閑話 私の名はアルブレヒト 02
私は、彼女の誕生日に結婚を申し込むつもりだった。指輪を用意し、彼女の誕生日にレストランを予約した。
最近、規模のでかい仕事があった。仕事に掛かりきりで彼女にさびしい思いをさせてしまった。
私のことが嫌いにはなっていないだろうか? プロポーズを断られるのではないか?そんな感情が渦巻き、珍しく仕事でミスをしてしまった。
ミスを修正するために、残業をすることになった。
私は冒険者ギルドの小者(簡単なお使いなどをする子供で、公的機関に何人か配属されている)に金を渡し、レストランに遅れると伝言を頼んだ。
仕事を片付けレストランに向かうと、そこに彼女の姿は無かった。
待たせすぎて怒らせてしまったのだろうか? 店員に確認すると、レストランの店員は、お連れ様は一度もお見えになっておりませんと言った。
体調でも崩したのだろうか? 心配になった私は、二人が住む家へと向かった。家には明かりが付いておらず、人の気配もない。
なんとも言えないゾワゾワとした物が体を這いずり回る。
怒って実家に帰ってしまったのだろうか? 私は嫌な予感を無視し、論理的な理由を考える。足早に彼女の両親が経営する、小さな商店へと向かった。
怒った彼女になんと言って謝ろうか? そんなことを考えながら歩いていると、店の前に着いた。店の雨戸は閉じており、人の気配が感じられない。
扉の鍵は掛かっていない。扉を開けて店へと入る。
店に入った私は困惑した。家具などはそのままなのに、彼女の両親が見当たらない。暗い店内に静寂だけが存在した。
なぜだか店の暗闇が怖くなり、家へと必死に走り出した。嫌な予感を振り払うように家へと走る。
家に着いたら彼女とその両親が待っており、暖かい料理で私を迎えてくれるのではないか。そんな妄想をしながら走っていると家に着いた。
私の妄想をあざ笑うかのように、家は暗闇と静寂に包まれていた。家の中に入り、光の魔道具を起動し、周りを見渡す。
掃除の行き届いた清潔な室内。今朝、出ていったままの部屋。部屋から彼女の笑顔と、人の気配だけが消えていた。
私は彼女の部屋へと向かう。
ドアノブに手を描け捻ると、カチャリと音がした。鍵は掛かっていなかった。唾をゴクリと飲み込むと、一気に扉を開ける。
女性にしては飾り気の無いシンプルな内装。見慣れた彼女の部屋だった。私は光の魔道具を起動し、そっとクローゼットを開けた。
衣服はそのまま残されていた。
服が無ければ、私に愛想をつかして逃げたという線も考えられた。もしくは、別に好きな男ができてその男と駆け落ちしたとも考えられる。
考えただけで胸が締め付けられる。だがそれは、最悪の事態ではない。私の頭にはもっと悪い状況が浮かんでいた。
似た様な話を聞いたことがあった。状況的に間違いは無い。
悲しいことに、人より優れた私の知性が最悪の答えを導き出していた。私はゆっくりと書斎へと向かう。
書斎にたどり着いた私は、重要書類を入れてある隠し金庫を開錠した。この金庫のことは彼女にも話していない。
金庫の中を確認する。
一見なんの変哲も無いように見える。仕掛けた罠も作動していない。しかし、気付いてしまった。私の記憶力が、以前の書類の位置を完璧に覚えていた。
ほんのわずかだが、書類の位置がずれている。
私は自分の知性を呪った。気付かなければ良かった。彼女は何らかのトラブルに巻き込まれ、家族ごと行方不明になった。
そう思えたらどれだけ楽だろう。自分が引っかかるなんて夢にも思わなかった。よくある罠。
甘い罠に。
「ぐぅぅぅぅぅ」
大声で叫び声を上げたかった。だが、喉がギュッと絞まり獣のうなり声のような声しかでなかった。
引き裂かれたような激痛を放つ胸を掻き毟り、獣のようなうなり声を上げのた打ち回る。
どれだけのた打ち回っていたのだろう。気が付くと私の胸は自分で付けた引っかき傷で血まみれになっていた。
あのまま狂っていられたら、どれだけ良かっただろうか……。不思議と胸の痛みは消えていた。ザーと耳鳴りが聞こえる。
しばらくボーっとしていると耳鳴りも消えた。そして思考がクリアになり、最悪の未来が思い浮かんだ。ガクガクと体が震える。
重要機密の漏洩。間諜と長年同居していた私が、いくら無関係だといっても誰も信じない。
無関係だと認められても、情報を盗まれたのは同じだ。
毎年この時期になると、メガド帝国とリーガム王国は戦争をする。ここ何年か帝国は負けなしであり、ジリジリとリーガム王国の領地を侵食している。
今回の戦争で、私は糧秣の調達や輸送の手配を請け負っていた。
本来なら私より役職が上の人間がやる仕事なのだが、怠惰な上司が下に丸投げし、それが幾度か繰り返され私がやることになった。
糧秣から兵士や馬の数が割り出せる。そして物資の集積所も分かってしまう。糧秣を燃やされれば、苦戦は必至だ。
メガド帝国ほど中央集権が進んでいないリーガム王国では、各地の領主が自領の出費を嫌い、出兵をケチる傾向にある。
そのため兵数が足りず、メガド帝国に領地を侵食されている。
だが、今回は糧秣から敵の兵数を割り出せる。ここまで強い証拠があれば、王が強権を発動して、各地の領主に今まで以上兵を出させるに違いない。
ちょうど今頃、戦いになっている。兵数を割り出されたメガド帝国はいつもと違い、自分たちの方が兵数が少ない戦いに混乱しているかもしれない。
私が甘い罠に引っかかったせいだ。わが国の同胞が、メガド帝国の兵士たちが無駄に命を落とすかも知れない。
罪悪感に潰れそうになる。
なぜ私は気が狂ってしまわなかったんだ。こんな時でも冷静に状況を判断してしまう自分が嫌だった。
彼女たちが消えたのも、戦いが始まるタイミングだからだろう。戦場の様子がいつもと違うことが噂になると、いつか自分たちにたどり着くかも知れない。
情報の漏洩先が私だと判断されると、私は軍事機密を漏洩したことで国家反逆罪に処される。
このまま私と一緒に居ても得られる情報はないし、間諜だとばれてしまう恐れがある。
だから戦いが始まるこのタイミング。私に気付かれてもすべてが手遅れになる、このタイミングで逃げ出したのだ。
メガド帝国は官僚の犯罪に特に厳しい。不正や癒着を防ぐためでもあり、権力を奪われた貴族への配慮でもある。
メガド帝国は文明的な国だ。野蛮な蛮族たちを討伐し、国民へと受け入れ、文明的な生活をさせて来た。
野蛮なリーガム王国と違い、奴隷の人権も保障している。
刑罰も文明人らしく、野蛮な物は少ない。ただ、例外がある。罪を犯した官僚への刑罰だ。
平民や下級貴族の、予備にもならない三男以降の男子。
優秀な人間とはいえ、平民や貴族社会で下層にいる彼らが、官僚として権力を持つことを、貴族は快く思っていない。
貴族の不満を解消させるため、罪を犯した官僚に対する刑罰はひどく残虐だ。
回復魔法を併用した恐ろしい拷問を見世物にされ、官僚に不満をためた貴族の憂さ晴らしに利用される。
そして、その罪は連座し家族にも適用される。
私が優秀な官僚になれば、という下心もあったのかもしれない。それでも両親は貧乏な男爵家の家財から私の家庭教師代を捻出してくれた。
嫡男の兄には苛められたが、幼い頃は何も考えず無邪気に兄と笑い合っていた。
その家族が処刑される。貴族の見世物にされ、想像するのも恐ろしいほどの苦痛を与えられ、帝都の広場に設置されている石版に反逆者として名が刻まれるのだ。
そんなことはさせない。そんな事は絶対にさせるわけには行かない。ショックを受けている場合ではない。
私は胸の傷をダンジョン産のポーションで癒すと、家族を救うためのプランを練り始めた。