんか、ちょっと格好よかったね」
私は何故か恋の格好よかったと言う言葉にドキドキした。
「そ、そう? そんなんでもないでしょ……」
私は内心のドキドキを気づかれないように、できる限りぶっきらぼうに答える。
「見たことない子だったね。高校生かなぁ」
遥が小さな点になっていく少年を見ながら呟いた。
「えっ、そうなの?」
「少なくとも私たちの中学ではないよ。
あの子、晴より背が高かったから。
もし、私たちの中学ならきっと知ってると思う」
(ああ、そうか)
遥の言葉に私は先程の違和感の正体に思い当たる。
あの子を見た私の視線は下から上になっていた。大抵はその逆になるのに。
「あの子、私より背が高かったんだ……」
私の呟きを聞き、遥は少し驚いたように眉を上げ、恋は不思議そうに首を傾ける。
春の風が優しく吹いた
□2□□□□□
次の日。
月曜日の1時限目。
いつもと変わらない朝のHRになると思っていた。
担任の三沢先生が入ってくるまでは……
教室が一瞬、ざわめく。
教室に入ってきた先生の後ろに見慣れない男の子が一人いたからだ。
恋は目と口を真ん丸に開けている。
遥は男の子ではなく何故か私の方を見ていた。
そして私は……
私は危うく椅子から転げ落ちる暴挙を教室の最後列で地味に演じるところだった。
何故って教室に入ってきたのは、あろうことか昨日の公園の『春風くん』(仮)だったからだ。
「ほら、静かにしろ。
今日から新しい仲間が加わるぞ。転校生だ。
自己紹介できるか?」
三沢先生が横に立つ男の子の方を見た。
男の子はこくんと頷くと黒板に自分の名前を書き始める。
ちょっとカクカクしてバランスが悪かったけど、黒板一杯に大きく、力強い文字が書かれた。
天野 翔
名前を書き終えると、男の子はくるりと振り返り大きな声で言った。
「あまの かける です。
翔と書いて、かける、と読みます。
よろしくお願いします」
(あまのかける……)
正直、凄い名前と思った。
思ったけれど、同時に昨日のあの蒼い風のように大きく空に向かって跳んでいたあの子の姿が甦る。
トクン
トクン トクン トクン
何故だろう、心臓の鼓動が少し早まった。
「席はどうするかな」
三沢先生は教室を見回す。
「先生、俺、背が高いんで後ろの方で良いです。目も良いんで黒板とかも問題ないです」
天野……くんがそう言った。
「そうか?
なら、高井の隣で良いかな」
突然自分の名前が呼ばれてびっくりする。
「あの一番後ろの背の高い女子が高井だ。
その隣に座ってくれ」
三沢先生の『背の高い』というフレーズに反応して教室のそこここで笑いが起こる。
もう、本っ当に三沢先生はデリカシーがない!
私がそういうのを嫌がってるって何で分からないんだろう。
先生を睨みつけようとして天野くんと目が合ってしまった。
天野くんが少し驚いたような顔をしていた。
(ヤダ。私、変な顔見られた?!)
慌てて下を向く。顔が熱い。
こっちに歩いてくる足音が聞こえてくる。
私は俯いたまま鞄から教科書やノートを取り出し、次の授業の準備をする振りをする。
隣に座る人の気配。
トクン トクン トクン
心臓のピッチが1段階上がる。
静まれ! 私の心臓
「また、会ったね」
ドクン
一際高く心臓が鳴った。
恐る恐る私は左に顔を向ける。
目映い朝の光を背景に
そいつ、天野翔はニコリと微笑んでいた
□□3□□□□
終業のチャイムが鳴る。
帰り支度をする人、教室の隅で談笑する人たち、クラブに行くために急ぎ足で出ていく人。
色々な人たちがいる。
私は机に突っ伏して、死んでいた。
どっと疲れた。
何があったわけではない。数学のテストがあったわけでも、体育の授業があったわけでもない。いたって普通の日だったのに、何故か身体中の力が抜ける。
ヘトヘトだった。
「なに死んでるの?」
遥の声が私の後頭部に投げかけられる。
「うーー、なんか疲れた」
私は小さく唸る。
「そりゃ、そうでしょう」
「どーいう意味よ?」
訳知り風な台詞に私は顔を上げる。そこには遥の少しニヤニヤした顔があった。
「だって、あんた、今日一日中、ドキドキしてたから」
「はっ? な、なに言ってるの。
何で私が一日中ドキドキしてなきゃなんないのよ」
「そりゃ、王子様と一緒ならドキドキもするでしょう」
さも当然という風に遥は言う。
「王子様って誰の事よ」
私の言葉に遥は小さく指を動かし教室の入り口の方を示す。そこには天野くんが他の男子と何か話をしていた。
「何で天野くんが王子様な訳?」
私が否定すると遥はおかしそうに笑う。
「私、なにも言ってないよ。単にむこうを指差しただけ。
あはは。でも、やっぱり気になるんだ」
しまったと、思うがもう遅い。完全に遥の術中にはまっている。それでも私は慌てて否定する。
「そんな事ないよ。気になんてなっていない」
「あっ、天野くんがこっち来るよ」
遥が小声で囁く。
全く、何度も同じ手に引っ掛かるものですか。
「駄目よ、そんな嘘ついても振り返ったりしないからね」
「あの、ちょっと良いかな?」
背後から天野くんの声がした。
私は椅子から文字通り飛び上がった。悲鳴を上げなかったのは奇跡だ。
「あ、えっとゴメン。驚かすつもりはなかったんだ。
えっと……」
少し驚いたように顔をしながら天野くんは言い淀む。
天野くんが何を言いたいのか分からず焦る私に代わって遥が答える。
「私の名前は望月遥。
こっちは高井晴よ。天気が晴れるの晴よ」
何故か遥は自分の名前ではなく私の名前の方を詳しく説明した。
そして、小首を傾げる。
「で、私たちに何か御用?」
「ああ、ありがとう。
えっと、高井さん……たち。
バスケ部の部室がどこにあるか知らない?」
バスケってバスケットボールの事?
正直、私はバスケットボール部があるかどうかも知らなかった。
「うちの学校にバスケットボール部なんてあるの?」
口にしてから私は後悔する。
なんと役にたたない答えだろう。天野くんに使えない奴と思われた。そう思うとまた、身体が熱くなった。
「あるよ。それはみんなに聞いたから分かるんだ。でも、部室は誰も知らないみたい」
天野くんは何事もなく答える。私の心配は杞憂のようだった。
「部室の場所は分からないな。多分、私たちのクラスにバスケ部の人はいないはずよ。
でも、運動部の部室なら体育館の裏にプレハブがあるからそれのどれかだと思うよ」
淀みなく答える遥を私は羨ましそうに見る。
「そうか、ありがとう」
「でも、何でそんな事を聞くの?
バスケ部に入るの?」
礼を言って立ち去ろうとする天野くんを遥が引き止めた。それって珍しい事だった。遥は無口でないけど人見知りするタイプなのであまり知らない人に自分から声をかける事は少ない。
天野くんは半分見せていた背中をくるりと反して私たちの方を向く。
「うん。入部しょうと思っている」
「ふ~ん。バスケットボール好きなんだ。
前の学校でもやっていたの?」
「いや、前の学校にバスケ部はなかったんだ。
だから、兄貴たちと一緒にやっていた」
「へえ、天野くん、お兄さんがいるんだ」
「うん、高校3年と1年。二人ともバスケをやってる。俺が一番下なんだ」
「お兄さんたちも天野くんみたいに背が高いの?」
「高い、高い。俺んち
父さんもバスケをやってたんだ。だから、家じゃ母さん除いて俺が一番背が低いんだ」
(な、なに?この楽しげな会話は?)
私を両側に挟んで会話を弾ませる遥と天野くんを交互に見ながら私は思う。
何か気の利いた事が言いたかったが、中々会話に入る切っ掛けが掴めない。ただ、黙って二人の会話を聞いているだけ。何かモヤモヤしたものが胸の奥で大きくなっていく。
「天野くんが一番背が低いなんて驚きだね。
クラスじゃ一番背が高いんじゃない?
昨日までは晴が一番だったけど」
バン!
「もう、背の事は言わないでって言ってるでしょ!」
気づくと、私は机を叩き、大声で叫んでいた。
遥も天野くんも驚いた顔で私を見ていた。
一方、私は……
私も固まっていた。
モヤモヤしていたところに気にしている背の話題になったので反射的に机を叩いて大声を出していた。
やってしまってから、しまったと思ったがもう遅い。
「ゴメンね。この娘、背の話をすると気を悪くするから。私が悪かったの」
最初にショックから立ち直ったのは遥だった。その場を繕うように説明する。
「そうか、ごめん。
じゃ、じゃあ、行くわ」
天野くんはぎこちない返事をするとそのまま教室を出ていった。
暫しの沈黙の後、遥が私を睨みつけた。
「あんたねぇ、私が折角、天野くんの情報を仕入れて、話題も振って上げたのに、なに勝手に自爆してるわけ?」
「うう、ごめん」
私は自己嫌悪のやり場に困り、額を机にごつんとぶつける。
「私、なんか朝から変なのよ。
頭の中がぐちゃぐちゃでなんだかよくわかんないの」
私は額を机にごつんごつんぶつけながら泣きを入れる。
「あんたが朝から変なのはわかってるって。だから、そんなにごつんごつん机にぶつけないの。頭悪くなるよ」
遥にあきれられたけど、私はひたすら額を机にぶつけた。
「どうせ私は馬鹿ですよ。
放っておいてよ。このまま頭打って死んでやるんだ」
「ああ、もう!めんどくさいなぁ。
ちゃちゃと帰り支度をしな!
どっかに寄って、じっくり話聞いてあげるから」
遥に言われても私の体は重かった。
「全く。ジュース位おごるよ。だから、早く立ちなって」
「え、なになに?
遥ちゃんがおごってくれるの?」
恋がやって来て、能天気な発言をした。
「お前は私と一緒におごる立場じゃ!」
遥は恋の頭をくしゃくしゃかき回す。
「えーーー、なんでーー」
意味も分からず悲鳴をあげる恋。そんな二人のじゃれあいをしり目に私は一人、額を机にぶつけ続けた。
□□□4□□□
ダム ダム ダム
リズミカルな音が体育館に響く。
私は体育館の入り口からこっそり中を覗いていた。視線の先にはバスケ部の人たちが練習をしている。その中に天野くんもいた。
天野くんは先輩相手にドリブルで相手を抜く練習をしていた。何度やってもボールを弾かれたり、取られたりして上手くいかない。それでも諦めずに繰返し挑戦していた。
その諦めない姿に私の胸は熱くなった。
(あっ、抜いた!)
フェイントから天野くんが先輩の横をすり抜けた。思わず私は右手をぐっと握る。
「なぁ~にやってるのよ」
「うひゃ」
突然、後ろから声をかけられ私は悲鳴を上げる。振り向くと遥と恋がいた。
「な、なんでここに」
「それはこっちの台詞よ
放課後いなくなったと思ったら、こんなところでなに乙女チックなことしてるんのよ」
「乙女チックなことなんてしてないから」
「嘘いいなさい。天野くんを見て、無い胸熱くしてたでしょう」
「胸無くないし。
熱くもしてない」
遥は、ふんと鼻を鳴らして携帯を突き出す。
そこには私が写っていた。
体育館の壁に張りつくようにして中を伺っている私。口元が弛んで笑っているのか、ぼうっとしてのか良く分からない表情だった。
私は絶句する。
いつの間にこんなものを……
「正直、きもい。
いい加減自分の気持ちに気付きなさい。
応援するから」
「そうそう。私たち、いつもハルちゃんの味方だよ」
両手を挙げて同意を示す恋。恋がどこまで状況を理解しているか分からないけど、二人が私のことを気にかけてくれているのは間違いない。私、ちょっと鼻の奥が熱くなるのを感じた。
「でも……」
私は口ごもる。
でも、なのだ。
「私、今の自分の気持ちが良く分からないの」
天野くんが気になる。でも、その感情がなにかと問われると自分でも正直なところ分からない。
「確かに、本を読んでたり、テレビを見てて突然、天野くんのことを思い出したり。
姿が見えないと無意識で探してたり、考えたり、近くにいるだけでドキドキしたりする。
逆にそばにいるとそれだけですごく落ち着いたりもする。
でも、それって好きってことなの?」
私の告白に遥は眉をひそめる。
「もうね。そういうのを恋と言います。
初恋はこじらせると厄介だよ」
「恋?
そうなの。やっぱり、私。天野くんが好きなのかな?」
遥に断言されて、私はドギマギする。うっすらと予感はしていたが、この不思議な感覚を恋と呼んで良いものかどうか分からず、ずっと悶々としていた。
「でも、天野くんと出会って一ヶ月も経っていないよ」
「馬鹿ね。時間は関係ないわよ。恋に落ちる時は大概一瞬よ。昨日までなんとも思っていなかった人が何かのきっかけで好きになったりするの」
「そ、そうなの。遥はもう経験済みなの?」
「私のことは秘密よ。私のことよりあんたの方よ。愚図愚図してると他の子に取られちゃうよ」
「え?」
「天野くん、女の子の間で結構人気があるのよ。ただ今、赤丸急上昇中。
ぼやっとしてると戦う前から負けちゃうよ」
遥の言葉に私は血の気が引いていく。
「うん。私も天野くん好きだよ。
わあ、遥ちゃん、なんで殴るの」
恋の空気読めない発言に遥が拳骨を落とす。
「あんたは、さっき晴を応援するって言ったばかりでしょ」
「えー、ハルちゃんがいらないなら、私も天野くんの恋人に立候補したいよ」
「全く、あんたって子は!」
遥は肩をすくめて私の方を見た。
「ってな感じよ。あなたが思っている以上にライバルは多いわよ。
上手くいかないかもって、恐いのは分かるけど、だからってなにもしないと絶対後悔するよ」
確かに。遥が正しいのは私にも分かる。だけど、だからといって何をどうすれば良いのか私には分からなかった。
「私……どうすれば良いの?」
「それは、あんたが自分で決めないと駄目。
一つだけ言えるのはなにもしないで流されるのは最悪だってこと。忠告はしたから後は自分で考えなさい」
遥の言葉は私の胸に棘のように突き刺さった。
□□□□5□□
「マネージャー?」
体育館の隅で私は藤堂先生、バスケ部の顧問の先生と話をしていた。
「はい、バスケ部のマネージャーがやってみたいんです」
告白はできそうない。でも、今よりもう少し天野くんとの距離を縮めたい。そのため私が考えたのがバスケ部のマネージャーになることだった。
「マネージャーというのは具体的にはどんなことをイメージしている?」
「具体的?
えっと、みんなのユニフォームを洗ったり、お弁当用意したり、とか。ですかね」
「まあ、そうなんだろうなぁ。だが……
簡単に言うとだな、今のバスケ部にマネージャーは必要ない」
想定外の回答に私は驚く。
「遠征はほとんど無いし、ユニフォームや部室の掃除は各自がやっているんでな。気持ちはありがたいが今回は無かったことにしてくれ」
藤堂先生はそう言うとバスケの指導に戻って行った。
□□□□□6□
ピピピ ピピピ ピピピ
アラームが暗い眠りの底から私を無理矢理引き上げる。
眠い
ダルい
目が開けられない
私は緩慢な動作でアラームを止めようと当てずっぽうに手を振り回す。
二度ほど空振りをしてようやくアラームを止めるのに成功した。
「う~ん」
呻きながら重い体を蒲団から引きずり出す。
眠い目を擦りながらノロノロとジャージに着替える。
朝5時。
まだ日は暗い。
いつもの日課なのに今日は何をするのも辛い。昨日のマネージャーを断られたことがまだ、尾を引いているようだ。
私が庭に出ると二匹のシベリアンハスキーが尻尾を振りながら飛びかかってきた。
私は二匹の頭を盛大に撫でてやる。この子たちの早朝の散歩が私の役目だった。
「良し、行くよ」
リードをつけると私たちは家を出る。我先に走る二匹に引きずられながらいつもの散歩コースを走る。
私は息を整えながら青葉台公園までやって来た。
公園に入り、ぐるりと一周する。ふと、私は一本の木の前で止まる。
一ヶ月前、恋が帽子を引っ掻けてしまった例の木。天野くんと初めて会った木だ。
春の光の中で青い空をどこまでも高く跳んでいく天野くんの姿がフラッシュバックする。
「おはよう」
ああ、天野くんの声まで聞こえる。
私はふるふると首をふる。
立ったまま夢を見るとはなんたる事!
「おはよう、高井さん」
それにしてもやけにはっきり聞こえる幻聴だと思いながら横を見ると天野くんがいた。
「わぁ!」
叫んだ。反射的にのけ反り、万歳をする。
「な、な、な、なんでこんなところにいるのよ」
「なんでって、朝のトレーニングで、かな」
天野くんはキョトンとした顔で答える。そして、しゃがんで手を叩く。二匹のシベリアンハスキーが尻尾を振って突進する。
「よし、よし。
あはは。人なっこいね、こいつら」
天野くんは無邪気に笑いながら二匹を撫でる。
「こいつら、高井さんちの犬?」
「うん。フブキとミゾレって言うの。
白いのがフブキ。ブチがあるのがミゾレよ」
「ふ~ん」
フブキもミゾレも天野くんが気に入ったのか、グイグイと体を押しつけている。
(羨ましい)
ぼんやり思ってはっとなる。
(何を考えてるの私は?)
内心で赤面しながら激しく首をふる。
「朝はいつも散歩しているの?」
犬とじゃれあいながら天野くんが言った。
「うん。そうよ。この子たちの朝の散歩が私の役目なの。
天野くんはなんでこんなところにいるの?」
私は内心の動揺を隠しながら返事を返す。
「朝のこの時分は走ってるよ。いつもは違うコースなんだけどね。たまには気分を変えようかなと思ったんだ。
だけど、高井さんがいつもここを通るなら、今度からはこのコースに変えようかな」
意味深な言葉に私は混乱する。なにも言えずにいると天野くんは立ち上がり真っ直ぐした目で私を見つめてきた。
「昨日、バスケの先生と何か話をしてたよね。
何の話をしていたの?」
見られていたんだ。
私は予期せぬ質問に戸惑う。一瞬、誤魔化そうかとも思ったが思い直す。
「うんとね、私、バスケのマネージャーがやりたくて先生にお願いしたんだ」
天野くんは少し驚いたような顔をした。
「そうなんだ。で、どうだったの?」
「駄目だった。マネージャーは必要ないって言われちゃった」
ははっと空笑いする私に、天野くんは、そうかぁ、と残念そうに頷いた。
「でも、高井さんがそんなにバスケが好きだとは思わなかったな」
「えっ?
えーっと、最近、マンガを読んで興味がでたっというか……」
まさか、天野くん本人に、あなたのそばにいたいからとは言う勇気はなかったので、適当な言い訳をする。
「なるほど。
でも、バスケに興味があるならマネージャーじゃなくてバスケットボールをやれば良いじゃん」
「えっ、バスケやるって、うちの学校、女子のバスケ部ないよ」
私は目を丸くする。
「三人やりたい人が居れば部は作ってもらえるよ。俺、学校にバスケ部なかったら自分で作ろうと思って校則調べたもん」
「そ、そうなの?
いや、いや、いや、私がバスケってあり得ないでしょ。
私、運動とかやったこと無いし、無理よ」
「そうかなぁ~。
高井さん、身体能力高いと思うよ。
初めて会った時、そう思ったもの。
だから、てっきりバレーかバスケをやってると思ったんだよ」
「私が身体能力が高い?
ない、ない、ない」
なにか手放しで誉められてる。
あまりそう言う経験がないので私は全身にこそばゆい感覚を覚えた。
「駄目でしょう。私なんか」
ふるふると手を振り否定する。
「結局、私は帽子も取れなかったし」
「ああ、あの時の事ね」
天野くんは突然ずいっと前に出てきた。
(わっ、ち、近い)
天野くんの顔が目の前に来て、私は舞い上がる。
「右手を上げてみて」
天野くんの言葉に私は目を見開く。
「えっ、なんで……?」
「いいから上げてみてよ」
天野くんに促され、私はおずおずと右手を上げる。そこに天野くんの左手が重ねられる。
心臓が爆発しそうになった。
「ほら、俺の方が指先が高くなるでしょ」
内心焦りまくっている私の事などお構い無く、天野くんは満面の笑みを浮かべる。
私は頬を火照らせながら重なる二人の手を見上げる。
確かに天野くんの方が指の関節一つ分程高かった。
「俺が帽子に手が届いたのは単に高井さんより背が高かっただけだよ。
ジャンプ力は、俺も高井さんも変わらないと思う。それって女の子としたらすごいことなんだよ。それに、その身長!
高井さん、気にしてるみたいだけど、むしろ、自慢して良いんだよ。
だからさ、高井さん、バスケやれるよ。
いや、やるべきだって。
俺、高井さんと一緒にバスケやりたいって思っているよ」
ガツンと頭をハンマーで殴られた。
不意討ちだ。
「な、なにを言っているの」
私は慌てて天野くんから放れると叫んだ。
でも、天野くんは全く動じない。
「なにって、そのままの意味だよ。
バスケやろうよ。楽しいよ」
天野くんはシュートする格好をしてニコリと微笑む。
「本当、少し考えてみてよ。
じゃあ、また学校で!」
私が黙ったままだったので天野くんはそれだけ言うと走っていってしまった。
私はまた、一人取り残される。
「私がバスケをやる……?」
私は火照った顔のまま小さく呟いた。
□□□□□□♥
「ファイト ファイト ファイト」
私は掛け声かけながらグランドを走る。少し遅れて遥と恋がついてくる。
結局、私は二人を口説いて女子バスケ部を作った。持つべきものは親友である。
まあ、まだ三人しかいなくて試合もできないけれどバスケ部はバスケ部だ。
それに、今はとりわけ試合がしたいわけではない。
私は前を見る。
少し前を男子バスケ部の面々が走っていた。最後尾は天野くんだ。
私は少しピッチを上げ天野くんの横に並ぶ。
天野くんが私の方を向き微笑んだ。
それだけで私の心の中の顔はにへらと弛む。
(駄目だ、駄目だ)
こんなことで満足しては行けない。今日はもう一歩前に進むと決めたのだ。
「天、いや、か、翔くん。
明日の朝の話なんだけど時間あるかな?」
「明日の朝……? 時間はあるよ」
「あのね、明日、朝の登校時間に女子バスケ部の勧誘をやろうと思ってるの。
それでその、もしよかったら手伝ってもらえないかな、って思うの」
「ああ、良いよ」
即答だった。
良し!っと私は心の中でガッツポーズを取る。その時
「こら、そこ!
練習中になに喋っているかー!!」
顧問の先生の怒声が響く。
私と天野くんは同時に肩をすくめた。
「じゃあ、練習終わったら朝の段取りの話をさせてね」
私は小さく囁くと後ろに戻る。
風が吹いた
ほんの少し夏の熱を帯びた風
季節は春から初夏に移り変わろうとしている
(でも、もう少しだけ)
と私は思う。
もう少しだけ天野くんとこの春の優しい風に包まれていたかった。
未来がどうなるかは分からない
でも今は
春風の中を 君と
もう少しだけ 走っていたい
私は心からそう思った。
2018/03/22 初稿
2018/08/14 少し変更しました
2020/10/30 誤記修正&作者名変更&千社札追加




